公爵令嬢の結婚

きさらぎ

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ナイトキャップ

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 涼やかな風がクリスティアの髪を撫でていく。木々の葉がさわさわと風に揺すられる音が耳に心地よい。
 湯あみを済ませ、夜着にガウンを羽織り寝室に設えられたバルコニーで一人でシャンパングラスを傾けていた。シフォナードは書類を確認したいと執務室に籠っている。

 結婚してから数カ月が経った。
 隣国の王子殿下。どのような人物かと思ったら見目麗しく、心穏やかな優し気な方だった。おまけに勤勉で真面目、領地経営にも意欲的に携わってくれる。今のところ公爵家の婿としては合格点である。
 ただ、非の打ちどころのない王子ならば自国でも結婚相手には事欠かなかっただろうに。なぜに隣国へ? 友好のためとの大義名分はあるものの、それだけだろうかと少しふに落ちないところもあるのだけれど……それを本人に聞くわけにもいかない。 

 グラスのシャンパンからしゅわしゅわと立ち上る泡を眺めながら、クリスティアはそんなことを考えていた。
 
「ここにいたのかい?」

 不意に後ろから声がした。随分と耳慣れてきた声に振り向くと夜着姿のシフォナードが立っていた。ベッドにいなかったから探したのだろう。
 
「ええ、夜風が気持ちよかったので、寝るのももったいないと思ってここにおりましたの」

 クリスティアはにっこりと微笑みながら、自分が座っているベンチの隣に来るように促す。
 シフォナードが腰を下ろしたのを見計らってグラスにシャンパンを注いだ。テーブルには幾種類かのおつまみも用意されている。たまには二人でゆったりとお酒を飲むのもいいだろうとクリスティアが用意させたものだった。
 二人はグラスを重ねて小さく乾杯をした。シフォナードはつまみと一緒にシャンパンを飲んだ。リラックスしているように見える横顔にクリスティアは安堵する。

「顔が少し赤い」

 二杯目のシャンパンが注がれたところで、シフォナードがクリスティアの顔を見つめて呟いた。

「そうですか? そんなに飲んではいないのですが」

 一口か二口かそのくらいしか飲んでいないはず。顔が赤いと言われてクリスティアは頬に手を当てる。火照っている感じはしないのだが……お酒には強いから少々の量では酔わないはず。
 何度も顔を触って熱さを確かめている姿にシフォナードは目を細める。普段は冷静沈着な彼女がちょっとあたふたする様は、日頃とのギャップもあってとてもかわいらしい。 

「冗談だよ」

 シフォナードはクスクスと笑いをもらす。

「えっ?」

 冗談……言われた言葉にクリスティアの動きが止まる。そして視線はシフォナードに。じっと見つめればいたずらが成功したような子供のような笑顔で笑っている。

「もう、シフォン様。からかわないでくださいませ」

 彼の言葉を真に受けてしまった自分が恥ずかしい。クリスティアは羞恥で真っ赤になった顔を両手で覆った。隠しきれない指の隙間から赤く染まった肌が見える。

「ごめん。でも今の方が顔が赤いよ」

「そんなことはありません」

 これ以上はからかわれまいと強がりも入れつつ、そっぽを向いた。

「ごめんね。もう言わないから許して」

 許しを請う甘い声が耳をくすぐる。すぐに許してしまうのもしゃくなので「ダメです」ともう少し拗ねてみた。
 隣からくくっと忍び笑いが聞こえる。もしかしたら呆れているのかもしれない。そう思いつつも顔は向けられない。
 意固地になっているのが微笑ましくて、まるで幼女のような仕草がかわいらしすぎた。シフォナードはもう一度声をかけた。

「クリス。許して」

 さらに甘い甘い声が降ってくる。
 心にしみ込んで胸の奥がきゅっと震える。クリスティアはシフォナードの声に弱い。
 初めて会った時に心を捉えたのは外見よりも人柄よりもこの声だった。まさか、声にひとめぼれするとは思わなかった。高くもなく低くもなくちょうどよい声音に、時折紡ぎだされるセリフは蜂蜜のようにとろりとしていて、お酒よりも酔いを誘うほど危険なもの。けれど大好きな声だった。
 
「クリス」

 もう一度呼ばれて振り返ろうとしたと同時に背中を抱きすくめられた。突然胸の中にすっぽりと包み込まれて言葉がすぐに出てこない。

「体が冷えてる」

 言われてみればどのくらいバルコニーにいただろうか。暖かくなってきたとはいえ、夜風にあたりすぎたら体にもよくないだろう。シフォナードはクリスティアの手にふれた。指先も冷たくなっている。

「風邪でもひいたら大変だ」

 あっという間もなくクリスティアを抱きかかえた。

「あっ、あの大丈夫ですわ。だから……」

 歩けますと言おうとした途中で唇が塞がれた。触れるだけの優しいキスにシフォナードの唇から仄かに体温を感じてドキドキする。名残惜しそうにゆっくりと唇が離れるとお互いの目が合った。

「唇も冷たい。ぼくが温めてあげるよ」

 微笑む瞳の奥に情欲の炎が灯る。
 その意味を理解したクリスティアは小さくうなずくと首に回していた腕に力を込めて抱き着いた。
 その様子に満足したようにシフォナードは、クリスティアを抱きかかえたまま部屋に入っていった。
 
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