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『当時、加害者は十八歳。酩酊状態で被害者のアパートで言い争いになり、台所にあった包丁で腹部を刺した。騒ぎを聞き付けた隣室の住人が救急車と警察を呼んだ。被害者の傷は腹膜を破り、内蔵にまで達する全治二カ月の大怪我だった。加害者はその一カ月程まえから、不眠と精神の不安を周囲にもらしていたが、投薬・カウンセリングなどの治療は受けていなかった。
その後精神鑑定が行われた結果、事件当時は心身喪失のため、責任能力は無しとみなされた。また、被害者加害者双方の両親の申し出で示談が成立。加害者は放校処分の後、神経内科にて加療……』
雄高はクリニックのカウンセリング室で、プリントアウトされた書類に目を落とした。佐野の事件について、雄高は別ルートから情報を入手した。パソコンで症例のデータベースを試みに検索してみたところ、それらしきものに当たったのだ。もちろん、患者の名前は伏せられているけれど、事件発生の年やその場所を特定させることで類推したのだ。
佐野は今日から休暇に入った。ほとぼりが冷めるまで、一週間程度の休養をとるようにと図書館長から直々のお達しがあったのだ。けれど、佐野としては渡米への意志を明らかにしている。それを大学側へと伝えたかどうかは雄高はまだ知らない。
昨日はあのままマンションへと帰った。一人きりで天井を見上げ、佐野と史彦のことを考えているうちに、外が白んできた。結局、ろくに眠れないままでクリニックへ出勤してしまった。幸いと言おうか、今日は予約の患者は数人だけ。それも午前中に集中していたため、雄高には多少のゆとりがある。
雄高は机にひろげた書類を何度も読み返し、眉間にしわを寄せた。
佐野はいちど壊れている。時折見せる雄高への執拗なまでの執着心がその片鱗だろう。昨日はなんとか落ち着いたといえども、いつまた感情の堰が決壊するか予測もつかない。自分は佐野についてアメリカに行くべきだろうか。
史彦との関係の修復への手掛かりも全くないのならば。いっそのこと離れた方がこれ以上史彦を傷つけずにすむのかも知れない。
佐野は自分に似ている。似ているが、自分は佐野にならなかった。それは……。
雄高は目を閉じ、深い思考へのとば口へと立った。
ドアがノックされた。
雄高の体が小さくはねた。考えることを中断し、返事をする。と、看護婦が患者の来院を告げた。
「予約ではないのですが、よろしいですか? どうしても碓氷先生じゃなきゃいやだとおっしゃるものですから……」
「ええ、どうぞ。お通しして下さい」
雄高は笑顔で答えると、若い看護婦はかすかに頬を染めた。焦るように視線をそらし、ドアの外で待っている患者を部屋へと導いた。
「じゃあ、どうぞ」
そう言ってから、雄高にカルテを手渡した。雄高はカルテの名前に釘づけになった。
静々と部屋に入ってきたのは、腰までの癖のある髪をおろした女子中学生だった。通称『M市の聖女』。市内の者なら皆が知っている、名門私立の中高一貫の女子校のセーラー服に身を包んでいる。どこから見てもかけねなしの美少女だ。
少女は顎をくっと上げ、雄高を二重の大きな瞳で見た。
「千乃ちゃん……」
名前を呼ばれて、千乃はにっこりと笑った。
「どうしたの? 何か相談かな?」
「最近カレシが冷たいの。よそに好きな人ができたみたい。先生、どうしたらいいの?」
丸椅子にヨヨと泣き崩れんばかりに座る千乃を見て、雄高は苦笑した。
「ボーイフレンドがいたんだ。初耳だな。千乃ちゃんの学校は男女交際にうるさいでしょう?」
「うん、いたらいいなあって思っただけ」
けろりとして千乃が答えた。史彦の妹とはいえ、さほど似ていないのは母親が違うせいだ。
「こないだ電話で誘ってくれたでしょ? お茶を御馳走してくれるって」
「ああ……ごめん、まだクリニックを抜けられないんだ」
こくり、と聞き分けのよい幼児のように千乃は頷いた。子どもと交わした約束は、どんな小さなことでも反故にするのは気が引ける。そのうえ今度、と言ったところで、いつなのかはっきりと返事が出来ない。
「べつにいいよ、いつでも。今日はね、雄高くんと話がしたくて来たの。ちなみにお兄ちゃんはまだ出張中よ。あと二・三日かかるみたい。それでね、聞いて聞いて!」
千乃は雄高のほうに体をずいっと寄せ、声を低くした。
「こんどの土曜日、お兄ちゃんお見合いするのよ」
雄高の表情は凍りついて見えたに違いない。千乃の不安げに見つめる瞳に、雄高は強ばりを解こうと頬に手をやり曖昧に頷いた。
「今までずーーっとパパから何べん言われても断っていたのにね。今回にかぎっちゃ、どうした風の吹き回しだか」
見合いの話しは初耳だった。父親から何度も言われていたなんて、雄高は一言も聞かされたことがない。時折マンションにかかってくる、史彦の実家からの電話がそれだったのだろうか。
「お兄ちゃんはここのとこヘン。こないだなんか、表玄関から入ればいいのに、わざわざ離れのあたしの部屋から帰ってきたのよ。そりゃ、離れは元はお兄ちゃんの部屋だったから、鍵ぐらい持っててもおかしくないんだけど。そんで唐突に夜中に帰って来たかと思うと、人の布団にもぐりこんでぐーぐー寝ちゃったの。寝相悪いし、寝言はうるさいし、髪はもつれちゃうし、もうサイテー」
実家の鍵はとうの昔にどこかへやってしまったのだろう。かつての自分の部屋、離れの鍵は雄高との思い出の場所だからといつもキーチェーンにつけていた。
雄高と史彦が何度も逢瀬を重ねた部屋だったから。まだ高校生だった二人が、無邪気にじゃれあっていた空間を雄高は胸の痛みと共に懐かしく思った。
「次の朝、食卓にいきなりお兄ちゃんがいるもんだから、家族みんな驚くし。ママは離れであたしと一緒に寝てたって聞くと目くじら立てて、『今後は、お座敷のほうで寝てください。まちがいがあったら困りますから』なんて言って、そしたらお兄ちゃんは真顔で『お母さん、マチガイってなんですか?』って聞き返したもんだから、どれほどおかしかったか想像出来る? パパは固まってるし、十子お姉ちゃんは無反応で、ママと百世お姉ちゃんは顔が真っ赤。あたしは笑うのをこらえるの必死だったわ。だって、無用な心配ってヤツじゃない?」
千乃は身振り手振りを交えて、一気にまくし立てた。日常生活にふと紛れ込んできた異質な感覚に家族が引っ掻きまわされた様子が伝わり、雄高も思わず苦笑した。
それから千乃は真面目な顔つきで雄高に問いかけた。
「ね、お兄ちゃんとなにかあったの?」
口をつぐんで雄高の目をのぞき込んだ。返事を口ごもる雄高は千乃の言葉に不自然な点があることに気づいた。
お兄ちゃんに、ではなく、お兄ちゃんと『なにかあったの?』
史彦の実家には完全に秘密にしている雄高との関係を示唆する言葉ではないか。千乃は史彦と雄高が同居する仲だとは知らないはずだ。なのに、あたりまえのことのように雄高にたずねた。
「別に……そんなにしょっちゅう史彦に会ってるわけじゃないから。それに史彦が誰と見合いしようと僕には関係はないよ。二十七なら、結婚してもおかしくない年齢だからね」
「関係ない? ホントに? 相手のヒトはね、まえからお兄ちゃんのこと知っててスッゴク好きなんだって。パパもママも乗り気だから、お兄ちゃんさえ首を縦に振れば、あっとゆーまに婚約成立よ。いいの? 雄高くん。あたしは嫌だな、そんなのゼッタイにイヤ」
白い頬を紅潮させ、問い詰めるように千乃は雄高を睨んだ。
「千乃ちゃんは、重度のブラザーコンプレックスだよ」
「承知のうえよ」
指摘されても居直るように千乃は胸をそびやかした。雄高は呆れ半分、潔さに脱帽半分し、ため息交じりに言った。
「それ、克服した方がいいよ。そうでなきゃ、素敵な恋人もできないよ」
止めの一撃のような雄高の言葉に、千乃は形の良い唇をくっとかみしめ、減らず口を閉ざした。数分間にも感じられる睨み合い。沈黙を破ったのは千乃の方だった。
「困るのよね、あたしの計画を潰してもらっちゃ」
「計画?」
うん、と千乃は頷いた。長い髪がくるりんと揺れてシャンプーの香が鼻先をかすめた。
「そうよ。少なくともあたしは雄高くんとの約束を守ってるんだから!」
計画の内容には触れず、千乃は約束という言葉と共に、小指を立てて見せた。雄高はしばし考え込んだ。千乃とどんな約束をしたか思い出そうとした。けれど、何も思い当たるふしはない。見る間に千乃に落胆の表情が浮かぶ。小指は拳に形を変え、膝の上で堅く結ばれた。そして俯いたままでつぶやいた。
「雄高くんが忘れてもいいや。あたしは覚えてるから」
千乃は席を立つと扉へと向かった。思わずその背中を雄高は追った。ノブに手をかけると、千乃は雄高をはすに見上げた。
「……電話、中々出なくてヤキモキしたでしょ?」
先日の件を言っているらしい。確かに、しばらく待たされた。
「あのね、うちの電話は誰がかけて来たか分かるの。それであの時は、”誰もいないはずの場所”からかかって来たから、十子お姉ちゃんとあたしとで凄く悩んだの」
おわかり? とでも言うように千乃は首を傾げて見せた。雄高は一気に理解した。史彦は出張で、マンションには誰もいないはず。なのに、電話がかかってきた……。マンションの鍵を持つ人物は、そこの主と親しくないはずがない。
「そゆこと。じゃあね」
千乃はくるりと背を向けると、白い廊下をつややかな黒髪をなびかせて帰っていた。
ばれている。少なくとも、千乃は兄と自分の関係を知っている。いつのまに、ばれてしまったのだろうか。雄高は診察室扉を静かに閉めた。
そして不意に思い出した。
これは、千乃ちゃんと僕との秘密にしよう……。
雄高は確かに千乃と指切りをした。それはまだ高校生だった初夏のこと、史彦の離れに泊まった翌朝。二人とも裸のまま抱き合って寝ていた。ドアが開く派手な音で目が覚めると、きょとんした顔で千乃が立っていた。
裸のまま、狭いベッドにいる兄とその友人。四歳ていどだった千乃に状況は理解できるはずはない。けれど史彦は完全にうろたえて言葉もない。
雄高はピンチの時にはそうするように、千乃に笑いかけた。それから手招きしてベッドの近くに呼び寄せる。
「ゆうべは暑かったから、こんなかっこうで寝ちゃったんだ。ごめんね、びっくりさせて。でも、このこと他の人に言ったらやっぱりびっくりされると思うから、これは僕と千乃ちゃんだけの秘密にしよう、ね」
雄高は小指を差し出した。千乃は雄高の指先をじっと見つめると、喜々として小指をからめ大きく振った。指切りげんまん嘘ついたら……。
あの場面の本当の意味を千乃が理解したのは、兄と友人が友情以上の関係だと気づいたのはいつなのか。
約束は守ってるわ、と千乃は言った。つまり二人の関係を認めると?
雄高は思い出の詰まった離れを思い描き、自分の両腕をきつく抱いた。
その後精神鑑定が行われた結果、事件当時は心身喪失のため、責任能力は無しとみなされた。また、被害者加害者双方の両親の申し出で示談が成立。加害者は放校処分の後、神経内科にて加療……』
雄高はクリニックのカウンセリング室で、プリントアウトされた書類に目を落とした。佐野の事件について、雄高は別ルートから情報を入手した。パソコンで症例のデータベースを試みに検索してみたところ、それらしきものに当たったのだ。もちろん、患者の名前は伏せられているけれど、事件発生の年やその場所を特定させることで類推したのだ。
佐野は今日から休暇に入った。ほとぼりが冷めるまで、一週間程度の休養をとるようにと図書館長から直々のお達しがあったのだ。けれど、佐野としては渡米への意志を明らかにしている。それを大学側へと伝えたかどうかは雄高はまだ知らない。
昨日はあのままマンションへと帰った。一人きりで天井を見上げ、佐野と史彦のことを考えているうちに、外が白んできた。結局、ろくに眠れないままでクリニックへ出勤してしまった。幸いと言おうか、今日は予約の患者は数人だけ。それも午前中に集中していたため、雄高には多少のゆとりがある。
雄高は机にひろげた書類を何度も読み返し、眉間にしわを寄せた。
佐野はいちど壊れている。時折見せる雄高への執拗なまでの執着心がその片鱗だろう。昨日はなんとか落ち着いたといえども、いつまた感情の堰が決壊するか予測もつかない。自分は佐野についてアメリカに行くべきだろうか。
史彦との関係の修復への手掛かりも全くないのならば。いっそのこと離れた方がこれ以上史彦を傷つけずにすむのかも知れない。
佐野は自分に似ている。似ているが、自分は佐野にならなかった。それは……。
雄高は目を閉じ、深い思考へのとば口へと立った。
ドアがノックされた。
雄高の体が小さくはねた。考えることを中断し、返事をする。と、看護婦が患者の来院を告げた。
「予約ではないのですが、よろしいですか? どうしても碓氷先生じゃなきゃいやだとおっしゃるものですから……」
「ええ、どうぞ。お通しして下さい」
雄高は笑顔で答えると、若い看護婦はかすかに頬を染めた。焦るように視線をそらし、ドアの外で待っている患者を部屋へと導いた。
「じゃあ、どうぞ」
そう言ってから、雄高にカルテを手渡した。雄高はカルテの名前に釘づけになった。
静々と部屋に入ってきたのは、腰までの癖のある髪をおろした女子中学生だった。通称『M市の聖女』。市内の者なら皆が知っている、名門私立の中高一貫の女子校のセーラー服に身を包んでいる。どこから見てもかけねなしの美少女だ。
少女は顎をくっと上げ、雄高を二重の大きな瞳で見た。
「千乃ちゃん……」
名前を呼ばれて、千乃はにっこりと笑った。
「どうしたの? 何か相談かな?」
「最近カレシが冷たいの。よそに好きな人ができたみたい。先生、どうしたらいいの?」
丸椅子にヨヨと泣き崩れんばかりに座る千乃を見て、雄高は苦笑した。
「ボーイフレンドがいたんだ。初耳だな。千乃ちゃんの学校は男女交際にうるさいでしょう?」
「うん、いたらいいなあって思っただけ」
けろりとして千乃が答えた。史彦の妹とはいえ、さほど似ていないのは母親が違うせいだ。
「こないだ電話で誘ってくれたでしょ? お茶を御馳走してくれるって」
「ああ……ごめん、まだクリニックを抜けられないんだ」
こくり、と聞き分けのよい幼児のように千乃は頷いた。子どもと交わした約束は、どんな小さなことでも反故にするのは気が引ける。そのうえ今度、と言ったところで、いつなのかはっきりと返事が出来ない。
「べつにいいよ、いつでも。今日はね、雄高くんと話がしたくて来たの。ちなみにお兄ちゃんはまだ出張中よ。あと二・三日かかるみたい。それでね、聞いて聞いて!」
千乃は雄高のほうに体をずいっと寄せ、声を低くした。
「こんどの土曜日、お兄ちゃんお見合いするのよ」
雄高の表情は凍りついて見えたに違いない。千乃の不安げに見つめる瞳に、雄高は強ばりを解こうと頬に手をやり曖昧に頷いた。
「今までずーーっとパパから何べん言われても断っていたのにね。今回にかぎっちゃ、どうした風の吹き回しだか」
見合いの話しは初耳だった。父親から何度も言われていたなんて、雄高は一言も聞かされたことがない。時折マンションにかかってくる、史彦の実家からの電話がそれだったのだろうか。
「お兄ちゃんはここのとこヘン。こないだなんか、表玄関から入ればいいのに、わざわざ離れのあたしの部屋から帰ってきたのよ。そりゃ、離れは元はお兄ちゃんの部屋だったから、鍵ぐらい持っててもおかしくないんだけど。そんで唐突に夜中に帰って来たかと思うと、人の布団にもぐりこんでぐーぐー寝ちゃったの。寝相悪いし、寝言はうるさいし、髪はもつれちゃうし、もうサイテー」
実家の鍵はとうの昔にどこかへやってしまったのだろう。かつての自分の部屋、離れの鍵は雄高との思い出の場所だからといつもキーチェーンにつけていた。
雄高と史彦が何度も逢瀬を重ねた部屋だったから。まだ高校生だった二人が、無邪気にじゃれあっていた空間を雄高は胸の痛みと共に懐かしく思った。
「次の朝、食卓にいきなりお兄ちゃんがいるもんだから、家族みんな驚くし。ママは離れであたしと一緒に寝てたって聞くと目くじら立てて、『今後は、お座敷のほうで寝てください。まちがいがあったら困りますから』なんて言って、そしたらお兄ちゃんは真顔で『お母さん、マチガイってなんですか?』って聞き返したもんだから、どれほどおかしかったか想像出来る? パパは固まってるし、十子お姉ちゃんは無反応で、ママと百世お姉ちゃんは顔が真っ赤。あたしは笑うのをこらえるの必死だったわ。だって、無用な心配ってヤツじゃない?」
千乃は身振り手振りを交えて、一気にまくし立てた。日常生活にふと紛れ込んできた異質な感覚に家族が引っ掻きまわされた様子が伝わり、雄高も思わず苦笑した。
それから千乃は真面目な顔つきで雄高に問いかけた。
「ね、お兄ちゃんとなにかあったの?」
口をつぐんで雄高の目をのぞき込んだ。返事を口ごもる雄高は千乃の言葉に不自然な点があることに気づいた。
お兄ちゃんに、ではなく、お兄ちゃんと『なにかあったの?』
史彦の実家には完全に秘密にしている雄高との関係を示唆する言葉ではないか。千乃は史彦と雄高が同居する仲だとは知らないはずだ。なのに、あたりまえのことのように雄高にたずねた。
「別に……そんなにしょっちゅう史彦に会ってるわけじゃないから。それに史彦が誰と見合いしようと僕には関係はないよ。二十七なら、結婚してもおかしくない年齢だからね」
「関係ない? ホントに? 相手のヒトはね、まえからお兄ちゃんのこと知っててスッゴク好きなんだって。パパもママも乗り気だから、お兄ちゃんさえ首を縦に振れば、あっとゆーまに婚約成立よ。いいの? 雄高くん。あたしは嫌だな、そんなのゼッタイにイヤ」
白い頬を紅潮させ、問い詰めるように千乃は雄高を睨んだ。
「千乃ちゃんは、重度のブラザーコンプレックスだよ」
「承知のうえよ」
指摘されても居直るように千乃は胸をそびやかした。雄高は呆れ半分、潔さに脱帽半分し、ため息交じりに言った。
「それ、克服した方がいいよ。そうでなきゃ、素敵な恋人もできないよ」
止めの一撃のような雄高の言葉に、千乃は形の良い唇をくっとかみしめ、減らず口を閉ざした。数分間にも感じられる睨み合い。沈黙を破ったのは千乃の方だった。
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「計画?」
うん、と千乃は頷いた。長い髪がくるりんと揺れてシャンプーの香が鼻先をかすめた。
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計画の内容には触れず、千乃は約束という言葉と共に、小指を立てて見せた。雄高はしばし考え込んだ。千乃とどんな約束をしたか思い出そうとした。けれど、何も思い当たるふしはない。見る間に千乃に落胆の表情が浮かぶ。小指は拳に形を変え、膝の上で堅く結ばれた。そして俯いたままでつぶやいた。
「雄高くんが忘れてもいいや。あたしは覚えてるから」
千乃は席を立つと扉へと向かった。思わずその背中を雄高は追った。ノブに手をかけると、千乃は雄高をはすに見上げた。
「……電話、中々出なくてヤキモキしたでしょ?」
先日の件を言っているらしい。確かに、しばらく待たされた。
「あのね、うちの電話は誰がかけて来たか分かるの。それであの時は、”誰もいないはずの場所”からかかって来たから、十子お姉ちゃんとあたしとで凄く悩んだの」
おわかり? とでも言うように千乃は首を傾げて見せた。雄高は一気に理解した。史彦は出張で、マンションには誰もいないはず。なのに、電話がかかってきた……。マンションの鍵を持つ人物は、そこの主と親しくないはずがない。
「そゆこと。じゃあね」
千乃はくるりと背を向けると、白い廊下をつややかな黒髪をなびかせて帰っていた。
ばれている。少なくとも、千乃は兄と自分の関係を知っている。いつのまに、ばれてしまったのだろうか。雄高は診察室扉を静かに閉めた。
そして不意に思い出した。
これは、千乃ちゃんと僕との秘密にしよう……。
雄高は確かに千乃と指切りをした。それはまだ高校生だった初夏のこと、史彦の離れに泊まった翌朝。二人とも裸のまま抱き合って寝ていた。ドアが開く派手な音で目が覚めると、きょとんした顔で千乃が立っていた。
裸のまま、狭いベッドにいる兄とその友人。四歳ていどだった千乃に状況は理解できるはずはない。けれど史彦は完全にうろたえて言葉もない。
雄高はピンチの時にはそうするように、千乃に笑いかけた。それから手招きしてベッドの近くに呼び寄せる。
「ゆうべは暑かったから、こんなかっこうで寝ちゃったんだ。ごめんね、びっくりさせて。でも、このこと他の人に言ったらやっぱりびっくりされると思うから、これは僕と千乃ちゃんだけの秘密にしよう、ね」
雄高は小指を差し出した。千乃は雄高の指先をじっと見つめると、喜々として小指をからめ大きく振った。指切りげんまん嘘ついたら……。
あの場面の本当の意味を千乃が理解したのは、兄と友人が友情以上の関係だと気づいたのはいつなのか。
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