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転生令嬢は結局何もしなかった
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王は重く口を開いた。
「アルベルト。そなたは王太子としてあまりに軽率であった。婚約の問題だけではない。『罪』の扱いを遊戯と混同した」
その夜、アルベルトの王太子資格は一時停止とされ、再教育の名目で政務から外されることが決まった。
聖女エリナは神殿への「お戻り」を命ぜられた。
王宮からはしばらく距離を置かれ、地方の小さな礼拝堂で「本来の聖女としての務め」に従事することになる。
ラウベルク侯爵家は一転して「根も葉もない噂に三年間耐え続けた家門」として同情と支持を集め、宰相との連携を強め、国内における発言力を増すことになった。
そしてマリアンヌは――
「マリアンヌ嬢。あなたはどうしたいですか」
事後処理の席で宰相は穏やかに問うた。
報復も要求もこの場でならいくらでも通せる。
名誉回復だけでなく、王太子や聖女への具体的な罰を求めてもいい。彼女が望めば、王太子を廃嫡に追い込むことだってできる。
マリアンヌは少しだけ考える素振りを見せたものの、すぐに首を振った。
「特には」
宰相は思わず苦笑する。
「特には、がお好きですな」
「それほどでも」
マリアンヌはそこで初めてはっきりと笑った。
「私はこの三年間、誰にも何もしてこなかったかわりに――誰にも、何かを期待しておりません。殿下にも、聖女様にも、王にも。ですから、今さら何かを与えられようとも困ってしまいます」
そう言って彼女は窓の外に目をやる。
王都の空は高く、春の光が城壁を柔らかに照らしていた。
「一つだけお願いしてもよろしいでしょうか」
「申してみなさい」
「……少し、遠くに行きたいのです」
宰相は目を丸くした。
「遠く?」
「はい。例えば辺境の図書館とか。古書が積み上がっていて、誰も来ないような場所がありましたら、そこに籠もって読書でもしながら、静かに余生を送りたいと思います」
宰相は数秒ほど考え、ふっと笑みを漏らした。
「なるほど。辺境の古城に王立文庫の分館があります。管理者不在で困っておりましたが――マリアンヌ嬢、そこを任せても?」
「喜んで」
マリアンヌは心から嬉しそうに頷いた。
復讐よりも、王家の失墜よりも、栄華も権力も、彼女にとっては遠い世界の出来事。彼女が望むのは、ただ、誰にも期待もされず、誰にも期待しない場所で静かに本を読む日々。
何もせず、何もさせない、真空のような余生。
その後、王太子の失態と聖女の「聖性」に疑いが持ち上がった一件は国内外に大きな衝撃を与えた。人々は噂の怖さを知り、「証拠なき断罪」への警戒を強め、「悪役」を簡単に据え置くことの危うさを語り合った。貴族社会は「何もしなかった」女を悪役に仕立て上げようとした自分たちの浅ましさを、遅ればせながら自覚し始めた。
そして時折、誰かがこう呟く。
「結局、あのお嬢さんは何もしなかったのだな」と。
辺境の古城の一室で、本に囲まれたマリアンヌはその噂を風の便りに聞きながら静かにページをめくる。
(ええ。何もしませんでしたとも)
前世で、嫌というほど「やらされてきた」からこそ。
今世ぐらい、何もしない権利ぐらい行使してもいいだろう――と彼女は思う。
それゆえに彼女の周囲の人間たちは、自分たちが「何をして、何をしなかったのか」という罪をくっきりと背負うことになったのだ。
その事実を彼女だけがどこか他人事のように静かに見ている。
彼女は本当に何一つしていない。
ただひとつ、「何もしない」ことを徹底して選び抜いた――それだけだった。
「アルベルト。そなたは王太子としてあまりに軽率であった。婚約の問題だけではない。『罪』の扱いを遊戯と混同した」
その夜、アルベルトの王太子資格は一時停止とされ、再教育の名目で政務から外されることが決まった。
聖女エリナは神殿への「お戻り」を命ぜられた。
王宮からはしばらく距離を置かれ、地方の小さな礼拝堂で「本来の聖女としての務め」に従事することになる。
ラウベルク侯爵家は一転して「根も葉もない噂に三年間耐え続けた家門」として同情と支持を集め、宰相との連携を強め、国内における発言力を増すことになった。
そしてマリアンヌは――
「マリアンヌ嬢。あなたはどうしたいですか」
事後処理の席で宰相は穏やかに問うた。
報復も要求もこの場でならいくらでも通せる。
名誉回復だけでなく、王太子や聖女への具体的な罰を求めてもいい。彼女が望めば、王太子を廃嫡に追い込むことだってできる。
マリアンヌは少しだけ考える素振りを見せたものの、すぐに首を振った。
「特には」
宰相は思わず苦笑する。
「特には、がお好きですな」
「それほどでも」
マリアンヌはそこで初めてはっきりと笑った。
「私はこの三年間、誰にも何もしてこなかったかわりに――誰にも、何かを期待しておりません。殿下にも、聖女様にも、王にも。ですから、今さら何かを与えられようとも困ってしまいます」
そう言って彼女は窓の外に目をやる。
王都の空は高く、春の光が城壁を柔らかに照らしていた。
「一つだけお願いしてもよろしいでしょうか」
「申してみなさい」
「……少し、遠くに行きたいのです」
宰相は目を丸くした。
「遠く?」
「はい。例えば辺境の図書館とか。古書が積み上がっていて、誰も来ないような場所がありましたら、そこに籠もって読書でもしながら、静かに余生を送りたいと思います」
宰相は数秒ほど考え、ふっと笑みを漏らした。
「なるほど。辺境の古城に王立文庫の分館があります。管理者不在で困っておりましたが――マリアンヌ嬢、そこを任せても?」
「喜んで」
マリアンヌは心から嬉しそうに頷いた。
復讐よりも、王家の失墜よりも、栄華も権力も、彼女にとっては遠い世界の出来事。彼女が望むのは、ただ、誰にも期待もされず、誰にも期待しない場所で静かに本を読む日々。
何もせず、何もさせない、真空のような余生。
その後、王太子の失態と聖女の「聖性」に疑いが持ち上がった一件は国内外に大きな衝撃を与えた。人々は噂の怖さを知り、「証拠なき断罪」への警戒を強め、「悪役」を簡単に据え置くことの危うさを語り合った。貴族社会は「何もしなかった」女を悪役に仕立て上げようとした自分たちの浅ましさを、遅ればせながら自覚し始めた。
そして時折、誰かがこう呟く。
「結局、あのお嬢さんは何もしなかったのだな」と。
辺境の古城の一室で、本に囲まれたマリアンヌはその噂を風の便りに聞きながら静かにページをめくる。
(ええ。何もしませんでしたとも)
前世で、嫌というほど「やらされてきた」からこそ。
今世ぐらい、何もしない権利ぐらい行使してもいいだろう――と彼女は思う。
それゆえに彼女の周囲の人間たちは、自分たちが「何をして、何をしなかったのか」という罪をくっきりと背負うことになったのだ。
その事実を彼女だけがどこか他人事のように静かに見ている。
彼女は本当に何一つしていない。
ただひとつ、「何もしない」ことを徹底して選び抜いた――それだけだった。
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