ニンゲン動物園

夢が現実、現実が夢

　あの奇妙な動物園を出た私は、気がつくとあの日の屋上にいた。紅く焼けただれた夕日。無機質な落下防止フェンス。そして、長い黒髪をなびかせる彩……
「美咲、どうしたの？こんなところでぼうっとしたりなんかして」
　彩は茫然と立ちつくす私を目にとめると、不思議そうな顔で首をかしげた。ガラス玉のような目が、まっすぐと私を見つめる。
　一体、どういうことなのだろうか？私が今まで見てきたものは、全て幻とでもいうのだろうか？まさか彩の言う通り、本当が嘘で嘘が本当にでもなってしまったのだろうか？
「彩……私ってここでずっと、あんたと一緒に居たんだよね？」
「はあ？何いってんの当たり前じゃない。美咲、頭でもおかしくなったの？」
「……いや、別にそうじゃない……」
　私は安堵したかの様にそう呟くと、目を見開くかのようにして彩を凝視した。目が合ってしまってもかまわない。それよりも今は、彩が目の前に居るという事実をしっかりと自分に焼き付けたかった。
「……そうか、何だ。幻でも見ていたのか……」
　私はふらふらと足を動かすと、彩に手が届きそうな距離まで歩み寄った。しかし数歩進んだ途端、私はひとつおかしなことに気がついた。
「ところで彩。なんであんた、そんな場所にずっと立っているの？いつもなら落ちないようにすぐ戻ってくるのに……」
　風に身を任せるかの様に立つ彩はその言葉に気付くと、にっこりと笑い、白い歯を見せた。
「ふふ、それは何でだと思う？」
　彩はそう言うと、汚れて灰色になった内履きを空中へと放りだした。その瞬間、彩自身も軽やかに下へと吸い込まれてゆく。
「やっぱり美咲、あんたはなにも分かってないのね……」
「彩！！」
　私は慌ててフェンスに駆け寄り、彩の手を掴もうと身を乗り出した。しかし時既に遅し。彩の体は私の元から少しづつ離れてゆく。そして次の瞬間――
　バサッ！
　薄汚れた羽を広げ、一羽の白鳥が飛び立った。
「鳥に話しかけるなんて、おかしな人ですね。本当にその鳥、『あなたの友達』だったのですか？」
　不意に背後から聞こえてきた声に、私は絶句した。間違いない、山下の声だ。なぜだ？なぜ山下がここにいるんだ？山下は確か幻だったはず……
　私は身をこわばらせ、フェンスを強く握りしめた。額から、氷のような汗が流れ落ちる。
「……あなたは何も分かっていないようですが、彩さんはあなたを友達とは思ってなかったみたいですよ。別に親しくもないのに友達と思いこみ束縛し、あたかも自分が一番の理解者のように振舞うあなたに対して、彩さんはとても悩んでいました。人間関係が上手くいかなくて死にたい気分だとね。あなたは彩さんの話を全て妄想だと思っていた様ですが、それは全て事実なのですよ。つまり、妄想を繰り広げていたのは美咲さん、逆にあなたのほうですよ」
　山下は静かにそう告げると、残念そうに私に目をやった。私は何を言っているのか分らなかったので、ニヤリと口角を上げ、高らかに笑い声を上げた。
　うふふふふ、アハハハハ！もう、いいや。めんどくさい、疲れたよ。私が一人ぼっちだって？なんて悪い冗談だ！ふふっ、アハハハハ！
　私の悲痛な笑い声は次第に化け物の泣き声に変わり、やがて体もおぞましい姿へと化していった。
「さようなら、独りぼっちの美咲さん……」
　寂しげな声と共に、私と山下は黄昏の中へと消えていった。