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第二部

レイニーside

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「はあ……」

 ふかふかのクッションを重ね置きしたソファに体を預けて俺は大きく嘆息した。

 コンコン。
 ドアをノックする音が聞こえた瞬間、ガバっと起き上がった。
 もしかして……微かな希望に胸を膨らませて扉を凝視した。
 やがて、扉が開いて、入ってきたのは、セバス。
 
 違った。
 期待した分落胆は大きい。俺はさらにソファに体を沈み込ませた。毎週この繰り返し。ローラが来なくなってからどのくらい経っているのか、よくわからない。すでに数えるのを放棄している。

「殿下。あからさまに落胆するのはおやめ下さい」

 書類の束を抱えたセバスが鬱陶し気に声をかけた。

「どんな顔をしようと俺の勝手だ」

「そうかもしれませんが、部屋に入ったとたんにガッカリされると私とて傷つきます」

「それは、すまなかった」

 言葉で言うほど傷ついてはいないだろうと態度でわかる。一応謝っておいた。

「お気持ちはわかりますが……」

 だったら、黙っていてほしいとは思うが、言葉には出さなかった。すでにセバスの姿はなかったから。

「はあ」 

 何度目かわからない溜息が零れる。
 前日までに仕事を終わらせて、ローラを迎えるのが日課になっていた。今日だってそうだ。リッキーの所には行っていると聞いていたから、もしやと思い迎えをよこしたのだが、結局は、待ち人来たらず。
 

「殿下、暇そうですね。ゆっくりなさるのもいいですが、仕事をなさってもいいのですよ。書類はたくさんありますから」

「いやだ」

「殿下……」
 
「今日の分は昨日仕上げてしまったし、休ませてくれ」

 来るわけはないとは思っていても待ってしまう。もしかしたら、気が変わってこちらに来てくれかもしれないと、淡い期待を寄せて。
 ローラの笑顔が見たい。ローラの声を聞きたい。ローラを抱きしめたい。代わりにクッションを抱きしめてしまった。クッションはクッション。ローラのような温もりはない。ローラの甘い香りが懐かしい。
 虚しさが胸に広がってさらに落ち込んでしまう。

「まあ、よいですが。それよりも見事にどんよりと曇っておりますなぁ」

「曇り?」

 外? 雲が多い空ではあるけれど、どんよりとはしていない。雲間の陰から太陽も出ている。曇りとまではいかない天気だ。

「天気ではありませんよ。ここの空気のことです」

 外を眺めていた俺にセバスがきっぱりと告げる。

「正確に言うと殿下の周りだけですが」

「ほっといてくれ」

 珍しく絡んでくるセバスを一瞥するとソファに寝転んだ。
 プロポーズを断られた日からぱったりと途絶えた宮への訪問。手紙のやり取りも謝罪と共にやんわりと断られてしまった。そのため、ローラと接触する機会がなくなってしまった。

 義姉上にもお願いしてみたのだが、今はそっとしておいた方がいいと言われてしまい、お手上げ状態だ。

 いったい、何がいけなかったのだろうか。
 俺のことを嫌っているようには見えなかったし、手をつないでも抱きしめてもイヤな素振りはなかった……ように思える。俺の腕の中にすっぽりとおさまるローラのどこに俺を嫌う要素があるのか、知りたいくらいだ。そう思うくらいにはしっくりときていたのに。

『申し訳ありません。お受けできません』『お受けできません』『お受けできません』……

 ローラの声が何度もこだまする。

「はあ……」

 出るのは溜息ばかりでやる気も起こらない。
 心を通わせられていると思ったのは、俺の独りよがりでうぬぼれだったのか?
 ローラとの思い出が次から次に浮かんでくる。いや、思い出にしてはいけないだろう。まるで、もう終わってしまったようではないか。
 思考が悪い方へ悪い方へと進んでいく。このまま、終わってしまうのだろうか。どうやったら、ローラの心が手に入るのだろう? いっその事、ブルーバーグ侯爵に結婚の許しを請えばうまくいくのだろうか。王命を使うとか……
 自分の力不足を他で補って権力を使ったところで、無理やりローラは手に入れても心は俺のものになるのだろうか。

 虚しい。

 心にダメージを受けている状態では碌な事しか考えない。どれだけ落ち込むんだか、このままでは浮上できない。
 しばらく悶々としいていたが、

「そういえば、エルザ達はどうしたんだ?」

 妙に静かすぎる部屋に気づいて声をかける。

「彼女達はフローラ様の部屋を掃除してますよ」

「ローラの?」

 空いて部屋をローラ専用のドレッサールームにしている。

「はい。いついらっしゃってもいいようにきちんと整えておくのだと言って、きれいに磨き上げてますよ」

 セバスが銀の燭台を磨きながら教えてくれた。侍従のクリスは銀の食器を磨いている。
 銀製品を磨くのは彼ら侍従の仕事だから、おかしくはないのだが。

「お茶の時間になさいますか?」

「いや、いい」

 別に喉が渇いているわけではないから必要ない。姿が見えなかったから聞いただけだ。
 ローラがいつ来てもいいように……

「殿下、当たって砕けろですよ。一度や二度振られたからって、すぐに諦めるようでは難攻不落な城は落とせませんから」

 励ましたいのか、からかっているのか、それとも両方なのかダンの声がした。

「砕けたら、ダメだし。二度は振られていないし、ローラは城ではない」

 シラリとした目で睨んで思わずツッコミを入れる。

「いやだなあ。そのくらいの気持ちで挑めってことですよ」

 ダンの隣でしたり顔でうんうんと大きく頷いているアルとジャック。セバスとクリスは銀製品を拭いていた手を止めて、賛成とばかりに小さく拍手をしている。
 気持ちは分かるが……側近達の態度に若干身を引いた。

「まさか、殿下が振られるとは思いませんでしたが」

 痛いところを突く。俺だって、振られたくなかったし、了承してくれると思っていた。その、まさかだった。

「フローラ様を逃したら、一生結婚できないんじゃないですか?」

「別にそれでいい。ローラとしか結婚しない」

 彼女しか考えられないし、諦めたくない。

「だったら、頑張ってください。俺達、応援してますから」

 次々と突っ込んでくるダンに傷口に塩を塗られたような気がしなくもない。己の不甲斐なさをひしひしと感じてしまう。本人はエールを送っているつもりなのだろう。
 側近が味方してくれるのはありがたい。ありがたいのだが。

「殿下、いざとなったら王命という手もございますからね」

 柔和な笑顔で二つ目の燭台に手をかけたセバスが言った。

「王命か。その手がありましたね。そっちの方が早いんじゃないですか? さっそく国王陛下に掛け合ってみては?」

「おー。それは名案」

 即決な方法を見つけたと思ったのか、みんなの顔がぱあと明るくなった。相当な乗り気である。俺では心もとないのか、頼りにならないと思ったのか、失礼な態度だな。俺だって考えないことはなかったから、偉そうなことは言えないが。

「ダン、ちょっと慎みなさい。殿下にも失礼でしょう。あくまでも最終手段ですよ。もしもの時には、このセバスが誠心誠意をもって土下座をしてでも陛下にお願いしますから、何なら、この役職と引き換えにしてでも……」

 布巾を握りしめた手が興奮のためかプルプルと震えている。

 ガバっとソファから起き上がると

「セバス。お前も慎んでくれ」

 俺は慌ててセバスを止める。力説しすぎだ。そのうち、命を……とか、言い出すんじゃないか。

「わかりました。俺も一緒に土下座します」

 勢いよく手を上げたダン。使命感に燃えているように見えるのは気のせいか?

「「「俺も」」」

 異口同音に賛成した残りの三人。なんとなく誇らしげなのは気のせいか? ちゃんと話を聞いていたのか?

「そうですね。みんなで行きますか? エルザ達にも声をかければ賛成してくれるでしょうし」

「人数は多い方がいいだろうしな」

「じゃあ、いつにする?」

「先ずは陛下に謁見の申し込みをしなくてはいけません」

 俺以外、テーブルを囲んでなんやかんやと盛り上がっている。素早い。すでに紙とペンまで取り出している。なんでこんなことにはまとまりがいいんだ。

「ちょっと、待て。俺を無視するな」

「「はっ?」」

 あれやこれやと計画を立てているみんなが一斉に振り返る。このままでは直談判されかねない。母上からはローラを射止めろ言われているし、自分の力で何とかしなくてはいけない。他力本願で無理やりではローラがかわいそうだ。

「みんなの覚悟はわかった。もう少し、時間をくれないか?」

 一気にしんとした空気に負けないようにみんなを見据えた。ここで流されてはいけない。怯んでもいけない。

「了解です。殿下、今度こそ、頑張ってください。応援しますから」

 拳を突き出すダン。
 みんなの気持ちだろう。素直に受け取っておく。

「殿下、押して押して、押して当たって砕けろですよ」

 ガンバ―と親指を立ててウィンクをよこすアル。
 何度も玉砕させるんじゃない。どれだけ挑ませるんだ。

「わかっておりますよ。これはあくまでも最終手段ですからね」

 セバスの穏和な一声で話し合いの輪を解いた側近達。とりあえず王命の可能性はなさそうだ。それにしても、主人抜きで勝手に暴走するのはやめてほしい。切に願う。



「あれー。降ってきましたねー」

 気の抜けたようなアルの声に窓を見やると、さっきまで見えていた青空は厚い雨雲に隠れて大粒の雨が窓に打ちつけていた。

 雨か……

 ローラは今、何をしているんだろう。
 彼女もこの雨を見ているのだろうか。

 再び静かになった部屋の中で窓際に立って、雨にけぶる外の景色を眺めながら、ローラのことを思った。
 

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