堕落夫とは本日限りで離縁致します

遠野エン

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転生令嬢は結局何もしなかった

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彼は視線をエリナへと向けた。

「『マリアンヌ様に何もされていません』という言葉のみ」

エリナは青ざめ震えていた。
皆の視線を浴びる中で、自分の喉から絞り出されたその言葉が、今、彼女自身の首を締め上げている。
宰相はさらに一歩、王太子ににじり寄るように立った。

「殿下。貴方は『マリアンヌが悪いに決まっている』と周囲に仰っていたとか。ですが、決まっているはずの『悪行』が一つとして、はっきりした形を取らずに消えてしまったのは――どういうわけでしょう?」

アルベルトの顔からみるみる血の気が引いていく。

「そ、それは……マリアンヌが人前では巧妙に隠していたからだ! 陰では――」
「陰で何を?」

今度は群衆の一角から別の声が上がった。

マリアンヌの父、ラウベルク侯爵。
厳しい双眸を真っ直ぐ王太子に向け、その背後には一同に会した有力貴族たちが控えていた。

「娘が何をしたのか、はっきり仰せつけ願おう。『陰湿な態度』などという曖昧な表現ではなく、いつ、どこで、誰に何をしたのか」

アルベルトは口を開きかけるが、その前に別の声が割り込んだ。

「我が息子よ」

今度は王だった。
年老いた王は玉座からゆっくりと立ち上がり、その目を細くしながら王太子を見下ろした。

「そなたはたかが『印象』だけで、有力侯爵令嬢を断罪しようとしているのか。しかも、その背後にはラウベルク侯爵家と結託した宰相、各地の領主たちの支持があるというのに」

王の視線はやがてエリナへと移る。

「聖女と呼ばれし娘。そなたもそれを止めようとはしなかった」
「わ、私は……ただ……殿下がそうおっしゃるから……」

その言葉に群衆から乾いた笑いがこぼれた。

「殿下の言葉だけで決めつけたのか」「聖女様は止める役目ではなかったのかな?」

ささやきが冷たく広まっていく。
宰相はそこでようやくマリアンヌへと振り返った。

「マリアンヌ嬢。あなたに問います。王太子殿下やエリナさん、そしてこの場にいる者たちに対して何か言いたいことは?」

マリアンヌは静かに首をかしげた。
自分がついに話を振られたことに、少しだけ意外そうな表情を浮かべたが、すぐにそれすら消してしまう。

「……特には」

そのあまりの素っ気なさにざわめきが一瞬止まった。
宰相が目を瞬かせる。

「特には?」
「ええ。私はこの三年間、皆様に対して何もしておりません。良いことも悪いことも。ですから、恨む理由もなければ許す理由もございません」

彼女はアルベルトをまっすぐ見た。

「殿下。あなたが私をどう評価なさろうと、それはあなたのご自由です。ただ――」

ほんの少しだけ、声色に温度が宿る。

「『何もしていない人間』を『きっと何かしたはずだ』と決めつけるのは、あまりお上品な遊びではないかと存じます」

その言葉に会場は凍り付いた。
それは王太子と聖女たちが三年間かけて積み上げてきた物語そのものへの、静かな一撃だった。
エリナは俯いたまま嗚咽を抑えられない。

(そうだ。私は――)

彼女はマリアンヌを見上げる。
あの人は本当に何もしていなかった。
憎しみも、嫉妬も、怒りも、同情も、救いも、差し伸べも――何一つ。

何もしなかったのは自分も同じ。

王太子の横暴を止めようともしなかった。
噂話に異を唱えようともしなかった。
都合よく「悪役」を押し付けて、自分たちの醜さから目を逸らしてきた。

マリアンヌは「何もしない」ことで、彼女の「何もしなかった」事実を鏡のように映し出している。
そして、宰相はその鏡を王太子の眼前へとそっと掲げた。

「殿下。ここにいる誰よりもマリアンヌ嬢に対して『何かをした』のは、そなた自身でありましょう」

王太子の顔に絶望の色が浮かぶ。

噂を流させたのは自分。
エリナを庇うふりをしながら、彼女を言い訳に使ったのも自分。
証拠がないことを知りながら、「悪役」は必要だと心のどこかで納得していた。

何もしていない女を悪役に仕立て上げ、何かした気になっていた――のだと。
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