野良ドールのモーニング

森園ことり

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 誰だろう。正子さんかな。
 身を起こして、「はい」と返事をする。

 のろのろと玄関のドアを開けにいくと、そこには見たことのない男性が立っていた。
 黒シャツに黒パンツ、黒メガネの若い男。僕を見てなぜかびっくりしている。

「すみません、間違えました」

 彼はそう言うと、小さく頭を下げた。

「……あの、ここに以前、灰野さんという方が住んでいたと思うんですが、引っ越されたんですか?」

 灰野さんの知り合い?

「失礼ですが……」

 僕の警戒した雰囲気を察知したのか、彼は慌てて名刺を僕に差し出した。
 カラフルなその名刺には、緑色の線で女の子の絵が描かれている。

(イラストレーター 島時蔵(しまときぞう))とそこにはあった。

「前に先生の絵画教室でお世話になってたんです」
「あぁ、そうなんですか」

 なんだ、生徒さんか。

「灰野さんなら一階ですよ。101号室」

 灰野さん、前はこの部屋に住んでたのか。一階の方が家賃が安いから移ったのかもしれない。

「そうでしたか。失礼しました」

 彼は一礼してドアを閉めかけた。

「あ、灰野さん、今日は絵画教室の日だと思います。部屋にいなかったら、公民館のほう覗いてみてください」
「わかりました。ありがとうございます」

 島時蔵さんは最後ににこっと笑うと、静かにドアを閉めた。





 日が落ちた。

 漫画を読みながら夕飯のカップラーメンを食べていると、どんどんどんとまたドアがノックされた。
 今日はなんだか訪問者が続く。

「灰野ですー」

 さっきのイラストレーターのことを思い出して、慌てて出た。

「これ、おすそわけ」

 ドアを開けると、灰野さんがてのひらにのせたお菓子をぐいっと差し出してきた。(かもめの玉子)が三つのっている。

「さっき来たでしょ、島時蔵が。彼がお土産に持ってきてくれたの。これ、私好きなのよねぇ」

 外側が白くコーティングされていて、見た目も卵そっくりのこのお菓子は、僕も食べたことがある。かなりおいしい。

「ありがとうございます。あのひと、灰野さんの生徒さんだったんですか?」
「そうだよ。もう五年も前の話だけどね。いまはすっかり売れっ子になっちゃって」

 けっこう有名な人なのか。

「ここに灰野さんが住んでると思ってたみたいですよ」
「そうみたいねぇ。私、前はこの部屋使ってたんだよ。知らなかった?」
「はい」
「ここ、デるから下に移ったの」

 そう言って、指先を下に向けてお化けポーズをする。

「えっ」
「じょーだん。家賃安くするためだよ」
「もう、やめてくださいよ」

 まじでやめてくれ。もう外真っ暗なんだから。

「昔の生徒さんがいまでも訪ねてきてくれるなんて、なんかいいですね」
「律儀だよねぇ。挨拶だけしてすぐ帰っちゃったけど」
「ご飯でも食べなかったんですか?」
「正子さんちに誘ったんだけど、ご迷惑でしょうからって」

 そりゃそうだろう。いきなり知らない大家さんちで晩御飯なんて、遠慮するに決まってる。

「『旋律』でコーヒーでも飲んだらよかったのに」

 あぁ、そうか、と灰野さんは一人頷いて笑った。

「また来るって言ったから、そのときはそうするよ」





 土曜日は見事に晴れた。
 午後二時前にスポーツ公園に行くと、既に柳子と美帆さんがビニールシートを敷いて待っていた。
 魔法瓶のお茶にお菓子を広げて、ピクニックをしに来たみたいだ。

「晴れてよかったよね~。今日はそんなに暑くないし」

 美帆さんはご機嫌な感じで青空を見上げながら言う。天気はいいが少し風があって、蒸し暑さは抑えられている。
 約束の時間になると、大さんや小鹿さんも現れた。

「よかったらこれ。ババロア」

 小鹿さんが差し出した紙袋には、ピンク色のきれいなスイーツが入っていた。

「わー、きれい! わざわざ作ってきてくれたんですか?」

 女性たちのテンションが急にあがる。

「たまたま家に材料があったから」
「これ、苺ですか?」

 柳子がカップをてのひらにのせて訊ねる。

「ラズベリーだよ」
「お店のみたい」

 美帆さんが感心するのも頷ける。ババロアの上にはホイップをたっぷり絞って、ミントまでのっけているのだから。

「まあ、小鹿さんはプロだからね」

 大さんの言葉にみんな大きく頷く。
 冷たいうちにということで、先にババロアをいただくことにした。ひんやりと滑らかな舌触り。ババロアが甘酸っぱくておいしい。ミントの香りも爽やかだ。
 美帆さんは冷たい麦茶をみんなにふるまった。

「店長、いいアイデアだって褒めてたよ。(普通じゃないモーニング)のこと」

 小鹿さんの言葉にみんな明るい表情になる。

「本当のところ、店長、モーニングのことどう思ってるのかなぁ」

 美帆さんがそう言うと、大さんも思案気な顔をした。

「余計なことすんなって思ってないといいけど」

 それはないと思うよ、と小鹿さんは微笑む。

「閉店決まる前にこういうの、いろいろやっとけば良かったかも、って言ってたぐらいだから」

 そうなんだ、と僕らは意外に感じて小鹿さんを見た。

「店長も責任感じてるみたいだよ。自分の力不足でこうなったって」

 あの店長がそんなことを思っていたとは。
 いつも無表情だから、やる気がなさそうに見えていた。場所の悪い店舗をまかされて、さぞや不満がたまっているんだろうなぁ、と同情することも度々だった。

「店長もかわいそうよね。この店のせいで、もっと辺鄙なところに異動させられなきゃいいけど」

 美帆さんがため息をつきながら言うと、柳子はノートを開いた。

「モーニングで少しでもお客さんが増えれば、店長も喜んでくれますよ。がんばりましょ」

 そうだね、と僕らは頷くと、七月から始める予定の(普通じゃないモーニング)のメニュー選びをした。
 二週間ごとにテーマを変える予定だ。
 とりあえず、カレー、肉、韓国、朝スイーツなどのテーマをピックアップした。
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