時の舟と風の手跡

ビター

文字の大きさ
15 / 36
秋の章

パンプキンパイ

しおりを挟む
女性は芋類が好きらしいと耳にしたことはあるが、本当だったようだ。
 ケアマネの太田はパンプキンパイを出されると、目を輝かせた。
 11月、太田の月例の訪問日に合わせて、風はパンプキンパイを焼いた。近所の農家からお裾分けしていただいた南瓜があったからだ。南瓜、三個ももらっても、男二人暮らしだ。どれほど消化できよう。
 パンプキンパイを作るまでに、パンプキンプリンも作ったし、普通に煮つけやひき肉のあんかけも作った。甘いのもしょっぱいのも食べつくし、もう南瓜の顔は見飽きたとおじいには言われてしまった。お菓子にして茉莉花に渡すのも限界がある。太田が来る機会があってよかった。
「風さんは、ほんとうにお料理がお上手ですね。レパートリーも広いですし」
 太田は風が書いた記録ノートを今一度見て感心する。パイは、すでに太田の胃に収まった後だ。
「カフェを開けそう」
「それはないです、ほんと」
 竜幸が口にしたというセリフを思い出して、風の背中が薄ら寒くなる。
「風には、よくしてもらってますよ」
 今日はおじいも一緒のテーブルについている。コーヒーを淹れることまで手伝ってくれた。
「それで、太田さん。わたしもディサービスというものに通いたいと思うのですが、どうすればよろしいですか」
 おじいの言葉に、太田も風も数秒間体が静止した。
「お、おじい、どうした? ディサービスに行きたいなんて」
 風がどもりながら問いかけると、おじいはコーヒーをゆっくりと飲み干してから返事をした。
「木山のところへ行ったろう。施設を見せてもらって、思っていたより感じがいいなと」
 おじいは、どんなところを想像していたんだろうと風は首をひねった。しかし、木山氏がいたのはホームであってデイサービスではない。そこのところに誤解はないだろうか。風が考えあぐねていると、太田が半ば叫ぶようにして椅子から立ち上がった。
「すばらしい、すばらしいです、謹吾さん」
 あまりの声量に、風はたじろいだ。太田は頬を上気させ、胸の前で両手を握った。
「いくつになっても、新しいことにチャレンジする謹吾さん、すばらしいです」
「たしかに、そうです、よね」
 風はどもりながら太田の言葉に同意した。当のおじいは、太田に褒められてまんざらでもないという表情をする。いままで、ディサービスなど行くものかとはなから拒否していたのだから、たしかにおじいの変化はすばらしい。
「まずは、お試しでどこかに行ってみませんか? 年内に一度くらい行けるように空いているところを探しますね」
 それでは、と太田は手回り品を片付け、挨拶もそこそこにそのまま玄関へと移動してしまう。
 呆けている風の肩を隣な座るおじいがつついた。
「太田さん、忘れて行ったぞ」
 おじいが指さす先に、太田の空色のマフラーがあった。風は慌てて立ち上がり、マフラーをつかんで玄関へ走った。
「ちょっと、ちょっと待って」
 風は太田を追いかけて外へ出た。上着も持たないで外へ出た風は、曇り空のした、寒さに両腕で自分を抱きしめた。
「太田さーん」
 表通りに出てみると、太田はいつもの駐車場へ行くところだったが、風の声にようやく足を止めて振り返った。
「忘れ物ですよ」
 風の言葉に思わず首のあたりをひとなでした太田は、風のところへと小走りで戻ってきた。
「すみません、なんだか慌てちゃって。いつもカレシに言われちゃうんですけど」
 太田は一礼してマフラーを受け取ると、首にさっと巻きつけた。風は太田の一言に足がぎくっと止まった。
 カレシ? 彼氏と聞こえたが。
 「葛城さん、はだしじゃないですか!」
 クロックスをつっかけた風の足はむき出しで、太田は目を見開いた。
「あ、すぐに戻るので平気です……」
 言われて気づいたが、足ははだしだし、最近はろくに理容店へも行っていなくて髪が伸びたままだ。あまりに身なりに気を付けていなさすぎでは。風は急に恥ずかしくなって、じゃあと言って二三歩後ずさった。
「あの、謹吾さん、よかったです。なんていうか前向きになられて」
 身をひるがえそうとした風は、動きを止めた。
「今までの頑なさが少し減ったように感じました。同級生のかたとの再会もよかったのでしょうね」
「よかったみたいです。来年は桜を一緒に見たいって言ってましたし」
 風ははねた髪を撫でつけた。今更だけれど、少しでも身ぎれいにしたいと焦った。そんな風のようすに気づかぬようで、太田は大きくうなずいた。
「年内に、お試ししてもらいましょう。それで、年が明けたら週一くらいで通えるようになったら、いいですね」
「あの、金曜日は曾孫に勉強を教える日なので、金曜日以外でお願いします」
 茉莉花の家庭教師役は、おじいの楽しみなのだ。楽しみを週のうち何回かに分けてもらったほうがいい。
「はい、承知いたしました。それから」
 と、そこで太田は一度言葉を切った。
「竜の文字の方とは、決着がついたのですね」
 風は思わず笑ってしまった。こわばった頬が少し緩む。
「決着がついたどころか、呼びもしないのに、たまに顔を見せるようになりました」
 ご心配おかけしました、と風は太田に頭を下げた。風は太田が気にかけてくれたことを嬉しく思った。
 それじゃあ、と太田は軽く頭を下げて駐車場へと向かっていった。
 風は太田の背中を見送る。
 そうか、カレシがいたのか……。
 灰色の空から、ひらりと雪片が舞い降りる。風は急に体が冷えてしまったように感じた。
 
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

異世界に転移したら、孤児院でごはん係になりました

雪月夜狐
ファンタジー
ある日突然、異世界に転移してしまったユウ。 気がつけば、そこは辺境にある小さな孤児院だった。 剣も魔法も使えないユウにできるのは、 子供たちのごはんを作り、洗濯をして、寝かしつけをすることだけ。 ……のはずが、なぜか料理や家事といった 日常のことだけが、やたらとうまくいく。 無口な男の子、甘えん坊の女の子、元気いっぱいな年長組。 個性豊かな子供たちに囲まれて、 ユウは孤児院の「ごはん係」として、毎日を過ごしていく。 やがて、かつてこの孤児院で育った冒険者や商人たちも顔を出し、 孤児院は少しずつ、人が集まる場所になっていく。 戦わない、争わない。 ただ、ごはんを作って、今日をちゃんと暮らすだけ。 ほんわか天然な世話係と子供たちの日常を描く、 やさしい異世界孤児院ファンタジー。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

妻への最後の手紙

中七七三
ライト文芸
生きることに疲れた夫が妻へ送った最後の手紙の話。

お隣さんはヤのつくご職業

古亜
恋愛
佐伯梓は、日々平穏に過ごしてきたOL。 残業から帰り夜食のカップ麺を食べていたら、突然壁に穴が空いた。 元々薄い壁だと思ってたけど、まさか人が飛んでくるなんて……ん?そもそも人が飛んでくるっておかしくない?それにお隣さんの顔、初めて見ましたがだいぶ強面でいらっしゃいますね。 ……え、ちゃんとしたもん食え? ちょ、冷蔵庫漁らないでくださいっ!! ちょっとアホな社畜OLがヤクザさんとご飯を食べるラブコメ 建築基準法と物理法則なんて知りません 登場人物や団体の名称や設定は作者が適当に生み出したものであり、現実に類似のものがあったとしても一切関係ありません。 2020/5/26 完結

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

処理中です...