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最終話.幸せのかたち
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あれから10年の月日が流れた。
かつての裏切りに涙した夜が遠い昔のように感じられる穏やかな午後。
私たちはそれぞれの道を歩み、そして再び一つの道で交わった。かつて私の実家があった街の一角に、レオが初めて設計を手掛けた小さな家が建っている。窓から柔らかな日差しが差し込むリビングは、今では私たち新しい家族の笑い声に満ちていた。
「ママ、このクッキー、アルフのよりおっきい!」
「こらリリィ、お兄ちゃんのだって同じ大きさよ。ちゃんと焼けてるか、味見してみてくれる?」
キッチンのカウンター越しに顔を覗かせるのは私とレオの宝物である二人の子供たち。やんちゃで好奇心旺盛な長男のアルフと、レオに似て少し勝ち気な長女のリリィ。私は焼き上がったばかりのクッキーを差し出しながら、リビングで図面を広げる夫の背中に目をやった。
建築士として奮闘するレオは昔の尖った雰囲気はそのままに、父親らしい穏やかさと頼もしさを身につけていた。彼の隣では我が家の愛猫のブッチが大きなあくびをしながら丸くなっている。この何気ない日常の風景こそかけがえのない愛おしいもの。
クッキーを頬張るリリィがふとキラキラした瞳で私とレオを交互に見つめた。
「ねえ、ママ。パパとママはどうやって結婚したの? アルバムの写真、ママ、すっごくきれいなドレス着てた!」
「おー、それ僕も知りたい! パパがママのこと、好き好きって追いかけたんでしょ!」
アルフの言葉に私は思わず吹き出してしまった。図面から顔を上げたレオが困ったように眉を寄せている。
「アルフ、言葉遣いが悪いぞ。それに追いかけたのはママの方からじゃないか?」
「まあ、レオ! 子供たちの前でなんてことを言うの!」
「本当のことだろ」
と悪戯っぽく笑う彼に私は「お話してあげて。あなたの口から」と促した。彼は少し照れくさそうに頭をかきながらも子供たちを手招きした。
「よし、じゃあパパが教えてやろう。始まりはな……ママがお前たちと同じ年の頃、公園の高い木から下りられなくなって、困っていたのをパパが助けたことなんだ」
レオの口調は昔の名残を残しつつも、子供たちに語りかける響きはどこまでも優しい。
「ママ、木登りしたの!?」
「ああ。子猫を助けるんだって言って、自分もまだ小さいくせにひょいひょい登っちまってな。案の定、降りられなくなってワンワン泣いてたんだ」
「ちょっと、レオ! そんなに泣いてないわよ!少し目が潤んでいただけです!」
「まあ、そうだったことにしておく。だけどな、パパはその時から決めてたんだ。この泣き虫で危なっかしいお姫様は誰かがそばで見ててやらないとダメだって。だからパパがずっと守ってやるんだってな」
その言葉は、初めて聞くものではなかったけれど、何度聞いても胸の奥がじんわりと温かくなる。子供たちは「へぇー! パパ、かっこいい!」「じゃあママはお姫様なんだ!」と目を輝かせている。
「でもね、パパも昔はとっても口が悪くて、いつもママのことからかってばかりいたのよ」
「うるさいな。それはお前がいつも変なヤツに引っかかってるから心配だっただけだろ」
――――あのパーティーの後、アルバートとリディアは揃って学園中の笑い者となった。プライドを打ち砕かれたアルバートはほどなくして自主退学し、一方のリディアは周囲の冷たい視線に耐えながらも卒業はしたらしい。今となっては彼らがどこで何をしているのか知る由もないし、知りたいとも思わない。彼らは彼らの人生を生き、私は私の人生を歩んでいる。それだけのこと――――。
その時、軽やかな呼び鈴の音が響いた。
「あら、来たみたい。みんな、おじいちゃんとおばあちゃんたちよ!」
子供たちがわっと玄関へ駆け出していく。
ドアが開くと満面の笑みを浮かべた私の両親とすっかり大人の女性になった妹のマリベルが立っていた。
「お姉様、来たわよ! わあ、いい匂い! クッキー焼いたのね!」
「お邪魔するよ、エリス。レオ君も元気そうで何よりだ」
「親父さん、お母さん、マリベルちゃんも。いらっしゃい」
レオが立ち上がって出迎える。
すっかり家族として打ち解けたその光景に心は幸福感で満たされる。マリベルは今や隣町で評判のパン屋の看板娘だ。優しい旦那様と二人で店を切り盛りしている。
「あら、レオ義兄さん。また子供たちに馴れ初めを話していたの? その木登りの話、もう耳にタコができるくらい聞いたわよ!」
マリベルのからかいにレオは
「いいだろ、何度話したって。俺たちの原点なんだから」
と少しむきになって言い返す。
そのやり取りを見て皆がどっと笑った。
賑やかになったリビングで母が持ってきてくれたお惣菜や、マリベルの店の新作パンがテーブルに並べられていく。父はレオと仕事の話を始め、母とマリベルは子供たちを膝に乗せて甲斐甲斐しく世話を焼いている。ブッチはそんな喧騒の中心で満足そうに喉を鳴らしていた。
私はその光景のすべてを愛おしさを込めて見つめていた。
あの夜、偽りの王子様に別れを告げた私は確かに傷つき、打ちのめされていた。けどそれは、すぐそばにあった本当の宝物に気づくために、神様が与えてくれた少し手荒な試練だったのかもしれない。
偽物のきらびやかなガラスの靴よりも、泥だらけの私を力強く引き上げてくれた、ごつごつとした温かい手の方がずっと尊いものだと知るために。
ふと、私の視線に気づいたレオが優しい眼差しを返してくる。
「どうした、エリス」
「ううん、なんでもないわ」
私は微笑んで首を振った。
「ただ、すごく幸せだなって思っていただけ」
レオは一瞬だけ驚いたように目を見開いた後、いつかの夜のようにふっと口の端を吊り上げて笑った。彼は私のそばに来ると、たくさんの家族の目も気にせずにそっと私の手を握った。
「お前の言葉、そのまま俺の気持ちだ」
その短い言葉に10年分の変わらぬ愛情が詰まっている。
子供たちの「パパー!ママー!早くこっち来てー!」という声に呼ばれ、私たちは手を繋いだまま、温かな光に満ちた家族の輪の中へと向かった。
偽物の王子様に終止符を打ったお姫様の物語はこうして世界で一番幸せな『家族』の物語として、これからもずっとこの陽だまりの中で続いていくのでした。
かつての裏切りに涙した夜が遠い昔のように感じられる穏やかな午後。
私たちはそれぞれの道を歩み、そして再び一つの道で交わった。かつて私の実家があった街の一角に、レオが初めて設計を手掛けた小さな家が建っている。窓から柔らかな日差しが差し込むリビングは、今では私たち新しい家族の笑い声に満ちていた。
「ママ、このクッキー、アルフのよりおっきい!」
「こらリリィ、お兄ちゃんのだって同じ大きさよ。ちゃんと焼けてるか、味見してみてくれる?」
キッチンのカウンター越しに顔を覗かせるのは私とレオの宝物である二人の子供たち。やんちゃで好奇心旺盛な長男のアルフと、レオに似て少し勝ち気な長女のリリィ。私は焼き上がったばかりのクッキーを差し出しながら、リビングで図面を広げる夫の背中に目をやった。
建築士として奮闘するレオは昔の尖った雰囲気はそのままに、父親らしい穏やかさと頼もしさを身につけていた。彼の隣では我が家の愛猫のブッチが大きなあくびをしながら丸くなっている。この何気ない日常の風景こそかけがえのない愛おしいもの。
クッキーを頬張るリリィがふとキラキラした瞳で私とレオを交互に見つめた。
「ねえ、ママ。パパとママはどうやって結婚したの? アルバムの写真、ママ、すっごくきれいなドレス着てた!」
「おー、それ僕も知りたい! パパがママのこと、好き好きって追いかけたんでしょ!」
アルフの言葉に私は思わず吹き出してしまった。図面から顔を上げたレオが困ったように眉を寄せている。
「アルフ、言葉遣いが悪いぞ。それに追いかけたのはママの方からじゃないか?」
「まあ、レオ! 子供たちの前でなんてことを言うの!」
「本当のことだろ」
と悪戯っぽく笑う彼に私は「お話してあげて。あなたの口から」と促した。彼は少し照れくさそうに頭をかきながらも子供たちを手招きした。
「よし、じゃあパパが教えてやろう。始まりはな……ママがお前たちと同じ年の頃、公園の高い木から下りられなくなって、困っていたのをパパが助けたことなんだ」
レオの口調は昔の名残を残しつつも、子供たちに語りかける響きはどこまでも優しい。
「ママ、木登りしたの!?」
「ああ。子猫を助けるんだって言って、自分もまだ小さいくせにひょいひょい登っちまってな。案の定、降りられなくなってワンワン泣いてたんだ」
「ちょっと、レオ! そんなに泣いてないわよ!少し目が潤んでいただけです!」
「まあ、そうだったことにしておく。だけどな、パパはその時から決めてたんだ。この泣き虫で危なっかしいお姫様は誰かがそばで見ててやらないとダメだって。だからパパがずっと守ってやるんだってな」
その言葉は、初めて聞くものではなかったけれど、何度聞いても胸の奥がじんわりと温かくなる。子供たちは「へぇー! パパ、かっこいい!」「じゃあママはお姫様なんだ!」と目を輝かせている。
「でもね、パパも昔はとっても口が悪くて、いつもママのことからかってばかりいたのよ」
「うるさいな。それはお前がいつも変なヤツに引っかかってるから心配だっただけだろ」
――――あのパーティーの後、アルバートとリディアは揃って学園中の笑い者となった。プライドを打ち砕かれたアルバートはほどなくして自主退学し、一方のリディアは周囲の冷たい視線に耐えながらも卒業はしたらしい。今となっては彼らがどこで何をしているのか知る由もないし、知りたいとも思わない。彼らは彼らの人生を生き、私は私の人生を歩んでいる。それだけのこと――――。
その時、軽やかな呼び鈴の音が響いた。
「あら、来たみたい。みんな、おじいちゃんとおばあちゃんたちよ!」
子供たちがわっと玄関へ駆け出していく。
ドアが開くと満面の笑みを浮かべた私の両親とすっかり大人の女性になった妹のマリベルが立っていた。
「お姉様、来たわよ! わあ、いい匂い! クッキー焼いたのね!」
「お邪魔するよ、エリス。レオ君も元気そうで何よりだ」
「親父さん、お母さん、マリベルちゃんも。いらっしゃい」
レオが立ち上がって出迎える。
すっかり家族として打ち解けたその光景に心は幸福感で満たされる。マリベルは今や隣町で評判のパン屋の看板娘だ。優しい旦那様と二人で店を切り盛りしている。
「あら、レオ義兄さん。また子供たちに馴れ初めを話していたの? その木登りの話、もう耳にタコができるくらい聞いたわよ!」
マリベルのからかいにレオは
「いいだろ、何度話したって。俺たちの原点なんだから」
と少しむきになって言い返す。
そのやり取りを見て皆がどっと笑った。
賑やかになったリビングで母が持ってきてくれたお惣菜や、マリベルの店の新作パンがテーブルに並べられていく。父はレオと仕事の話を始め、母とマリベルは子供たちを膝に乗せて甲斐甲斐しく世話を焼いている。ブッチはそんな喧騒の中心で満足そうに喉を鳴らしていた。
私はその光景のすべてを愛おしさを込めて見つめていた。
あの夜、偽りの王子様に別れを告げた私は確かに傷つき、打ちのめされていた。けどそれは、すぐそばにあった本当の宝物に気づくために、神様が与えてくれた少し手荒な試練だったのかもしれない。
偽物のきらびやかなガラスの靴よりも、泥だらけの私を力強く引き上げてくれた、ごつごつとした温かい手の方がずっと尊いものだと知るために。
ふと、私の視線に気づいたレオが優しい眼差しを返してくる。
「どうした、エリス」
「ううん、なんでもないわ」
私は微笑んで首を振った。
「ただ、すごく幸せだなって思っていただけ」
レオは一瞬だけ驚いたように目を見開いた後、いつかの夜のようにふっと口の端を吊り上げて笑った。彼は私のそばに来ると、たくさんの家族の目も気にせずにそっと私の手を握った。
「お前の言葉、そのまま俺の気持ちだ」
その短い言葉に10年分の変わらぬ愛情が詰まっている。
子供たちの「パパー!ママー!早くこっち来てー!」という声に呼ばれ、私たちは手を繋いだまま、温かな光に満ちた家族の輪の中へと向かった。
偽物の王子様に終止符を打ったお姫様の物語はこうして世界で一番幸せな『家族』の物語として、これからもずっとこの陽だまりの中で続いていくのでした。
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