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最後に見たあなたの背中
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――ある日の午後。自室の窓辺で、シュロトから贈られた詩集に目を落としていた。柔らかな陽射しがレース越しに差し込んで、微睡みそうになったその時。
……カサリ。
背後の壁際から微かな物音が聞こえた。この古い屋敷では珍しくもない軋みや物音。最初は大して気にも留めなかった。そう思いつつも振り返ると、そこには目を疑う光景が。
部屋の壁掛けがめくれ上がり、その奥に隠されていた小さな扉が開いている。そして、その薄暗い闇の向こうから一人の男性が姿を現そうとしていた。
「アラン……!?」
思わず声を上げると、彼は驚いたように動きを止め、バツが悪そうな顔でわたしを見た。彼が使ったのは、この屋敷にもともと備え付けられていた、何かあったときの緊急脱出用の通路――かつて、彼にだけこっそりその存在を教えた抜け道。幼い頃の無邪気な冒険心をくすぐる舞台だったその道が、今、こんな形で使われるなんて。
「リリーナ……久しぶりだな」
アランの声は掠れていた。間近で見る彼は憔悴しているように見えた。目の下には濃い隈が刻まれ、着ている服もどこかよれている。かつての自信に満ちた覇気は薄れ、頼りなげな疲労感が漂っていた。
「……どうしてこんなところから?……今すぐ出て行って! 警備の者を呼ぶわよ!」
驚愕と、じわじわと這い上がってくる恐怖で声が震える。
彼はおずおずと部屋に足を踏み入れ、ためらいがちにわたしに近づいた。その姿は切羽詰まったような、何かにすがりつこうとするような雰囲気を感じる。
「リリーナ……頼む、俺の話を聞いてくれ」
「あなたと話すことなんて何一つ残ってない。もう……わたしにとって他人よ」
努めて冷たく言い放ったが、彼は悲痛な表情で首を振った。
「そんなことを言わないでくれ。俺が悪かったんだ。あの時の俺は本当にどうかしていた……」
彼はわたしの手を取ろうと腕を伸ばすも、咄嗟に身を引いて距離を取った。かつて触れ合うことさえ喜びだったその手が、今は不快なものにしか感じられない。
「何なのアラン。今さら何の用があるというの? あなたはルネアさんというパートナーがいるでしょ?」
わたしの言葉は彼の顔を苦痛に歪ませた。
「ルネアとは……もうダメなんだ。あいつとはどうにもならない。……俺は取り返しのつかない大きな間違いを犯した」
彼は床の一点に視線を落とし、絞り出すように続けた。
「あいつと過ごす毎日がまるで罰のようなんだ。ルネアはわがままで見栄っ張りで……俺の言うことなんて何一つ聞きやしない。彼女と一緒にいると息が詰まって、自分が自分でなくなっていくような気さえするんだ。いつも君と比べてしまう……君の優しさ、聡明さ、そして何よりも俺をまるごと包み込んでくれた温かさ……失って初めて、自分がどれほど愚かだったかを知ったんだ」
痛切な懺悔――それでも心は微動だにしなかった。むしろ、あまりにも身勝手な言い分に冷めた怒りが込み上げてくるのを感じた。
「それで? 同情してほしいとでも言うの? 困ったから頼る? 全てはあなたが自分で選んだ道でしょう?」
「違うんだ、リリーナ! 俺は……まだ君を……」
アランは顔を上げ、懇願するような目で見つめた。その瞳にはかつてわたしが焦がれ、そして裏切られた情熱の残り火が微かに揺らめいているように見えた。
「リリーナ、俺たち……もう一度やり直せないか? 全てをリセットしてゼロから……。俺は君がいなければダメなんだ。君だけが俺の本当の幸せなんだ。どうか、もう一度だけ……チャンスをくれないか?」
彼の目には涙さえ浮かんでいるように見えた。その姿はかつて愛した人とは似ても似つかない、弱々しく、哀れな男の姿だった。
「ゼロから……ですって?」
その言葉を自分自身に、そして遠い過去のふたりにも問いかけるように呟いた。
……カサリ。
背後の壁際から微かな物音が聞こえた。この古い屋敷では珍しくもない軋みや物音。最初は大して気にも留めなかった。そう思いつつも振り返ると、そこには目を疑う光景が。
部屋の壁掛けがめくれ上がり、その奥に隠されていた小さな扉が開いている。そして、その薄暗い闇の向こうから一人の男性が姿を現そうとしていた。
「アラン……!?」
思わず声を上げると、彼は驚いたように動きを止め、バツが悪そうな顔でわたしを見た。彼が使ったのは、この屋敷にもともと備え付けられていた、何かあったときの緊急脱出用の通路――かつて、彼にだけこっそりその存在を教えた抜け道。幼い頃の無邪気な冒険心をくすぐる舞台だったその道が、今、こんな形で使われるなんて。
「リリーナ……久しぶりだな」
アランの声は掠れていた。間近で見る彼は憔悴しているように見えた。目の下には濃い隈が刻まれ、着ている服もどこかよれている。かつての自信に満ちた覇気は薄れ、頼りなげな疲労感が漂っていた。
「……どうしてこんなところから?……今すぐ出て行って! 警備の者を呼ぶわよ!」
驚愕と、じわじわと這い上がってくる恐怖で声が震える。
彼はおずおずと部屋に足を踏み入れ、ためらいがちにわたしに近づいた。その姿は切羽詰まったような、何かにすがりつこうとするような雰囲気を感じる。
「リリーナ……頼む、俺の話を聞いてくれ」
「あなたと話すことなんて何一つ残ってない。もう……わたしにとって他人よ」
努めて冷たく言い放ったが、彼は悲痛な表情で首を振った。
「そんなことを言わないでくれ。俺が悪かったんだ。あの時の俺は本当にどうかしていた……」
彼はわたしの手を取ろうと腕を伸ばすも、咄嗟に身を引いて距離を取った。かつて触れ合うことさえ喜びだったその手が、今は不快なものにしか感じられない。
「何なのアラン。今さら何の用があるというの? あなたはルネアさんというパートナーがいるでしょ?」
わたしの言葉は彼の顔を苦痛に歪ませた。
「ルネアとは……もうダメなんだ。あいつとはどうにもならない。……俺は取り返しのつかない大きな間違いを犯した」
彼は床の一点に視線を落とし、絞り出すように続けた。
「あいつと過ごす毎日がまるで罰のようなんだ。ルネアはわがままで見栄っ張りで……俺の言うことなんて何一つ聞きやしない。彼女と一緒にいると息が詰まって、自分が自分でなくなっていくような気さえするんだ。いつも君と比べてしまう……君の優しさ、聡明さ、そして何よりも俺をまるごと包み込んでくれた温かさ……失って初めて、自分がどれほど愚かだったかを知ったんだ」
痛切な懺悔――それでも心は微動だにしなかった。むしろ、あまりにも身勝手な言い分に冷めた怒りが込み上げてくるのを感じた。
「それで? 同情してほしいとでも言うの? 困ったから頼る? 全てはあなたが自分で選んだ道でしょう?」
「違うんだ、リリーナ! 俺は……まだ君を……」
アランは顔を上げ、懇願するような目で見つめた。その瞳にはかつてわたしが焦がれ、そして裏切られた情熱の残り火が微かに揺らめいているように見えた。
「リリーナ、俺たち……もう一度やり直せないか? 全てをリセットしてゼロから……。俺は君がいなければダメなんだ。君だけが俺の本当の幸せなんだ。どうか、もう一度だけ……チャンスをくれないか?」
彼の目には涙さえ浮かんでいるように見えた。その姿はかつて愛した人とは似ても似つかない、弱々しく、哀れな男の姿だった。
「ゼロから……ですって?」
その言葉を自分自身に、そして遠い過去のふたりにも問いかけるように呟いた。
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