野良ドールのモーニング

森園ことり

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「一番はじめのメニューは重要だよね。それでお客さんに印象づけられれば、その後も注目してもらえるだろうし」と小鹿さん。
「だとしたら、やっぱ肉かなぁ? 朝から肉メインのモーニングってインパクトあるよね?」

 そう言って美帆さんが(肉モーニング)と書かれた文字を指でつつく。

「それか朝カレーか朝スイーツ」

 柳子がカレーとスイーツの単語を指差す。

「肉かカレーかスイーツ。どうしよう。多数決にする?」

 小鹿さんの提案にみんな頷いた。

「じゃあ、決を採ります。肉モーニングがいい人?」

 柳子の言葉に、「はいっ」と大さんが元気よく手を上げた。思わずみんな笑ってしまう。

「カレーモーニングがいい人」

 僕は手を上げた。小鹿さんと美帆さんも手を上げる。

「じゃあ、スイーツモーニングがいいのは私のみ、ということで。じゃあ、第一回目はカレーモーニングでいきましょうか」

 お、カレーに決まった。
 自然とぱちぱちと拍手が起こる。

「でも、朝からカレー食べたい人って、どのぐらいいるんだろう? 誰も注文しなかったらどうする?」

 美帆さんが少し心配そうに言うと、小鹿さんが腕組みしながらにやりとした。

「あまったらランチにまわせばいいよ。団扇であおいでフロアにカレーの匂いを充満させよう。きっとみんな注文してくれるよ」
「小鹿さんが言うと、本気か冗談かわからないよね」

 大さんがそう言うと、みんなは笑った。
 カレーの次はスイーツ、その次は肉と決まった。

「店長がSNSでモーニングの宣伝してくれるそうです。話題になるといいですね」

 柳子はノートを閉じて両手を重ねると、祈るように空を見上げた。

「見ただけで胸やけしそうな、ボリュームたっぷりのカレーの写真を投稿してもらおう。これ誰が食べるのって思われるぐらいの」

 小鹿さんが楽しそうに提案すると、みんなも投稿写真のアイデアを次々に出し合った。からあげやゆで卵をたっぷりトッピングするとか、山盛りの福神漬けをのせるとか。
 みんなの活き活きとした表情を見ていると、なんだか僕は不思議な気持ちになった。
 閉店が決まったら普通落ち込むはずなのに、こんなにみんな楽しそうにしている。

 柳子はお客さんがわくわくするようなモーニングを出したいと言っていたけれど、今一番わくわくしたいのは僕らのほうだったのかもしれない。

 僕もみんなに負けないようにアイデアを出そうとしたが、ガーッガーッという大きな音に気が散る。
 うるさいなぁと音のするほうを振り返ると、広場のあたりでスケボーをやっている数人の若者が目にとまった。
 なんとなく見ていると、そのなかの一人がこちらをじっと見ていることに気づいた。

 あれ、樹奈じゃないか。
 たぶんあっちも同時ぐらいに僕に気づいたようだった。
 スケボーを抱えた樹奈は僕の方に駆けてきた。

「やっぱり良ちゃんだ」

 突然現れたスケボー女子の登場に、他の同僚たちはぽかんと僕たちを見くらべる。

「はじめまして」

 樹奈が挨拶をすると、みんなも頭を下げた。

「あ、同じ大学の友達です」

 僕が説明すると、そうなんだ、とみんなはホッとしたように笑顔になった。

「こちらはバイト先の先輩方。仕事のことで集まったんだ」

 樹奈にはそう説明すると、彼女ははっとしたように頭を下げた。

「すみません、邪魔してしまって」

 いえいえ、とみんな首を横に振る。

「今度、うちの店で新しいモーニングはじめるから、よかったら食べに来てよ」

 僕がそう言うと、美帆さんも身をのりだして口を開いた。

「カレーとか肉とか、朝っぽくないモーニングにする予定なんです。お友達も誘ってみて来てくださいね」

 こちらをうかがっているスケボー仲間の中には、クサカさんやアイさんの姿はない。同い年ぐらいの若い女の子たちだけだ。

「モーニングでカレーって珍しいですね。私たち、たまに朝も練習することあるので、そのときにでも寄らせてもらいます」

 樹奈が言うと、みんなぜひぜひと顔を輝かせた。

「じゃ、私行くね。また学校で」
「うん、また」

 樹奈が立ち去ると、美帆さんが小声で言った。

「なんか意外。良君の友達って、似たようなおとなしくて地味な子たちかと思ってた」

 おとなしくて地味ですみませんね。

「ギャルっぽかったね」と大さんも笑う。
「ギャルじゃないですよ」

 髪の毛染めてメイクばっちりだと、そう見えるのかな。

「でも可愛いね」

 柳子はそう言って、樹奈とその友達がスケボーをやっているほうを何度も振り返って見ていた。





 アヤメさんはその朝、かなり久しぶりにファミレスに現れた。
 梅雨らしい雨に濡れたのか、ハンカチで顔や体を拭きながら力のない目でフロアを見まわす。
 トキコさんとカワセさんをいつものテーブルに見つけると、少しだけ表情がゆるんだ。

「あら久しぶりじゃない。死んだのかと思ったわよ」

 トキコさんの憎まれ口に少しだけ顔をこわばらせるアヤメさん。だが、なぜかトキコさんの隣にちょこんと腰をおろした。カワセさんの隣ではなく。
 久しぶりのアヤメさんの登場に、美帆さんや柳子もちらちらと、彼女たちのテーブルに視線を向けている。
 僕が注文を取りにいった。

「お久しぶりです、アヤメさん。いつものモーニンブでいいですか?」

 僕が声をかけると、アヤメさんは目を潤ませながら頷いた。

「それでお願い」

 それから突然手に握りしめていた白いハンカチを目に押し当てると、ぐすんぐすんと泣きはじめた。

「ちょっとどうしたのよ?」

 ぎょっとしたトキコさんがアヤメさんを覗き込む。

「先月、うちの夫が亡くなったの」

 えっとトキコさんとカワセさんが同時に声をあげた。僕も心の中で声をあげた。

「脳卒中で、本当に突然だったの。お葬式や家の片づけでばたばたしてて、ここに来られなかった」

 トキコさんはアヤメさんの肩をぎゅっと抱くと、慰めるように腕をさすった。

「大変だったわね。ご主人のこと、ご愁傷様です」
「ご愁傷様。アヤメさん、元気だして」

 カワセさんも気の毒そうに彼女に声をかける。

「まさか死ぬなんて思ってなかったから、不安で不安で」

 アヤメさんはスイッチが入ったように泣きじゃくりはじめた。
 僕は厨房にアヤメさんのオーダーを伝えてから、心配そうに様子をうかがっていた柳子たちのところに行った。アヤメさんのご主人のことを話すと、二人とも驚いて言葉を失った。

「なにかあったと思ってたのよ。お気の毒に」

 美帆さんも涙ぐんで、泣いているアヤメさんに視線を向ける。
 柳子はじっとアヤメさんのことを見ていたが、やがて美帆さんの腕を引っ張ると、アヤメさんのテーブルに近づいていった。

「アヤメさん」

 柳子が泣いているアヤメさんに声をかける。

「聞きました、ご主人のこと。とても残念です。どうか元気だしてくださいね」

 そう言って、そっとアヤメさんの肩に手を置く。
 アヤメさんは涙でぐちゃぐちゃになった顔を柳子に向けると、こくこくと頷いた。

「ありがとう……」
「泣かないで、アヤメさん……」

 涙をこらえきれなかった美帆さんを見て、アヤメさんはまた大粒の涙をぼろぼろこぼした。
 僕もなにか言葉を、と口を開きかけた時、アヤメさんが鼻をすすりながら口を開いた。

「私、引っ越したの。息子夫婦が、私一人じゃ寂しいだろうって、港区のマンションに呼んでくれて」

 港区だと、ここからけっこう遠い。今朝は電車に乗ってわざわざ来たということか。

「港区からなら、一時間以上かかったんじゃないの?」

 驚いたようにトキコさんが訊ねると、アヤメさんはうなだれる。

「そうなの。だからこれからは毎日は来れそうにないわ」
「そりゃそうよ。無理したらあんたも倒れるわよ」
「でも、新しい家のご近所には知り合いもいないし、つまらないの。遠くてもここに来てみんなと話したい」

 しょんぼりと涙を拭いているアヤメさんの肩をトキコさんはさすった。

「朝は大変だろうからランチに来れば? 連絡くれれば私、ランチまでねばるから」
「本当?」

 アヤメさんは顔を上げて嬉しそうにトキコさんを見つめる。

「ずっと座ってたらお尻痛くならない?」
「大丈夫よ。適当に店のなか歩くから」

 それはどうだろう。ま、トキコさんならいっか。
 僕は厨房にアヤメさんのモーニングを取りに行ってすぐに戻った。

「お待たせしました」

 トーストにベーコンエッグの普通のモーニング。それでも、馴染みがある食事を目にしたせいか、アヤメさんはほっとした表情を浮かべた。

「おいしそう。いただきます」

 ケチャップをたっぷりベーコンエッグにつけて食べ始める。

「飲み物とってきてあげるわよ。まずはスープよね」

 トキコさんは甲斐甲斐しく、アヤメさんのスープを取りに行った。

「七月から(普通じゃないモーニング)を提供することになったんです。アヤメさんもぜひ食べに来てくださいね」

 柳子がそうすすめると、アヤメさんは目をぱちぱちさせた。

「(普通じゃないモーニング)?」
「普通はあんまりモーニングに出ないような料理を出すことにしたんです。一番はじめはカレーです」
「朝からカレー? ヘビーねぇ」

 今日初めてアヤメさんは笑った。スープを持ってきたトキコさんもそんなアヤメさんを見て笑顔になる。

「面白そうよね。私、挑戦してみるつもり」

 意外にもトキコさんが食いつきを見せると、アヤメさんもいつもの負けん気を発揮した。

「トキコさんが食べられるなら私もいけるわね」
「なにその若いアピール」

 うふふ、といつもの調子を取り戻したアヤメさんは、みんなの顔を見まわして嬉しそうに笑った。

「よかった、私にこういう場所があって。ここのところずっとふさぎこんでたけど、みんなの顔見たら自然と笑顔になれちゃった。私、頑張ってずっとここに通うね」

 アヤメさんの言葉に、トキコさんも「私も死ぬまで通うつもりよ」と笑う。
 二人の会話を聞いていた僕は複雑な気持ちになった。この店は十月で閉店してしまうのだから。
 柳子と美帆さんを見ると、彼女たちも微妙な表情を浮かべている。
 少し元気を取り戻したアヤメさんの声を聞きながら、僕らは仕事に戻った。




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