野良ドールのモーニング

森園ことり

文字の大きさ
14 / 47

14

しおりを挟む
「行くよ」
「ねえねえ、ちょっと入って。お部屋の感じ見てよ」

 一応女の子の部屋だし、気軽に入れない。でも、行き倒れていた女の子がきちんと生活できているか、ちょっと気にはなっていた。
 そっとドアを開けて、玄関から中を覗く。
 うちと同じく、入ってすぐに小さなキッチンがあって、その奥に六畳間がある。
 部屋はまだ物がないのでがらんとしていたけれど、既にそこには生活の匂いがきちんとしていた。
 壁に白いドレスが飾ってあるのが見える。その下に小さな棚と箪笥。昔懐かしいちゃぶ台もある。

「こういうの全部、正子さんがくれたの。使ってないからって」

 柳子は家具類を指さして笑った。

「もっといろんなもの持ってけって言われたけど、部屋に入らないから断ったぐらい」

 正子さんならあれもこれもくれそうだ。僕も引越してきた当時、いろいろもらった。

「冷蔵庫とか電子レンジ買わないとね。お給料入ったら買おうと思ってるんだ。りょーちゃん、洗濯機はどうしてる?」
「コインランドリー使ってる」

 あとで行かないと。

「そっかー。じゃあ、私もそうしよ」

 柳子みたいな若い女の子が、洗濯機なしの部屋に住むのはやっぱりかわいそうな気がする。
 でも生活が安定したらもっといいところに引っ越すこともできるだろう。

「行く?」
「うん!」

 柳子は黒いきれいな靴にほっそりした足を滑りこませると、僕を見あげてにっこり笑った。
 上等な高そうな靴だ。倒れていた時に履いていたものだとすぐに気づいた。
 階段を下りながら僕は訊ねた。

「どこのモーニング食べたいの?」
「正子さんに教えてもらったの。『旋律』って喫茶店のモーニングが最高だって」
「あそこなら僕もよく行くよ」
「そうらしいね。正子さんが、りょーちゃんに連れてってもらいなって」

 そうだったのか。
 僕は少し歩くスピードをゆるめた。いつもの調子で歩いていたら、隣の柳子が小走りになっていたからだ。
 そりゃ華奢なヒールの靴なら歩きづらいよな。
 樹奈に誘われてコーヒースタンドに行った時はどうだったっけ? 異常に緊張して彼女に気を使い過ぎたから覚えてない。たぶん、全部彼女に合わせてたはずだ。

「りょーちゃん、ファミレスの閉店、ショック?」
「あぁ……そりゃショックだよ。慣れてる仕事だし、卒業まで働くつもりだったから」
「みんないいひとたちだしね」
「うん。でも仕方ない」

 振り返ると、柳子がなにか言いたそうな目で僕を見ていた。

「なに?」
「ファミレス、続ける方法ないのかなぁって」
「は? 無理でしょ。決まったことなんだから」
「まだ半年先のことでしょ。売り上げがよくなったら、決定が翻ったりしないのかな」
「急に売り上げがよくなることなんてないよ」
「なんで?」
「なんでって……長年売り上げ、よくなかったんだから、あと半年あったって変わらないよ」
「そうかなぁ」

 柳子もあのファミレスが閉店するのが嫌なんだろう。そりゃそうだ。これから頑張ろうって決めてただろうに、こんなことになって。
 旋律の看板が見えてきたので、僕は指さした。

「あそこだよ」
「へえ、雰囲気あるね」

 柳子は『旋律』の外観を見て面白そうな顔をした。そりゃそうだ。普通の人はちらっと見ただけで素通りするような、パンチのある門構えだ。

「中はいい感じだよ」

 ドアを開けて中に入ると、アンとマークがいつものようにカウンターに腰をおろして本を読んでいた。
 振り返って、おや、という顔を二人とも浮かべる。

「なあに、女の子連れてきて。やるじゃない、良君のくせに」

 くせにって。
 アンさんはちょっと口が悪い。

「彼女?」

 マークさんはなんだか嬉しそうに柳子を見ている。

「違います。正子さんのアパートの新しい住人さんです」
「ああ、あの子なの」

 アンさんは興味深そうな目で柳子を改めて見た。

「正子さんから聞いてるわよ」

 そうしてなぜか僕を見てにやにやする。マークさんもだ。

「彼女、ここのモーニングが食べたいそうなんです」
「あら嬉しい。柳子さん、だったわよね。あなた、オレンジはお好き?」
「大好きです」
「昨日安かったからたくさん買っちゃったの。一緒にだしたげる」

 ありがとうございます、と僕らは礼を言ってから、窓際のテーブルについた。
 柳子はじろじろと店内を見まわした。
 それからカウンターの中に入った夫婦を見つめ、訊ねた。

「あの、お店の外はきれいにしないんですか? 店内はすごく居心地がいいのに」

 えーっ。
 僕も訊いたことがないことを、初対面でいきなり踏み込むのか。
 僕が冷や汗をかきながら息をのんでいると、一瞬の間をおいて、アンさんとマークは同時に笑いはじめた。

「きれいにしないとだめよねぇ」

 オーブンの蓋を閉めながらアンさんがくすくす笑う。

「最初はきれいにしてたのよ。すべてに気を使って、お客にも気を使って。でもそのうち、疲れちゃった。お客さん来過ぎて」
「そうそう」とマークさんは切ったオレンジをガラスの器に盛り付ける。
「外の掃除や鉢植えの世話まで手がまわらなくなって、あっという間に荒れ放題。徐々に新規のお客さんが減ってきて、これはこれでいいんじゃないかって、二人とも思ってね」

 ね、と夫婦は顔を見合わせる。

「常連さんたちは相変わらず来てくれるし、そのままにしてるの。きれいにしてまたお客さんが増えちゃっても、忙しくなって困るし。ほら、読書もできなくなっちゃうでしょ」

 なるほど、と柳子は納得している。

「でも、お客さんが少ないと売り上げの方も……」

 僕の言葉に、アンさんは首を横に振った。

「この年じゃもう、必要以上のお金を稼ぐつもりにはなれないわね。ただ後悔のないように、日々楽しく暮らしたいだけ」

 読書して、音楽を聴いて、おいしいものを食べて。
 レコードの音が止まったので、マークさんが新しいレコードをかけた。
 ピアノの曲。モーツァルトでもベートーヴェンでもないようだ。
 柳子が頬杖をついて、音楽に耳をすますように目を閉じる。

「柳子ちゃん、ピアノを弾くんでしょ」

 マークさんがそう言うと、柳子は目を閉じたまま頷いた。

「はい」
「これ、僕でも聴いたことがあります。なんていう曲ですか?」

 僕はマークさんに訊ねた。

「ショパンのノクターン」

 柳子もこれ弾けるんだろうか。彼女は目を薄く開いて、窓の外をぼんやり眺めていた。何か思い出しているように。
 だが、おいしそうなピザトーストのモーニングが運ばれてくると、姿勢をぴんと正して目をきらきら輝かせる。

「うわぁ、おいしそう」

 ピザトーストを一口食べた柳子は目を見開いてこくこく頷く。大満足のようだ。
 僕も大口で頬張る。今回もチーズを増量してくれている。チーズがどろどろと皿に落ちるが、それを熱いうちにパンの端っこですくいとる。
 あっという間にピザトーストを食べ終わると、紙ナプキンで口を拭きながら柳子が言った。

「りょーちゃん、うちのファミレスのモーニングって、あんまりおいしそうじゃないよね?」
「え、なに急に」

 いきなり店批判か?

「あんなもんでしょ、ファミレスのモーニングなんて。どこもだいたい一緒だし」
「そこだよ。なんで一緒なの? 違うほうがよくない?」

 おいおいおい。一週間ぐらい働いただけで、急に料理にだめだしするなんて、度胸あるね、柳子さんよ。
 これ聞いたのが僕でよかった。
 美帆さんたちはともかく、店長の耳に入ったら、こめかみぴくつかせながら睨まれるところだよ。

「トーストに卵、ソーセージ。テーブルに運んでいってもお客さん、目がきらきらしないんだよね」
「数百円の朝食に過度な期待はしてないでしょ」
「だとしてもね、もう少し選択しがあるといいんじゃないかな。たとえばフルーツモーニングとか、野菜たっぷりモーニング。おにぎりと豚汁モーニングとか」
「言いたいことはわかるけど、それやるとコストとか労力かかるでしょ。となると値段が上がって、誰も頼まないと思うけど」

 柳子は黙ってゆで卵の殻をむきはじめた。僕も同じようにする。

「それに、モーニングを変えても食べるのはいつもの常連さんだよ。トキコさんがフルーツモーニングを食べるかな」

 アヤメさんは頼むかもしれないが。

「モーニングが話題になれば、お客さんが増えて売り上げが伸びるかもしれない。そうしたら、閉店しなくてよくなるかも」

 そう言った柳子は塩をちょんちょんとゆで卵につけると、かぷっと食べた。

「モーニングで閉店回避を試みようっての? 無謀だし、無理」
「なんで?」

 僕は少し多めに塩をつけてゆで卵にかぶりつく。

「おいしいモーニングを求めるようなグルメでおしゃれな人たちは、別の店行くよ。わざわざこんな小さな町のファミレスには来ない」
「この町にもおいしいものが好きな人たちはいると思うけど」
「いるだろうけど、他のとこ行くよ。ちょっと電車に乗って都心に出れば、いくらでもいい店はあるんだから」
「遠くまで行きたくないけどおいしいものを食べたい人もいると思うけど」

 柳子はやけに食い下がってくる。
 そんなに閉店させたくないのか。気持ちはわかる。僕だって、柳子が提案したモーニングが起死回生のチャンスとなって、店を閉店危機から脱させるようなサクセスストーリー展開があったら、そりゃ素敵だろうとは思うよ。 

 でも僕の頭に浮かぶのは、あのまったりとした朝のファミレスの光景だ。年を重ねた常連さんたちが、ほぼ毎日同じような世間話をしながら、一時間がそこら過ごしていく空間。僕はそこに二年いたから、それ以外の光景があそこで繰り広げられるとはどうしても思えない。
 テレビ番組で人気がある天才シェフが考案した限定メニューを提供するとなっても、さほど客は増えない気がする。
 だから無理なんだよ。柳子さん。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。 だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。 しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。 王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。 そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。 地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。 ⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。

美味しいコーヒーの愉しみ方 Acidity and Bitterness

碧井夢夏
ライト文芸
<第五回ライト文芸大賞 最終選考・奨励賞> 住宅街とオフィスビルが共存するとある下町にある定食屋「まなべ」。 看板娘の利津(りつ)は毎日忙しくお店を手伝っている。 最近隣にできたコーヒーショップ「The Coffee Stand Natsu」。 どうやら、店長は有名なクリエイティブ・ディレクターで、脱サラして始めたお店らしく……? 神の舌を持つ定食屋の娘×クリエイティブ界の神と呼ばれた男 2人の出会いはやがて下町を変えていく――? 定食屋とコーヒーショップ、時々美容室、を中心に繰り広げられる出会いと挫折の物語。 過激表現はありませんが、重めの過去が出ることがあります。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

処理中です...