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三話
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イールビは船に乗っていた。
目的地は無い。
最愛の妻を失って、悲しみに暮れる日々に飽き飽きしていた。
友人であるスーザンヌが心配して幾度となく世話をやいてくれたが、それもありがたい反面申し訳ない気持ちや情けない気持ちになり、家を出る事にしたのだった。
ここ数年の記録を更新するほどの大雪だった厳しい冬を越えても、春が来て美しい花々が咲いても何も感じなかった。
時はただ無性に過ぎていくだけで、もう少しで夏が来る、気がつけばそんな季節になっていた。
海が見たくなってふらりと立ち寄った港にちょうど船が着いていた。
当てもなく乗り込んだので行き先は知らない。
手すりにもたれかかって揺らめく水面をぼんやり見ていた。いつかどこかで耳にした海賊の船出の歌をいつの間にか口ずさんでいたのに気がつかなかった。
そこに重なる歌声を聴くまでは。
はっ、と振り向くが、人影は無かった。
代わりにいたのは大きなオレンジの毛を持つ犬が一匹。
《あっ……ごめんなさい…》
「お前か?今の」
《えっ、私の声が聞こえるんですか?》
「聞こえるって…話してんじゃねーか」
話していると言っても口は開かない。
目の前の犬は視線をじっと合わせてくるだけだ。
心の中に響いてくる声だった。
《私の声は普通の人には聞こえません。魔力を持った方か、私が魔法を使った時だけ》
「そうなのか?…あ。…いや、そうなんですか?私は普通の人間です。なぜ私に聞こえたんでしょうか」
イールビはちょっと考えてから丁寧な口調で話しはじめる。
ただの大きな犬…に、見えない事もないが、魔界の生き物や聖なる生き物も多く存在するこの世界で、ましてや神仏だったとしたら失礼があってはいけないと思ったからだった。
急に変わった口調にじっとイールビを見つめていた目が細まった。
《ふふ…!気にしないでください。私は歳こそ取っていますけど、そんな丁寧に話していただくような存在ではありません。どうぞいつも通りお話しください》
「そうか」
《なぜ貴方に私の声が聞こえるのかはわかりません。私は今これといって魔法を使っているわけでもありませんが…懐かしい歌が聞こえたので、つい、一緒に口ずさんでしまいました。まさか、聞こえたとは…》
「俺も、歌なんて久しぶりに歌っていた。無意識だったんだ。自分が歌ってるなんて、気がついてなかった」
《そうでしたか。とても素敵な声だったので、引き寄せられるようにこちらに来てしまいました。貴方は…?》
「俺はイールビ。お前は?」
《私はジャイマーと呼ばれています。ケルベロスのロッロ、という名前もありますが、お好きな方を使ってください》
「お前ケルベロスなのか?それで?ハッ、信じられないな。ただのデカい犬じゃねーの」
目の前の犬が「ワンワン!」とわざとらしく吠えて、《そうかもしれません》とクスクス笑う声が心に響いた。
イールビはその声につられて笑う声が自分の声だという事に気がつくのにも時間がかかった。
妻を亡くしてから声を出して笑うなんて事が無かったからだ。
はっとした様子のイールビを見て《どうしました?》とジャイマーが心配そうに顔を覗き込んでくるが、「いや」と制して、
「ところでこの船どこへ行くんだ。行き先も見ずに乗ってしまった」
と話題を変えた。
ジャイマーは自信たっぷりに
《ナーナ国のイヤザザ地区へ向かってるはずです!》
と答えたが、「は?!」と間髪入れずにイールビは驚きと共に呆れていた。
「お前さ。人間の文字読めねーの?お前が乗った港こそがナーナ国のイヤザザ地区港だったろーが。俺はその外れから来たんだぜ」
《ええっ…じゃ、私、船に乗る必要無かったんです…?!私はどこへ》
「そーぜ。……ったく、しらねーよ!俺も行き先見てねーっつってんだろ。ホント何がケルベロスだよ。知性を全く感じねぇ」
呆れつつも自然と口の恥は上がった。
なんだこいつは、と思いながらも、今まで誰と話しても凍りついていた心の氷が溶けていくように、目の前の犬と話ともっと話していたいと思った。
「まあ、俺はどこへ行くとも決めてなかったからどこへ着いても構わねーけどな。お前は引き返すのか?」
《すぐ引き返せるなら…でもしばらく陸地は見えないですね…》
今までずっと「おすわり」の状態でじっとしていた犬は、今はソワソワ落ち着かない様子であっちを見たりこっちを見たりして甲板をウロついていた。
「なら俺についてこんかい。俺も一回りしたらイヤザザ地区の側に帰るんだ。お前ほっといたらまた別の場所に行きそーだよな」
《え、あ、はい…》
「はいじゃねーよ。調教が必要だな。そーゆー時はこう言うんだぜ。「はい!イールビさん!どこまでもついて行きます!」ってな。ご主人様でもいいぞ」
《え…えぇ…》
「おら。はよ言わんかい」
《は、はい…!イールビ様、どこまでついて行きます!》
「よくできました。」
目的地は無い。
最愛の妻を失って、悲しみに暮れる日々に飽き飽きしていた。
友人であるスーザンヌが心配して幾度となく世話をやいてくれたが、それもありがたい反面申し訳ない気持ちや情けない気持ちになり、家を出る事にしたのだった。
ここ数年の記録を更新するほどの大雪だった厳しい冬を越えても、春が来て美しい花々が咲いても何も感じなかった。
時はただ無性に過ぎていくだけで、もう少しで夏が来る、気がつけばそんな季節になっていた。
海が見たくなってふらりと立ち寄った港にちょうど船が着いていた。
当てもなく乗り込んだので行き先は知らない。
手すりにもたれかかって揺らめく水面をぼんやり見ていた。いつかどこかで耳にした海賊の船出の歌をいつの間にか口ずさんでいたのに気がつかなかった。
そこに重なる歌声を聴くまでは。
はっ、と振り向くが、人影は無かった。
代わりにいたのは大きなオレンジの毛を持つ犬が一匹。
《あっ……ごめんなさい…》
「お前か?今の」
《えっ、私の声が聞こえるんですか?》
「聞こえるって…話してんじゃねーか」
話していると言っても口は開かない。
目の前の犬は視線をじっと合わせてくるだけだ。
心の中に響いてくる声だった。
《私の声は普通の人には聞こえません。魔力を持った方か、私が魔法を使った時だけ》
「そうなのか?…あ。…いや、そうなんですか?私は普通の人間です。なぜ私に聞こえたんでしょうか」
イールビはちょっと考えてから丁寧な口調で話しはじめる。
ただの大きな犬…に、見えない事もないが、魔界の生き物や聖なる生き物も多く存在するこの世界で、ましてや神仏だったとしたら失礼があってはいけないと思ったからだった。
急に変わった口調にじっとイールビを見つめていた目が細まった。
《ふふ…!気にしないでください。私は歳こそ取っていますけど、そんな丁寧に話していただくような存在ではありません。どうぞいつも通りお話しください》
「そうか」
《なぜ貴方に私の声が聞こえるのかはわかりません。私は今これといって魔法を使っているわけでもありませんが…懐かしい歌が聞こえたので、つい、一緒に口ずさんでしまいました。まさか、聞こえたとは…》
「俺も、歌なんて久しぶりに歌っていた。無意識だったんだ。自分が歌ってるなんて、気がついてなかった」
《そうでしたか。とても素敵な声だったので、引き寄せられるようにこちらに来てしまいました。貴方は…?》
「俺はイールビ。お前は?」
《私はジャイマーと呼ばれています。ケルベロスのロッロ、という名前もありますが、お好きな方を使ってください》
「お前ケルベロスなのか?それで?ハッ、信じられないな。ただのデカい犬じゃねーの」
目の前の犬が「ワンワン!」とわざとらしく吠えて、《そうかもしれません》とクスクス笑う声が心に響いた。
イールビはその声につられて笑う声が自分の声だという事に気がつくのにも時間がかかった。
妻を亡くしてから声を出して笑うなんて事が無かったからだ。
はっとした様子のイールビを見て《どうしました?》とジャイマーが心配そうに顔を覗き込んでくるが、「いや」と制して、
「ところでこの船どこへ行くんだ。行き先も見ずに乗ってしまった」
と話題を変えた。
ジャイマーは自信たっぷりに
《ナーナ国のイヤザザ地区へ向かってるはずです!》
と答えたが、「は?!」と間髪入れずにイールビは驚きと共に呆れていた。
「お前さ。人間の文字読めねーの?お前が乗った港こそがナーナ国のイヤザザ地区港だったろーが。俺はその外れから来たんだぜ」
《ええっ…じゃ、私、船に乗る必要無かったんです…?!私はどこへ》
「そーぜ。……ったく、しらねーよ!俺も行き先見てねーっつってんだろ。ホント何がケルベロスだよ。知性を全く感じねぇ」
呆れつつも自然と口の恥は上がった。
なんだこいつは、と思いながらも、今まで誰と話しても凍りついていた心の氷が溶けていくように、目の前の犬と話ともっと話していたいと思った。
「まあ、俺はどこへ行くとも決めてなかったからどこへ着いても構わねーけどな。お前は引き返すのか?」
《すぐ引き返せるなら…でもしばらく陸地は見えないですね…》
今までずっと「おすわり」の状態でじっとしていた犬は、今はソワソワ落ち着かない様子であっちを見たりこっちを見たりして甲板をウロついていた。
「なら俺についてこんかい。俺も一回りしたらイヤザザ地区の側に帰るんだ。お前ほっといたらまた別の場所に行きそーだよな」
《え、あ、はい…》
「はいじゃねーよ。調教が必要だな。そーゆー時はこう言うんだぜ。「はい!イールビさん!どこまでもついて行きます!」ってな。ご主人様でもいいぞ」
《え…えぇ…》
「おら。はよ言わんかい」
《は、はい…!イールビ様、どこまでついて行きます!》
「よくできました。」
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