【完結】夫ではない旦那様の子を身ごもりました

遠野エン

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2.義務とヴェール

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「なぜ、そのようなお顔をなさるのですか?」
そう尋ねると、エレノア様はふと遠い目をして庭先の花々を見つめた。

「わたくしは…ただ義務を果たすだけ。
この結婚がわたくしの家を守り、領地を豊かにするためなら、
それがわたくしの使命。でも、メアリー…わたしは本当は…」

そう言いかけて、エレノア様は唇を噛んだ。
細い肩が小刻みに震えていた。その震えを抑えるように彼女は背筋を伸ばす。
わたしは何も言えず、ただその背を支えるように手を添えた。

──あなたを救える力がどうかこの手にありますように。
そう祈りながら、わたしはそっと彼女を抱きしめた。
エレノア様は何かをこぼすように目を伏せたが、
その雫が彼女の頬を伝ったのかどうかは、わたしにはわからなかった。


やがて、結婚の準備が進むにつれ、屋敷は祝福の声に包まれた。
華やかな衣装を仕立てるため、布地の見本が次々と運ばれ、
賓客をもてなす宴のメニューを決めるために、厨房は朝から活気に満ち溢れていた。

召使いとして働く人々の眼差しはきらきらと期待に満ち、
「この結婚によって領地はもっと豊かになる」
「エレノア様は幸せに違いない」
誰もがそう信じて疑わなかった。

けれど、わたしにはわかる。
エレノア様の瞳にうっすらと宿る陰りも、彼女が時々見せるため息の重みも。
わたしは何とかその心の隙間を埋めようと、できるかぎり側で笑みをたたえていた。

「エレノア様、今日はどのドレスをお召しになられますか?」
「お似合いになりますとも、なんて美しいのでしょう」

表面的には華やかな言葉を重ねるが、胸中に渦巻く不安はどうしても拭えなかった。


結婚式当日。
領内でも特に広い広間に招かれた貴族たちが集い、噂と酒が入り乱れる。
わたしはエレノア様の身の回りを整える侍女として、常に彼女の後ろを歩いた。
純白のヴェールを被り、高価な宝石を飾られた彼女は神聖な花嫁そのもの。
誰もがその美しさに見とれ、讃えの言葉を投げかける。

そのヴェールの向こうで、彼女が何を考え何を見つめているのか、
わたしは怖くて問いかけることができなかった。

目と目が合えば、エレノア様はかすかに微笑む。
しかしその笑顔の中に小さな揺らぎを感じ、言いようのない切なさを覚えた。

そこに現れたロイド=グレイモンド卿。
長身で鍛え上げられた体躯、感情をあまり表に出さぬ鋭い瞳。
揺るぎない意志を象徴するかのように背筋を伸ばし、
その姿には騎士としての絶対的な威厳が漂っていた。

彼の無骨な手がエレノア様の白く儚い手を取り、
神前らしき祭壇のもとで宣誓が交わされる。
こちらまで伝わるほどの、場を支配する静寂。
時折祝福の言葉がこぼれるが、それよりもさらに大きく響いたのは、
エレノア様がうなずいたときの、ほんの微かな息遣いだった。


「わたしはあなたを妻とし、いついかなるときも尊重いたします」
ロイド卿の声は深く、それだけで人の心を制する力をもっていた。
かつて多くの領民を戦乱から守ったという武功がその声の裏に隠れているようだった。

エレノア様もまた、その誓いに頷く。
「わたくしもあなたを夫と認め、人としてあなたを敬います」
言葉は正しく、儀礼として非の打ち所がない。
けれど、その舌の奥にある本音はわたしにだけは手に取るようにわかった。

──どうして、こんなにも切ない誓いなのだろう?
わたしは奥歯を噛み締め、ふたりの後ろに静かに控えた。
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