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番外編 婚約者はじゃじゃ馬な幼女

2.野の花をきみに

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 レスルーラ王国の王城は高台にあり、ふもとの城下町との間にはそれほど深くない森があった。
 明るい木漏れ日の差しこむ森の斜面をゆっくりと馬で下っていく。

「殿下、わたくしが先頭になってもいいですか!?」
「駄目だ。大人しく私のあとから付いてくるように」
「ええー、先に行きたいです」
「言うことが聞けないなら、もう城に戻るが」
「聞きます! 大人しくします!」

 まるで子供に言うことを聞かせようとしている親のような口振りだ、とヴィンセントは心の中で苦笑した。婚約者相手の言動ではない。

「気持ちのいい森ですねえ」
「このあたりは王家の森として管理されているからな」
「へえ、狩りもできるのかしら」
「できるが……、まさか狩りもするのか?」
「はい!」

 小柄な体で大きな馬を器用に操るベアトリーチェは本当に乗馬が好きらしい。
 心なしか彼女の乗る牝馬ひんばの足取りも軽やかだ。

 しばらくしてふもとまで降りると湖が見えた。
 池といってもいいくらいの小さな湖は、丸く青空を映している。野の花が咲き乱れるのどかな湖畔にヴィンセントは馬を止めた。

「ここで昼食にしよう」

 うしろから付いてきた護衛たちが周囲を確認に行き、側仕えが持参した折り畳み式の机と椅子を出して食事の準備をする。

「殿下、綺麗な場所ですね!」
「ああ。私も子供のころ、よく遊びに来たんだ」
「そうなんですね。あっ、向こうに花畑があります!」

 乗馬服の上着のすそをひるがえして走っていくベアトリーチェ。
 ヴィンセントは慌てて、そのあとを追った。

「姫、危ない!」

 たしかそのあたりには上からは見えないくぼみがあったはずだ。
 だが、ヴィンセントの声が届かなかったのか、ベアトリーチェは前のめりに倒れてしまった。

「いったーい」
「大丈夫か!? 今、医者を呼ぶ!」
「いやだ、殿下、このくらい平気ですよ~。走れば転ぶのは当たり前です」

 ほがらかに笑うベアトリーチェの顔に痛そうな様子はない。
 少女は素早く起きあがって、乗馬服に付いたほこりを叩いて払った。

「当たり前……なのか?」
「……たぶん?」

 ベアトリーチェが首をかしげる。
 急に淑女としての常識に自信がなくなったようだ。

「痛まないならよいが、驚きで心臓が縮みあがりそうだ。気を付けてくれ。……くくっ」

 注意しながら、ヴィンセントも思わず笑ってしまった。本当に王女らしくない粗忽そこつな娘だ。
 駆けつけてこようとしていた護衛たちに軽く手をあげて「問題ない」と合図する。

 離れた場所からこちらをうかがう護衛騎士から目を離し、二人で空を見あげた。

「いいお天気になってよかったです。とても楽しみにしていたので」

 素直に喜ぶ姿は、無邪気な幼子のようでかわいらしい。
 そよ風に色とりどりの野の花が揺れる。かすかな芳香が漂った。

「野花でもよい香りがするのだな」
「そうですねえ。ほんと、いい香り」

 不思議な気分だった。
 ベアトリーチェと一緒にいると、ふだんは気づかないことが目に留まるようになる。子供の目線で物事を考えるようになるせいかもしれない。
 しゃがんで花冠を編みはじめたベアトリーチェの横に座って、ぼんやりと彼女を見つめる。

 ふと思った。
 かつて、アナスタージアとこんな打ちとけた時間を持ったことがあっただろうか。
 高貴で優雅な『レスルーラの金の薔薇』。

 ――野原に二人で座りこむなんてありえないか……。

 でも、本当にそうだったのか。
 自分がアナスタージアに何も伝えなかったから、二人だけの穏やかな時間を持つことができなかったのではないか。

 ヴィンセントの胸に、夜ごと繰り返した苦い思いがよみがえる。悔いる気持ちはいっこうに減る気配がない。
 しかし、ヴィンセントは無心に花を編むベアトリーチェを見ながら、初めて思い直した。
 過ぎたことは、もうどうにもならない。今、目の前にいる婚約者はアナスタージアではなく、この幼い娘なのだ……。

 ヴィンセントは風に揺れる野の花の中から、白い花を選んで摘んだ。そして、あまり深く考えずに、その飾りけのない質素な花束を少女に差し出す。

「私は花冠は作れないから……、これを姫に」
「え?」
「あ……、申しわけない。このような野花は、さすがに姫に贈るにはふさわしくなかったな。今度、ちゃんとした美しい花を贈ろう」
「いいえ!」

 ベアトリーチェは慌ててその花を受け取った。

「……いいえ、うれしいです。大切にします。今日の記念に押し花にするわ」

 ベアトリーチェは想像以上にうれしそうだった。ヴィンセントはその姿を見て、今度こそ伝えられる時に自分の思いを伝えておこうと思った。

「姫、国と国との間で決められた婚約だが、私は姫を大切に思っている。それはわかってほしい」
「殿下……?」
「そうだな。私には姉妹がいないが、あなたのことは妹のように愛しく感じているよ」

 少女はなぜか一瞬むっとした。内心怒っているのか、深い青の瞳が揺らいでいる。
 急な機嫌の変わりようにヴィンセントは戸惑った。

「ん? どうしたのだ?」
「知りません!」

 ベアトリーチェは眉をしかめて、ぷいっと顔を背ける。
 これは確実に怒っている。
 ……なぜだ? さっきまで楽しそうにしていたのに、わけがわからない。

「わたくしは殿下の妹ではありません!」
「それはそうだが……」
「わたくしは婚約者ですのよ!?」
「もちろん、あなたは婚約者だが……?」

 あと八年か九年か。
 ベアトリーチェとの結婚は彼女が王立学園を卒業して、成人してからになる。先の長い話だ。

 だが、ゆっくりとお互いの気持ちを育んでいけばいい。
 急いでアナスタージアから気持ちを切り替えて結婚することを求められないのは、自分にとってもありがたかった。

「んもう!」
「何を怒っているのだ」

 ヴィンセントは苦笑した。

 今は結婚自体よりも、それまでに積み重ねていく姫との日々が楽しみだ。
 男とか女とかは関係ない。だれに対しても、こんなことを思ったのは初めてだった。
 他人との関係に胸がはずんでいる。そんな自分に驚いた。

 そうだ、とヴィンセントはひらめいた。

「いつまでも殿下、姫と呼びあうのも他人行儀だな」
「……?」

 政略結婚といえども、いずれ自分は彼女と結婚し夫婦として生きていくのだ。

「姫、あなたをベアトリーチェと呼んでもいいだろうか?」

 すべてというわけには行かないが、できるだけ本心を隠さずにいたい。大人だから、王太子だから、男だからと気取らず、率直に彼女と付きあっていきたい。

「私のことはヴィンセントと」

 藍色の目を細め微笑みかけると、ベアトリーチェの頬がなぜだか真っ赤になった。

 少し日差しが強いから、また日に焼けたのだろうか。
 近ごろ美白効果があると貴婦人たちの間で話題になっている化粧水を贈ろうと、ヴィンセントは心に留めた。それが数日後、思春期の少女の逆鱗にふれることになるとは思わずに。

 初恋に目覚めた少女の胸のうちは、男には想像できないくらい複雑なのだ。


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