メイストーム

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 吹き込んだ風に煽られ、研究室に書類が舞った。
「だめだ、窓閉めてくれ」
 相馬教授の声が響いた。窓際にいた出雲井があわてて建て付けのよくない窓を閉めると、みんなで安堵の息を吐いた。窓ガラスが激しい春風に揺れている。
「すげぇ風……。花に嵐のとか言うけど、せっかくの桜が散るって。明日あたり撮影に行こうと思ってたのにな」
 出雲井が書類を集めながら愚痴をこぼした。雄高と奥津もバラバラになった書類を番号順に整えた。
「うーん、カップに砂が入ってしまった。洗わないことには、お茶にならんな」
「あ、洗います」
 奥津は手にした書類を出雲井に押しつけると、小走りで教授のもとへと駆け寄った。
「春一番かな。こんな上天気なのに、風が強すぎる」
 出雲井は雄高に話しかけたが、雄高はどこか上の空だった。今頃、史彦は佐野と買い物出かけているはずだ。佐野が雄高の言葉を真に受けて、もしも史彦に行動を起こしていたら……あらぬ想像が雄高を苦しめた。
 外はうららかな春の情景だ。すでに満開の桜と、薄くかすむ遠い山並み。日増しに緑が濃くなってゆく風景は、出雲井でなくても写真に収めたくないるだろう。
 洗われたカップをまえに、再び教授がお茶を入れ始めたとき電話が鳴った。手の滴を拭いながら奥津が受話器を取った。雄高はまだぼんやりと外を眺めていたが、名前を呼ばれて振り返ると、受話器の口を押さえた奥津がいた。
「外線です。碓氷先生にですよ」
 史彦なら、携帯を使うはずだ。もしかするとクリニックからだろうか。雄高は受話器を耳に当てた。
「はい、碓氷です」
 ほんの一拍の間。それだけで雄高は電話の主が誰なのか分かってしまった。
「碓氷か」
 雄高は声に詰って返事が出来なかった。安騎野あきのだ! 紛れもなく、安騎野の声だ。予想はしていたが、まさか研究室にかかって来るとは思わなかった。
「……何の用でしょうか」
「病院で聞いたかも知れないが、いまこっちにいる。会わないか」
 雄高は拳を握った。何が目的だ。安騎野は何を話してるんだ。雄高は緊張感から喉が渇き、額に汗が浮かぶのがわかった。
「いやだ」
「なら、直接大学に行けば会ってくれるのか」
「それは」
 雄高は思わず受話器を両手で覆うと、背中を丸めた。きっと、皆は雄高の行動を怪しんでいるに違いない。雄高はすぐにでも電話を切りたくなった。
「プラザホテルのロビーにいる。今日はクリニックに出勤じゃないんだろう? 待ってるから来いよ、必ず」
 雄高の同意も得ずに、安騎野は一方的に電話を切った。雄高は受話器を置くと、呆然としたままたたずんだ。視界に急に紗をかけられようになり、音が遠のいた。
 安騎野がいる、すぐそばに。受話器に乗せた手がかたかたとふるえる。もし行かなかったら、安騎野はどうするだろうか。きっと、言葉どおり大学の研究室まで来るに違いない。さっさと諦めて帰るような性格ではない。安騎野は雄高は自分には決して逆らえないということを知り尽くしている。
「雄高くん?」
「どうしたんですか、碓氷先生……」
 教授と奥津の声が耳に届いて雄高は頭を振った。
「すみません、急用が出来てしまいました。残りは明日にでもまた」
 雄高はそう言い置くと、挨拶もせずにコートと鞄を掴んで研究室から飛び出した。

                                     
 血のなせる技なのか。雄高はロビーで足がすくんだ。昼下がりホテルのロビーはチェックインが始まったばかりのせいか、客もまばらで商談か接待の打ち合わせかそんな様子のスーツ姿が何組かいるだけだ。
 ホテルを入ってすぐのティーラウンジの椅子に腰かけた安騎野の横顔は、初めて会ったときの峠医師と寸分違わぬように見えた。
 安騎野が雄高の視線に気づいたように振り返った。
「……」
 無言で軽く手をあげる安騎野。冬に会ったときよりも髪をかなり短めにして、ご丁寧にも峠医師のように丸いフレームの眼鏡をかけている。雄高はぎくしゃくと足を動かし、安騎野の前に立った。硬い表情の雄高を見て、安騎野は目線で座るように指示した。
「また会えたな」
 正面から見ると、よく見知っている安騎野にもどったようで雄高は安堵した。しかし、安堵する自分が腹立たしかった。
「先生が亡くなったって?」
 開口一番、安騎野を責める言葉が口からこぼれた。安騎野は悠々と眼鏡を外すと、スーツの胸ポケットにそれをかけた。
「そう、今月に入ってから」
「嘘をつく理由はなんだよ」
「嘘じゃないさ。役所に死亡届を出したのは、二週間前だ。親族一同で隆を見送ったし、その後荼毘にふされた。全部本当のことだ」
 雄高は頭の中で矛盾する事実を受け入れられなかった。安騎野は余裕からか笑みを浮かべている。
「タクシーの運転手さえ、峠先生が亡くなった事を知っていたんだ」
「ああ、そんな噂も立ったな。しばらく姿を見せなかったから、まわりに誤解されたみたいだ。もっともその後の小康状態の時には親戚にも会っていたし、周囲のものたちも単なる噂だったと思ったらしい」
 目の前には、峠医師とそっくりな安騎野がいる。途端に、雄高はすべてが理解出来たような気がした。
「替え玉、安騎野が峠先生のふりをしていたんじゃないか?」
 安騎野はほお杖をついて、にやりと笑った。
「おまえの賢さが、俺は好きだよ」
 言われて雄高は一気に頬が紅潮した。未だに、安騎野の好きという言葉に反応する自分に嫌悪した。このまま口をつぐんで安騎野にしゃべらせていたら、ペースに巻き込まれて泥沼にはまるだろう。
「公文書を偽造したのか」
「人聞きが悪いな。現にたかしの死体だってあったんだ」
「死亡診断書は変死でないかぎり病院や医師の管轄だ。それに先生の病院の規模を考えれば死体を冷凍保存出来る設備があるんじゃ……」
 自分で口にしながら、あまりの不気味さに雄高は吐き気が込み上げた。死体を保存しておく……病院の上層部には造作もないことだろう。
 安騎野は否定しなかった。いや、むしろ雄高の推理を嬉しそうに聞いていた。模範となるような解答を生徒が黒板に書いたときのような表情で。
「峠の一族は体面にこだわる。次期当主となるはずだった隆の死に様は公表出来るわけがない。養子として立場が弱い俺は、本家の意向に従って猿芝居の片棒をかついだわけだよ。本家に何日か寝泊まりしてな」
「加害者は……」
「相手が悪すぎた。いうならば、家の者は所払い。加害者の女性は一生病院から出られないだろう」
 事もなげに安騎野は口にした。時代がかった峠家の権力を見せつけられて雄高は息を呑んだ。一人の死を悲しむよりも、家の体面を重んじる……そんなことも葉月には許せない事だったのではないか。雄高が訪問したときの彼女の怒りは、ただ安騎野だけに向けられたわけではないはずだ。
「わざわざ俺に喪中葉書まで出していながら」
「会いたかったからに決まっているだろう。あれは碓氷にだけ、出したんだ」
 雄高は髪をかきあげると、目を閉じた。二月の夜を思い出す。会いたかったという安騎野の言葉は真実だったのだろうか。いまさらそれを知ったところで、どうしろと言うのだ。会いたかった、あの時は雄高も同じ気持ちだったが今は違う。
「もう、会わないといった」
「でも碓氷は来てくれた」
 安騎野はコーヒーを一口飲んだ。雄高は首を左右に振った。来たのは、強迫観念からだ。会いたかったわけじゃない。雄高は後悔に襲われ、組んだ手に額を乗せた。
「葉月がまた結婚すると言っている」
 顔を上げると、横を向いたまま無表情で話す安騎野が見えた。
「まあ、本家のババアが強くすすめている、というのが正しいがな。また俺は一人になるらしい。だから」
「だから?」
 雄高のぼんやりした口調に安騎野の目元が険しくなったように見えた。無言で雄高の二の腕を掴むと安騎野は腰を浮かせた。あまりの強さに雄高は低く悲鳴をあげた。
「来いよ、こんなところで話していてもしょうがない」
「ど、どこへ?」
 安騎野は呆れたように雄高を見た。顔を歪める笑いを浮かべると、カード状の鍵をポケットからのぞかせた。雄高から一気に血の気が引いた。
「駄目だ、俺は……帰らせてもらう」
「ここまで来て?」
 安騎野がぐいっと雄高に顔を近づけて正面から瞳を見据えた。 
「俺が来いと言ったら、おまえは従うしかないんだ」
「……いやだ」
 安騎野は声を低くして凄みをきかせたが、雄高はふるえながら逆らった。もうこれいじょう安騎野の好きにはさせない。雄高はやにわに立ち上がると、駆け出す態勢を取ろうとした。足の不自由な安騎野は決して雄高を追いかけられない。卑怯者と言われようとなんだろうと、身を守ることが先決だ。
「碓氷」
 入り口へ身体を向けた途端、外を歩く二人連れと不意に目が合った。磨かれた透明な自動ドアの向こうは、商店街だ。雄高の身体はぎくりと止まった。その間に安騎野が杖を頼りに立ち上がった。
 二人連れ……長髪の男性が雄高に気づき、いぶかしげな表情でホテルへと入って来た。扉が開き、雄高のよく知っている背の高い青年が声をかけた。
「雄高どうしたんだ、こんな場所で」
 コンピュータショップの紙袋をさげた史彦が佐野を従えて雄高に問いかけた。雄高はいまさら、ホテルが商店街の中心地に位置することを思い出した。けれど、それが何になるというのだろう。雄高は進むことも退くこともできず、青ざめた。
「大学は?」
 そう問いかけた史彦は、雄高の背後の人物にようやく気づいた。軽い近視の史彦は始めわずかに目を細め小首をかしげた。それが誰かは分からないというように。
 安騎野が一歩進む気配が背中に感じられた。雄高は冷や汗が額に浮かび、硬直した。
灰智かいち……!」
 リーチのある長い腕が目の横をかすめた。名前を呼ばれて史彦は目を見開いた。
「あっ」
 条件反射のように、史彦の身体が後ろに退いた。見る間に史彦の顔が恐怖に引きつる。伸ばした安騎野の手はわずかに史彦に届かなかった。しかし、ふわりと宙にたなびいた史彦の長い髪を指先で搦め捕った。
 すべてがスローモーションのように、雄高には感じられた。かすかに悲鳴をあげ、荷物もなにもかも放り投げると、史彦は両手で髪を押さえた。崩れおちる史彦を支える腕も間に合わず、そのまま史彦はロビーにへたりこんだ。
 安騎野が史彦を凝視したまま、指にかかった史彦の髪をするりと外した。ロビーは雄高たちの騒ぎに静まり返った。好奇の視線が四人に集まる。が、史彦はがくがくとふるえたまま立ち上がれずにいた。
「ヒコ、大丈夫か」
 佐野が史彦に肩を貸して立たせると、雄高と安騎野を何度も見比べた。雄高はまるで口が縫い付けられでもしたように、なにも話せなくなっていた。
「久しぶりだな、灰智」
「安騎野……」
 呆然と史彦がつぶやくと、途端に佐野の瞳が怪しく光った。安騎野が数歩史彦に近づいた。無意識だろうが、史彦は佐野にしがみついた。雄高は緩慢な安騎野の動作さえ制止することが出来なかった。
「いや、二月に一度電話で話した……」
 雄高に話す口調とは比べものにならない。恐らく本人は気づいていないだろう、優しい声だ。雄高はいまさら、安騎野の史彦への執着の深さを眼前でまざまざと見せつけられた。 史彦は安騎野の言葉の意味が分からずに、困惑の表情を浮かべた。安騎野は雄高を一瞥してから、意地悪く笑った。
「碓氷の携帯にかけてきただろう。嵐の晩に」
 嵐の、と史彦の唇が声もなく動いた。呆然としていた瞳は、瞬く間に答えを導き出したように、はっきりとしたものに変わった。史彦のあごがかすかにふるえて見える。いや、ふるえているのは雄高も同じだ。
 雄高の携帯に深夜、電話をかけた。それを安騎野がとったという意味がわからないほど史彦は鈍くない。
「雄高……」
 血の気を失い、紙のように白くなった史彦。漆黒の髪と、より赤く見える唇……こんなときに雄高は、史彦はきれいだと思っていた。近くにありすぎて分からなかったが、客観的に見る史彦は誰よりもきれいだと。
「俺をだましていたのか……」
 支えられていた佐野の腕を振り払い、史彦は力を得た両の足で微動だにしない雄高へと歩を進めた。
「ずっと、ずっと俺を……」
 安騎野と佐野、雄高の視線が一気に史彦に集まる。雄高は気づいた。ここにいる三人すべてと、体の関係を持っていたことに。……自分のふしだらさに。安騎野とのことばかりではない。雄高は自分の体がすでに汚れきっていることに気づきながら、今までその現実から目を背け続けて来たのだ。だれが汚したわけでもない。自分が無軌道に他者を求め続けた結果だ。
「俺はおまえにふさわしくない」
 雄高の声はふるえなかった。ふるえもせず、史彦の目を真っすぐに見ることが出来た。悲しいのとは少し違う、空しさに近い感情が雄高のなかに去来した。まるで、こうなることがすでに決まっていたことのよう……台本を読むように雄高は史彦に告げた。
「安騎野とおまえ以外の人とも、俺は寝た」
「なっ」
「そんな奴なんだ、俺は。ようやく気づいた。史彦の隣にいる資格はない」
 笑えよ、葉月さん。あなたの言葉は正しい。誰とでも寝るような奴なんだ、俺は。
 雄高はただ史彦だけをみつめ、自らの罪の告白を終えた。
 史彦の長いまつげに縁取られた瞳がかたく閉ざされたかと思うと、一気に大きく見開かれた。
 史彦の髪がふわりと動いたのを認めた。と、がつん、という衝撃が雄高の頬に走り体が後ろに傾いだ。よろめく雄高を安騎野の両手が支えた。
 雄高は殴られた頬に手をやることもせず、歪んだ視界の中の史彦を見た。雄高を殴った拳を左手で押さえた史彦は、佐野に動きを封じられていた。
 史彦の切れ長の目から大粒の涙がこぼれた。
「お客様、警察を」
「騒がせて悪かったな。もう終わったから」
 フロントから駆けよって来たホテルマンを制したのは安騎野だった。雄高は背後から安騎野に手を回されたまま、涙を流す史彦を見ていた。史彦もまた、佐野に抱きしめられる形だ。殴られた頬が徐々に熱を上げていくのが感じられる。史彦は涙を拳で拭うと、佐野から身を振りほどき、やにわにその場から走り去った。
「ヒコ!」
 佐野が史彦の落とした荷物を持って、後を追った。駆け出す直前に雄高を見た佐野は、かすかに笑っていた。雄高の頬にようやく痛みが感じられた。傷にあてた自分の手ががくがくとふるえた。
 何もかも打ち壊してしまった。この手ですべてを。雄高の膝から力が抜けていく。
 もう終わった、安騎野の言葉は騒ぎの終結ではなく、史彦と雄高の関係の終わりを告げたように感じられた。
「碓氷」
 勝ち誇ったように、安騎野が雄高の瞳を見下ろした。すべての始まりの、安騎野……。雄高を長いあいだ精神的に支配し続けた存在。
 雄高は、佐野が自分と史彦とを引き離す災いの種になると、どこかで危ぶんでいた。けれど、現実は違った。長く続けた不実を雄高は自ら史彦に告げることを選んだ。
 きっと許してはもらえないだろう。
 あんなに、大切に思っていたのに。
 雄高は人目など気にしない安騎野に、ロビーで抱きすくめられた。
「もう一度、言いに来たんだ。一緒に暮らさないか」
 雄高はなにも考えられなかった。
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