堕落夫とは本日限りで離縁致します

遠野エン

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性根の腐ったお義母様には退場して頂きます

第1話 姑のいる家へ嫁ぐ

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馬車の刻む細かな振動が座席越しにじりじりと伝わってくる。

窓の外に広がるヴェルナー伯爵家の屋敷は事前に聞いていたとおり"由緒ある"という言葉がよく似合っていた。白い外壁は丁寧に磨かれ、庭には季節の花が途切れなく咲いている。財政状況は悪くない。あるいは悪くないふりくらいはできるということか。

政略結婚という言葉に特別な感慨はない。私、ユーリアの身分と年齢を考えれば順当な落ち着き先だろう。それでも相手となるレクシオ・ヴェルナー本人が穏やかで誠実な人物だという評判を聞いているおかげで、胸のどこかに重い石を抱えずに済んでいるのは事実だった。

(姑のほうは、まあ……噂どおりなら、少々面倒そうだけれど)

そう考えたところで、馬車がゆるやかに止まった。

扉が開き、差し出された手を取って外に出ると、玄関前にはすでに使用人たちが整列していた。黒服の執事、控えめに頭を下げるメイドたち。皆、礼儀正しく、視線にも敵意はない。

「ようこそおいでくださいました、ユーリア様。執事のハロルドと申します。当家一同、心よりお迎え申し上げます」
「ありがとう、ハロルド。これからお世話になるわ」

定型文のやり取りを済ませたそのとき。
視界の端にゆっくりと階段を降りてくる影が見えた。

ワインレッドのドレスに、いかにも高価そうな宝石をこれでもかと散りばめた女。年齢は四十代半ばといったところか。整った顔立ちに浮かぶ笑みは形だけ整えられたものだが、目元だけが笑っていない。

アンジェラ・ヴェルナー。義母となる人。

「まあまあ……あなたがユーリアさんね。遠路はるばるご苦労さま。わたくしが、レクシオの母のアンジェラですわ」
「初めまして、アンジェラ様。ユーリアと申します。本日よりヴェルナー家の一員として、尽力させていただきます」

裾をつまみ、礼を取る。
アンジェラは私を頭の先からつま先まで、遠慮のない視線で舐めるように見てから、ふわりと笑顔を深めた。

「まあ、思ったより……ずっと可愛らしい方で安心いたしましたわ。レクシオもさぞ喜んでいることでしょうね。ええ、『思ったより』よ」

初手からわかりやすい。
私は笑顔だけを保ったまま首をかしげた。

「そう仰っていただけると、鏡に感謝しなくてはなりませんね。レクシオ様の隣に立っても恥ずかしくないよう、努力いたしますわ」

一瞬、アンジェラの目が細くなったが、すぐにまた上品な笑みに戻る。

「それにしても……あなたのご実家からの持参金のお話、伺いましたけれど。うちの財政を心配してくださったのかしら? 子爵家にしてはたいそう手厚いことで」
「ええ。父は心配性でございますから。『最初から余裕があれば余計な詮索もされにくいだろう』と申しておりました」

淡々と告げると、周囲の使用人たちの視線が一瞬だけ揺れたのがわかった。
アンジェラの眉がかすかに引きつる。

「まあ……それはまた、随分と率直なお言葉ですこと」
「父は遠回しな言い方が苦手でして。もしご不快でしたら、私のほうから後ほど諫めておきますわ。持参金について何かご不都合があるようでしたら、早めにお知らせいただいたほうが、こちらとしても助かります」

逃げ道は与える。
こちらが真正面から受け止めているという形を崩さないまま、相手がこれ以上踏み込めば品位を欠くのはこちら側ではないという構図だけを静かに積み上げていく。

アンジェラはひとつ息を吐いてから、作り笑いをさらに柔らかくした。

「いいえ、いいえ。そんなつもりではございませんのよ。ただ……あなたのように、こう、素朴なご令嬢が、急に大きな家に入られて大変ではないかと心配しただけですわ。育ちの違いというものはどうしてもございますものね」
「確かに、ヴェルナー家のような由緒ある家に比べれば、我が家はこぢんまりとした子爵家です。ですから、こちらのしきたりややり方は一から学ばせていただくつもりでおりますわ。アンジェラ様がお教えくださるのでしたら、たいへん心強いです」

こちらから引くことで彼女の"上に立ちたい欲求"を満たしてやる。
それで満足するならそれでいい。
その教えが明らかに常軌を逸すれば、そのときは――そのとき考えればいい。

アンジェラは勝ち誇ったように微笑んだ。

「ええ、もちろんよ。お行儀から客人への振る舞いまで、ひとつひとつ教えて差し上げますわ。ご実家ではそこまで細やかな教育はなさらなかったでしょうし」
「細やかさという点ではきっと及びませんわね。母も『難しいことは嫁ぎ先で覚えればいい』と申しておりましたから。ぜひ、アンジェラ様のお知恵をお借りしたいです」

皮肉を皮肉として受け取らず、そのまま相手を立てる言葉に変換して返す。それだけで言葉の刃は自分から滑り落ちていく。アンジェラの後ろで控えていたメイドのひとりがわずかに肩を震わせた。笑いを堪えているのか、同情なのかは知らない。

レクシオは体調を崩しがちの父親の病室から抜けられないのだという。この場にいないことを少しばかり残念に思いながらも、私は淡々と現実を受け入れた。

「……応接間へ案内なさいな。立ち話もなんですもの」

アンジェラがそう命じ、ハロルドが一歩前に出て、私を先導した。

「ユーリア様、こちらへ」
「ええ」

屋敷の廊下は装飾こそ多いが、手入れは行き届いている。使用人の動きも無駄がない。この家はまだ崩れてはいない。ただ、その中心にいる女の性根だけが目に見えないひびを走らせている――そんな印象だった。

背後からじっとりとした視線を感じる。
振り返る必要はない。アンジェラだ。
廊下の突き当たりで、ふと、背後から小さな声が聞こえた。

「……まあすぐに、本性を引きずり出してあげますわ。あなたみたいな子、長くは隠していられないもの」

聞こえなかったふりをする。
今のところ、彼女が勝手に仕掛けてくると言うのなら、こちらとしてはそれに合わせて受けて立つだけ。

静かにそう結論づけた。
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