15 / 30
動揺と衝突
7
しおりを挟む
その夜、結局ヴィーネは部屋に閉じこもったまま夕飯に姿を現さなかった。グラントも食事をとる気になれないのか、ソファに横になっている。私は眠れないまま、居間でぼんやりと明かりを見つめていた。やがて時計の針が深夜を指すころ、重々しい足音がしてグラントが私の横に座る。
「……ヴィーネ、まだ泣いてる。少し落ち着いたらしいけど眠れないって。でも、俺がそばにいるとまた余計に気を使うから……って」
なんとも言えない気持ちで私も小さく息を吐く。「そう……」と一言だけ返した。グラントは沈んだ声で続ける。
「ごめんな、リリアナ。おまえを苦しめてばかりで。俺は人を救ったと思っていたけど、実際はこうしておまえを傷つけているんだな」
「謝らないで……あなたが悪いわけじゃないの。みんな、被害者よ。戦争のせいでみんな心をズタズタにされてる」
その言葉に答えるようにグラントは静かに語り始めた。
「戦場でヴィーネと出会った経緯や、あの子が抱える事情をちゃんとおまえに話すべきだと思った。でも、どう言えばいいのかずっとわからなかった」
その言葉に息を呑んだ。ヴィーネの両親は戦争で命を落としたという話だけは聞いていたが、彼女自身がなぜグラントと長く行動を共にし、そして今も依存するように暮らしているのか──私たちはまだ真正面からその理由について話したことがなかった。
「知らないままがいいわけじゃないの。できるのであれば……何があったのか聞かせてほしい」
そう訴えるとグラントは苦しそうに目を伏せた。やがて決意を固めたかのように、少しずつ言葉を紡ぎ出す。
「ヴィーネの両親は敵軍の偵察隊の一員だった。俺が所属する部隊はある夜、その一団を奇襲したんだ。多くの者が倒れていく中で、俺は……彼女の父親を手にかけてしまった」
聞き慣れない単語が次々と突き刺さる。まさか、グラント本人がヴィーネの家族を直接殺めていたなんて……。私の頭は真っ白になる。彼が言葉を続ける。
「彼女の母親も同じ奇襲で重傷を負い、その日の夜に息を引き取った。とどめを刺したのが誰かはわからない。ただ、どちらにせよ、俺たちが……その命を奪った。ヴィーネは両親そろって目の前で死んだのを見ていた」
胸の奥から悲鳴が湧き上がってくる。そんな経緯があったなんて……。ヴィーネがグラントを慕うのはどういう感情からなのだろうか。普通なら憎むべき相手ではないのか。
「彼女の父親は俺が決定的な一撃を加える直前、苦しむ息の合間にこう言った。『この娘を……頼む』と。正確な言葉ははっきり覚えていないが、要は“生き延びさせてやってくれ”という願いだったと思う」
そう話すグラントの声は震えで途切れがちだった。私は黙ったまま彼の言葉を聞く。胸を突き刺すような残酷な話だが、聞き逃してはいけない。
「それから俺はヴィーネを置き去りにすることができなかった。彼女は始めこそ俺を強く睨んでいたよ。“両親の仇”だと責められて当然だ。けれど、彼女は俺の兵隊仲間が倒れたとき、自然と手当をしてくれた。不思議な子だった」
グラントは遠い目をして、あの戦場を思い出しているようだった。
「なら、なぜヴィーネはあなたを恨む代わりに、こんな形で寄り添おうとするの?」
「……わからない。俺には理解できないよ。ただ、彼女は“生きる意味”を必死に探していたんじゃないかと思うんだ。自分を殺した相手に憎しみをぶつけるのではなく、力になりたい、と。あるいは……葛藤を抱えながらも、誰かの支えになりたいと思ったのかもしれない」
両親を奪った相手を憎むのではなく、支えたいと思う──そんな発想が本当にあるのだろうか。それは単なる表面的なことではなく、ヴィーネが深いトラウマを抱えたまま、それでも生き延びたいという思いなのだろうか。
「あなたはその罪悪感をずっと抱えているのね。だから、彼女に手を差し伸べ続ける義務があると思っている?」
そう問いかけると、グラントは眉を寄せ、やがて小さく頷いた。
「俺が引き金を引いたのは事実だし、彼女を見捨ててはいけないと思ってしまう。そうしなければ自分を許せない」
心の中でいくつかのピースが合わさっていく。グラントの夜の悪夢、ヴィーネがそばにいなければ眠れないという依存、そして私と距離を置くような後ろめたさ──すべてが繋がった。美しいはずのジグソーパズルが実は血と恐怖で彩られているように。
「私はどうすればいい?」
絶望感がにじむ声を自覚しながら彼に問いかける。グラントは痛ましげな表情を浮かべ、私の手を握ろうとするが、反射的に手を引っ込めてしまう。彼はそのまま虚空を掴んだまま言葉を吐き出す。
「リリアナ……すまない。本当に、すまない」
「謝ってほしいわけじゃないの。あなたとヴィーネが結び付いているのが、あまりにも強く見えるから。私じゃなくて彼女でなければならない、そんな気がして」
もちろん、グラントのなかに私への愛がまったくないとは思わない。けれど、彼が抱える巨大な罪悪感と彼女への負い目は私の入り込めない世界を作り出している。妻でありながら夫の心に触れられない。
「それでも俺はおまえを愛してる。信じてほしいんだ」
彼が悪人ではないことはわかっている。むしろ、彼は誰よりも優しく、責任感が強いがゆえに苦しんでいる。涙を堪えながら震える声で応じるしかなかった。
「わかってる。だけど、理解するのは簡単じゃない」
グラントは私の言葉に頷くと、力なく立ち上がる。心底疲れきった顔をしていた。
「……少し一人にならせてくれ」
彼はそう言い残し、自分の部屋へ消えた。
「……ヴィーネ、まだ泣いてる。少し落ち着いたらしいけど眠れないって。でも、俺がそばにいるとまた余計に気を使うから……って」
なんとも言えない気持ちで私も小さく息を吐く。「そう……」と一言だけ返した。グラントは沈んだ声で続ける。
「ごめんな、リリアナ。おまえを苦しめてばかりで。俺は人を救ったと思っていたけど、実際はこうしておまえを傷つけているんだな」
「謝らないで……あなたが悪いわけじゃないの。みんな、被害者よ。戦争のせいでみんな心をズタズタにされてる」
その言葉に答えるようにグラントは静かに語り始めた。
「戦場でヴィーネと出会った経緯や、あの子が抱える事情をちゃんとおまえに話すべきだと思った。でも、どう言えばいいのかずっとわからなかった」
その言葉に息を呑んだ。ヴィーネの両親は戦争で命を落としたという話だけは聞いていたが、彼女自身がなぜグラントと長く行動を共にし、そして今も依存するように暮らしているのか──私たちはまだ真正面からその理由について話したことがなかった。
「知らないままがいいわけじゃないの。できるのであれば……何があったのか聞かせてほしい」
そう訴えるとグラントは苦しそうに目を伏せた。やがて決意を固めたかのように、少しずつ言葉を紡ぎ出す。
「ヴィーネの両親は敵軍の偵察隊の一員だった。俺が所属する部隊はある夜、その一団を奇襲したんだ。多くの者が倒れていく中で、俺は……彼女の父親を手にかけてしまった」
聞き慣れない単語が次々と突き刺さる。まさか、グラント本人がヴィーネの家族を直接殺めていたなんて……。私の頭は真っ白になる。彼が言葉を続ける。
「彼女の母親も同じ奇襲で重傷を負い、その日の夜に息を引き取った。とどめを刺したのが誰かはわからない。ただ、どちらにせよ、俺たちが……その命を奪った。ヴィーネは両親そろって目の前で死んだのを見ていた」
胸の奥から悲鳴が湧き上がってくる。そんな経緯があったなんて……。ヴィーネがグラントを慕うのはどういう感情からなのだろうか。普通なら憎むべき相手ではないのか。
「彼女の父親は俺が決定的な一撃を加える直前、苦しむ息の合間にこう言った。『この娘を……頼む』と。正確な言葉ははっきり覚えていないが、要は“生き延びさせてやってくれ”という願いだったと思う」
そう話すグラントの声は震えで途切れがちだった。私は黙ったまま彼の言葉を聞く。胸を突き刺すような残酷な話だが、聞き逃してはいけない。
「それから俺はヴィーネを置き去りにすることができなかった。彼女は始めこそ俺を強く睨んでいたよ。“両親の仇”だと責められて当然だ。けれど、彼女は俺の兵隊仲間が倒れたとき、自然と手当をしてくれた。不思議な子だった」
グラントは遠い目をして、あの戦場を思い出しているようだった。
「なら、なぜヴィーネはあなたを恨む代わりに、こんな形で寄り添おうとするの?」
「……わからない。俺には理解できないよ。ただ、彼女は“生きる意味”を必死に探していたんじゃないかと思うんだ。自分を殺した相手に憎しみをぶつけるのではなく、力になりたい、と。あるいは……葛藤を抱えながらも、誰かの支えになりたいと思ったのかもしれない」
両親を奪った相手を憎むのではなく、支えたいと思う──そんな発想が本当にあるのだろうか。それは単なる表面的なことではなく、ヴィーネが深いトラウマを抱えたまま、それでも生き延びたいという思いなのだろうか。
「あなたはその罪悪感をずっと抱えているのね。だから、彼女に手を差し伸べ続ける義務があると思っている?」
そう問いかけると、グラントは眉を寄せ、やがて小さく頷いた。
「俺が引き金を引いたのは事実だし、彼女を見捨ててはいけないと思ってしまう。そうしなければ自分を許せない」
心の中でいくつかのピースが合わさっていく。グラントの夜の悪夢、ヴィーネがそばにいなければ眠れないという依存、そして私と距離を置くような後ろめたさ──すべてが繋がった。美しいはずのジグソーパズルが実は血と恐怖で彩られているように。
「私はどうすればいい?」
絶望感がにじむ声を自覚しながら彼に問いかける。グラントは痛ましげな表情を浮かべ、私の手を握ろうとするが、反射的に手を引っ込めてしまう。彼はそのまま虚空を掴んだまま言葉を吐き出す。
「リリアナ……すまない。本当に、すまない」
「謝ってほしいわけじゃないの。あなたとヴィーネが結び付いているのが、あまりにも強く見えるから。私じゃなくて彼女でなければならない、そんな気がして」
もちろん、グラントのなかに私への愛がまったくないとは思わない。けれど、彼が抱える巨大な罪悪感と彼女への負い目は私の入り込めない世界を作り出している。妻でありながら夫の心に触れられない。
「それでも俺はおまえを愛してる。信じてほしいんだ」
彼が悪人ではないことはわかっている。むしろ、彼は誰よりも優しく、責任感が強いがゆえに苦しんでいる。涙を堪えながら震える声で応じるしかなかった。
「わかってる。だけど、理解するのは簡単じゃない」
グラントは私の言葉に頷くと、力なく立ち上がる。心底疲れきった顔をしていた。
「……少し一人にならせてくれ」
彼はそう言い残し、自分の部屋へ消えた。
46
あなたにおすすめの小説
【完結】旦那に愛人がいると知ってから
よどら文鳥
恋愛
私(ジュリアーナ)は旦那のことをヒーローだと思っている。だからこそどんなに性格が変わってしまっても、いつの日か優しかった旦那に戻ることを願って今もなお愛している。
だが、私の気持ちなどお構いなく、旦那からの容赦ない暴言は絶えない。当然だが、私のことを愛してはくれていないのだろう。
それでも好きでいられる思い出があったから耐えてきた。
だが、偶然にも旦那が他の女と腕を組んでいる姿を目撃してしまった。
「……あの女、誰……!?」
この事件がきっかけで、私の大事にしていた思い出までもが崩れていく。
だが、今までの苦しい日々から解放される試練でもあった。
※前半が暗すぎるので、明るくなってくるところまで一気に更新しました。
【完結】旦那は堂々と不倫行為をするようになったのですが離婚もさせてくれないので、王子とお父様を味方につけました
よどら文鳥
恋愛
ルーンブレイス国の国家予算に匹敵するほどの資産を持つハイマーネ家のソフィア令嬢は、サーヴィン=アウトロ男爵と恋愛結婚をした。
ソフィアは幸せな人生を送っていけると思っていたのだが、とある日サーヴィンの不倫行為が発覚した。それも一度や二度ではなかった。
ソフィアの気持ちは既に冷めていたため離婚を切り出すも、サーヴィンは立場を理由に認めようとしない。
更にサーヴィンは第二夫妻候補としてラランカという愛人を連れてくる。
再度離婚を申し立てようとするが、ソフィアの財閥と金だけを理由にして一向に離婚を認めようとしなかった。
ソフィアは家から飛び出しピンチになるが、救世主が現れる。
後に全ての成り行きを話し、ロミオ=ルーンブレイス第一王子を味方につけ、更にソフィアの父をも味方につけた。
ソフィアが想定していなかったほどの制裁が始まる。
地獄の業火に焚べるのは……
緑谷めい
恋愛
伯爵家令嬢アネットは、17歳の時に2つ年上のボルテール侯爵家の長男ジェルマンに嫁いだ。親の決めた政略結婚ではあったが、小さい頃から婚約者だった二人は仲の良い幼馴染だった。表面上は何の問題もなく穏やかな結婚生活が始まる――けれど、ジェルマンには秘密の愛人がいた。学生時代からの平民の恋人サラとの関係が続いていたのである。
やがてアネットは男女の双子を出産した。「ディオン」と名付けられた男児はジェルマンそっくりで、「マドレーヌ」と名付けられた女児はアネットによく似ていた。
※ 全5話完結予定
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。
【完結】旦那様は、妻の私よりも平民の愛人を大事にしたいようです
よどら文鳥
恋愛
貴族のことを全く理解していない旦那様は、愛人を紹介してきました。
どうやら愛人を第二夫人に招き入れたいそうです。
ですが、この国では一夫多妻制があるとはいえ、それは十分に養っていける環境下にある上、貴族同士でしか認められません。
旦那様は貴族とはいえ現状無職ですし、愛人は平民のようです。
現状を整理すると、旦那様と愛人は不倫行為をしているというわけです。
貴族の人間が不倫行為などすれば、この国での処罰は極刑の可能性もあります。
それすら理解せずに堂々と……。
仕方がありません。
旦那様の気持ちはすでに愛人の方に夢中ですし、その願い叶えられるように私も協力致しましょう。
ただし、平和的に叶えられるかは別です。
政略結婚なので、周りのことも考えると離婚は簡単にできません。ならばこれくらいの抵抗は……させていただきますよ?
ですが、周囲からの協力がありまして、離婚に持っていくこともできそうですね。
折角ですので離婚する前に、愛人と旦那様が私たちの作戦に追い詰められているところもじっくりとこの目で見ておこうかと思います。
愛する夫が目の前で別の女性と恋に落ちました。
ましゅぺちーの
恋愛
伯爵令嬢のアンジェは公爵家の嫡男であるアランに嫁いだ。
子はなかなかできなかったが、それでも仲の良い夫婦だった。
――彼女が現れるまでは。
二人が結婚して五年を迎えた記念パーティーでアランは若く美しい令嬢と恋に落ちてしまう。
それからアランは変わり、何かと彼女のことを優先するようになり……
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる