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第11話 甘くて静かな革命
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「……やめます」
ラトの声は、思ったよりも静かだった。
使い魔のカラスは、黒曜石のような目でじっと彼を見つめる。
「報告もしません。潜入もしません。情報収集も、もう必要ないです」
窓辺に一枚の便箋と、焼きたてのビスケット。
香ばしい匂いが、夜の風に乗ってふわりと広がる。
「理由はひとつです。……僕は、好きな人のそばにいたい」
カァ、とカラスが一声鳴く。
非難か、呆れか、別れの合図か。
ラトは、にこりと笑ってから、そっと窓を閉めた。
***
厨房の灯りは落ちていた。
けれどラトは、あえてキャンドルに火をともし、調理台に湯を沸かす。
その音を聞きつけたのか、扉がそっと開いた。
「……ミリエラ様」
「……勝手に入った。文句は?」
「ありません。むしろ、ようこそ」
ラトは紅茶を差し出し、いつもの“お客様”のように微笑んだ。
けれど、その笑顔には、どこか覚悟のような静けさがあった。
「ここ、今日で最後にしようと思ってます」
「厨房、辞めるってこと?」
「……はい。いろいろ、区切りをつけたくて」
私は黙ったまま、湯気の向こうの彼を見た。
静かな夜。
やっと目が合う。
逃げないまま、正面から。
「お店、開きませんか?」
ラトがふいに言った。
「ふたりで、“お菓子屋”やりませんか」
「突然すぎるでしょ」
「でも、ミリエラ様、もうこの屋敷にいなくてもいいと思ってるでしょう?」
私は笑った。
「どうしてわかるの」
「僕も同じだからです。……ここにいたら、ずっと“過去の自分”のままだから」
ラトは小さな紙を取り出した。そこには、手描きのロゴ。
丸く太ったくまのような動物と、“ふくふく堂”という文字。
「……それ、名前?」
「はい。“ふくふく堂”」
「太って見えるから嫌」
「でも、“ふくふく”してる時のミリエラ様が、一番やわらかくて、甘くて、可愛かった」
「…………バカ」
私はそれ以上何も言えなくなって、カップを両手で包んだ。
紅茶の香りが鼻をくすぐる。
ふたりの間に流れる時間は、誰にも知られない小さな革命だった。
「……わかった。“ふくふく堂”、いいかもね」
「本当ですか」
「“痩せたら可愛い”じゃなくて、“好きなだけ食べて可愛い”って思われるなら、悪くないかも」
「僕は、前からそう思ってましたよ」
◇
その夜、私はレオに屋敷を出ることを告げた。
レオはしばらく黙っていた。
やがて、ぽつりと呟く。
「……そっか」
「勝手で、ごめんね」
「いや。姉さんのしたいことなら、止めねぇよ。……でも、あいつのことはまだ信用してねぇからな」
「それでも、守るって決めたんだ。今度は、俺の意思で」
不器用な笑顔だった。
それでも、その言葉に、私は心から救われた。
「……ありがとう」
「ルークが、“お前に騎士団入りの推薦、もう通したぞ”ってうるさくてさ」
「それ、うるさくないでしょ」
「うるせぇ。けど、まあ……悪くない」
レオの背中はもう、どこにも縋っていなかった。
誰かのせいでも、誰かのためでもない。
自分の足で立っている、その姿に胸が熱くなった。
◇
数日後、街外れの石造りの家。
譲ってもらった古い屋敷に、“ふくふく堂”の木札が掛けられた。
厨房では、ラトが張り切って棚の高さを測っている。
私はその横で、試作メニューを書き留める。
「……ねえ。ラト」
「はい?」
「もう“ですます調”やめない?」
「ひっ」
「えっ、今“ひっ”て言った?」
「……はい。いえ、いいえ。ええと……はい」
「もー……練習しよっか。『おはよう、ミリエラ』」
「お、おはよう……ミリエラ様」
「様つけない!」
「す、すみま……ミリエラ……!」
棚の裏では、見送りに来た厨房の元同僚たちがくすくす笑っていた。
「やっとくっついたのに、まだ敬語とか初々しいわね」
「次の賭けは、“ラトがタメ口になる日”でどう?」
「私は“手繋ぐのは何話後か”に一票~」
ふたりだけの、小さな店。
ここから始まる、まっさらな未来。
焼き上がる甘い香りが、今日も静かに立ち上っていた。
ラトの声は、思ったよりも静かだった。
使い魔のカラスは、黒曜石のような目でじっと彼を見つめる。
「報告もしません。潜入もしません。情報収集も、もう必要ないです」
窓辺に一枚の便箋と、焼きたてのビスケット。
香ばしい匂いが、夜の風に乗ってふわりと広がる。
「理由はひとつです。……僕は、好きな人のそばにいたい」
カァ、とカラスが一声鳴く。
非難か、呆れか、別れの合図か。
ラトは、にこりと笑ってから、そっと窓を閉めた。
***
厨房の灯りは落ちていた。
けれどラトは、あえてキャンドルに火をともし、調理台に湯を沸かす。
その音を聞きつけたのか、扉がそっと開いた。
「……ミリエラ様」
「……勝手に入った。文句は?」
「ありません。むしろ、ようこそ」
ラトは紅茶を差し出し、いつもの“お客様”のように微笑んだ。
けれど、その笑顔には、どこか覚悟のような静けさがあった。
「ここ、今日で最後にしようと思ってます」
「厨房、辞めるってこと?」
「……はい。いろいろ、区切りをつけたくて」
私は黙ったまま、湯気の向こうの彼を見た。
静かな夜。
やっと目が合う。
逃げないまま、正面から。
「お店、開きませんか?」
ラトがふいに言った。
「ふたりで、“お菓子屋”やりませんか」
「突然すぎるでしょ」
「でも、ミリエラ様、もうこの屋敷にいなくてもいいと思ってるでしょう?」
私は笑った。
「どうしてわかるの」
「僕も同じだからです。……ここにいたら、ずっと“過去の自分”のままだから」
ラトは小さな紙を取り出した。そこには、手描きのロゴ。
丸く太ったくまのような動物と、“ふくふく堂”という文字。
「……それ、名前?」
「はい。“ふくふく堂”」
「太って見えるから嫌」
「でも、“ふくふく”してる時のミリエラ様が、一番やわらかくて、甘くて、可愛かった」
「…………バカ」
私はそれ以上何も言えなくなって、カップを両手で包んだ。
紅茶の香りが鼻をくすぐる。
ふたりの間に流れる時間は、誰にも知られない小さな革命だった。
「……わかった。“ふくふく堂”、いいかもね」
「本当ですか」
「“痩せたら可愛い”じゃなくて、“好きなだけ食べて可愛い”って思われるなら、悪くないかも」
「僕は、前からそう思ってましたよ」
◇
その夜、私はレオに屋敷を出ることを告げた。
レオはしばらく黙っていた。
やがて、ぽつりと呟く。
「……そっか」
「勝手で、ごめんね」
「いや。姉さんのしたいことなら、止めねぇよ。……でも、あいつのことはまだ信用してねぇからな」
「それでも、守るって決めたんだ。今度は、俺の意思で」
不器用な笑顔だった。
それでも、その言葉に、私は心から救われた。
「……ありがとう」
「ルークが、“お前に騎士団入りの推薦、もう通したぞ”ってうるさくてさ」
「それ、うるさくないでしょ」
「うるせぇ。けど、まあ……悪くない」
レオの背中はもう、どこにも縋っていなかった。
誰かのせいでも、誰かのためでもない。
自分の足で立っている、その姿に胸が熱くなった。
◇
数日後、街外れの石造りの家。
譲ってもらった古い屋敷に、“ふくふく堂”の木札が掛けられた。
厨房では、ラトが張り切って棚の高さを測っている。
私はその横で、試作メニューを書き留める。
「……ねえ。ラト」
「はい?」
「もう“ですます調”やめない?」
「ひっ」
「えっ、今“ひっ”て言った?」
「……はい。いえ、いいえ。ええと……はい」
「もー……練習しよっか。『おはよう、ミリエラ』」
「お、おはよう……ミリエラ様」
「様つけない!」
「す、すみま……ミリエラ……!」
棚の裏では、見送りに来た厨房の元同僚たちがくすくす笑っていた。
「やっとくっついたのに、まだ敬語とか初々しいわね」
「次の賭けは、“ラトがタメ口になる日”でどう?」
「私は“手繋ぐのは何話後か”に一票~」
ふたりだけの、小さな店。
ここから始まる、まっさらな未来。
焼き上がる甘い香りが、今日も静かに立ち上っていた。
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