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週末のお昼。
僕がいつものように『旋律』でピザトーストを食べていると、灰野さんと島時蔵が現れた。
「お、池間君だ」
いつも通り灰色ルックの灰野さん。そして黒づくめの時蔵さん。
モノトーンな二人は僕から二席離れたテーブルについた。
「この間はどうも失礼しました」
時蔵さんが律儀に僕に謝ってきた。灰野さんの肩ごしに。
灰野さんもくるりと振り返ると、僕がテーブルに広げたノートに目をとめた。
「それって、絵?」
「あ……日記です」
「絵で日記描いてるんだ?」
「はあ……漫画日記みたいな」
「エッセイ漫画とか人気あるよね」と時蔵さんがにこりと僕に笑いかける。
「へえ、面白そうだね。見せてよ」
灰野さんが腰をあげようとしたので、僕はぱたんとノートを閉じた。
「日記は人に見せるものじゃないのです」
「あ、そうか。失礼した」
灰野さんはあっさり引き下がると、注文を訊きにきたアンさんにピザトーストとコーヒーを注文した。
「ここのピザトーストおいしいんだよ。コーヒーもね」
灰野さんの言葉に時蔵さんは神妙な顔つきで頷く。そんな彼のことを、アンさんは遠慮なしに上から下までじろじろと見た。
「こちらは?」
アンさんは灰野さんに訊ねる。
「絵画教室の元教え子です。いまは立派なイラストレーター」
「島時蔵といいます」
「独身?」
アンさん、いきなりそれか。
「はい」
ふうんと言いながらアンさんはカウンターの中に戻って行った。
ピザトーストを食べ終えた僕は再びノートを開いた。トキコさんに肩を抱かれながら泣いているアヤメさんを描く。
「先生、夏休暇には僕、東北をまわってみようと思ってるんです」
「へえ、いいじゃない」
「よかったら先生もどうですか?」
盗み聞きするわけじゃないけど、どうしても二人の会話が耳に入ってきてしまう。意識がペン先から離れ、灰野さんの背中に向く。
「私が一緒に?」
「ええ。車であちこちまわって、スケッチしませんか?」
「それなら一人で行ったほうがいいよ。気がむくまま、気楽に」
そうですか、と気落ちしたような時蔵さんの声。
僕は目線だけあげて、灰野さんの肩越しに見える彼を改めてよく観察した。
すらっとしてて背も高く、細面。肌がきれいで少し長めの黒髪はつやつや。薄闇のような気配をまといつつも、目元はやさしく素直そう。なにより灰野さんを尊敬しているようだ。
彼、いくつなんだろう。
ピザトーストとコーヒーを運んできたアンさんが、また時蔵さんに訊ねた。
「あなたおいくつなの?」
アンさん、ありがとう。そこ、気になりますよね。
全身全霊で耳をすます。
「僕は今年三十一になります」
素直に答える時蔵さん。
「灰野さんは五十だっけ?」とアンさん。
「五十一です」
へえ、そうなんだ。じゃあ、彼とはちょうど二十離れてるのか。
「ふうん」
聞くだけ聞いてアンさんはカウンターに戻っていった。
灰野さんと時蔵さんは黙ってピザを食べはじめた。
僕はページをめくり、灰野さんと時蔵さんの絵を描いていく。
二人に吹き出しをつける。
時蔵:一緒に東北スケッチ旅行に行きませんか?
灰野:一人で行けば
うまーいという灰野さんののんきな呟きが聞こえてきた。
*
七月に入り、カレーのモーニングがはじまった。
チラシとSNSでの宣伝効果があったのか、初日から数日間、順調に客は増えていった。
新しい客は若い男性がほとんどだ。
食欲旺盛な若い男子にとって、三百九十円で大盛りカレーが食べられ、ドリンクバーも利用できるのはけっこう嬉しいことなのかもしれない。しかもゆで卵とサラダ付きだ。
全部テーブル席なのでゆっくりできることも、一人客には喜ばれた。今回はリピーターが多く、しかも徐々に女性客も増えていった。
十時頃に来た客たちも、ほとんどがカレーを頼んだ。ランチタイムは十時半からなので、その前に来店してしまうとランチメニューを注文できるまで待たなくてはいけない。腹が空いている客にとって、モーニング価格でボリュームのあるカレーが食べられるのは魅力的だったようだ。
「トキコさんもカレーどうですか?」
一人でカフェオレを飲んでいるトキコさんにそう声をかけると、彼女は首を横に振った。
「挑戦してみたかったけど、やっぱりいいわ。胃がもたれしそうだし。若い子はいいわね、内臓が元気で」
そう言って、カレーを食べる客たちをちらりと見る。
最近、トキコさんは一人でいることが増えた。
カワセさんやアヤメさんが週に数日しか来なくなったからだ。
引っ越したアヤメさんはともかく、カワセさんは少し前に体調を崩して以来、朝早く起きるのが億劫になってしまったらしい。
一人の日が増えても、トキコさんは他の常連客と同席しようとはしない。ただぼんやりと他の客たちを眺めながら食事をとり、少し早めに帰っていくようになった。
「トキコさん、元気なかったね」
仕事を終えて帰り支度をしていると、お昼休憩の柳子がスタッフルームに入ってくるなりそう言った。
「最近一人だからね」
「アヤメさんと再会できた時は、三人仲良くこれからも一緒って感じだったのに」
「年齢も年齢だし、仕方ないよ」
柳子は男っぽいごついお弁当箱を取り出した。剣太郎君のおさがりだろうか。
「トキコさんとカワセさんて、いまどんな感じなんだろうね。連絡先とか知らないのかな」
「ただファミレスで会うだけの関係でしょ」
「でも、トキコさんてカワセさんのこと好きだよね」
「それ、本人から聞いたの?」
「ううん。でも見ればわかるじゃん。トキコさん、家に押し掛けちゃえばいいのに。図々しく」
柳子が弁当箱の蓋を開けると、ぷんと唐揚げの匂いがした。うまそうだ。大きな唐揚げとインゲンの胡麻和えが入ってる。あとプチトマト。
巨大なおにぎりを見て、僕は彼女に言いたかったことを思い出した。
「ねえ、朝のおにぎりのことだけど……もういいよ。毎朝作るの大変でしょ? 正直、この暑さで腐らないか心配だし……」
休みの日も、ドアの前におにぎりが置いてあると思うと、気になって寝坊できない。
柳子は唐揚げをほうばりながら僕をじっと見た。もぐもぐと租借し、ごくんと飲み込む。
「それに、食べきれなかったのが冷凍庫にけっこうたまってるんだよね。だからもう……」
「どのくらいたまってるの?」
「十個ぐらい」
柳子はぱちぱちと瞬きをした。
「そんなに?」
本当はもっとある。
僕がいつものように『旋律』でピザトーストを食べていると、灰野さんと島時蔵が現れた。
「お、池間君だ」
いつも通り灰色ルックの灰野さん。そして黒づくめの時蔵さん。
モノトーンな二人は僕から二席離れたテーブルについた。
「この間はどうも失礼しました」
時蔵さんが律儀に僕に謝ってきた。灰野さんの肩ごしに。
灰野さんもくるりと振り返ると、僕がテーブルに広げたノートに目をとめた。
「それって、絵?」
「あ……日記です」
「絵で日記描いてるんだ?」
「はあ……漫画日記みたいな」
「エッセイ漫画とか人気あるよね」と時蔵さんがにこりと僕に笑いかける。
「へえ、面白そうだね。見せてよ」
灰野さんが腰をあげようとしたので、僕はぱたんとノートを閉じた。
「日記は人に見せるものじゃないのです」
「あ、そうか。失礼した」
灰野さんはあっさり引き下がると、注文を訊きにきたアンさんにピザトーストとコーヒーを注文した。
「ここのピザトーストおいしいんだよ。コーヒーもね」
灰野さんの言葉に時蔵さんは神妙な顔つきで頷く。そんな彼のことを、アンさんは遠慮なしに上から下までじろじろと見た。
「こちらは?」
アンさんは灰野さんに訊ねる。
「絵画教室の元教え子です。いまは立派なイラストレーター」
「島時蔵といいます」
「独身?」
アンさん、いきなりそれか。
「はい」
ふうんと言いながらアンさんはカウンターの中に戻って行った。
ピザトーストを食べ終えた僕は再びノートを開いた。トキコさんに肩を抱かれながら泣いているアヤメさんを描く。
「先生、夏休暇には僕、東北をまわってみようと思ってるんです」
「へえ、いいじゃない」
「よかったら先生もどうですか?」
盗み聞きするわけじゃないけど、どうしても二人の会話が耳に入ってきてしまう。意識がペン先から離れ、灰野さんの背中に向く。
「私が一緒に?」
「ええ。車であちこちまわって、スケッチしませんか?」
「それなら一人で行ったほうがいいよ。気がむくまま、気楽に」
そうですか、と気落ちしたような時蔵さんの声。
僕は目線だけあげて、灰野さんの肩越しに見える彼を改めてよく観察した。
すらっとしてて背も高く、細面。肌がきれいで少し長めの黒髪はつやつや。薄闇のような気配をまといつつも、目元はやさしく素直そう。なにより灰野さんを尊敬しているようだ。
彼、いくつなんだろう。
ピザトーストとコーヒーを運んできたアンさんが、また時蔵さんに訊ねた。
「あなたおいくつなの?」
アンさん、ありがとう。そこ、気になりますよね。
全身全霊で耳をすます。
「僕は今年三十一になります」
素直に答える時蔵さん。
「灰野さんは五十だっけ?」とアンさん。
「五十一です」
へえ、そうなんだ。じゃあ、彼とはちょうど二十離れてるのか。
「ふうん」
聞くだけ聞いてアンさんはカウンターに戻っていった。
灰野さんと時蔵さんは黙ってピザを食べはじめた。
僕はページをめくり、灰野さんと時蔵さんの絵を描いていく。
二人に吹き出しをつける。
時蔵:一緒に東北スケッチ旅行に行きませんか?
灰野:一人で行けば
うまーいという灰野さんののんきな呟きが聞こえてきた。
*
七月に入り、カレーのモーニングがはじまった。
チラシとSNSでの宣伝効果があったのか、初日から数日間、順調に客は増えていった。
新しい客は若い男性がほとんどだ。
食欲旺盛な若い男子にとって、三百九十円で大盛りカレーが食べられ、ドリンクバーも利用できるのはけっこう嬉しいことなのかもしれない。しかもゆで卵とサラダ付きだ。
全部テーブル席なのでゆっくりできることも、一人客には喜ばれた。今回はリピーターが多く、しかも徐々に女性客も増えていった。
十時頃に来た客たちも、ほとんどがカレーを頼んだ。ランチタイムは十時半からなので、その前に来店してしまうとランチメニューを注文できるまで待たなくてはいけない。腹が空いている客にとって、モーニング価格でボリュームのあるカレーが食べられるのは魅力的だったようだ。
「トキコさんもカレーどうですか?」
一人でカフェオレを飲んでいるトキコさんにそう声をかけると、彼女は首を横に振った。
「挑戦してみたかったけど、やっぱりいいわ。胃がもたれしそうだし。若い子はいいわね、内臓が元気で」
そう言って、カレーを食べる客たちをちらりと見る。
最近、トキコさんは一人でいることが増えた。
カワセさんやアヤメさんが週に数日しか来なくなったからだ。
引っ越したアヤメさんはともかく、カワセさんは少し前に体調を崩して以来、朝早く起きるのが億劫になってしまったらしい。
一人の日が増えても、トキコさんは他の常連客と同席しようとはしない。ただぼんやりと他の客たちを眺めながら食事をとり、少し早めに帰っていくようになった。
「トキコさん、元気なかったね」
仕事を終えて帰り支度をしていると、お昼休憩の柳子がスタッフルームに入ってくるなりそう言った。
「最近一人だからね」
「アヤメさんと再会できた時は、三人仲良くこれからも一緒って感じだったのに」
「年齢も年齢だし、仕方ないよ」
柳子は男っぽいごついお弁当箱を取り出した。剣太郎君のおさがりだろうか。
「トキコさんとカワセさんて、いまどんな感じなんだろうね。連絡先とか知らないのかな」
「ただファミレスで会うだけの関係でしょ」
「でも、トキコさんてカワセさんのこと好きだよね」
「それ、本人から聞いたの?」
「ううん。でも見ればわかるじゃん。トキコさん、家に押し掛けちゃえばいいのに。図々しく」
柳子が弁当箱の蓋を開けると、ぷんと唐揚げの匂いがした。うまそうだ。大きな唐揚げとインゲンの胡麻和えが入ってる。あとプチトマト。
巨大なおにぎりを見て、僕は彼女に言いたかったことを思い出した。
「ねえ、朝のおにぎりのことだけど……もういいよ。毎朝作るの大変でしょ? 正直、この暑さで腐らないか心配だし……」
休みの日も、ドアの前におにぎりが置いてあると思うと、気になって寝坊できない。
柳子は唐揚げをほうばりながら僕をじっと見た。もぐもぐと租借し、ごくんと飲み込む。
「それに、食べきれなかったのが冷凍庫にけっこうたまってるんだよね。だからもう……」
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