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65.大陸の新秩序
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ザハークはアトランシアを覆う魔力のドームを凝視していた。この結界を強引に破ることはおそらく可能。だが、それには艦隊の相当数の犠牲と膨大な時間を要するだろう。その間に、アトランシアが築き上げた連合諸国が帝国へどう動くか。そして何より――ルティア・ヴェルフェンを市長の座から引きずり下ろしたところで、この街に宿る市民たちの「意志」までは殺せない。力で屈服させても、彼らの「知恵」と「結束」は決して帝国のものにはならない――――。
思案の末、彼は張り詰めた顔をふっと緩め、愉快でたまらないといった風に喉の奥で笑った。
「ククッ……ハハハ! 実に面白い! この俺をここまで追い詰めた女は貴様が初めてだ、ルティア・ヴェルフェン!」
彼の態度の急変に室内にいた誰もが息を呑む。ザハークは私に向き直ると、その金色の瞳に野心的な光を宿して言い放った。
「気に入った。その気概と街のあり方。力で支配するだけが覇道ではないとこの俺に知らしめた。……ならば、その新しいルールに乗ってやろうではないか」
「と、仰いますと?」
「貴様らが築き上げた新たな経済協定。……その仲間に入れてもらうとしよう。このガレリア帝国も正式な加盟国としてな」
予想だにしなかった唐突の加入宣言。シオンですら驚きの表情をし、オドネルに至っては口をあんぐりと開けて固まっている。帝国の皇帝が自ら潰そうとした敵の陣営に、自ら軍門に下るかのような申し出をしてきた。それでも、私は彼の真意を見抜いていた。負けを認めたのではない。土俵を変え、内側から支配する算段。
ただ、その提案はこちらにとっても千載一遇のチャンス。
「それは大変光栄な申し出ですわ、陛下。私たちの連合は理念を共有できる相手であればいつでも歓迎いたします。ですが、新たにご加盟いただくにあたり、いくつかご確認させていただきたい『前提条件』がございます」
「ほう、条件だと? 言ってみろ」
ザハークは不遜な態度を崩さない。私は用意していたカードを一枚ずつ切っていく。
「まず第一に連合へ加盟する全ての国家の主権を尊重し、相互不可侵を条約として明文化していただきます。今後一切の軍事的、政治的、経済的圧力を放棄すると宣言してください」
「……続けろ」
ザハークの眉が再び険しく吊り上がる。私は構わず続ける。
「第二に今回の経済封鎖および軍事恫喝に対する正式な謝罪。そして、それによって被害を被った全ての商会や国家に対する正当な賠償金の支払いをお願いします」
「……まだあるか」
彼の声が一段と低くなる。私は止まらない。
「ええ。第三に連合内における議決権は、国家の大小に関わらず『一国一票』を原則とします。帝国の国力をもって連合の決定を覆す、いわゆる拒否権は認められません。我々は対等なパートナーなのですから」
そして、私は最後の一撃を放った。
「そして最後に……帝国がこれまで独占してきた特定の希少鉱物の交易ルートと、一部の高度な魔導精錬技術を連合加盟国に『共有』していただきます。これは陛下が我々の協定に加わる誠意の証であり、新たな時代の信頼の礎となるものです」
次々と突きつけられる条件は事実上の降伏勧告に等しかった。帝国の特権を一つずつ剥ぎ取り、その牙を抜くための条項。ザハークの額に青筋が浮かび、ギリと歯を食いしばる音が聞こえる。ここで拒絶して艦隊を帰せば、帝国の威信は地に堕ちる。手ぶらで帰った皇帝を帝国内の貴族たちがどう見るか。一方で、この条件を呑めば長きにわたる帝国の覇権が終わりを告げることになる。
彼の背後には空を覆う無敵艦隊がいる。その気になればこの部屋の人間をひっ捕らえ、街の攻撃へ踏み切れる。――が、彼はそれを選択しなかった。天を仰いで大きく息を吐いた後、
「……よかろう。そのふざけた条件、全て呑んでやる」
ザハークはバサリとマントを翻すと、踵を返して大股で歩き出した。
「行くぞ」
短く命じ、足音荒く退室する皇帝とその近衛たち。扉がバタンと閉ざされ、重たい威圧感が室内から消え失せる。直後、窓の外で空気が震えるほどの重低音が響き渡った。空を埋め尽くしていた無数の飛空艇が、エンジンの唸りを上げて一斉に進路を変え始めた。アトランシアの街に落ちていた巨大な影が潮が引くようにゆっくりと東の空へ退いていく。やがて雲の切れ間から本来の日差しが降り注ぎ、結界の粒子をキラキラと輝かせた。
その光景を見届けてなお、数秒の間、誰も言葉を発せなかった。あまりに劇的な幕切れに現実感が追いつかない。遠ざかる駆動音が確かな安全を告げると、極限まで張り詰めていた糸がプツリと切れた。
「……か、帰った……?」
誰かの震える声が静寂を破る。それを合図に市長室は爆発したような歓喜の渦に包まれた。
「やりましたな、お嬢様!」
「信じらない……あの帝国を武力も使わずに完全に屈服させるとは……!」
抱き合って涙を流す者、脱力してその場にへたり込む者、書類を放り投げて叫ぶ者……。死の淵から生還した安堵と、歴史的な勝利の高揚感が混然となって室内を満たしていた。オドネルや職員たちが手を取り合って喜ぶ中、シオンが私の隣で静かに呟いた。
「皇帝相手に一歩も退かないとは……。たった今、世界の歴史を大きく動かしたんだ。心から敬意を表させてもらう」
私は窓の外に目を向けた。市民の想いが織りなした『アルゴスの網』は光を収め、アトランシアの空にはいつもの青空が戻っている。
私はすぐに気を引き締めた。これは終わりではない。帝国という巨大な獅子と対等なパートナーとして渡り合っていく新たな時代の始まり。その道のりは決して平坦ではないはずだから。私は青空に溶けていく帝国艦隊の最後尾を見つめながら、凛と背筋を伸ばした。
思案の末、彼は張り詰めた顔をふっと緩め、愉快でたまらないといった風に喉の奥で笑った。
「ククッ……ハハハ! 実に面白い! この俺をここまで追い詰めた女は貴様が初めてだ、ルティア・ヴェルフェン!」
彼の態度の急変に室内にいた誰もが息を呑む。ザハークは私に向き直ると、その金色の瞳に野心的な光を宿して言い放った。
「気に入った。その気概と街のあり方。力で支配するだけが覇道ではないとこの俺に知らしめた。……ならば、その新しいルールに乗ってやろうではないか」
「と、仰いますと?」
「貴様らが築き上げた新たな経済協定。……その仲間に入れてもらうとしよう。このガレリア帝国も正式な加盟国としてな」
予想だにしなかった唐突の加入宣言。シオンですら驚きの表情をし、オドネルに至っては口をあんぐりと開けて固まっている。帝国の皇帝が自ら潰そうとした敵の陣営に、自ら軍門に下るかのような申し出をしてきた。それでも、私は彼の真意を見抜いていた。負けを認めたのではない。土俵を変え、内側から支配する算段。
ただ、その提案はこちらにとっても千載一遇のチャンス。
「それは大変光栄な申し出ですわ、陛下。私たちの連合は理念を共有できる相手であればいつでも歓迎いたします。ですが、新たにご加盟いただくにあたり、いくつかご確認させていただきたい『前提条件』がございます」
「ほう、条件だと? 言ってみろ」
ザハークは不遜な態度を崩さない。私は用意していたカードを一枚ずつ切っていく。
「まず第一に連合へ加盟する全ての国家の主権を尊重し、相互不可侵を条約として明文化していただきます。今後一切の軍事的、政治的、経済的圧力を放棄すると宣言してください」
「……続けろ」
ザハークの眉が再び険しく吊り上がる。私は構わず続ける。
「第二に今回の経済封鎖および軍事恫喝に対する正式な謝罪。そして、それによって被害を被った全ての商会や国家に対する正当な賠償金の支払いをお願いします」
「……まだあるか」
彼の声が一段と低くなる。私は止まらない。
「ええ。第三に連合内における議決権は、国家の大小に関わらず『一国一票』を原則とします。帝国の国力をもって連合の決定を覆す、いわゆる拒否権は認められません。我々は対等なパートナーなのですから」
そして、私は最後の一撃を放った。
「そして最後に……帝国がこれまで独占してきた特定の希少鉱物の交易ルートと、一部の高度な魔導精錬技術を連合加盟国に『共有』していただきます。これは陛下が我々の協定に加わる誠意の証であり、新たな時代の信頼の礎となるものです」
次々と突きつけられる条件は事実上の降伏勧告に等しかった。帝国の特権を一つずつ剥ぎ取り、その牙を抜くための条項。ザハークの額に青筋が浮かび、ギリと歯を食いしばる音が聞こえる。ここで拒絶して艦隊を帰せば、帝国の威信は地に堕ちる。手ぶらで帰った皇帝を帝国内の貴族たちがどう見るか。一方で、この条件を呑めば長きにわたる帝国の覇権が終わりを告げることになる。
彼の背後には空を覆う無敵艦隊がいる。その気になればこの部屋の人間をひっ捕らえ、街の攻撃へ踏み切れる。――が、彼はそれを選択しなかった。天を仰いで大きく息を吐いた後、
「……よかろう。そのふざけた条件、全て呑んでやる」
ザハークはバサリとマントを翻すと、踵を返して大股で歩き出した。
「行くぞ」
短く命じ、足音荒く退室する皇帝とその近衛たち。扉がバタンと閉ざされ、重たい威圧感が室内から消え失せる。直後、窓の外で空気が震えるほどの重低音が響き渡った。空を埋め尽くしていた無数の飛空艇が、エンジンの唸りを上げて一斉に進路を変え始めた。アトランシアの街に落ちていた巨大な影が潮が引くようにゆっくりと東の空へ退いていく。やがて雲の切れ間から本来の日差しが降り注ぎ、結界の粒子をキラキラと輝かせた。
その光景を見届けてなお、数秒の間、誰も言葉を発せなかった。あまりに劇的な幕切れに現実感が追いつかない。遠ざかる駆動音が確かな安全を告げると、極限まで張り詰めていた糸がプツリと切れた。
「……か、帰った……?」
誰かの震える声が静寂を破る。それを合図に市長室は爆発したような歓喜の渦に包まれた。
「やりましたな、お嬢様!」
「信じらない……あの帝国を武力も使わずに完全に屈服させるとは……!」
抱き合って涙を流す者、脱力してその場にへたり込む者、書類を放り投げて叫ぶ者……。死の淵から生還した安堵と、歴史的な勝利の高揚感が混然となって室内を満たしていた。オドネルや職員たちが手を取り合って喜ぶ中、シオンが私の隣で静かに呟いた。
「皇帝相手に一歩も退かないとは……。たった今、世界の歴史を大きく動かしたんだ。心から敬意を表させてもらう」
私は窓の外に目を向けた。市民の想いが織りなした『アルゴスの網』は光を収め、アトランシアの空にはいつもの青空が戻っている。
私はすぐに気を引き締めた。これは終わりではない。帝国という巨大な獅子と対等なパートナーとして渡り合っていく新たな時代の始まり。その道のりは決して平坦ではないはずだから。私は青空に溶けていく帝国艦隊の最後尾を見つめながら、凛と背筋を伸ばした。
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