公主のひめごと

濱田みかん

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第二章

嫉妬の閨

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 その夜、寝る支度を終えた紫水が寝所に入ると、斉潁は既に寝台の中で膝の上に巻物を開いて読書の最中だった。

「何を読んでいるんですか?」

 もう閨を共にすることにも慣れてしまった。紫水は靴を脱いで上がり、向かい合う位置にぺたんと座った。

「仕事の資料ですよ。明日、三司会合があるので、目を通しておこうと」
「なんですか?それ」
「重大案件は大理寺、刑部、御史台の長が合議して決裁するんですが、その前にある程度の情報交換を実務担当同士でするんですよ。判断に必要な材料をそれぞれ集めておくんです」
「時間がかかる事なんですか?」
「件数も多いのでね。皆事前準備に一番時間をかけてるでしょうね」
「準備…ですか。文官の仕事って、いまいち想像できなくて」
「貴方も一応、文官でしょうに」

 斉潁は笑いながら手にした巻物をくるくると巻き、綺麗に整えると寝台の横の書架に置いた。

「仕事の話は終わりです」

 そう言うと、斉穎は紫水を抱き寄せて足の間に座らせ、後ろから両腕をまわした。

「今日は、楽しめましたか?」
「えぇ。色々、ありがとうございました」

 結局、香の他にも笛に通す皮紐や、真珠の連なる腕輪も買ってもらってしまった。

「よかった」

 紫水の首筋に顔をうずめた斉潁が、ほっと安堵のため息を落とした。

「…心配だったんです。想定外の事が多かったので」
「大丈夫です。姚様も変わった人だったけど、嫌いじゃないので」

 紫水は「ふふふっ」と、思い出し笑いを声にした。なかなか濃ゆい人柄だったが、あれだけ裏表なく物言う人を、嫌いにはなれない。

「優しいんですね、公主は」
「そんなことは。ただ、面白い方だなって」

 お世辞ではないし、実際楽しかった。
 仕事では毎日毎日、もっとぶっ飛んだ人種に関わる。ちょっと疲れるけど、人の話を聞くのは嫌いじゃない。

「色々お話しできて、良かったです。今度兄には文句言わないと、ですけど」
「何を?」
「父まで話が通ってるとは、聞いてないので」

 兄の腹心、杜卿が手筈を整えたのだと容易に察しがつく。あの偽善者ヅラした男の、出来る部下っぷりが忌々しい。
 ここ二年、降嫁の「こ」の字も聞いていなかったのに。他人の人生をなんとも容易く決めてくれるものだ。

「あぁ…。早かったですよ、拝謁も、その後も」
「ほんとに我を追い出そうとしてるんですね、どこかの誰かは。頭にくる」
「自分で出ていきたいと言ってませんでしたっけ?」

 斉穎が笑った。もちろん出ていく気満々だが、巣立つ鳥跡を濁さず。全て片付けないと、自分が後宮に彷徨う怨霊にでもなってしまいそうだ。

「縁は切りたいですよ。冊封もいらないし、その為の士官だし…。でも、まだ全然確証が掴めないのに、今追い出されたら調べられないですもん」
「公主は、誰が真犯人なのか、目星を付けているんですか?」
「…全然」

 苦虫を噛み潰したような声で答える。
 まだ、何も把握出来ていない。
 何故あの日だったのか。
 どうやって火を着けたのか
 どこから火の手が上がったのか。
 どうして誰ひとり、逃げ出せなかったのか。
 あの男は、誰なのか―。

「繋がらないんです。点が」

 まだピースが足りない。バラバラに散らばった証拠は、他人の顔をして遠くから紫水を見ているだけ。

「どうしてあんなに一気に燃え広がったのか。なぜ誰も気づかなかったのか。それだけでも不自然なのに、室内の燭台が風に倒れたせい、だなんて」
「…」
「我は絶対に、信じません」
「…風の強い日、でしたよね」

 斉穎も覚えている。確か大理寺に着任し、半年が経った頃だ。その日は主上の行幸の日で、宮城内は人少なだった。
 状況だけ見ると、不運が重なったと言える。逆にそれは、狙うには最良の日でもあるという事。

「公主はあの火事で得をしたのは、誰たと思いますか?」
「得ですか?」
「偶然でないのなら、何か意図があるはず。どうしてその火事を起こしたのか。起こさねばならない理由は何か。動機が気になります」
「…」

 火事の後、責任を追及されたのは殿中省だった。造営を担当した司《部署》の責任者が更迭され、その周辺が玉突き人事で入れ替わった。
 権力のあるところ、必ず軋轢は生じる。紫水も昇格した人間を洗ったが、吏部の一連の人事は順当な判断に見えた。

「亡くなった方、確か五品の妃がお二人でしたよね」
「…えぇ。坤美人と祝才人です」

 そのうちの一人、祝才人は紫水の数少ない友人だった。
 宮廷に連れ戻され、やさぐれていた紫水に最初に声をかけたのが祝才人、祝嬰花えいかだった。ふたりは幼少期に他家に預けられていた事や歳が近いこともあり、すぐに意気投合した。

「そのお二人だと、政権闘争には直接関係なさそうですね…。では、他の線を考えないと」
「彼女、身籠っていたんです」
「えっ?」

 紫水の意外な告白に、斉潁も思わず聞き返した。彼にしては珍しく声が上ずっていた。

「すごく喜んでました…。ほんとに」

 紫水は膝を抱き、その上に顔をのせた。

「彼女、祝家の養子で血縁者がいなかったんです。だから、初めて『家族』が出来るって」

 嬰花の妊娠を、紫水は我が事の様に喜んだ。
 あの牢獄のような内廷で、無邪気に笑う彼女は紫水の唯一の憩いだった。
 あの日、徐郭に頼んでいた妊婦用の薬茶を受取り、届けようとした矢先、火事が起こった。

「そうでしたか…」

 さすがの斉穎も二の句が継げなかった。恐らくこれは、世間に公開されていない話だ。しかも、天子の御子が犠牲となると、また別の問題が出てくる。

「それで何故、公主はそれをご存知なのです?」
「本人から聞いたんです。それで、評判の安産の薬茶を渡そうと…」

 渡せなかった茶は、いまも螺鈿の箱に入ったままだ。

「公主は、犯人を見つけたら、どうしたいのです?」

 紫水は振り返り、強い眼差しで斉穎を見据えた。

「土下座で謝らせます。死んだみんなの、墓の前で」
「…そうですか。それで貴女の気が済むのでしょうか?」
「…はい」

 妊娠の証拠もない。その典医が今更告解するとも思えない。
 頭では分かっている。犯人を見つけたとしても、なんにも変わらないと。
 だけど、このままでは腹の虫が収まらない。
 せめて、謝らせたい。
 ただそれだけを願って、見えない影を追い続けている。

「まぁ、対面したらまず、ぼっこぼこに殴ると思いますけど」
「貴女ならやるでしょうね」

 遠ざかった紫水を自分の懐に戻し、斉穎は髪を撫でた。

「その話、他言無用ですよ」
「もちろん」
「他に誰が知ってたか、わかりますか?」
「典医は安定期前なので公表しない、と。他は彼女の侍女頭と、私だけと彼女は言ってました。あと、司書の記録には典医の往診の事も残ってませんでした」
「残っていない…?」

 斉穎は首を傾げた。それも奇妙な話だ。
 往診さえ無かった事にするのは、少々怖じけ過ぎではないか。まだ断言出来ない時期だったのか。誤診を恐れてのことだろうか。

「彼女が、『内緒だけど』って教えてくれたんです。…友達だからっ、て」
「…だから、仇を討ちたいと」
「はい。彼女の未来を奪った人間を、我は絶対に、許さない」
「分かります、その気持ちは」

 斉穎は静かに頷く。
 遺された者はそうやって激昂を力に変えて、どうにか今日を生きているんだ。

「でも、公主はいささか、警戒心が足りないようです。私が犯人だったら、何となさるおつもりで」
「…穎様の名前は、門簿《名簿》にありませんでした」
「首謀者自らは、手を下さないのでは?」
「いえ、犯人は必ず自分の目で、確認に来るはずです」

 事件事故をいくつも見ているうちに、紫水は気づいた事がある。計画的犯行の方が、事前準備と事後処理に時間をかける。完璧に遂行する為に、確認は必須。
 証拠を残していないか、何度確認しても不安になるのが人の性だ。

「その前後の期間、貴方が離宮に出入りした記録はないので、事件には無関係だと思っています」
「…確かに、出入りしてませんが」
「ほら、無関係でしょう」

 勝ち誇った紫水に斉穎はくっと眉を上げると、その表情が意地悪なものに色を変えた。

「―例えば、私が事件の何かを隠していて、公主が探っている事に気づき、今すぐに宮廷から引き剝がそうと、縁談を進めた。…その可能性は?」
「…無くはない、ですね」
「でしょう?」

 この男なら、自分ひとりで計画的犯行を完遂しそうだ、と紫水も思う。
 だが、関係者と繋がる点が彼には無い。

「でも、ないです。貴方は」
「断言できますか?」
「犯人だったとしても、私を娶る必要はないでしょう。消せばいいだけの事。毒殺のほうがはるかに簡単に出来そうですよ」
「まぁ、確かにそうですね…。でも、公主は他人に対して不用心過ぎますよ」
「どこがです?」
「私を簡単に信用してしまう。私だけではなく、他人を。今日もそうです。簡単に心を開く」

 妙に不機嫌そうな声が、紫水の頭上で響いた。思い出し怒り、だろうか。面倒な男だ。

「誰とでもすぐに打ち解けたり、気を許したり―」

 背中からまわされた腕に力が込められ、きつく紫水を縛った。さほど背の高くない紫水と、長身瘦躯の斉潁では手足の長さの差は歴然としている。紫水にしてみれば、子供が大人に歯向かうようなもの。

「こんな細くて折れそうな身体を、姚氏に気安く触れさせたりして」
「はい?」

 責られても身に覚えがない。姚廉には別れ際に肩を叩かれたくらいだ。

「そんな、肩を叩くくらい普通ですよ」
「貴方は、鈍いから」
「そんなこと。何言って…」

 言いかけて、紫水は口をつむいだ。見上げた顔には表情がない。ただ冷たい泉のような瞳が、静かに紫水を見ている。

「だから心配なんです」
「なんのですか」
「ほら、自覚もない」

 深い色を湛えた瞳の奥で、紫色の炎が揺らめいた。

許婚いいなずけを不安にさせるとは、タチが悪い」
「そんな、言いがかりにもほどがある―」

 紫水の反論を、斉潁の唇が塞いだ。押し付けるように、紫水の唇を覆いつくす。柔らかな感触が重なったまま、徐々に熱の届く範囲を広げていく。
 いつもの煽るような接吻ではない。
 静かで、でも深くじんわりと、身体の奥まで熱を注ぎ込む。
 長く動かない彼に呼吸が浅くなった紫水が、まわされた腕を掴んだ。それに答えるように、彼の右腕が拘束を解くと、紫水の秘められた点に突然、冷たい感触が走った。

「っ⁉」

 塞がれた口からは出た声は、そのまま飲み込まれた。
 囚われた身体は、身動き一つとれなかった。
 顎を押さえる手に緩む気配は無い。開いた膝には斉潁の足が絡みついて杭となる。
 訳のわからぬまま抑え込まれて、敏感な部分を尖った何かで転がされる感触と湧きあがる快感に、唸り声を喉で鳴らし、ただ悶える。意思に反して容易い身体はひたすら快感に染まっていく。

「…」

 唇を塞ぐ斉潁の接吻は止むことを知らない。
 唯一自由になる右手で、紫水は斉潁の腕を掴んだ。肩からずるっと衣が抜け、それと共に支点を無くした紫水の腕が床に落ちた。
 その瞬間。

「―っ‼」

 全身を駆け抜けた衝動に、紫水の身体がビクビクと魚の様に跳ねた。

「あぁ、もう達しましたか。敢え無いものですね」

 肩で息をする紫水に冷たく言い放つ彼。声には何故だか、怒気が交っている。

「何を…持って…」

 熱がはじけた場所に目を落とすと、彼の指の間から、チラチラと黄色い反射光が漏れている。

「これですか」

 彼は指先で掴んで紫水の目の前に晒した。光るその金属に、紫水は息をのんだ。

「どうして…っ」

 斉潁の指より細い、金色の笛。名が刻まれたそれは、間違いなく自分のもの。金吾衛の呼び笛。

「見るたびに、思い出せるように」

 つまむようにして持った笛を、斉潁は舌を伸ばして舐めて見せた。そして紫水の鎖骨をツーっとなぞり、胸から臍まで下りるとそのまま紫水の太腿の間に手を入れ、まだ何物も触れたことのない、紫水の秘めた泉にそれをつぷっと差しこんだ。

「やだぁぁぁぁぁっ!」

 信じがたい、おぞましい光景に、紫水は絶叫に近い悲鳴を上げる。

「よく見ていてください」

 ほの昏い笑みを含んだ、意地の悪い声が耳元に囁く。
 彼は閉じた奥に指先で笛の先端をぐっと押し込み、そのままズプッと指の中ほどまで濡れてしたたる中に沈めた。

「すんなり入りましたね」
「うそ…」

 自分さえ知らない場所なのに、そこは難なく異物を飲み込んだ。
 驚きと、失望と、微熱―。
 一気に襲ってきた怒涛の感情の波に、紫水はがたがたと膝を震わせる。

「このまま明日、出仕しましょうか」

 涼しい顔をして言う男に、紫水は涙目になって首を振る。

「お願い、取って…」
「無理ですよ、そんな」

 突き放す斉潁に、どうすることも出来ない紫水はただ懇願するしかない。

「お願い、だから…」
「こんな狭いところに、私の指なんて入りませんよ」
「ひどいよ」
「いいじゃないですか。大切な物なんでしょう」

 沈み込んだ場所に指を伸ばし、ちゅぷっと音を立てて、指の腹で押し込む仕草をする。

「嫌がる割には、溢れてきますね。ほら」

 耳をふさぎたくなる言葉。でも、身体は熱くて、彼の指が触れるたびに奥からどんどん熱があふれてくる。

「また達したら、出てきますよ。ほら、来て」

 斉潁は紫水の身体を自分と向かい合わせに返すと自分の首に抱き着くように手を置かせ、膝を跨ぐ体勢をとらせた。

「何も考えずに、ただ熱を追って」

 背中を抱き寄せて腰を支えて、敏感な部分に手を伸ばす。小さく膨れ上がった部分を、指先でふにふにと転がす。その度に足先から雷のような痺れが背中まで駆け抜ける。

「怖がらないで、力を抜いて。そう、上手」

 言われるがまま、紫水は腰を震わせながら斉潁に縋りつく。

「ほら、ここ。貴女の好きなところ」

 爪で捏ねられ、先で弾かれ、何度もはしたない声を上げる。その度に身体の奥に熱が蓄積しては膨らんでいく。

「も…む、りぃ…っ」

 斉潁の指を散々濡らして、紫水はもう何も考えられない。

「我慢しないで、もっと縋って」

 甘く誘う声。焦らされている事にも気づかない紫水は斉潁の首にまわした腕にぎゅっと力を籠め、はあはあと苦しそうに息を吐く。
 どろどろになった身体は上気し、肌には玉のような汗が滲んでいる。理性なんてない。ただひたすら、打ち寄せる快感に声を上げるだけ。
 全身が痙攣する。紫水は斉穎の髪に指を絡めて、今にも失いそうな意識を辛うじて繋ぎ止める。

「いいよ、そのまま息を吐いて―。我の名前を呼んで」

 耳朶に舌を走らせ、唇で食みながら耳奥に囁く。その声に紫水の背中が大きくしなる。

「あ、潁さ、ま―っ」

 喉を反らして崩れ落ちた紫水の身体を、斉潁は両腕で抱きしめる。

「あぁ可愛い…。ほら、これも」

 金色にぬめる笛を紫水の目の前に垂らすが、虚ろな瞳は動く様子もない。折れた棒のような紫水にまたひとつ接吻を落として、笛から垂れた雫を舌でなめとった。

 ぼんやり眺める紫水の瞳に映った彼は、誰も知らない横顔だった。
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