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春の憂鬱
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「ねえ、美咲。人間をやめたら、私は幸せになれるのかな?」
夕焼け色の屋上。校庭の桜を遠目に映す、銀色の落下防止フェンス。憂鬱な、ぼんやりとした春の陽気の中で、私の友人である水谷彩がまたおかしなことを言い出した。
「……今度は人間をやめたくなったの?相変わらず忙しい人だね、君は」
私は少しばかり茶化したような口調で、後ろ姿で佇む彩の妄言を軽くあしらった。それを見て彩は不満そうに何かぶつぶつと呟いたが、その言葉は小さすぎてはっきりとは聞き取れない。
「あーあ、美咲に聞いた私がバカだったよ。そういえばこいつ、こういう奴だったのすっかり忘れてたわ……」
急にわざとらしく声のトーンを上げ、彩は私に聞こえるように文句を吐いた。そして数歩前に進み、立ち入り禁止のロープをくぐると、備え付けられた落下防止フェンスを乗り越え、コンクリートの淵に何の恐怖心もなく腰かけた。無造作に空中へと放り出された足が、陽炎の羽のようにゆらゆらと揺らめく。
しかし私は心配して止めようともせず、素知らぬ顔で彩を見つめた。なぜならばこれがいつもの日常であるからだ。普通の日常が彼女にとっては「非日常」であり、「非日常」が「日常」なのだ。そのため、彼女の行動や言動を素直に受け止めていたら、自律神経がいくらあっても足りない。どうせ死ぬつもりなど端からないのだから、このようなときは放置するのが得策である。
予想通り、そんな私の様子を見て何か悟ったのか彩は冷たい腰かけから立ち上がり、再びフェンスの中へ戻った。そしてあきらめたように深呼吸すると、不満げにすぼめて再び口を開いた。
「どうせ美咲は信じないだろうけどさ、アタシ今度、人間を動物にしてくれる場所に行こうかと思っているんだ」
「…………は?」
あまりにトンチンカンな話を急に振られたせいで、私は思わず心の声が出てしまった。人間を動物にしてくれる場所?何だそれは。
彩の妄想にかれこれ十数年つきあってきた私だが、これは予想もしないパターンだった。いつもは死にもしないのに死ぬと言い出すとか、彼氏がいないのにきのう彼氏とキスしたとか、アイドルに知り合いがいるとかそんな他愛もないことが多いのだが、今回は特別、今までのものとは一味違う。いや、そもそも、違うか違わないかのレベルで語っていい話ではないのかもしれない。あまりにも内容が突飛過ぎて、脳内の処理活動が追い付かない位だ。
元から少し頭がおかしいとは思っていたがまさかここまでとは……
私はひゅっと息をのむと、投げやりな態度で彩に質問した。
「ねえ、彩。妄想ってそんなに楽しい?私にはちっとも良さが分からないのだけれど」
「えー、ひどいなあ、妄想なんて。すべて現実だってば。美咲、あんたロマンがないよ。もっと夢を見ようよ、夢を。嘘が本当で本当が嘘かもしれないよ」
「いや……ホントなに言ってんの。彩は夢じゃなくて、少しは自分の頭の中を見た方がいいわ」
私が蚊でも払うかのようにぶっきらぼうな返事をすると、彩はふてくされて私を見つめた。刹那、彩の黒い瞳にどんよりと滲んだ太陽が映る。
あれ?彩ってこんな目をしてたっけ?
私は妙な違和感を覚えながらも、慌てて目をそらした。何分、私は人と目を合わせるのが苦手な質である。他人から視線を向けられると自分の中身を知られそうで恐ろしい。それは長年付き合ってきた彩も例外ではない。
「美咲……?」
さっと目をそらした私を、彩は不思議そうに眺めた。彩は他人の感情の変化にとても鈍いため、未だに私の性質に気付いていない。この前だって、私がイライラしているのに気がつかず話しかけてきた位なのだから相当だ。
私は「なんでもないよ」と言葉を濁し、出来るだけ自然に彩の意識を自分からそらした。案の定、彩はそれに答えてこれ以上深入りをすることなく「じゃあ、別にいいや」と言って、違う話を始めた。
私はその様子を見ながら、彩がとても羨ましく感じた。どうしてこうも、彩は私が持ち合わせていないものを、全て持っているのだろう。もしかしたら私の中での彩は、届きそうで届かない、どこか遠い存在なのかも知れない。
突風が吹き、彩の長い黒髪が、ふわりとなびく。その姿は少し頼りなく、まるで彩がいつもより遠くに感じられた。
夕焼け色の屋上。校庭の桜を遠目に映す、銀色の落下防止フェンス。憂鬱な、ぼんやりとした春の陽気の中で、私の友人である水谷彩がまたおかしなことを言い出した。
「……今度は人間をやめたくなったの?相変わらず忙しい人だね、君は」
私は少しばかり茶化したような口調で、後ろ姿で佇む彩の妄言を軽くあしらった。それを見て彩は不満そうに何かぶつぶつと呟いたが、その言葉は小さすぎてはっきりとは聞き取れない。
「あーあ、美咲に聞いた私がバカだったよ。そういえばこいつ、こういう奴だったのすっかり忘れてたわ……」
急にわざとらしく声のトーンを上げ、彩は私に聞こえるように文句を吐いた。そして数歩前に進み、立ち入り禁止のロープをくぐると、備え付けられた落下防止フェンスを乗り越え、コンクリートの淵に何の恐怖心もなく腰かけた。無造作に空中へと放り出された足が、陽炎の羽のようにゆらゆらと揺らめく。
しかし私は心配して止めようともせず、素知らぬ顔で彩を見つめた。なぜならばこれがいつもの日常であるからだ。普通の日常が彼女にとっては「非日常」であり、「非日常」が「日常」なのだ。そのため、彼女の行動や言動を素直に受け止めていたら、自律神経がいくらあっても足りない。どうせ死ぬつもりなど端からないのだから、このようなときは放置するのが得策である。
予想通り、そんな私の様子を見て何か悟ったのか彩は冷たい腰かけから立ち上がり、再びフェンスの中へ戻った。そしてあきらめたように深呼吸すると、不満げにすぼめて再び口を開いた。
「どうせ美咲は信じないだろうけどさ、アタシ今度、人間を動物にしてくれる場所に行こうかと思っているんだ」
「…………は?」
あまりにトンチンカンな話を急に振られたせいで、私は思わず心の声が出てしまった。人間を動物にしてくれる場所?何だそれは。
彩の妄想にかれこれ十数年つきあってきた私だが、これは予想もしないパターンだった。いつもは死にもしないのに死ぬと言い出すとか、彼氏がいないのにきのう彼氏とキスしたとか、アイドルに知り合いがいるとかそんな他愛もないことが多いのだが、今回は特別、今までのものとは一味違う。いや、そもそも、違うか違わないかのレベルで語っていい話ではないのかもしれない。あまりにも内容が突飛過ぎて、脳内の処理活動が追い付かない位だ。
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「ねえ、彩。妄想ってそんなに楽しい?私にはちっとも良さが分からないのだけれど」
「えー、ひどいなあ、妄想なんて。すべて現実だってば。美咲、あんたロマンがないよ。もっと夢を見ようよ、夢を。嘘が本当で本当が嘘かもしれないよ」
「いや……ホントなに言ってんの。彩は夢じゃなくて、少しは自分の頭の中を見た方がいいわ」
私が蚊でも払うかのようにぶっきらぼうな返事をすると、彩はふてくされて私を見つめた。刹那、彩の黒い瞳にどんよりと滲んだ太陽が映る。
あれ?彩ってこんな目をしてたっけ?
私は妙な違和感を覚えながらも、慌てて目をそらした。何分、私は人と目を合わせるのが苦手な質である。他人から視線を向けられると自分の中身を知られそうで恐ろしい。それは長年付き合ってきた彩も例外ではない。
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