野良ドールのモーニング

森園ことり

文字の大きさ
27 / 47

27

しおりを挟む
 週末のお昼。
 僕がいつものように『旋律』でピザトーストを食べていると、灰野さんと島時蔵が現れた。

「お、池間君だ」

 いつも通り灰色ルックの灰野さん。そして黒づくめの時蔵さん。
 モノトーンな二人は僕から二席離れたテーブルについた。

「この間はどうも失礼しました」

 時蔵さんが律儀に僕に謝ってきた。灰野さんの肩ごしに。
 灰野さんもくるりと振り返ると、僕がテーブルに広げたノートに目をとめた。

「それって、絵?」
「あ……日記です」
「絵で日記描いてるんだ?」
「はあ……漫画日記みたいな」
「エッセイ漫画とか人気あるよね」と時蔵さんがにこりと僕に笑いかける。
「へえ、面白そうだね。見せてよ」

 灰野さんが腰をあげようとしたので、僕はぱたんとノートを閉じた。

「日記は人に見せるものじゃないのです」
「あ、そうか。失礼した」

 灰野さんはあっさり引き下がると、注文を訊きにきたアンさんにピザトーストとコーヒーを注文した。

「ここのピザトーストおいしいんだよ。コーヒーもね」

 灰野さんの言葉に時蔵さんは神妙な顔つきで頷く。そんな彼のことを、アンさんは遠慮なしに上から下までじろじろと見た。

「こちらは?」

 アンさんは灰野さんに訊ねる。

「絵画教室の元教え子です。いまは立派なイラストレーター」
「島時蔵といいます」
「独身?」

 アンさん、いきなりそれか。

「はい」

 ふうんと言いながらアンさんはカウンターの中に戻って行った。
 ピザトーストを食べ終えた僕は再びノートを開いた。トキコさんに肩を抱かれながら泣いているアヤメさんを描く。

「先生、夏休暇には僕、東北をまわってみようと思ってるんです」
「へえ、いいじゃない」
「よかったら先生もどうですか?」

 盗み聞きするわけじゃないけど、どうしても二人の会話が耳に入ってきてしまう。意識がペン先から離れ、灰野さんの背中に向く。

「私が一緒に?」
「ええ。車であちこちまわって、スケッチしませんか?」
「それなら一人で行ったほうがいいよ。気がむくまま、気楽に」

 そうですか、と気落ちしたような時蔵さんの声。

 僕は目線だけあげて、灰野さんの肩越しに見える彼を改めてよく観察した。
 すらっとしてて背も高く、細面。肌がきれいで少し長めの黒髪はつやつや。薄闇のような気配をまといつつも、目元はやさしく素直そう。なにより灰野さんを尊敬しているようだ。
 彼、いくつなんだろう。

 ピザトーストとコーヒーを運んできたアンさんが、また時蔵さんに訊ねた。

「あなたおいくつなの?」

 アンさん、ありがとう。そこ、気になりますよね。
 全身全霊で耳をすます。

「僕は今年三十一になります」

 素直に答える時蔵さん。

「灰野さんは五十だっけ?」とアンさん。
「五十一です」

 へえ、そうなんだ。じゃあ、彼とはちょうど二十離れてるのか。

「ふうん」

 聞くだけ聞いてアンさんはカウンターに戻っていった。
 灰野さんと時蔵さんは黙ってピザを食べはじめた。
 僕はページをめくり、灰野さんと時蔵さんの絵を描いていく。
 二人に吹き出しをつける。


時蔵:一緒に東北スケッチ旅行に行きませんか?
灰野:一人で行けば


 うまーいという灰野さんののんきな呟きが聞こえてきた。





 七月に入り、カレーのモーニングがはじまった。
 チラシとSNSでの宣伝効果があったのか、初日から数日間、順調に客は増えていった。
 新しい客は若い男性がほとんどだ。
 食欲旺盛な若い男子にとって、三百九十円で大盛りカレーが食べられ、ドリンクバーも利用できるのはけっこう嬉しいことなのかもしれない。しかもゆで卵とサラダ付きだ。

 全部テーブル席なのでゆっくりできることも、一人客には喜ばれた。今回はリピーターが多く、しかも徐々に女性客も増えていった。
 十時頃に来た客たちも、ほとんどがカレーを頼んだ。ランチタイムは十時半からなので、その前に来店してしまうとランチメニューを注文できるまで待たなくてはいけない。腹が空いている客にとって、モーニング価格でボリュームのあるカレーが食べられるのは魅力的だったようだ。

「トキコさんもカレーどうですか?」

 一人でカフェオレを飲んでいるトキコさんにそう声をかけると、彼女は首を横に振った。

「挑戦してみたかったけど、やっぱりいいわ。胃がもたれしそうだし。若い子はいいわね、内臓が元気で」

 そう言って、カレーを食べる客たちをちらりと見る。
 最近、トキコさんは一人でいることが増えた。
 カワセさんやアヤメさんが週に数日しか来なくなったからだ。
 引っ越したアヤメさんはともかく、カワセさんは少し前に体調を崩して以来、朝早く起きるのが億劫になってしまったらしい。

 一人の日が増えても、トキコさんは他の常連客と同席しようとはしない。ただぼんやりと他の客たちを眺めながら食事をとり、少し早めに帰っていくようになった。

「トキコさん、元気なかったね」

 仕事を終えて帰り支度をしていると、お昼休憩の柳子がスタッフルームに入ってくるなりそう言った。

「最近一人だからね」
「アヤメさんと再会できた時は、三人仲良くこれからも一緒って感じだったのに」
「年齢も年齢だし、仕方ないよ」

 柳子は男っぽいごついお弁当箱を取り出した。剣太郎君のおさがりだろうか。

「トキコさんとカワセさんて、いまどんな感じなんだろうね。連絡先とか知らないのかな」
「ただファミレスで会うだけの関係でしょ」
「でも、トキコさんてカワセさんのこと好きだよね」
「それ、本人から聞いたの?」
「ううん。でも見ればわかるじゃん。トキコさん、家に押し掛けちゃえばいいのに。図々しく」

 柳子が弁当箱の蓋を開けると、ぷんと唐揚げの匂いがした。うまそうだ。大きな唐揚げとインゲンの胡麻和えが入ってる。あとプチトマト。
 巨大なおにぎりを見て、僕は彼女に言いたかったことを思い出した。

「ねえ、朝のおにぎりのことだけど……もういいよ。毎朝作るの大変でしょ? 正直、この暑さで腐らないか心配だし……」

 休みの日も、ドアの前におにぎりが置いてあると思うと、気になって寝坊できない。
 柳子は唐揚げをほうばりながら僕をじっと見た。もぐもぐと租借し、ごくんと飲み込む。

「それに、食べきれなかったのが冷凍庫にけっこうたまってるんだよね。だからもう……」
「どのくらいたまってるの?」
「十個ぐらい」

 柳子はぱちぱちと瞬きをした。

「そんなに?」

 本当はもっとある。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

【完結】姉は聖女? ええ、でも私は白魔導士なので支援するぐらいしか取り柄がありません。

猫屋敷 むぎ
ファンタジー
誰もが憧れる勇者と最強の騎士が恋したのは聖女。それは私ではなく、姉でした。 復活した魔王に侯爵領を奪われ没落した私たち姉妹。そして、誰からも愛される姉アリシアは神の祝福を受け聖女となり、私セレナは支援魔法しか取り柄のない白魔導士のまま。 やがてヴァルミエール国王の王命により結成された勇者パーティは、 勇者、騎士、聖女、エルフの弓使い――そして“おまけ”の私。 過去の恋、未来の恋、政略婚に揺れ動く姉を見つめながら、ようやく私の役割を自覚し始めた頃――。 魔王城へと北上する魔王討伐軍と共に歩む勇者パーティは、 四人の魔将との邂逅、秘められた真実、そしてそれぞれの試練を迎え――。 輝く三人の恋と友情を“すぐ隣で見つめるだけ”の「聖女の妹」でしかなかった私。 けれど魔王討伐の旅路の中で、“仲間を支えるとは何か”に気付き、 やがて――“本当の自分”を見つけていく――。 そんな、ちょっぴり切ない恋と友情と姉妹愛、そして私の成長の物語です。 ※本作の章構成:  第一章:アカデミー&聖女覚醒編  第二章:勇者パーティ結成&魔王討伐軍北上編  第三章:帰郷&魔将・魔王決戦編 ※「小説家になろう」にも掲載(異世界転生・恋愛12位) ※ アルファポリス完結ファンタジー8位。応援ありがとうございます。

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

ヤクザに医官はおりません

ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
彼は私の知らない組織の人間でした 会社の飲み会の隣の席のグループが怪しい。 シャバだの、残弾なしだの、会話が物騒すぎる。刈り上げ、角刈り、丸刈り、眉毛シャキーン。 無駄にムキムキした体に、堅い言葉遣い。 反社会組織の集まりか! ヤ◯ザに見初められたら逃げられない? 勘違いから始まる異文化交流のお話です。 ※もちろんフィクションです。 小説家になろう、カクヨムに投稿しています。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

処理中です...