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62.出向くのはそちら
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私とシオンが大陸を駆け巡り、帝国の包囲網を内側から切り崩し始めてから数ヶ月。その成果はアトランシアにもたらされる報告書の束となって、日増しに厚みを増していった。
「お嬢様、やりましたな!」
市長室の扉を開け、オドネルが興奮を抑えきれないといった表情で入ってくる。彼が机に広げた大陸地図は数ヶ月前とは勢力図が一変していた。帝国を示す深紅の色は大きく後退し、アトランシアの青がまるで新たな海流のように大陸全土へ広がっている。
「ガレリア帝国が主導した『大陸経済連合』は、本日をもって加盟国の九割が脱退を表明。残っているのは帝国に追従する数カ国のみ。事実上の崩壊ですぞ!」
その言葉に室内に詰めていた市庁舎の職員たちから歓声が上がった。経済という名の武力なき戦争において、私たちは巨大帝国に完全勝利を収めた。けれど、私の隣に立つシオンの表情は硬いままだった。私も同じ思いだった。
「追い詰められた獅子は牙を剥く相手を選ばない」
「ええ。外交でも出し抜かれた帝国が何をしてくるのか……しっかり用心しないと」
私たちの懸念はその日の午後に現実のものとなった。帝国の紋章を掲げた使節団が何の事前通告もなく、アトランシアの門をくぐりやって来た。
市長室に通された使者はいかにも帝国の貴族といった風情の、贅沢な絹の衣をまとった男。その目はこのアトランシアという街そのものを「成り上がりの田舎者」と見下しているのがありありと分かった。
「貴殿がルティア・ヴェルフェン市長か。辺境にしては随分と小綺麗な格好をしているものだな」
「無礼者!市長に対して何たる口のきき方!それに謁見には正式な手続きが……!」
オドネルが怒りの声を上げるも、私はそれを目配せで制した。
「ようこそアトランシアへ、帝国からの使者殿。長旅でお疲れでしょう」
私は静かに微笑み、席を勧めたが、使者はそれを無視し、金の装飾が施された紙の巻物を机に乱暴に置いた。
「皇帝陛下からの親書である。ありがたく拝受せよ」
室内に張り詰めた空気が走る。私はそれを受け取るとゆっくりと金の紐を解き、その場で読み上げた。
「『アトランシア市長ルティア・ヴェルフェンへ告ぐ。貴殿の一連の行動は大陸の長きにわたる秩序と安寧を著しく乱す暴挙である。よってその罪を謝罪するため、直ちに帝都へ出頭し、皇帝陛下の御前にて釈明せよ』……とのことです」
読み終えた私は親書をそっと机に置いた。命令口調で綴られた高圧的な文面。シンと静まり返る市長室。誰もが固唾を飲んで私の次の言葉を待っている。使者は勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。一都市の長など皇帝の名の前にはひれ伏すしかない。そう信じて疑っていない顔。私はその顔を真っ直ぐに見据え、氷点下の冷たい微笑みを浮かべた。
「ご苦労様です、使者殿。素晴らしく時代錯誤な文面にいたく感動しました」
「な、何だと……?」
「お答えいたします。まず、私たちは『辺境都市』ではありません。アトランシアは既に一都市の枠を超え、国際経済を牽引する新たな中心です。そして、私たちが行ったのは『暴挙』ではなく、自由な経済活動を守るための『交渉』に過ぎません。ですので皇帝陛下にお伝えください。話があるのでしたら、そちらが出向くのが筋というものでしょうと」
その瞬間、部屋の時が止まった。オドネルが「お、お嬢様……!」とかすれた声を漏らし、他の役人たちは蒼白になって固まっている。単なる出頭命令の拒絶ではない。帝国に対し、対等な国家としての立場を宣言したも同然。
「き、貴様……! 自分が何を言っているのか分かっているのか! それは帝国に対する反逆だぞ!」
使者は歯を食いしばって激昂し、わなわなと震えている。
「これは反逆ではありません。対等な交渉の始まりを告げているのです。この街には、この街の尊厳がある。皇帝陛下にこうお伝えください。――私たちはいつでも、ここアトランシアでお待ちしていると」
使者はその気迫に完全に呑まれ、屈辱に唇を噛み締めながらも、もはや何も言い返すことはできなかった。やがて彼は敗残兵のように踵を返し、足早に市長室を去っていった。彼の背中が扉の向こうに消えると、張り詰めていた室内の空気がようやく緩んだ。
「お嬢様……本当によろしいのですか……」
「ええ、これでいいの。この街の尊厳は私たち自らの手で守り抜かなきゃ」
「お嬢様、やりましたな!」
市長室の扉を開け、オドネルが興奮を抑えきれないといった表情で入ってくる。彼が机に広げた大陸地図は数ヶ月前とは勢力図が一変していた。帝国を示す深紅の色は大きく後退し、アトランシアの青がまるで新たな海流のように大陸全土へ広がっている。
「ガレリア帝国が主導した『大陸経済連合』は、本日をもって加盟国の九割が脱退を表明。残っているのは帝国に追従する数カ国のみ。事実上の崩壊ですぞ!」
その言葉に室内に詰めていた市庁舎の職員たちから歓声が上がった。経済という名の武力なき戦争において、私たちは巨大帝国に完全勝利を収めた。けれど、私の隣に立つシオンの表情は硬いままだった。私も同じ思いだった。
「追い詰められた獅子は牙を剥く相手を選ばない」
「ええ。外交でも出し抜かれた帝国が何をしてくるのか……しっかり用心しないと」
私たちの懸念はその日の午後に現実のものとなった。帝国の紋章を掲げた使節団が何の事前通告もなく、アトランシアの門をくぐりやって来た。
市長室に通された使者はいかにも帝国の貴族といった風情の、贅沢な絹の衣をまとった男。その目はこのアトランシアという街そのものを「成り上がりの田舎者」と見下しているのがありありと分かった。
「貴殿がルティア・ヴェルフェン市長か。辺境にしては随分と小綺麗な格好をしているものだな」
「無礼者!市長に対して何たる口のきき方!それに謁見には正式な手続きが……!」
オドネルが怒りの声を上げるも、私はそれを目配せで制した。
「ようこそアトランシアへ、帝国からの使者殿。長旅でお疲れでしょう」
私は静かに微笑み、席を勧めたが、使者はそれを無視し、金の装飾が施された紙の巻物を机に乱暴に置いた。
「皇帝陛下からの親書である。ありがたく拝受せよ」
室内に張り詰めた空気が走る。私はそれを受け取るとゆっくりと金の紐を解き、その場で読み上げた。
「『アトランシア市長ルティア・ヴェルフェンへ告ぐ。貴殿の一連の行動は大陸の長きにわたる秩序と安寧を著しく乱す暴挙である。よってその罪を謝罪するため、直ちに帝都へ出頭し、皇帝陛下の御前にて釈明せよ』……とのことです」
読み終えた私は親書をそっと机に置いた。命令口調で綴られた高圧的な文面。シンと静まり返る市長室。誰もが固唾を飲んで私の次の言葉を待っている。使者は勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。一都市の長など皇帝の名の前にはひれ伏すしかない。そう信じて疑っていない顔。私はその顔を真っ直ぐに見据え、氷点下の冷たい微笑みを浮かべた。
「ご苦労様です、使者殿。素晴らしく時代錯誤な文面にいたく感動しました」
「な、何だと……?」
「お答えいたします。まず、私たちは『辺境都市』ではありません。アトランシアは既に一都市の枠を超え、国際経済を牽引する新たな中心です。そして、私たちが行ったのは『暴挙』ではなく、自由な経済活動を守るための『交渉』に過ぎません。ですので皇帝陛下にお伝えください。話があるのでしたら、そちらが出向くのが筋というものでしょうと」
その瞬間、部屋の時が止まった。オドネルが「お、お嬢様……!」とかすれた声を漏らし、他の役人たちは蒼白になって固まっている。単なる出頭命令の拒絶ではない。帝国に対し、対等な国家としての立場を宣言したも同然。
「き、貴様……! 自分が何を言っているのか分かっているのか! それは帝国に対する反逆だぞ!」
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「これは反逆ではありません。対等な交渉の始まりを告げているのです。この街には、この街の尊厳がある。皇帝陛下にこうお伝えください。――私たちはいつでも、ここアトランシアでお待ちしていると」
使者はその気迫に完全に呑まれ、屈辱に唇を噛み締めながらも、もはや何も言い返すことはできなかった。やがて彼は敗残兵のように踵を返し、足早に市長室を去っていった。彼の背中が扉の向こうに消えると、張り詰めていた室内の空気がようやく緩んだ。
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