同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス

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第5話 背中を押された朝

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リビングの灯りを落とし、間接照明だけが部屋をやわらかく照らしている。

ソファに腰を下ろしたまま、水無瀬紗夜は動けずにいた。

娘の部屋からは、もう物音はしない。
静かな夜。時計の針の音がやけに大きく聞こえる。

明日――翔太と水族館。

それを考えるだけで、胸の奥が落ち着かなくなる。

「……四十歳でデートなんて……」

誰に聞かせるでもなく、小さく呟く。
呆れているような、でもどこか照れた声。

若い頃みたいに、胸を高鳴らせて服を選ぶなんて、もうないと思っていた。
誰かに「綺麗だね」なんて言われる日が来るなんて、思っていなかった。

それなのに――

ソファの背に体を預け、目を閉じる。

思い出すのは、あの帰り道の抱擁。

ぎこちなくて、でも一生懸命で。
若い腕なのに、不思議と安心する温もり。

「……だめね」

胸の奥が、じんわりと熱を帯びる。

触れられたのはほんの一瞬なのに、
体がその記憶を覚えてしまっている。

“女として抱きしめられた”

その感覚が、静かに心の奥を揺らす。

「……声、聞きたいな……」

ぽつりと漏れた本音に、自分で驚く。

こんな時間に電話なんて。
相手は大学生。迷惑かもしれない。

理性が止める。
でも、心が言う。

――少しだけ、話したい。

スマホを手に取って、画面を見る。
翔太の名前。

指が止まる。

(やっぱりやめようかしら……)

でも、明日会うのに。
少しだけ、声を聞くだけ。

小さく息を吸って、通話ボタンを押した。

コール音が鳴るたび、心臓が跳ねる。

『……もしもし?』

少しだけ緊張した、翔太の声。

それだけで、胸がやわらかくほどける。

「……起こしちゃった?」

『い、いえ!全然起きてます!』

慌てた声に、思わずくすっと笑う。

「明日のこと、考えてたら……眠れなくなっちゃって」

『……僕もです』

小さな沈黙。

お互い、次の言葉を探しているのが分かる。

「緊張してるの?」

『……ちょっとだけ』

「ちょっとだけ?」

からかうように言うと、電話越しに小さく笑う気配。

『紗夜さんは……緊張してないんですか?』

「してるわよ。すごく」

正直に答えると、また静かな沈黙が落ちる。

その沈黙が、妙に甘い。

言葉がないのに、相手の呼吸が伝わる。
耳に当てたスマホが、やけに熱く感じる。

「……ねえ」

『はい』

「明日、楽しみね」

やわらかく言うと、電話の向こうで息を飲む気配。

『……はい』

その小さな返事が、胸の奥に落ちる。

「ちゃんと寝てね。クマできてたら嫌よ?」

『は、はい……紗夜さんも』

その言い方が可愛くて、また笑ってしまう。

「じゃあ、おやすみ。翔太くん」

『おやすみなさい、紗夜さん』

通話が切れたあとも、しばらくスマホを耳から離せなかった。

やがて、ゆっくり胸に抱き寄せる。

「……私、こんなに浮かれて……」

呆れたように呟きながらも、口元はゆるんでいる。

明日、翔太に会う。
隣を歩く。
またあの目で見つめられる。

そう思うだけで、胸が高鳴る。

ソファにもたれ、目を閉じる。

「……おやすみ、翔太くん」

小さな声が、静かな部屋に溶けていった。

まだ外が完全に明るくなる前、紗夜はふっと目を覚ました。

カーテンの隙間から差し込む朝の光が、部屋の空気をやわらかく染めている。
時計を見ると、いつもよりかなり早い時間。

それなのに、目はすっかり冴えていた。

(……今日、会うのよね)

翔太と、水族館。

胸の奥が、静かにざわつく。

四十歳の自分が、こんなふうに朝から落ち着かないなんて。
若い頃のデート前みたいで、自分でも少し可笑しい。

ベッドから起き上がり、床に足を下ろす。
ひんやりとした感触が、少しだけ気持ちを整えてくれる。

洗面所で顔を洗い、鏡を見る。

そこに映るのは、母としての日常の顔。
でも今日は、それだけでは終わりたくなかった。

「……今日は、女の顔で会いたいのよね」

小さく呟いて、自分で照れる。

クローゼットの前に立ち、ゆっくり扉を開く。

整然と並ぶ服の中から、いくつか取り出してベッドの上に並べる。

落ち着いたワンピース。
上品なスカート。
どれも“無難”。

でも、今日は違う。

翔太に見られる。
隣を歩く。
目を合わせる。

あのまっすぐな視線を思い出すだけで、胸の奥がきゅっと熱くなる。

「……少しだけ、若く見えるのも……いいわよね」

手に取ったのは、やわらかな生地のトップス。
体のラインをさりげなく拾う、女性らしい形。

露出が多いわけじゃない。
でも、着る人の魅力を自然に引き立てる服。

鏡の前で当ててみる。

胸元が少し強調されるライン。
目立ちすぎないのに、視線が止まりそうな位置。

思わず視線を逸らす。

「……こんなの、着るの久しぶりだわ」

でも――
翔太の顔が浮かぶ。

“綺麗です”
あの真剣な声。

その言葉を、もう一度聞きたくて。

次に選んだのはスカート。
落ち着いた丈だけど、歩けば少しだけ太ももがのぞく長さ。

無理な若作りじゃない。
でも、ちゃんと“女性”として見てもらえる装い。

「……やりすぎじゃ、ないわよね」

自分に言い聞かせる声は、少し震えている。

そして、引き出しを開ける。

普段は機能重視の下着ばかり。
でも、その奥にしまっていた一式に指が止まる。

落ち着いた色合いなのに、どこか繊細で、
肌に乗せたときのラインを意識させるデザイン。

「……別に、何があるわけじゃないのに」

そう呟きながらも、指はそれを選んでいた。

(もし……)

その先を、言葉にはしない。

でも心の奥では、期待が小さく灯っている。

翔太が近づいたら。
また抱きしめられたら。
あの若い腕の中に、もう少し長くいられたら。

胸の奥が、じんわりと熱を帯びる。

「……私、何を期待してるのかしら」

頬が自然に熱くなる。

それでも、選んだそれを元に戻すことはできなかった。

身に着け、服を整え、鏡の前に立つ。

若作りじゃない。
でも確実に、“女”を意識した姿。

胸のラインはやわらかく強調され、
スカートは歩くたびに太ももに視線を誘う。

それなのに下品じゃない。
自然な色気。

「……これなら、大丈夫」

そう言いながらも、胸の鼓動は速い。

髪を整え、メイクをする。
いつもより丁寧に、少しだけ時間をかけて。

鏡の中の自分は、母でも未亡人でもなく、
恋をしている一人の女性だった。

翔太に見つめられる瞬間を想像する。

視線が胸元に落ちたら。
スカートの裾に目が止まったら。

そのときの彼の反応を思うだけで、
胸の奥が甘く締めつけられる。

「……喜んでくれるかしら」

小さく呟き、唇に色をのせる。

バッグを手に取り、深呼吸。

今日は水族館デート。
ただそれだけ。

でも紗夜の胸の中には、
小さな期待と、大きなときめきが確かにあった。


そのとき、寝室のドアがこん、と軽くノックされた。

「お母さん、もう起きてる?」

振り向くと、ドアの隙間から娘が顔をのぞかせている。
まだ少し眠たそうなのに、目だけが妙に冴えていた。

「起きてるわよ。どうしたの、こんな早く」

「トイレ行ったら電気ついてたから。……って」

娘の視線が、ゆっくり紗夜の全身を見下ろす。

トップス、スカート、髪、メイク。
そして意味ありげな沈黙。

「……どこ行くの?」

「ちょっと出かけるだけよ」

「その格好で?」

にやっと笑う娘。

「気合い入ってない?」

「入ってないわよ」

「いや入ってるでしょ絶対」

くすくす笑いながら、ベッドの上に並べてあった服をちらりと見る。

「何パターンか悩んだ顔してるもん」

「……うるさいわね」

紗夜の頬が少し赤くなる。

娘は一歩近づき、ひそっと言う。

「もしかしてさ……翔太さん?」

その名前に、心臓が跳ねた。

「……どうして分かるの」

「最近のお母さん見てたら分かるよ」

娘は肩をすくめる。

「なんかさ、女の顔してる」

言葉に詰まる。

母親としてじゃなく、
女性として見られていることを、
まさか娘に見抜かれるなんて。

「……変じゃない?」

「全然。むしろいいと思うけど」

さらっと言われて、紗夜は目を見開く。

娘は少しだけ照れたように笑った。

「お母さん、ずっと一人で頑張ってたじゃん」

その言葉に、胸の奥がじんわり温かくなる。

「……でも相手、大学生よ?」

「お母さんが笑ってるなら、それでいい」

娘はあっさり言い切る。

そして、軽い調子で続けた。

「ま、私いるしさ」

「え?」

「別にさ、帰ってくるのは明日でもいいよ?」

一瞬、思考が止まる。

「な、何言ってるのよ!」

「だってデートでしょ?」

悪びれもせず言う娘。

「たまには羽伸ばしなよ。お母さんだって女なんだから」

言葉が出ない。

恥ずかしさと、
少し背中を押されたような気持ちが混ざる。

「……そんなことにはならないわよ」

「はいはい」

娘はにやっと笑って、ドアの方へ戻る。

「でもさ、楽しんできなよ。本気で」

その言葉は、からかいじゃなく、ちゃんとした本音だった。

ドアが閉まったあと、紗夜はしばらくその場に立ち尽くす。

「……もう、あの子は……」

呆れたように呟きながらも、口元は自然にゆるんでいた。

鏡の中の自分を見る。

頬が少し赤い。
でも目は、はっきりと輝いている。

「……行ってきます」

小さくそう言って、
紗夜は水族館へ向かう準備を整えた。
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みんなの感想(1件)

さとごん
2026.02.10 さとごん

めっちゃドキドキしますね

解除

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