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第二部
気づいた思いⅢ
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ひとしきり池のほとりで魚たちを眺めて談笑した後、川に沿って歩いて行きました。
「レイ様、お菓子を作ってみたのですけれど、よければ厨房をお借りしてもよろしいですか?」
「うん、いいよ。いつでも。いつにする?」
即答で快諾して頂きました。有難いですけれど、いつにするって、早急すぎませんか?
「許可して頂きありがとうございます。ただ日時についてはこれから考えます」
せっかちなレイ様にクスクスと笑いが漏れてしまいました。
「早めに決めておいた方が厨房の段取りもつくし、材料だって揃えることが出来るからね」
「確かにそれはそうですけれども。しばらくは忙しくてゆっくりとした時間は取れないと思うので」
「忙しい?」
「今、仕事が立て込んでおりますので、それがひと段落すれば大丈夫かと思います」
カフェをオープンする前にお披露目パーティー開催準備に大わらわしている最中。アンジェラ様にもお休みを頂いてきたばかりで、そうなるとレイ様にもお会いできないわ。
「そうか。今日も時間がないって言ってたね」
「はい。申し訳ございません」
見るからに残念そうにしゅんと項垂れるレイ様に私も寂しくなってしまったわ。一週間に一度とはいえ、お会いするのを楽しみにしていたから。
「そうかあ。それじゃあ、ピスタチオのお菓子もしばらくお預けかー。あれ、美味しかったから食べたかったんだけどなあ」
「ピスタチオ?」
いつ、作ったかしら?
宮の厨房では作ったことはないわ。その時にはピスタチオがお好きなことは知らなかったもの。
「あっ!」
怪訝な顔を向けた私に小さな叫び声をあげて口を塞いだレイ様。
しまった失言したって表情をしていらっしゃるわ。もしかしたら、他の方と勘違いしていらっしゃるとか。どう考えても心当たりがないので、ちょっと疑念を抱いてしまいます。
「レイ様、それは、いつ……あの……別の方と間違えていらっしゃるのでは?」
「いや、いや、違う。そうじゃなくて……」
あたふたと狼狽える様子にますます怪しさが増していくわ。
どなたなのかしら? レイ様に手作りのお菓子をプレゼントできる方って。
厨房でお菓子を作ったあと、レイ様がどなたかの隣でニコニコと笑いながら召し上がっている。そんな姿を想像すると心がズキズキとしてきました。胸が痛いわ。
「大丈夫です。勘違いはどなたにもありますもの。これは聞かなかったことにしますから、お気になさらないでくださいませ」
「いや、いや。だから違うって。なにか勘違いしてるよね? 違うから」
そんなに必死に否定なさらなくてもよろしいですのに。
この前は料理は作りましたが、お菓子までは手が回らなかったので、シェフが作ったものを頂いたのですよね。なので、お菓子はまだレイ様のお口には入っていないはずなのです。
そうなると、私よりも先に手作りのお菓子をプレゼントした方がいらっしゃるってことですよね。
考えれば考えるほど、モヤモヤしてしまいます。この気持ちは一体何なのでしょう?
「ちゃんと話すから、聞いて」
「……」
後ろめたいことでもおありなのかしら? 勘違いなら勘違いといって下さればそれで済むことなのに。
事を大きくしようとも広げようとも思っていませんから。妙にこだわられると怪しさがマシマシになるのですけれど。モヤモヤも募っていきます。
「ほら、あそこにベンチがあるから座って話そう? ね?」
レイ様に手を取られて腰に手を回されて、半ば強制的にベンチに座らされました。
生い茂った木々が程よい木陰を作ってくれています。見上げると青い空が広がっていました。
ぴーひょろろ。トンビの声でしょうか? 空の上から聞こえてきました。
「で、ローラ。さっきのお菓子の件だけど」
「レイ様、そのことについてはもう……」
聞きたくない。
「うん。だから聞いて」
逃げ腰になった事に気づいたのかレイ様は私を抱き込みました。こんな時のレイ様の行動は素早くて、察知能力に長けてらっしゃるわ。耳も塞げないんですもの。切なくて胸をきゅうっと絞られるように苦しい。なんでこんな気持ちになるのかしら。
「あれはディアナからもらったんだ」
「⁉」
えっ。ディアナ? えっ……想像もしていなかったわ。これは、どう理解すればいいのかしら?
ディアナって料理はしない人だと思ったのだけど、レイ様のためにお菓子を作ったってことなの? でも、ディアナには仲睦まじい婚約者様がいるわ。
どういうことなのでしょう? グルグルと頭の中にいろんな思いが交錯して駆け巡っていきます。
「そうじゃなくて、言葉を間違えた。そうじゃなくて……」
「……」
ディアナとは幼馴染で仲がいいことは知っていました。レイニーって呼び捨てですものね。レイ様もディアナって呼んでいますし。ディアナにはお相手がいるけれど、レイ様は?
ピスタチオのお菓子って、美味しかったって、嬉しそうでしたものね。
泣きたくなってきました。帰ってもいいかしら? 帰りたいわ。力を緩めて頂いたら腕の中から抜け出せるのに。庇護された小鳥のようにレイ様の腕の中は心地良いけれど、レイ様の心の中は?
「ローラの手作りだって渡されたんだ」
「!」
私の? なぜ私の名前が出てくるの? 心当たりがないわ。ディアナにお菓子を託したなんて覚えがありません。ごまかそうとしてらっしゃるわけではありませんよね? 思考がぐちゃぐちゃでちょっとしたことでも疑心暗鬼になってしまいます。
「というか、元々はディアナへのお土産だって言ってたんだ。それをおすそ分けするって持ってきたんだよ」
「あっ!」
合点がいきました。それなら、心当たりがあるわ。まさか、ディアナがレイ様に贈ったとは思わなかった。そんな出来事があったとは一言も言わなかったから知らなかったわ。あのお菓子がレイ様に届いていたのね。
あれは試作の段階だったから、今度はもっと上手にできたものを召し上がって頂きたいわ。
「うん。そういうことなんだ。ごめんね、誤解させるようなことを言ってしまって」
「いいえ。私も勘違いで早とちりしてしまったみたいで、申し訳ありません」
やっと真相がわかってホッとしました。よくよく聞いてみれば何のことはない。自作のお菓子を私が知らない間にレイ様が召し上がったってことだったのね。
レイ様の規則正しい心臓の鼓動が耳に響いてきます。すっぽりと包まれた腕の中は幸せな夢の中にいるよう。
よかったわ。誤解で済んで。あれがもし本当だったら、ディアナに嫉妬するところだったわ。
よかった……
ちょっと待って。
私、今何を思ったの? 嫉妬? えっ⁈ 嫉妬⁈
ディアナにって、それって……それって……
レイ様のことを……あ、あっ……
頭の中が混乱して、思考と気持ちが追い付かずあわわとパニック状態。
どうすればよいのでしょう。
「ローラ。話があるのだけど」
レイ様の甘い声が頭上から降り注ぎました。聞きなれているはずの声に、心が震え一気に体温が上がって、顔が真っ赤に染まります。
「ローラ。俺の方を見て」
下を向いたままの私に焦れたのでしょうか。再びレイ様の声が。ダメです。恥ずかしくて顔が見れません。動悸も激しくなってきました。
初めて抱く感情にどう向き合えばいいのでしょう。
「ローラ? どうしたの? 具合でも悪い?」
心配げに尋ねるレイ様にふるふると頭を左右に動かしました。これが精いっぱい。便乗して具合が悪いことにしておけばよかったのかも、なんて頭の片隅で考えていたら、くいとあごを持ち上げられてレイ様の顔が目の前に。
その瞬間、きゃあと声にならない声を上げてさらに体温が急上昇して、思考が停止してしまいました。菫色の瞳の中に私が映っている。レイ様の中に私がいる。ぼんやりとそれを感じて……
ドキドキと激しくなる鼓動。呼吸も荒くなってきたみたい。
はあ、ダメ。これ以上は耐えられない。
「ローラ。俺は……」
もう限界。私はガバッと立ち上がりました。
「どうしたの? 急に」
突然の意味不明な行動に呆気にとられるレイ様。
私の胸中など知る由もない困惑した表情。初めて自覚した気持ちを消化できない私。
話の最中に席を立つのは不敬だわ。咎められるかもしれない。何よりもレイ様に失礼なこと。ほんの少し残っている理性が囁きかけますが、それもすぐに消えていきました。
これ以上は、私の気持ちが持たないわ。
「ローラ?」
「申し訳ありません。時間がないので、これにて失礼させていただきます」
やっとの思いで声を絞り出し、深々と頭を下げて踵を返すと脱兎のごとく駆け出しました。
「ローラー」
背中にレイ様の悲痛な叫び声が聞こえたような気がしましたが、それどころではありません。
レイ様のことが好き。
自覚した気持ちを持て余し、彼の元から逃げ出す事しか考えられませんでした。
「レイ様、お菓子を作ってみたのですけれど、よければ厨房をお借りしてもよろしいですか?」
「うん、いいよ。いつでも。いつにする?」
即答で快諾して頂きました。有難いですけれど、いつにするって、早急すぎませんか?
「許可して頂きありがとうございます。ただ日時についてはこれから考えます」
せっかちなレイ様にクスクスと笑いが漏れてしまいました。
「早めに決めておいた方が厨房の段取りもつくし、材料だって揃えることが出来るからね」
「確かにそれはそうですけれども。しばらくは忙しくてゆっくりとした時間は取れないと思うので」
「忙しい?」
「今、仕事が立て込んでおりますので、それがひと段落すれば大丈夫かと思います」
カフェをオープンする前にお披露目パーティー開催準備に大わらわしている最中。アンジェラ様にもお休みを頂いてきたばかりで、そうなるとレイ様にもお会いできないわ。
「そうか。今日も時間がないって言ってたね」
「はい。申し訳ございません」
見るからに残念そうにしゅんと項垂れるレイ様に私も寂しくなってしまったわ。一週間に一度とはいえ、お会いするのを楽しみにしていたから。
「そうかあ。それじゃあ、ピスタチオのお菓子もしばらくお預けかー。あれ、美味しかったから食べたかったんだけどなあ」
「ピスタチオ?」
いつ、作ったかしら?
宮の厨房では作ったことはないわ。その時にはピスタチオがお好きなことは知らなかったもの。
「あっ!」
怪訝な顔を向けた私に小さな叫び声をあげて口を塞いだレイ様。
しまった失言したって表情をしていらっしゃるわ。もしかしたら、他の方と勘違いしていらっしゃるとか。どう考えても心当たりがないので、ちょっと疑念を抱いてしまいます。
「レイ様、それは、いつ……あの……別の方と間違えていらっしゃるのでは?」
「いや、いや、違う。そうじゃなくて……」
あたふたと狼狽える様子にますます怪しさが増していくわ。
どなたなのかしら? レイ様に手作りのお菓子をプレゼントできる方って。
厨房でお菓子を作ったあと、レイ様がどなたかの隣でニコニコと笑いながら召し上がっている。そんな姿を想像すると心がズキズキとしてきました。胸が痛いわ。
「大丈夫です。勘違いはどなたにもありますもの。これは聞かなかったことにしますから、お気になさらないでくださいませ」
「いや、いや。だから違うって。なにか勘違いしてるよね? 違うから」
そんなに必死に否定なさらなくてもよろしいですのに。
この前は料理は作りましたが、お菓子までは手が回らなかったので、シェフが作ったものを頂いたのですよね。なので、お菓子はまだレイ様のお口には入っていないはずなのです。
そうなると、私よりも先に手作りのお菓子をプレゼントした方がいらっしゃるってことですよね。
考えれば考えるほど、モヤモヤしてしまいます。この気持ちは一体何なのでしょう?
「ちゃんと話すから、聞いて」
「……」
後ろめたいことでもおありなのかしら? 勘違いなら勘違いといって下さればそれで済むことなのに。
事を大きくしようとも広げようとも思っていませんから。妙にこだわられると怪しさがマシマシになるのですけれど。モヤモヤも募っていきます。
「ほら、あそこにベンチがあるから座って話そう? ね?」
レイ様に手を取られて腰に手を回されて、半ば強制的にベンチに座らされました。
生い茂った木々が程よい木陰を作ってくれています。見上げると青い空が広がっていました。
ぴーひょろろ。トンビの声でしょうか? 空の上から聞こえてきました。
「で、ローラ。さっきのお菓子の件だけど」
「レイ様、そのことについてはもう……」
聞きたくない。
「うん。だから聞いて」
逃げ腰になった事に気づいたのかレイ様は私を抱き込みました。こんな時のレイ様の行動は素早くて、察知能力に長けてらっしゃるわ。耳も塞げないんですもの。切なくて胸をきゅうっと絞られるように苦しい。なんでこんな気持ちになるのかしら。
「あれはディアナからもらったんだ」
「⁉」
えっ。ディアナ? えっ……想像もしていなかったわ。これは、どう理解すればいいのかしら?
ディアナって料理はしない人だと思ったのだけど、レイ様のためにお菓子を作ったってことなの? でも、ディアナには仲睦まじい婚約者様がいるわ。
どういうことなのでしょう? グルグルと頭の中にいろんな思いが交錯して駆け巡っていきます。
「そうじゃなくて、言葉を間違えた。そうじゃなくて……」
「……」
ディアナとは幼馴染で仲がいいことは知っていました。レイニーって呼び捨てですものね。レイ様もディアナって呼んでいますし。ディアナにはお相手がいるけれど、レイ様は?
ピスタチオのお菓子って、美味しかったって、嬉しそうでしたものね。
泣きたくなってきました。帰ってもいいかしら? 帰りたいわ。力を緩めて頂いたら腕の中から抜け出せるのに。庇護された小鳥のようにレイ様の腕の中は心地良いけれど、レイ様の心の中は?
「ローラの手作りだって渡されたんだ」
「!」
私の? なぜ私の名前が出てくるの? 心当たりがないわ。ディアナにお菓子を託したなんて覚えがありません。ごまかそうとしてらっしゃるわけではありませんよね? 思考がぐちゃぐちゃでちょっとしたことでも疑心暗鬼になってしまいます。
「というか、元々はディアナへのお土産だって言ってたんだ。それをおすそ分けするって持ってきたんだよ」
「あっ!」
合点がいきました。それなら、心当たりがあるわ。まさか、ディアナがレイ様に贈ったとは思わなかった。そんな出来事があったとは一言も言わなかったから知らなかったわ。あのお菓子がレイ様に届いていたのね。
あれは試作の段階だったから、今度はもっと上手にできたものを召し上がって頂きたいわ。
「うん。そういうことなんだ。ごめんね、誤解させるようなことを言ってしまって」
「いいえ。私も勘違いで早とちりしてしまったみたいで、申し訳ありません」
やっと真相がわかってホッとしました。よくよく聞いてみれば何のことはない。自作のお菓子を私が知らない間にレイ様が召し上がったってことだったのね。
レイ様の規則正しい心臓の鼓動が耳に響いてきます。すっぽりと包まれた腕の中は幸せな夢の中にいるよう。
よかったわ。誤解で済んで。あれがもし本当だったら、ディアナに嫉妬するところだったわ。
よかった……
ちょっと待って。
私、今何を思ったの? 嫉妬? えっ⁈ 嫉妬⁈
ディアナにって、それって……それって……
レイ様のことを……あ、あっ……
頭の中が混乱して、思考と気持ちが追い付かずあわわとパニック状態。
どうすればよいのでしょう。
「ローラ。話があるのだけど」
レイ様の甘い声が頭上から降り注ぎました。聞きなれているはずの声に、心が震え一気に体温が上がって、顔が真っ赤に染まります。
「ローラ。俺の方を見て」
下を向いたままの私に焦れたのでしょうか。再びレイ様の声が。ダメです。恥ずかしくて顔が見れません。動悸も激しくなってきました。
初めて抱く感情にどう向き合えばいいのでしょう。
「ローラ? どうしたの? 具合でも悪い?」
心配げに尋ねるレイ様にふるふると頭を左右に動かしました。これが精いっぱい。便乗して具合が悪いことにしておけばよかったのかも、なんて頭の片隅で考えていたら、くいとあごを持ち上げられてレイ様の顔が目の前に。
その瞬間、きゃあと声にならない声を上げてさらに体温が急上昇して、思考が停止してしまいました。菫色の瞳の中に私が映っている。レイ様の中に私がいる。ぼんやりとそれを感じて……
ドキドキと激しくなる鼓動。呼吸も荒くなってきたみたい。
はあ、ダメ。これ以上は耐えられない。
「ローラ。俺は……」
もう限界。私はガバッと立ち上がりました。
「どうしたの? 急に」
突然の意味不明な行動に呆気にとられるレイ様。
私の胸中など知る由もない困惑した表情。初めて自覚した気持ちを消化できない私。
話の最中に席を立つのは不敬だわ。咎められるかもしれない。何よりもレイ様に失礼なこと。ほんの少し残っている理性が囁きかけますが、それもすぐに消えていきました。
これ以上は、私の気持ちが持たないわ。
「ローラ?」
「申し訳ありません。時間がないので、これにて失礼させていただきます」
やっとの思いで声を絞り出し、深々と頭を下げて踵を返すと脱兎のごとく駆け出しました。
「ローラー」
背中にレイ様の悲痛な叫び声が聞こえたような気がしましたが、それどころではありません。
レイ様のことが好き。
自覚した気持ちを持て余し、彼の元から逃げ出す事しか考えられませんでした。
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