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グランディ帝国編
第8話 蒼き救済、紅き処刑
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【王都・貴族街。】
そこは今、夏の日差しとは異なる「冷たい蒼色」に染め上げられていた。
怒号はない。悲鳴もない。
広い大通りを支配しているのは、法衣が風を切る音と、氷のように冷徹で正確な詠唱の声だけだ。
「第一から第四分隊――浄化結界、展開」
「医療班は前へ! 呼吸と心拍の確保を最優先。重症者にはマーキングを!」
命令が、氷の亀裂のように走る。
二千名の『蒼月魔導師団』は無数の小隊へと分裂し、屋敷、庭園、回廊へと雪崩れ込んでいく。
幾重にも重ねられた淡い魔力膜が、空気中に澱む毒素を物理的に押し潰していった。
路上には、痙攣する人間たちが転がっている。
口から泡を吹き、喉の奥でヒューヒューと笛のような音を鳴らす彼ら。
その横で、テキパキと救命措置を行うのは――人間たちが「悪魔の軍団」と恐れる者たちだ。
そこには嘲笑もなければ、憐憫もない。
あるのは純粋に、職務としての「処理プロセス」だけだった。
スレイアは通りの中央に立っていた。
ピンクブロンドの巻き髪に陽光が落ちるが、今の彼女が纏う空気は、鋼のように冷たい。
彼女の存在そのものが、混乱する現場の中心に秩序を打ち立てていた。
「団長」
副官のシンシアが、回収したガラス試験管を手に駆け寄る。
「毒の成分、特定しました」
「で、発生源は?」
「はい。王都北方の森の中にある水源地です。そこから都市内の水路に流れ込んだようで……手口が巧妙すぎます。高濃度の神経阻害剤をベースに、発作を遅らせる溶剤、さらには痛覚を刺激する補助薬まで調合されています」
シンシアは言葉を濁し、顔をしかめた。
「致死性は低いですが、全身が痺れて動けなくなります。放置すれば……体力のない者から呼吸困難に陥るかと」
スレイアは髪の毛先を指で弄ぶ。
視線は、遠く霞む王宮の方角へ。
怒りではない。
違和感だ。
(……セリーヌが、こんな手を?)
「水源の浄化は?」
「別働隊のルーシーが解毒剤を調合中です。ですが……最速でも二時間は」
「遅い」
スレイアは即断した。
「シンシア、あんたも手伝いに行きなさい。一時間以内に終わらせるの」
「それと、浄化が終わり次第、半径五十リエ以内の村落も確認して。下流への二次被害がないことを祈るけど……念のためよ」
「はっ! 直ちに行動します!」
その時だった。
タッタッタッ――!
リズムの乱れた、焦燥感に満ちた足音が響く。
一人の部下が、スレイアの前で転がるように膝をついた。
「団長!! 緊急事態です!!」
スレイアは振り返らない。
「何? 空気の読めない貴族が暴れでもした?」
「違います! ルブランカ伯爵邸にて……死体を発見!」
「中毒で倒れた家人の他に……く、首のない死体が多数!!」
「……は?」
周囲の温度が下がる。
「セリーヌの命令は『殺戮の禁止』よ。どこのバカが手を滑らせたの」
「ち、違います団長!」
部下は首を横に振った。その目には、隠しきれない畏怖が張り付いている。
「我々が突入した時には……すでに死んでいたんです! しかも、あれは……」
スレイアは歩き出した。
「案内しなさい」
◇
ルブランカ伯爵邸、前庭。
豪奢な鉄門は半開きになっていた。
破壊された痕跡はない。
魔法が使われた魔力残滓もない。
静かすぎる。
庭からは、蝉の声すら聞こえない。
一歩、敷地に入った瞬間、スレイアは鼻を覆いたくなった。
刈り揃えられた芝生の青臭さと――むせ返るほどに甘ったるい、鉄錆の臭い。
芝生の中央には、魔導師団によって並べられた十数具の遺体があった。
全員が寝間着や室内着といった無防備な姿だ。
そのねじれた姿勢は、彼らが「立ち上がる暇もなく」絶命したことを物語っている。
スレイアは一番手前の遺体の前にしゃがみ込んだ。
指先で、切断面に触れる。
滑らかだ。
骨も、肉も、皮膚も――まるで最初から繋がっていなかったかのように、一瞬で「消去」されている。
「…………」
スレイアは沈黙した。
背後の部下たちが、ゴクリと唾を飲む音が聞こえる。
「とんでもない使い手ね」
「切断面に迷いがない。二次的な破壊痕もない。……『一撃で殺せる』と確信して振るった剣筋よ」
部下が小声で補足する。
「死者は全員男性。当主とその直系、あるいは私兵の指揮官クラスのみです」
スレイアは屋敷の深淵を見上げた。
開け放たれた窓、揺れるカーテン、暗い回廊。
そのすべての影が、こちらを嘲笑っているように感じる。
「この毒ガスの中で、常人は動けない」
「つまり犯人は、毒の影響を受けないか、あるいは耐性がある」
「それに――」
彼女は再び死体を見下ろした。
風が吹き抜け、芝生がサワサワと揺れる。
遠くでは浄化結界の作動音が響いているというのに、ここだけが世界から切り離されたように静かだ。
「団長!!」
また一人、伝令の魔導師が空から舞い降りてきた。
「ファリナ侯爵邸でも、同様の遺体が発見されました!」
「ファリナ?」
スレイアが眉をひそめる。
脳裏に浮かんだのは、若い男を椅子代わりに座らせ、甲高い声で笑う厚化粧の老婆だ。
「あのやかましいババアも死んだの?」
「いえ……」
伝令兵は気まずそうに言葉を濁した。
「死んでいたのは夫であるコモフ子爵のみです。ファリナ夫人は……その、恐怖で失禁して気絶しておりました」
「チッ」
スレイアは盛大に舌打ちした。
(……よりによって、一番どうでもいいのが生き残ったわね)
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そこは今、夏の日差しとは異なる「冷たい蒼色」に染め上げられていた。
怒号はない。悲鳴もない。
広い大通りを支配しているのは、法衣が風を切る音と、氷のように冷徹で正確な詠唱の声だけだ。
「第一から第四分隊――浄化結界、展開」
「医療班は前へ! 呼吸と心拍の確保を最優先。重症者にはマーキングを!」
命令が、氷の亀裂のように走る。
二千名の『蒼月魔導師団』は無数の小隊へと分裂し、屋敷、庭園、回廊へと雪崩れ込んでいく。
幾重にも重ねられた淡い魔力膜が、空気中に澱む毒素を物理的に押し潰していった。
路上には、痙攣する人間たちが転がっている。
口から泡を吹き、喉の奥でヒューヒューと笛のような音を鳴らす彼ら。
その横で、テキパキと救命措置を行うのは――人間たちが「悪魔の軍団」と恐れる者たちだ。
そこには嘲笑もなければ、憐憫もない。
あるのは純粋に、職務としての「処理プロセス」だけだった。
スレイアは通りの中央に立っていた。
ピンクブロンドの巻き髪に陽光が落ちるが、今の彼女が纏う空気は、鋼のように冷たい。
彼女の存在そのものが、混乱する現場の中心に秩序を打ち立てていた。
「団長」
副官のシンシアが、回収したガラス試験管を手に駆け寄る。
「毒の成分、特定しました」
「で、発生源は?」
「はい。王都北方の森の中にある水源地です。そこから都市内の水路に流れ込んだようで……手口が巧妙すぎます。高濃度の神経阻害剤をベースに、発作を遅らせる溶剤、さらには痛覚を刺激する補助薬まで調合されています」
シンシアは言葉を濁し、顔をしかめた。
「致死性は低いですが、全身が痺れて動けなくなります。放置すれば……体力のない者から呼吸困難に陥るかと」
スレイアは髪の毛先を指で弄ぶ。
視線は、遠く霞む王宮の方角へ。
怒りではない。
違和感だ。
(……セリーヌが、こんな手を?)
「水源の浄化は?」
「別働隊のルーシーが解毒剤を調合中です。ですが……最速でも二時間は」
「遅い」
スレイアは即断した。
「シンシア、あんたも手伝いに行きなさい。一時間以内に終わらせるの」
「それと、浄化が終わり次第、半径五十リエ以内の村落も確認して。下流への二次被害がないことを祈るけど……念のためよ」
「はっ! 直ちに行動します!」
その時だった。
タッタッタッ――!
リズムの乱れた、焦燥感に満ちた足音が響く。
一人の部下が、スレイアの前で転がるように膝をついた。
「団長!! 緊急事態です!!」
スレイアは振り返らない。
「何? 空気の読めない貴族が暴れでもした?」
「違います! ルブランカ伯爵邸にて……死体を発見!」
「中毒で倒れた家人の他に……く、首のない死体が多数!!」
「……は?」
周囲の温度が下がる。
「セリーヌの命令は『殺戮の禁止』よ。どこのバカが手を滑らせたの」
「ち、違います団長!」
部下は首を横に振った。その目には、隠しきれない畏怖が張り付いている。
「我々が突入した時には……すでに死んでいたんです! しかも、あれは……」
スレイアは歩き出した。
「案内しなさい」
◇
ルブランカ伯爵邸、前庭。
豪奢な鉄門は半開きになっていた。
破壊された痕跡はない。
魔法が使われた魔力残滓もない。
静かすぎる。
庭からは、蝉の声すら聞こえない。
一歩、敷地に入った瞬間、スレイアは鼻を覆いたくなった。
刈り揃えられた芝生の青臭さと――むせ返るほどに甘ったるい、鉄錆の臭い。
芝生の中央には、魔導師団によって並べられた十数具の遺体があった。
全員が寝間着や室内着といった無防備な姿だ。
そのねじれた姿勢は、彼らが「立ち上がる暇もなく」絶命したことを物語っている。
スレイアは一番手前の遺体の前にしゃがみ込んだ。
指先で、切断面に触れる。
滑らかだ。
骨も、肉も、皮膚も――まるで最初から繋がっていなかったかのように、一瞬で「消去」されている。
「…………」
スレイアは沈黙した。
背後の部下たちが、ゴクリと唾を飲む音が聞こえる。
「とんでもない使い手ね」
「切断面に迷いがない。二次的な破壊痕もない。……『一撃で殺せる』と確信して振るった剣筋よ」
部下が小声で補足する。
「死者は全員男性。当主とその直系、あるいは私兵の指揮官クラスのみです」
スレイアは屋敷の深淵を見上げた。
開け放たれた窓、揺れるカーテン、暗い回廊。
そのすべての影が、こちらを嘲笑っているように感じる。
「この毒ガスの中で、常人は動けない」
「つまり犯人は、毒の影響を受けないか、あるいは耐性がある」
「それに――」
彼女は再び死体を見下ろした。
風が吹き抜け、芝生がサワサワと揺れる。
遠くでは浄化結界の作動音が響いているというのに、ここだけが世界から切り離されたように静かだ。
「団長!!」
また一人、伝令の魔導師が空から舞い降りてきた。
「ファリナ侯爵邸でも、同様の遺体が発見されました!」
「ファリナ?」
スレイアが眉をひそめる。
脳裏に浮かんだのは、若い男を椅子代わりに座らせ、甲高い声で笑う厚化粧の老婆だ。
「あのやかましいババアも死んだの?」
「いえ……」
伝令兵は気まずそうに言葉を濁した。
「死んでいたのは夫であるコモフ子爵のみです。ファリナ夫人は……その、恐怖で失禁して気絶しておりました」
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