3 / 21
三話
しおりを挟む
イールビは船に乗っていた。
目的地は無い。
最愛の妻を失って、悲しみに暮れる日々に飽き飽きしていた。
友人であるスーザンヌが心配して幾度となく世話をやいてくれたが、それもありがたい反面申し訳ない気持ちや情けない気持ちになり、家を出る事にしたのだった。
ここ数年の記録を更新するほどの大雪だった厳しい冬を越えても、春が来て美しい花々が咲いても何も感じなかった。
時はただ無性に過ぎていくだけで、もう少しで夏が来る、気がつけばそんな季節になっていた。
海が見たくなってふらりと立ち寄った港にちょうど船が着いていた。
当てもなく乗り込んだので行き先は知らない。
手すりにもたれかかって揺らめく水面をぼんやり見ていた。いつかどこかで耳にした海賊の船出の歌をいつの間にか口ずさんでいたのに気がつかなかった。
そこに重なる歌声を聴くまでは。
はっ、と振り向くが、人影は無かった。
代わりにいたのは大きなオレンジの毛を持つ犬が一匹。
《あっ……ごめんなさい…》
「お前か?今の」
《えっ、私の声が聞こえるんですか?》
「聞こえるって…話してんじゃねーか」
話していると言っても口は開かない。
目の前の犬は視線をじっと合わせてくるだけだ。
心の中に響いてくる声だった。
《私の声は普通の人には聞こえません。魔力を持った方か、私が魔法を使った時だけ》
「そうなのか?…あ。…いや、そうなんですか?私は普通の人間です。なぜ私に聞こえたんでしょうか」
イールビはちょっと考えてから丁寧な口調で話しはじめる。
ただの大きな犬…に、見えない事もないが、魔界の生き物や聖なる生き物も多く存在するこの世界で、ましてや神仏だったとしたら失礼があってはいけないと思ったからだった。
急に変わった口調にじっとイールビを見つめていた目が細まった。
《ふふ…!気にしないでください。私は歳こそ取っていますけど、そんな丁寧に話していただくような存在ではありません。どうぞいつも通りお話しください》
「そうか」
《なぜ貴方に私の声が聞こえるのかはわかりません。私は今これといって魔法を使っているわけでもありませんが…懐かしい歌が聞こえたので、つい、一緒に口ずさんでしまいました。まさか、聞こえたとは…》
「俺も、歌なんて久しぶりに歌っていた。無意識だったんだ。自分が歌ってるなんて、気がついてなかった」
《そうでしたか。とても素敵な声だったので、引き寄せられるようにこちらに来てしまいました。貴方は…?》
「俺はイールビ。お前は?」
《私はジャイマーと呼ばれています。ケルベロスのロッロ、という名前もありますが、お好きな方を使ってください》
「お前ケルベロスなのか?それで?ハッ、信じられないな。ただのデカい犬じゃねーの」
目の前の犬が「ワンワン!」とわざとらしく吠えて、《そうかもしれません》とクスクス笑う声が心に響いた。
イールビはその声につられて笑う声が自分の声だという事に気がつくのにも時間がかかった。
妻を亡くしてから声を出して笑うなんて事が無かったからだ。
はっとした様子のイールビを見て《どうしました?》とジャイマーが心配そうに顔を覗き込んでくるが、「いや」と制して、
「ところでこの船どこへ行くんだ。行き先も見ずに乗ってしまった」
と話題を変えた。
ジャイマーは自信たっぷりに
《ナーナ国のイヤザザ地区へ向かってるはずです!》
と答えたが、「は?!」と間髪入れずにイールビは驚きと共に呆れていた。
「お前さ。人間の文字読めねーの?お前が乗った港こそがナーナ国のイヤザザ地区港だったろーが。俺はその外れから来たんだぜ」
《ええっ…じゃ、私、船に乗る必要無かったんです…?!私はどこへ》
「そーぜ。……ったく、しらねーよ!俺も行き先見てねーっつってんだろ。ホント何がケルベロスだよ。知性を全く感じねぇ」
呆れつつも自然と口の恥は上がった。
なんだこいつは、と思いながらも、今まで誰と話しても凍りついていた心の氷が溶けていくように、目の前の犬と話ともっと話していたいと思った。
「まあ、俺はどこへ行くとも決めてなかったからどこへ着いても構わねーけどな。お前は引き返すのか?」
《すぐ引き返せるなら…でもしばらく陸地は見えないですね…》
今までずっと「おすわり」の状態でじっとしていた犬は、今はソワソワ落ち着かない様子であっちを見たりこっちを見たりして甲板をウロついていた。
「なら俺についてこんかい。俺も一回りしたらイヤザザ地区の側に帰るんだ。お前ほっといたらまた別の場所に行きそーだよな」
《え、あ、はい…》
「はいじゃねーよ。調教が必要だな。そーゆー時はこう言うんだぜ。「はい!イールビさん!どこまでもついて行きます!」ってな。ご主人様でもいいぞ」
《え…えぇ…》
「おら。はよ言わんかい」
《は、はい…!イールビ様、どこまでついて行きます!》
「よくできました。」
目的地は無い。
最愛の妻を失って、悲しみに暮れる日々に飽き飽きしていた。
友人であるスーザンヌが心配して幾度となく世話をやいてくれたが、それもありがたい反面申し訳ない気持ちや情けない気持ちになり、家を出る事にしたのだった。
ここ数年の記録を更新するほどの大雪だった厳しい冬を越えても、春が来て美しい花々が咲いても何も感じなかった。
時はただ無性に過ぎていくだけで、もう少しで夏が来る、気がつけばそんな季節になっていた。
海が見たくなってふらりと立ち寄った港にちょうど船が着いていた。
当てもなく乗り込んだので行き先は知らない。
手すりにもたれかかって揺らめく水面をぼんやり見ていた。いつかどこかで耳にした海賊の船出の歌をいつの間にか口ずさんでいたのに気がつかなかった。
そこに重なる歌声を聴くまでは。
はっ、と振り向くが、人影は無かった。
代わりにいたのは大きなオレンジの毛を持つ犬が一匹。
《あっ……ごめんなさい…》
「お前か?今の」
《えっ、私の声が聞こえるんですか?》
「聞こえるって…話してんじゃねーか」
話していると言っても口は開かない。
目の前の犬は視線をじっと合わせてくるだけだ。
心の中に響いてくる声だった。
《私の声は普通の人には聞こえません。魔力を持った方か、私が魔法を使った時だけ》
「そうなのか?…あ。…いや、そうなんですか?私は普通の人間です。なぜ私に聞こえたんでしょうか」
イールビはちょっと考えてから丁寧な口調で話しはじめる。
ただの大きな犬…に、見えない事もないが、魔界の生き物や聖なる生き物も多く存在するこの世界で、ましてや神仏だったとしたら失礼があってはいけないと思ったからだった。
急に変わった口調にじっとイールビを見つめていた目が細まった。
《ふふ…!気にしないでください。私は歳こそ取っていますけど、そんな丁寧に話していただくような存在ではありません。どうぞいつも通りお話しください》
「そうか」
《なぜ貴方に私の声が聞こえるのかはわかりません。私は今これといって魔法を使っているわけでもありませんが…懐かしい歌が聞こえたので、つい、一緒に口ずさんでしまいました。まさか、聞こえたとは…》
「俺も、歌なんて久しぶりに歌っていた。無意識だったんだ。自分が歌ってるなんて、気がついてなかった」
《そうでしたか。とても素敵な声だったので、引き寄せられるようにこちらに来てしまいました。貴方は…?》
「俺はイールビ。お前は?」
《私はジャイマーと呼ばれています。ケルベロスのロッロ、という名前もありますが、お好きな方を使ってください》
「お前ケルベロスなのか?それで?ハッ、信じられないな。ただのデカい犬じゃねーの」
目の前の犬が「ワンワン!」とわざとらしく吠えて、《そうかもしれません》とクスクス笑う声が心に響いた。
イールビはその声につられて笑う声が自分の声だという事に気がつくのにも時間がかかった。
妻を亡くしてから声を出して笑うなんて事が無かったからだ。
はっとした様子のイールビを見て《どうしました?》とジャイマーが心配そうに顔を覗き込んでくるが、「いや」と制して、
「ところでこの船どこへ行くんだ。行き先も見ずに乗ってしまった」
と話題を変えた。
ジャイマーは自信たっぷりに
《ナーナ国のイヤザザ地区へ向かってるはずです!》
と答えたが、「は?!」と間髪入れずにイールビは驚きと共に呆れていた。
「お前さ。人間の文字読めねーの?お前が乗った港こそがナーナ国のイヤザザ地区港だったろーが。俺はその外れから来たんだぜ」
《ええっ…じゃ、私、船に乗る必要無かったんです…?!私はどこへ》
「そーぜ。……ったく、しらねーよ!俺も行き先見てねーっつってんだろ。ホント何がケルベロスだよ。知性を全く感じねぇ」
呆れつつも自然と口の恥は上がった。
なんだこいつは、と思いながらも、今まで誰と話しても凍りついていた心の氷が溶けていくように、目の前の犬と話ともっと話していたいと思った。
「まあ、俺はどこへ行くとも決めてなかったからどこへ着いても構わねーけどな。お前は引き返すのか?」
《すぐ引き返せるなら…でもしばらく陸地は見えないですね…》
今までずっと「おすわり」の状態でじっとしていた犬は、今はソワソワ落ち着かない様子であっちを見たりこっちを見たりして甲板をウロついていた。
「なら俺についてこんかい。俺も一回りしたらイヤザザ地区の側に帰るんだ。お前ほっといたらまた別の場所に行きそーだよな」
《え、あ、はい…》
「はいじゃねーよ。調教が必要だな。そーゆー時はこう言うんだぜ。「はい!イールビさん!どこまでもついて行きます!」ってな。ご主人様でもいいぞ」
《え…えぇ…》
「おら。はよ言わんかい」
《は、はい…!イールビ様、どこまでついて行きます!》
「よくできました。」
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
真実の愛は水晶の中に
立木
恋愛
学園の卒業を祝うパーティーの最中、レイシア・マレーニ侯爵令嬢は第三王子とピンク髪の女、その取り巻きたちによって断罪されようとしていた。
しかし断罪劇は思わぬ方向へ進んでいく。
※AIイラスト使用
※「なろう」にも重複投稿しています。
サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします
二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位!
※この物語はフィクションです
流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。
当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。
はじめまして、私の知らない婚約者様
有木珠乃@『ヒロ弟』コミカライズ配信中
ファンタジー
ミルドレッド・カーマイン公爵令嬢は突然、学園の食堂で話しかけられる。
見覚えのない男性。傍らには豊満な体型の女性がいる。
けれどその女性から発せられた男性の名前には、聞き覚えがあった。
ミルドレッドの婚約者であるブルーノ王子であることを。
けれどミルドレッドの反応は薄い。なぜなら彼女は……。
この世界を乙女ゲームだと知った人々による、悪役令嬢とヒロイン、魔女の入れ替え話です。
悪役令嬢を救いたかったはずなのに、どうしてこんなことに?
※他サイトにも掲載しています。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
【完結】あなたに知られたくなかった
ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。
5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。
そんなセレナに起きた奇跡とは?
バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました
美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる