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誰だろう。正子さんかな。
身を起こして、「はい」と返事をする。
のろのろと玄関のドアを開けにいくと、そこには見たことのない男性が立っていた。
黒シャツに黒パンツ、黒メガネの若い男。僕を見てなぜかびっくりしている。
「すみません、間違えました」
彼はそう言うと、小さく頭を下げた。
「……あの、ここに以前、灰野さんという方が住んでいたと思うんですが、引っ越されたんですか?」
灰野さんの知り合い?
「失礼ですが……」
僕の警戒した雰囲気を察知したのか、彼は慌てて名刺を僕に差し出した。
カラフルなその名刺には、緑色の線で女の子の絵が描かれている。
(イラストレーター 島時蔵(しまときぞう))とそこにはあった。
「前に先生の絵画教室でお世話になってたんです」
「あぁ、そうなんですか」
なんだ、生徒さんか。
「灰野さんなら一階ですよ。101号室」
灰野さん、前はこの部屋に住んでたのか。一階の方が家賃が安いから移ったのかもしれない。
「そうでしたか。失礼しました」
彼は一礼してドアを閉めかけた。
「あ、灰野さん、今日は絵画教室の日だと思います。部屋にいなかったら、公民館のほう覗いてみてください」
「わかりました。ありがとうございます」
島時蔵さんは最後ににこっと笑うと、静かにドアを閉めた。
*
日が落ちた。
漫画を読みながら夕飯のカップラーメンを食べていると、どんどんどんとまたドアがノックされた。
今日はなんだか訪問者が続く。
「灰野ですー」
さっきのイラストレーターのことを思い出して、慌てて出た。
「これ、おすそわけ」
ドアを開けると、灰野さんがてのひらにのせたお菓子をぐいっと差し出してきた。(かもめの玉子)が三つのっている。
「さっき来たでしょ、島時蔵が。彼がお土産に持ってきてくれたの。これ、私好きなのよねぇ」
外側が白くコーティングされていて、見た目も卵そっくりのこのお菓子は、僕も食べたことがある。かなりおいしい。
「ありがとうございます。あのひと、灰野さんの生徒さんだったんですか?」
「そうだよ。もう五年も前の話だけどね。いまはすっかり売れっ子になっちゃって」
けっこう有名な人なのか。
「ここに灰野さんが住んでると思ってたみたいですよ」
「そうみたいねぇ。私、前はこの部屋使ってたんだよ。知らなかった?」
「はい」
「ここ、デるから下に移ったの」
そう言って、指先を下に向けてお化けポーズをする。
「えっ」
「じょーだん。家賃安くするためだよ」
「もう、やめてくださいよ」
まじでやめてくれ。もう外真っ暗なんだから。
「昔の生徒さんがいまでも訪ねてきてくれるなんて、なんかいいですね」
「律儀だよねぇ。挨拶だけしてすぐ帰っちゃったけど」
「ご飯でも食べなかったんですか?」
「正子さんちに誘ったんだけど、ご迷惑でしょうからって」
そりゃそうだろう。いきなり知らない大家さんちで晩御飯なんて、遠慮するに決まってる。
「『旋律』でコーヒーでも飲んだらよかったのに」
あぁ、そうか、と灰野さんは一人頷いて笑った。
「また来るって言ったから、そのときはそうするよ」
*
土曜日は見事に晴れた。
午後二時前にスポーツ公園に行くと、既に柳子と美帆さんがビニールシートを敷いて待っていた。
魔法瓶のお茶にお菓子を広げて、ピクニックをしに来たみたいだ。
「晴れてよかったよね~。今日はそんなに暑くないし」
美帆さんはご機嫌な感じで青空を見上げながら言う。天気はいいが少し風があって、蒸し暑さは抑えられている。
約束の時間になると、大さんや小鹿さんも現れた。
「よかったらこれ。ババロア」
小鹿さんが差し出した紙袋には、ピンク色のきれいなスイーツが入っていた。
「わー、きれい! わざわざ作ってきてくれたんですか?」
女性たちのテンションが急にあがる。
「たまたま家に材料があったから」
「これ、苺ですか?」
柳子がカップをてのひらにのせて訊ねる。
「ラズベリーだよ」
「お店のみたい」
美帆さんが感心するのも頷ける。ババロアの上にはホイップをたっぷり絞って、ミントまでのっけているのだから。
「まあ、小鹿さんはプロだからね」
大さんの言葉にみんな大きく頷く。
冷たいうちにということで、先にババロアをいただくことにした。ひんやりと滑らかな舌触り。ババロアが甘酸っぱくておいしい。ミントの香りも爽やかだ。
美帆さんは冷たい麦茶をみんなにふるまった。
「店長、いいアイデアだって褒めてたよ。(普通じゃないモーニング)のこと」
小鹿さんの言葉にみんな明るい表情になる。
「本当のところ、店長、モーニングのことどう思ってるのかなぁ」
美帆さんがそう言うと、大さんも思案気な顔をした。
「余計なことすんなって思ってないといいけど」
それはないと思うよ、と小鹿さんは微笑む。
「閉店決まる前にこういうの、いろいろやっとけば良かったかも、って言ってたぐらいだから」
そうなんだ、と僕らは意外に感じて小鹿さんを見た。
「店長も責任感じてるみたいだよ。自分の力不足でこうなったって」
あの店長がそんなことを思っていたとは。
いつも無表情だから、やる気がなさそうに見えていた。場所の悪い店舗をまかされて、さぞや不満がたまっているんだろうなぁ、と同情することも度々だった。
「店長もかわいそうよね。この店のせいで、もっと辺鄙なところに異動させられなきゃいいけど」
美帆さんがため息をつきながら言うと、柳子はノートを開いた。
「モーニングで少しでもお客さんが増えれば、店長も喜んでくれますよ。がんばりましょ」
そうだね、と僕らは頷くと、七月から始める予定の(普通じゃないモーニング)のメニュー選びをした。
二週間ごとにテーマを変える予定だ。
とりあえず、カレー、肉、韓国、朝スイーツなどのテーマをピックアップした。
身を起こして、「はい」と返事をする。
のろのろと玄関のドアを開けにいくと、そこには見たことのない男性が立っていた。
黒シャツに黒パンツ、黒メガネの若い男。僕を見てなぜかびっくりしている。
「すみません、間違えました」
彼はそう言うと、小さく頭を下げた。
「……あの、ここに以前、灰野さんという方が住んでいたと思うんですが、引っ越されたんですか?」
灰野さんの知り合い?
「失礼ですが……」
僕の警戒した雰囲気を察知したのか、彼は慌てて名刺を僕に差し出した。
カラフルなその名刺には、緑色の線で女の子の絵が描かれている。
(イラストレーター 島時蔵(しまときぞう))とそこにはあった。
「前に先生の絵画教室でお世話になってたんです」
「あぁ、そうなんですか」
なんだ、生徒さんか。
「灰野さんなら一階ですよ。101号室」
灰野さん、前はこの部屋に住んでたのか。一階の方が家賃が安いから移ったのかもしれない。
「そうでしたか。失礼しました」
彼は一礼してドアを閉めかけた。
「あ、灰野さん、今日は絵画教室の日だと思います。部屋にいなかったら、公民館のほう覗いてみてください」
「わかりました。ありがとうございます」
島時蔵さんは最後ににこっと笑うと、静かにドアを閉めた。
*
日が落ちた。
漫画を読みながら夕飯のカップラーメンを食べていると、どんどんどんとまたドアがノックされた。
今日はなんだか訪問者が続く。
「灰野ですー」
さっきのイラストレーターのことを思い出して、慌てて出た。
「これ、おすそわけ」
ドアを開けると、灰野さんがてのひらにのせたお菓子をぐいっと差し出してきた。(かもめの玉子)が三つのっている。
「さっき来たでしょ、島時蔵が。彼がお土産に持ってきてくれたの。これ、私好きなのよねぇ」
外側が白くコーティングされていて、見た目も卵そっくりのこのお菓子は、僕も食べたことがある。かなりおいしい。
「ありがとうございます。あのひと、灰野さんの生徒さんだったんですか?」
「そうだよ。もう五年も前の話だけどね。いまはすっかり売れっ子になっちゃって」
けっこう有名な人なのか。
「ここに灰野さんが住んでると思ってたみたいですよ」
「そうみたいねぇ。私、前はこの部屋使ってたんだよ。知らなかった?」
「はい」
「ここ、デるから下に移ったの」
そう言って、指先を下に向けてお化けポーズをする。
「えっ」
「じょーだん。家賃安くするためだよ」
「もう、やめてくださいよ」
まじでやめてくれ。もう外真っ暗なんだから。
「昔の生徒さんがいまでも訪ねてきてくれるなんて、なんかいいですね」
「律儀だよねぇ。挨拶だけしてすぐ帰っちゃったけど」
「ご飯でも食べなかったんですか?」
「正子さんちに誘ったんだけど、ご迷惑でしょうからって」
そりゃそうだろう。いきなり知らない大家さんちで晩御飯なんて、遠慮するに決まってる。
「『旋律』でコーヒーでも飲んだらよかったのに」
あぁ、そうか、と灰野さんは一人頷いて笑った。
「また来るって言ったから、そのときはそうするよ」
*
土曜日は見事に晴れた。
午後二時前にスポーツ公園に行くと、既に柳子と美帆さんがビニールシートを敷いて待っていた。
魔法瓶のお茶にお菓子を広げて、ピクニックをしに来たみたいだ。
「晴れてよかったよね~。今日はそんなに暑くないし」
美帆さんはご機嫌な感じで青空を見上げながら言う。天気はいいが少し風があって、蒸し暑さは抑えられている。
約束の時間になると、大さんや小鹿さんも現れた。
「よかったらこれ。ババロア」
小鹿さんが差し出した紙袋には、ピンク色のきれいなスイーツが入っていた。
「わー、きれい! わざわざ作ってきてくれたんですか?」
女性たちのテンションが急にあがる。
「たまたま家に材料があったから」
「これ、苺ですか?」
柳子がカップをてのひらにのせて訊ねる。
「ラズベリーだよ」
「お店のみたい」
美帆さんが感心するのも頷ける。ババロアの上にはホイップをたっぷり絞って、ミントまでのっけているのだから。
「まあ、小鹿さんはプロだからね」
大さんの言葉にみんな大きく頷く。
冷たいうちにということで、先にババロアをいただくことにした。ひんやりと滑らかな舌触り。ババロアが甘酸っぱくておいしい。ミントの香りも爽やかだ。
美帆さんは冷たい麦茶をみんなにふるまった。
「店長、いいアイデアだって褒めてたよ。(普通じゃないモーニング)のこと」
小鹿さんの言葉にみんな明るい表情になる。
「本当のところ、店長、モーニングのことどう思ってるのかなぁ」
美帆さんがそう言うと、大さんも思案気な顔をした。
「余計なことすんなって思ってないといいけど」
それはないと思うよ、と小鹿さんは微笑む。
「閉店決まる前にこういうの、いろいろやっとけば良かったかも、って言ってたぐらいだから」
そうなんだ、と僕らは意外に感じて小鹿さんを見た。
「店長も責任感じてるみたいだよ。自分の力不足でこうなったって」
あの店長がそんなことを思っていたとは。
いつも無表情だから、やる気がなさそうに見えていた。場所の悪い店舗をまかされて、さぞや不満がたまっているんだろうなぁ、と同情することも度々だった。
「店長もかわいそうよね。この店のせいで、もっと辺鄙なところに異動させられなきゃいいけど」
美帆さんがため息をつきながら言うと、柳子はノートを開いた。
「モーニングで少しでもお客さんが増えれば、店長も喜んでくれますよ。がんばりましょ」
そうだね、と僕らは頷くと、七月から始める予定の(普通じゃないモーニング)のメニュー選びをした。
二週間ごとにテーマを変える予定だ。
とりあえず、カレー、肉、韓国、朝スイーツなどのテーマをピックアップした。
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