公主のひめごと

濱田みかん

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第二章

通事舎人

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 斉潁の言葉通り、昼過ぎに右金吾衛府に九瑶宛ての来訪者があった。衛士に呼ばれて部屋を出ると、そこにはガタイの良い鷲鼻の青年が立っていた。

「陸殿、ですね」
「はい。録事の陸九瑶でございます」

 九瑶が粛々と頭を下げると、相手も同じく礼をした。彼の纏う官服は緑色の衣、六品。九瑶は八品なので彼の方が官位は高いのだが、腰の低い人のようだ。

「大理寺通事舎人のこうです。早速、向かいましょう」
「ご案内いたします」

 外府より先は関係者以外立ち入り禁止区域。衛士に一声かけ、記名を済ませて牢のある庁舎へと歩を進める。

「この先の、一番奥の庁舎に参ります」
「はい。ところで陸殿。聴取の対象者はどのような者で?」
掏摸スリで捕まった幼子です。黙秘で勾留延長したのですが、どうやら波語なら通じる用で。ただ話せないらしく、まだ名前も分かっていません」

 康氏の質問に、先をゆく九瑤は半身をひねりながら答える。

「それは調書泣かせ、ですね」
「…本当に、泣こうかと思いました」
「ご苦労されてるんですね」

 しみじみ言うのが可笑しくて、康氏はつい笑ってしまった。

「お困りの旨、承知しました。斉寺正副長にもよく言われておりますので、どうぞご安心を」
「助かります」

 九瑤は誰かさんの言葉が気になったが、まずは聴取だ。今は置いておこうと、そのままにした。
 二人で牢に入ると、九瑤は壁際に、康氏は子供の正面に座った。九瑶がいることに安心したのか、子供の表情は穏やかだ。

『やぁ。今日は私が代わりに話すから』

 康氏の言葉に、子供はこくんと頷いた。
 早速、九瑶が用意した想定問答集を片手に、康氏は聴取を始めた。
 すらすらと話す波語に子供も耳を傾けている。どうやら通じているようだ。
 九瑤は二人のやり取りを黙って見守った。所々に聞き覚えのある単語があったが、九瑶には理解出来なかった。
 二人の間で波語と身振り手振りのやり取りが続き、しばらくすると康氏が筆を置いた。

「ひと通り済みましたが、陸殿。この他に何かありますか?」

 九瑶は二か国語併記で書かれた調書を受け取り、ざっと目を通した。必要な事はすべて網羅されていた。

「―康殿。この子の名前は、『星《せい》』なんですか?」
「あぁ。波語で『アフタル』、星を意味する言葉ですよ」
「アフタル…。綺麗な音ですね」

 九瑶は子供の顔を覗き込んで、その名を呼んだ。顔を上げこちらを見る瞳は、青みがかった灰色。あまり見かけない、珍しい色だ。

「家はどこでしょうか?」
「都城の最南端、大通坊のようです。…生活は、厳しそうですね」
「あぁ…」

 彼の言葉に、九瑶は呻くようなため息を漏らした。
 都の南端の坊は人も少なく、荒れ地になっている場所も多い。行き場のない浮浪者や孤児がそこに住み着いているのが実情だ。心がちくりと痛むのを感じながら、九瑶は調書をたたんで文箱にしまった。

「これで、大丈夫です。助かりました」
「よかった。では以上で」

 ふたりは椅子から立ち上がり、部屋を出た。
 立ち去り際、『次は捕まるんじゃないよ』と康氏が言うと、子供はこくこくと首を縦に振った。


 ◇


「実は、本当にお越しいただけるとは思っておりませんでした。ご足労いただき感謝です」

 内府に戻ると、九瑶は客人用の部屋に康氏を案内した。そのまま帰す訳にはいかない。茶を用意しつつ、礼を言う。

「この程度、礼には及びませんよ」
「そんな。本当に助かりました。ご厚情痛み入ります」
「ははは。大袈裟ですね、陸殿は…。それにしても意外、でした」
「はい?」
「こんなに実直な方だとは、予想外で」
「あの人、康殿に何を?」

 あの男、何を吹き込んだのか。カッと目を見開いた九瑤に、康氏は慌てて弁解した。

「いえ、斉寺正が『私の想い人だから』と仰るので、どんな妖艶な美女が出てくるのか、と勝手に想像を膨らませておりまして」
「えっと、ご期待に沿えず申し訳ございません」

 何故、我は謝っているんだろう?
 自分でもわからないが、妖艶な美女でない事は確かだ。咄嗟に口をついて出た言葉に、九瑶は苦笑いしてしまった。

「いえ、逆にとても嬉しいです」
「はい?」
「やはり斉様は素晴らしい御方だと再認識いたしました」
「…どういうことですか?」

 唐突な理論の飛躍に、九瑶の頭上に疑問符が舞う。首を傾げつつも茶を注ぎ、康氏に呈する。

「女子を見る時も世間の雑音に惑わされず、堅実に選んでらっしゃるんだと」

 差し出された湯呑を両手で包むと、彼はゆったりとした仕草で口に含んだ。

「褒めすぎじゃないですか?」
「いいえ」

 香りを味わうように大きな鼻から細く長い息を吐くと、にこっと口角を上げて九瑶を見た。

「先ほどの調書、良く出来ていました。互いに重複せず、全体に漏れがない―。貴殿は若手でしょう。感心しました」
「…まだまです。この前も師匠に怒られて」

 褒め言葉は素直に受け取っておけと言うが、仕事に関してはそうもいかない。しかも、つい先日、鬼軍曹に助けられたばかり。褒めてもらうのはもう少し先でいい。

「どなたですか?陸殿のお師匠様は」
「今は刑部にいらっしゃる、荀司郎中です」
「あぁ。あの御方」
「ご存じで」
「刑部とは行き来が多いので。大層優秀な方で…、大層、厳しい方と」

 言葉を濁した彼に九瑶は「くくっ」と笑った。
 その言葉から鬼の仕事っぷりが察せられる。きっと刑部でも変わらず仕事をしているんだろう。やはり彼はどこに行っても彼だ。

「彼はいつでも『鬼軍曹』ですから」
「陸殿は軍曹の直弟子なんですね。なるほど」
「きっと認定されていませんが…。そう、今日この後、鬼軍曹の現部下、刑部の方々と飲みに行く約束してるんです」
「被害者の会ですね」
「まさに」

 ははは、と九瑤は笑った。同じ境遇の者同士、傷を舐め合う会だ。

「康様も、よければご一緒にいかがです?」

 刑部と知り合いなら、話も弾むかもしれない。手伝ってもらったお礼もしたい。彼は「ぜひ」と二つ返事で答えた。よかった。

 待ち合わせの時間まで、九瑶は胡人の言語や風習についてあれこれ話を聞いて過ごした。とても勉強になった。
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