18 / 65
第1-3章 徳妃付侍女→紅玉宮妃(新版)
「音程はどこか飛んで消えました」
しおりを挟む
「近いうちに歌の会があるらしいですよ」
「今度は歌を披露しろって? 貴妃様も物好きねえ」
淑妃様とのお茶会の後、わたしは頻繁に夜鈴と会うようになった。もちろん各々の業務に支障をきたさない範囲で、だ。
既に淑妃様のもとで自分の居場所を構築出来ているとはいえ、やはり知り合いとの再会は嬉しかったから。
別の妃を主人とする侍女同士の交流は珍しくなかった。
とは言ってもそれは妃同士が良好な関係を築いていればの話。許されるのは相手の妃との親密度を他の妃に知らしめる意味合いもあるんでしょう。
「それにしても雪慧さんと後宮でまた会えるなんて思ってもいませんでした」
「わたしもよ。まさかあの時はここに行き着くだなんて想像もしてなかったわ」
「運があったら再会するかもって言ってましたけど、本当にそうなりましたね」
「あー、そんなこと言ってたっけ。よく覚えていたじゃないの」
別にわたしも寡黙な方じゃあないのだけれど、夜鈴との会話で話題をふるのは大抵彼女からだった。理由を聞いたら純粋に語り合うのが好きらしい。受け手からすれば彼女とのお喋りはうるさくなく、楽しいと感じる時間が過ぎていったものだ。
「それにしてもまさか淑妃様の侍女にまで上り詰めていたなんてね。凄いじゃないの」
「えへへ。淑妃様に認められてとっても嬉しかったです」
「でも家柄で選ばれるわけないし、仕事が出来ます真面目です、ってだけじゃあ他の下女とあまり変わらないよね。何が淑妃様の目に留まったの?」
「何を隠しましょう実はですね、あたしって結構歌が上手いんですよ!」
夜鈴は胸を張った。
彼女は幼い顔立ちに似合わず胸が豊かな方なため、より一層強調された。下品だと蔑むか羨ましいと嫉妬するかは各々に任せるとしても、男女問わず無視できない山が形成された、と比喩しておこう。
しかしわたしから言わせればそんな身体的特徴なんてどうでもよかった。
彼女の魅力はやはり笑顔でしょうね。見ず知らずの他人だったわたしに気兼ねなく声をかける交流能力の高さも折り紙つきだし。人を引きつける才能があるんでしょう。
「ですから今度の会は自分達がもらった、って淑妃様も自信満々でしたね」
「へえ。徳妃様はとりあえず人数合わせで参加するけれど、方針としては今度も捨てだっておっしゃってたっけ」
「雪慧さんは歌はお上手なんですか?」
「へ? わたし?」
思わず自分を指差したわたしに向けて夜鈴は期待を込めた眼差しを送ってきた。たじろいだわたしに夜鈴が前のめりになって迫る。
「いや、可もなく不可もなく、かなぁ」
「聞いてみたいです! ここで一発歌ってもらえないでしょうか?」
「はあぁ? どうしてここで披露しなきゃいけないの?」
「あたしが聞きたいからです!」
侍女同士の交流は先の意図もあって極力屋外でするよう通達されている。わたし達がその時いた場所もちょっとした広場ではあったけれど人の往来がある通路にも近く、いきなり歌いだしたら間違いなく人目に付いてしまう。
「……。構わないけれど、わたしが歌ったら次は夜鈴の番だからね」
「それぐらいお安いご用ですから早く早く」
「そんな急かさないでって。言っておくけれど下手くそだって笑わないでね」
「勿論ですよ。そんな失礼なことするわけないじゃないですか」
どうだか。故郷では笑わないでって事前に注意したのに笑い出した奴がいたからね。ソイツは父がげんこつを食らわせていたので溜飲は無事に下がったのだけれど。
それ以降歌は歌わないと心に決めていたのだけれど、人生ってわからないものね。
わたしは覚悟を決めて呼吸を整えた。そして、わたしが数少なく歌詞を暗記している歌を歌い出した。
久しぶりだったものだから音程を外さないようにするの精一杯。お世辞にも上手いとは言えない出来に我ながら呆れてしまった。
「……お粗末様でした」
「ありがとうございました。素敵でしたよ」
「お世辞どうも」
だというのに夜鈴は歌い終えたわたしに拍手を送ってくれた。それは決して同情からでも義務からでもなく、純粋にわたしへの称賛と感謝を表していた。
それだけでも微妙な技能を披露したかいがあったというものよ。
「正直わたしってこんな感じの歌はあまり得意じゃないのよね」
「? じゃあどんな風のを?」
「そもそも歌を芸術と捉えるかその場を盛り上げるか、で歌い方は全然違うでしょうよ。わたしの場合は後者が主だったから、多少下手でも十分だったのよ」
「成程。じゃあその得意とする歌い方もやってみてくださいよ」
しまった、余計なことを口走った、と後悔しても遅かった。夜鈴はわたしに期待を込めた眼差しを更に熱くして送ってきた。わたしが困ったとばかりに苦笑いしてみせてもお構いなしだった。
「そうは言っても、楽器が無いんじゃあねえ」
「楽器、ですか?」
「ええ。軋箏って言うんだけれど、それを演奏しながら歌うのが得意だったものだから。残念ながら長旅で持ち歩いても邪魔なだけだから、ねえ」
「じゃあそれを用意したら歌ってくれるんですね?」
「後宮内にあるかしらねえ。あまり有名じゃあないし」
「あたし、探してきます!」
軋箏とは琴の一種で、指や爪で弾くんじゃなくて弓を使って弾く。笛や琴と比べると圧倒的に知名度が無い。けれどわたしは子供の頃デタラメに鳴らしても偶然それなりの曲になったのをきっかけに、それなりに会得したんだった。
主に出番となったのは酒の席。どういうわけか楽器での演奏は結構好評だったりする。演奏家単独で作品を披露するような高尚な真似はせず、皆で曲に合わせて踊ったり歌ったりするのが楽しいんだ。
「はい、持ってきました!」
「……嘘ぉ」
で、しばらく太陽の下で日向ぼっこを楽しんでいたら、その太陽にも負けない明るい笑顔で夜鈴が戻ってきた。その手には少し小さいながらもまごうことなき軋箏が抱えられていた。
「ソレ、夜鈴の私物じゃあないよね。どこから借りてきたの?」
「貴妃様にお願いしたら快く貸していただけました」
「納得。だからそちらにいらっしゃったのね」
夜鈴の後ろでは貴妃様が微笑を湛えていた。芸術を愛する貴妃様だったらあらゆる楽器を所持していてもおかしくないけれど、まさか別の妃に仕える侍女に気軽に貸し出しするとまでは想像の範疇に無かった。
「絵が描けて踊れて歌えて楽器も弾けるなんて、うちに欲しいわねー。こんど徳妃様にお願いしちゃおうかしら」
「御冗談を。わたしなんて広く浅くかじった程度ですよ。賢妃様のような達人に比べれば児戯に過ぎません」
「その満遍なく出来る、がいいんじゃないの。はい、じゃあ披露してくれるのよね?」
「うぐっ。じゃあ、まあ、一曲だけ」
観念して夜鈴から軋箏を受け取った。そして試し弾きして音を確かめる。自分好みに調律していいかと問うたら貴妃様からあっさり許可してもらえた。
それから喉の調子を確かめて後で傷めないよう少し発声練習をした。
そして、奏で始める。酒飲みの場を盛り上げるような陽気で、音程が激しくぶれず、男性でも歌いやすい音高の歌を。
わたしは弾きながら歌い始めた。
上手さとか聞きやすさなんてお構いなし。歌った後に爽快な気分になるよう自分の好き勝手に歌うのがこの曲への礼儀ってものだ。多少音痴だろうと構いやしない。
「~~♪」
独奏を続けていたわたしの傍で別の歌声が聞こえてきた。思わず振り向くと、なんと貴妃様がこの曲の歌を歌っているじゃないの。
更に彼女はわたしに目配せ一つ送ると、夜鈴の両手を取って踊り始めた。
「え? え?」
「これはねー、皆が一緒になって歌って踊るための曲なのよ。黙って聞いてるだけなんて勿体ないわ」
「で、でもあたし、全然踊れませんよぉ」
「大丈夫よ。曲に合わせて体を動かせばいいの」
貴妃様に振り回される夜鈴の姿に思わず笑ってしまった。そして何よりもこの曲を理解している貴妃様に感謝した。
だって貴妃様が仰るとおり、みんなで楽しむための歌だったんだから。
一曲終えたところで会釈した。
実家を離れてから練習していなかったせいもあって出来はよろしくないし息があがってしまった。汗も滲み出てくるしで自分としてはあまり納得しかねる出来栄えになってしまった。
「……お粗末さまでした」
「凄かったわー。あたくしも年甲斐もなくはしゃいじゃったわー」
「何だか良く分からなかったですけど楽しかったです!」
それでも二名の観客はわたしに拍手を送ってくれた。申し訳無さと達成感でちょっと複雑な心境になった。
他の女官や妃達が何人かこちらが気になったようだけれど、他所は気にしないことにしよう。
出番を終えた楽器の調律を覚えている限りで戻して、わたしは貴妃様へと返却すべく差し出した。しかし彼女は差し出された軋箏をわたしへと押し返す。
困惑するわたしに貴妃様は少し寂しげに笑みをこぼした。
「良かったらソレあげるわ。もう演奏者がいなくなって久しかったから」
「いえ、こんな高価なものを受け取るわけにはいきません」
「あら、女官が正一品の妃であるこのあたくしに逆らうつもり?」
「滅相もない。預かるだけならありがたく」
「……。そうね、その辺りが妥協点かしら。きっとソレも喜んでくれるわ」
衰えて魅力を失った者が立ち去っていくのがこの後宮だ。前の持ち主もきっと何らかの理由で出ていったんでしょう。それを詮索するほど物好きじゃあなかったし、かと言ってこれ以上強情を張る理由もない。
幸いにも貴妃様もわたしの案に乗ってくれた。
「それで、出てくれるのよね?」
「え? 何にですか?」
「もう、とぼけちゃって。歌唱会に決まってるじゃないの」
「いえ、徳妃様部屋からは侍女頭が出る予定です」
「えー? 彼女の歌声は前回も聞いたわよ。徳妃様ったらいけずねー」
「代わりに淑妃様部屋からは夜鈴が参加するとのことですよ。乞うご期待、です」
「そうなの? 楽しみねえ」
「ええっ!? が、頑張ります!」
結局わたしの芸はその場限りのものに収まり、後日開かれた歌唱会では出番は無かった。代わりに歌声を披露した夜鈴の歌声は大空のように澄み渡り、しかし海のように力強かった。
なんと皇帝や皇后からも絶賛され、それが発端となって厄介なことが起こるのはまた別の話だ。
「今度は歌を披露しろって? 貴妃様も物好きねえ」
淑妃様とのお茶会の後、わたしは頻繁に夜鈴と会うようになった。もちろん各々の業務に支障をきたさない範囲で、だ。
既に淑妃様のもとで自分の居場所を構築出来ているとはいえ、やはり知り合いとの再会は嬉しかったから。
別の妃を主人とする侍女同士の交流は珍しくなかった。
とは言ってもそれは妃同士が良好な関係を築いていればの話。許されるのは相手の妃との親密度を他の妃に知らしめる意味合いもあるんでしょう。
「それにしても雪慧さんと後宮でまた会えるなんて思ってもいませんでした」
「わたしもよ。まさかあの時はここに行き着くだなんて想像もしてなかったわ」
「運があったら再会するかもって言ってましたけど、本当にそうなりましたね」
「あー、そんなこと言ってたっけ。よく覚えていたじゃないの」
別にわたしも寡黙な方じゃあないのだけれど、夜鈴との会話で話題をふるのは大抵彼女からだった。理由を聞いたら純粋に語り合うのが好きらしい。受け手からすれば彼女とのお喋りはうるさくなく、楽しいと感じる時間が過ぎていったものだ。
「それにしてもまさか淑妃様の侍女にまで上り詰めていたなんてね。凄いじゃないの」
「えへへ。淑妃様に認められてとっても嬉しかったです」
「でも家柄で選ばれるわけないし、仕事が出来ます真面目です、ってだけじゃあ他の下女とあまり変わらないよね。何が淑妃様の目に留まったの?」
「何を隠しましょう実はですね、あたしって結構歌が上手いんですよ!」
夜鈴は胸を張った。
彼女は幼い顔立ちに似合わず胸が豊かな方なため、より一層強調された。下品だと蔑むか羨ましいと嫉妬するかは各々に任せるとしても、男女問わず無視できない山が形成された、と比喩しておこう。
しかしわたしから言わせればそんな身体的特徴なんてどうでもよかった。
彼女の魅力はやはり笑顔でしょうね。見ず知らずの他人だったわたしに気兼ねなく声をかける交流能力の高さも折り紙つきだし。人を引きつける才能があるんでしょう。
「ですから今度の会は自分達がもらった、って淑妃様も自信満々でしたね」
「へえ。徳妃様はとりあえず人数合わせで参加するけれど、方針としては今度も捨てだっておっしゃってたっけ」
「雪慧さんは歌はお上手なんですか?」
「へ? わたし?」
思わず自分を指差したわたしに向けて夜鈴は期待を込めた眼差しを送ってきた。たじろいだわたしに夜鈴が前のめりになって迫る。
「いや、可もなく不可もなく、かなぁ」
「聞いてみたいです! ここで一発歌ってもらえないでしょうか?」
「はあぁ? どうしてここで披露しなきゃいけないの?」
「あたしが聞きたいからです!」
侍女同士の交流は先の意図もあって極力屋外でするよう通達されている。わたし達がその時いた場所もちょっとした広場ではあったけれど人の往来がある通路にも近く、いきなり歌いだしたら間違いなく人目に付いてしまう。
「……。構わないけれど、わたしが歌ったら次は夜鈴の番だからね」
「それぐらいお安いご用ですから早く早く」
「そんな急かさないでって。言っておくけれど下手くそだって笑わないでね」
「勿論ですよ。そんな失礼なことするわけないじゃないですか」
どうだか。故郷では笑わないでって事前に注意したのに笑い出した奴がいたからね。ソイツは父がげんこつを食らわせていたので溜飲は無事に下がったのだけれど。
それ以降歌は歌わないと心に決めていたのだけれど、人生ってわからないものね。
わたしは覚悟を決めて呼吸を整えた。そして、わたしが数少なく歌詞を暗記している歌を歌い出した。
久しぶりだったものだから音程を外さないようにするの精一杯。お世辞にも上手いとは言えない出来に我ながら呆れてしまった。
「……お粗末様でした」
「ありがとうございました。素敵でしたよ」
「お世辞どうも」
だというのに夜鈴は歌い終えたわたしに拍手を送ってくれた。それは決して同情からでも義務からでもなく、純粋にわたしへの称賛と感謝を表していた。
それだけでも微妙な技能を披露したかいがあったというものよ。
「正直わたしってこんな感じの歌はあまり得意じゃないのよね」
「? じゃあどんな風のを?」
「そもそも歌を芸術と捉えるかその場を盛り上げるか、で歌い方は全然違うでしょうよ。わたしの場合は後者が主だったから、多少下手でも十分だったのよ」
「成程。じゃあその得意とする歌い方もやってみてくださいよ」
しまった、余計なことを口走った、と後悔しても遅かった。夜鈴はわたしに期待を込めた眼差しを更に熱くして送ってきた。わたしが困ったとばかりに苦笑いしてみせてもお構いなしだった。
「そうは言っても、楽器が無いんじゃあねえ」
「楽器、ですか?」
「ええ。軋箏って言うんだけれど、それを演奏しながら歌うのが得意だったものだから。残念ながら長旅で持ち歩いても邪魔なだけだから、ねえ」
「じゃあそれを用意したら歌ってくれるんですね?」
「後宮内にあるかしらねえ。あまり有名じゃあないし」
「あたし、探してきます!」
軋箏とは琴の一種で、指や爪で弾くんじゃなくて弓を使って弾く。笛や琴と比べると圧倒的に知名度が無い。けれどわたしは子供の頃デタラメに鳴らしても偶然それなりの曲になったのをきっかけに、それなりに会得したんだった。
主に出番となったのは酒の席。どういうわけか楽器での演奏は結構好評だったりする。演奏家単独で作品を披露するような高尚な真似はせず、皆で曲に合わせて踊ったり歌ったりするのが楽しいんだ。
「はい、持ってきました!」
「……嘘ぉ」
で、しばらく太陽の下で日向ぼっこを楽しんでいたら、その太陽にも負けない明るい笑顔で夜鈴が戻ってきた。その手には少し小さいながらもまごうことなき軋箏が抱えられていた。
「ソレ、夜鈴の私物じゃあないよね。どこから借りてきたの?」
「貴妃様にお願いしたら快く貸していただけました」
「納得。だからそちらにいらっしゃったのね」
夜鈴の後ろでは貴妃様が微笑を湛えていた。芸術を愛する貴妃様だったらあらゆる楽器を所持していてもおかしくないけれど、まさか別の妃に仕える侍女に気軽に貸し出しするとまでは想像の範疇に無かった。
「絵が描けて踊れて歌えて楽器も弾けるなんて、うちに欲しいわねー。こんど徳妃様にお願いしちゃおうかしら」
「御冗談を。わたしなんて広く浅くかじった程度ですよ。賢妃様のような達人に比べれば児戯に過ぎません」
「その満遍なく出来る、がいいんじゃないの。はい、じゃあ披露してくれるのよね?」
「うぐっ。じゃあ、まあ、一曲だけ」
観念して夜鈴から軋箏を受け取った。そして試し弾きして音を確かめる。自分好みに調律していいかと問うたら貴妃様からあっさり許可してもらえた。
それから喉の調子を確かめて後で傷めないよう少し発声練習をした。
そして、奏で始める。酒飲みの場を盛り上げるような陽気で、音程が激しくぶれず、男性でも歌いやすい音高の歌を。
わたしは弾きながら歌い始めた。
上手さとか聞きやすさなんてお構いなし。歌った後に爽快な気分になるよう自分の好き勝手に歌うのがこの曲への礼儀ってものだ。多少音痴だろうと構いやしない。
「~~♪」
独奏を続けていたわたしの傍で別の歌声が聞こえてきた。思わず振り向くと、なんと貴妃様がこの曲の歌を歌っているじゃないの。
更に彼女はわたしに目配せ一つ送ると、夜鈴の両手を取って踊り始めた。
「え? え?」
「これはねー、皆が一緒になって歌って踊るための曲なのよ。黙って聞いてるだけなんて勿体ないわ」
「で、でもあたし、全然踊れませんよぉ」
「大丈夫よ。曲に合わせて体を動かせばいいの」
貴妃様に振り回される夜鈴の姿に思わず笑ってしまった。そして何よりもこの曲を理解している貴妃様に感謝した。
だって貴妃様が仰るとおり、みんなで楽しむための歌だったんだから。
一曲終えたところで会釈した。
実家を離れてから練習していなかったせいもあって出来はよろしくないし息があがってしまった。汗も滲み出てくるしで自分としてはあまり納得しかねる出来栄えになってしまった。
「……お粗末さまでした」
「凄かったわー。あたくしも年甲斐もなくはしゃいじゃったわー」
「何だか良く分からなかったですけど楽しかったです!」
それでも二名の観客はわたしに拍手を送ってくれた。申し訳無さと達成感でちょっと複雑な心境になった。
他の女官や妃達が何人かこちらが気になったようだけれど、他所は気にしないことにしよう。
出番を終えた楽器の調律を覚えている限りで戻して、わたしは貴妃様へと返却すべく差し出した。しかし彼女は差し出された軋箏をわたしへと押し返す。
困惑するわたしに貴妃様は少し寂しげに笑みをこぼした。
「良かったらソレあげるわ。もう演奏者がいなくなって久しかったから」
「いえ、こんな高価なものを受け取るわけにはいきません」
「あら、女官が正一品の妃であるこのあたくしに逆らうつもり?」
「滅相もない。預かるだけならありがたく」
「……。そうね、その辺りが妥協点かしら。きっとソレも喜んでくれるわ」
衰えて魅力を失った者が立ち去っていくのがこの後宮だ。前の持ち主もきっと何らかの理由で出ていったんでしょう。それを詮索するほど物好きじゃあなかったし、かと言ってこれ以上強情を張る理由もない。
幸いにも貴妃様もわたしの案に乗ってくれた。
「それで、出てくれるのよね?」
「え? 何にですか?」
「もう、とぼけちゃって。歌唱会に決まってるじゃないの」
「いえ、徳妃様部屋からは侍女頭が出る予定です」
「えー? 彼女の歌声は前回も聞いたわよ。徳妃様ったらいけずねー」
「代わりに淑妃様部屋からは夜鈴が参加するとのことですよ。乞うご期待、です」
「そうなの? 楽しみねえ」
「ええっ!? が、頑張ります!」
結局わたしの芸はその場限りのものに収まり、後日開かれた歌唱会では出番は無かった。代わりに歌声を披露した夜鈴の歌声は大空のように澄み渡り、しかし海のように力強かった。
なんと皇帝や皇后からも絶賛され、それが発端となって厄介なことが起こるのはまた別の話だ。
1
あなたにおすすめの小説
《完結》金貨5000枚で売られた王太子妃
ぜらちん黒糖
恋愛
「愛している。必ず迎えに行くから待っていてくれ」
甘い言葉を信じて、隣国へ「人質」となった王太子妃イザベラ。
旅立ちの前の晩、二人は愛し合い、イザベラのお腹には新しい命が宿った。すぐに夫に知らせた イザベラだったが、夫から届いた返信は、信じられない内容だった。
「それは本当に私の子供なのか?」
四の五の言わず離婚届にサインをしてくれません?
白雲八鈴
恋愛
アルディーラ公爵夫人であるミレーネは、他の人からみれば羨ましいと思える立場にいた。
王妹の母譲りの美人の顔立ち、公爵夫人として注目を集める立場、そして領地の運営は革命と言えるほど領地に潤いを与えていた。
だが、そんなミレーネの心の中にあるのは『早く離婚したい』だった。
順風満帆と言えるミレーネは何が不満なのか。その原因は何か。何故離婚できないのか。
そこから始まる物語である。
老聖女の政略結婚
那珂田かな
ファンタジー
エルダリス前国王の長女として生まれ、半世紀ものあいだ「聖女」として太陽神ソレイユに仕えてきたセラ。
六十歳となり、ついに若き姪へと聖女の座を譲り、静かな余生を送るはずだった。
しかし式典後、甥である皇太子から持ち込まれたのは――二十歳の隣国王との政略結婚の話。
相手は内乱終結直後のカルディア王、エドモンド。王家の威信回復と政権安定のため、彼には強力な後ろ盾が必要だという。
子も産めない年齢の自分がなぜ王妃に? 迷いと不安、そして少しの笑いを胸に、セラは決断する。
穏やかな余生か、嵐の老後か――
四十歳差の政略婚から始まる、波乱の日々が幕を開ける。
婚約破棄された令嬢が記憶を消され、それを望んだ王子は後悔することになりました
kieiku
恋愛
「では、記憶消去の魔法を執行します」
王子に婚約破棄された公爵令嬢は、王子妃教育の知識を消し去るため、10歳以降の記憶を奪われることになった。そして記憶を失い、退行した令嬢の言葉が王子を後悔に突き落とす。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
本物の夫は愛人に夢中なので、影武者とだけ愛し合います
こじまき
恋愛
幼い頃から許嫁だった王太子ヴァレリアンと結婚した公爵令嬢ディアーヌ。しかしヴァレリアンは身分の低い男爵令嬢に夢中で、初夜をすっぽかしてしまう。代わりに寝室にいたのは、彼そっくりの影武者…生まれたときに存在を消された双子の弟ルイだった。
※「小説家になろう」にも投稿しています
王命って何ですか? 虐げられ才女は理不尽な我慢をやめることにした
まるまる⭐️
恋愛
【第18回恋愛小説大賞において優秀賞を頂戴致しました。応援頂いた読者の皆様に心よりの感謝を申し上げます。本当にありがとうございました】
その日、貴族裁判所前には多くの貴族達が傍聴券を求め、所狭しと行列を作っていた。
貴族達にとって注目すべき裁判が開かれるからだ。
現国王の妹王女の嫁ぎ先である建国以来の名門侯爵家が、新興貴族である伯爵家から訴えを起こされたこの裁判。
人々の関心を集めないはずがない。
裁判の冒頭、証言台に立った伯爵家長女は涙ながらに訴えた。
「私には婚約者がいました…。
彼を愛していました。でも、私とその方の婚約は破棄され、私は意に沿わぬ男性の元へと嫁ぎ、侯爵夫人となったのです。
そう…。誰も覆す事の出来ない王命と言う理不尽な制度によって…。
ですが、理不尽な制度には理不尽な扱いが待っていました…」
裁判開始早々、王命を理不尽だと公衆の面前で公言した彼女。裁判での証言でなければ不敬罪に問われても可笑しくはない発言だ。
だが、彼女はそんな事は全て承知の上であえてこの言葉を発した。
彼女はこれより少し前、嫁ぎ先の侯爵家から彼女の有責で離縁されている。原因は彼女の不貞行為だ。彼女はそれを否定し、この裁判に於いて自身の無実を証明しようとしているのだ。
次々に積み重ねられていく証言に次第に追い込まれていく侯爵家。明らかになっていく真実を傍聴席の貴族達は息を飲んで見守る。
裁判の最後、彼女は傍聴席に向かって訴えかけた。
「王命って何ですか?」と。
✳︎不定期更新、設定ゆるゆるです。
【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました
佐倉穂波
恋愛
転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。
確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。
(そんな……死にたくないっ!)
乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。
2023.9.3 投稿分の改稿終了。
2023.9.4 表紙を作ってみました。
2023.9.15 完結。
2023.9.23 後日談を投稿しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる