時の舟と風の手跡

ビター

文字の大きさ
16 / 36
冬の章

水ようかん

しおりを挟む
 12月初旬に太田の手配で、おじいはデイサービスへお試しに出かけた。
 保険証やお薬手帳、歯ブラシなどの細々しいものを入れたバッグを手に、お迎えの軽自動車に乗って、わりと意気揚々と。
「デイサービスなんて、絶対に行きたくないとか前は言ってたのに」
 おじいを見送ると、風は朝食の洗い物と洗濯を済ませた。おじいがいない家は、なんとなくがらんとして感じられた。さして広い家ではないのに。
 おじいがいないのは、ここに住まわせてもらって以来初のことだ。昼食は適当に食べればいい。一人の気楽さはあるが手持ち無沙汰ではある。
「そうだ、髪を切りに行こう」
 風は決心がゆらがないように声に出して言うと、おじいがお世話になっている理容店へ予約の電話を入れた。

 さっぱりした髪型で家に戻ると、買ってきた棒寒天をちぎって水に入れた。時刻は正午近く。冷蔵庫を開けて、ありあわせのもので昼食にする。
 おじいは、デイサービスで昼食と入浴を済ませてくる。それから昼寝もしてくるという。
「ちゃんとやってるかな」
 まるで保育所に預けた幼児を心配するようなセリフを口にしてしまい、風は苦笑した。洗物をしていると、チャイムが鳴らされた。手を拭きながら玄関へ行くと、茉莉花が立っていた。
「あれ? 早くない。まだ一時過ぎたばっかり」
「先生たちの会議とかで、午前授業だったの。勉強していってもいい? 給食は食べてきたから」
 すっかりと風とおじいの家で勉強することが習慣になった茉莉花が、学校指定のコート姿で立っていた。
 茉莉花を招き入れると、風はまたキッチンへ戻った。
「ふうちゃん、髪がすっきりしてる。イケメンだ」
「そうかな、ありがとう」
 女子中学生のお世辞につい顔が熱くなる。
「何か作ってるの?」
「水ようかん」
 風は水とふやかした寒天を鍋に入れて電磁調理器にかけた。
「夏の食べ物じゃないの? 今は冬だよ」
「北陸地方で食べるんだって。ちなみに、作り方は我流だから適当だけどね」
 ふうん、おもしろいね、と茉莉花は言うとテーブルへ戻っていった。洋菓子よりも食いつきが悪いことに、風は笑った。
 煮とかした寒天液をいつもはパスタを湯切りする片手ざるで濾し、鍋に戻して茹で小豆缶を加えてゆっくりと煮たあとはホウロウのバットに流した。
「優しいにおいだ」
 茉莉花はワークを解く手を止めて眼をつぶると、わずかに顎をあげ鼻を動かした。
「そうだね。おじいが帰ってくるまでに固まると思うよ」
「おじいの帰りは何時くらい」
「今日はお試しだから、三時半くらいには帰宅予定」
「じゃ、それまで勉強する」
 まつりかは、通学鞄からさらに英語のワークを取り出した。
「ずっとがんばってるね」
 茉莉花の顔がぱっと明るくなった。
「あのね、こないだの期末テストで、順位が二十番くらいぐんっとあがったの。だから、がんばろうって」
 まだまだかかりそうだから、茉莉花は言ったが、少しずつ手応えを感じているのだろう。
「そうか、えらいな」
 風は、茉莉花の努力に素直に感服した。上位十番に入るというのも、あながち夢ではないかもしれない。
 風は自室で仕事をするからと茉莉花に声をかけてから部屋に引っ込んだ。
 もし、おじいが順調にディサービスになじんで通えるようになったら、今よりも使える時間が増える。そうしたら、もう少し仕事を請け負ってもいい。あとで伊東にメールしようと風は思った。
 仕事に集中していると時間はあっという間にすぎるもので、呼び鈴に気づけば時刻は三時を回っていた。
送りの車に乗ってきたおじいは上機嫌だった。
「どうでしたか」
 運転してきた職員へ風が小声で話しかけると、丸顔の女性職員は、とても楽しそうでしたよ、と教えてくれた。
 現に家に入ってからも、おじいはとても機嫌がよかった。
「歩いているだけでほめられた」
 風と茉莉花は、へーと声を上げた。確かに百才すぎた老人が介添えなしで歩いたら、おどろくだろう、と風は今更ながら思った。
 風も茉莉花も、普通に動くおじいの姿に慣れすぎている。個人差はあるだろうけれど、百才とイメージしたら、車いすや誰かに介助してもらってなんとか移動するといったものだろう。
 風は出来立ての水羊羹を三人分、テーブルに並べた。
「楽しくてよかった。続ける? 太田さんへ連絡したいから教えて」
 太田の名前を口にすると、胸がちくんと痛んだ。告白も何もしないで、一人で勝手に失恋したのがさまざまに情けなく感じる。太田に電話連絡をしなければならないと思うと、正直気が重い。
「そうだな、行きたい。週に一度くらい外の空気を吸うのがいいだろう」
 意外にもあっさりと同意したおじいは、風が作った水羊羹を美味しそうにぺろりと食べてしまった。ふだんより食欲もわいているようだ。
「楽しかったが、さすがに疲れた。夕飯まで少し休むよ」
 そう言い置いて、おじいは寝室へ行った。おじいが寝室へ消えるのを、茉莉花と風は見送った。
「すごいね、おじい。いつもより顔色がよく見えたよ」
 茉莉花は水ようかんを平らげた。思っていたより、美味しかったらしい。
「そうだな。今までの生活にはない刺激があったんだろうな」
 風と茉莉花は、声を潜めて言葉を交わした。
「茉莉花ちゃん、夕飯食べてかない? 蕪のシチューだけど」
 シチューと耳にしたとたん、茉莉花の背筋がピンと伸びた。
「え、わあ、食べたい」
 シチューは茉莉花の好物なのだ。それを知っていて風は夕飯を食べていくように誘ったのだ。
「じゃあ。お母さんへ連絡しといて」
 水ようかんの皿を集めながら、風は茉莉花にお願いした。
「うん、もう少しでワークが終わるから。そしたら、わたしもお料理手伝う」
「それはありがたい」
 風が答えると、茉莉花が何かを思い出したように天井を見上げた。
「ふうちゃん、クリスマスケーキ一緒に作って欲しいんだけど、いい?」
「いいけど」
「あのね、ブッシュドノエルが作ってみたい。あの切り株のケーキ。チョコレートクリームでデコレーションするでしょ?」
 チョコレートクリーム、というところで茉莉花は小さく握りこぶしを作った。茉莉花ちゃん、そんなにチョコレートクリーム好きだったかな? と風は首を少しひねったが、ケーキを作ること自体には異論はなかった。
「いいよ、一緒に作ろう。ぼくも初めてだから、うまくいくかどうか分からないけど」
「ふうちゃんがついてくれるなら、百人力だよ。ありがとう」
 茉莉花はワークに視線を落とし、シャーペンを動かし始めた。最近、集中するのがうまくなってきたようだ。風は食器を静かにキッチンへ運んだ。
 太田と話すのは、おっくうに感じるけれど、おじいがディサービスへ通いたいという知らせは、彼女を喜ばせるだろう。太田の笑顔が増えるなら、それでいいかと風は思った。
 
 
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

異世界に転移したら、孤児院でごはん係になりました

雪月夜狐
ファンタジー
ある日突然、異世界に転移してしまったユウ。 気がつけば、そこは辺境にある小さな孤児院だった。 剣も魔法も使えないユウにできるのは、 子供たちのごはんを作り、洗濯をして、寝かしつけをすることだけ。 ……のはずが、なぜか料理や家事といった 日常のことだけが、やたらとうまくいく。 無口な男の子、甘えん坊の女の子、元気いっぱいな年長組。 個性豊かな子供たちに囲まれて、 ユウは孤児院の「ごはん係」として、毎日を過ごしていく。 やがて、かつてこの孤児院で育った冒険者や商人たちも顔を出し、 孤児院は少しずつ、人が集まる場所になっていく。 戦わない、争わない。 ただ、ごはんを作って、今日をちゃんと暮らすだけ。 ほんわか天然な世話係と子供たちの日常を描く、 やさしい異世界孤児院ファンタジー。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

妻への最後の手紙

中七七三
ライト文芸
生きることに疲れた夫が妻へ送った最後の手紙の話。

お隣さんはヤのつくご職業

古亜
恋愛
佐伯梓は、日々平穏に過ごしてきたOL。 残業から帰り夜食のカップ麺を食べていたら、突然壁に穴が空いた。 元々薄い壁だと思ってたけど、まさか人が飛んでくるなんて……ん?そもそも人が飛んでくるっておかしくない?それにお隣さんの顔、初めて見ましたがだいぶ強面でいらっしゃいますね。 ……え、ちゃんとしたもん食え? ちょ、冷蔵庫漁らないでくださいっ!! ちょっとアホな社畜OLがヤクザさんとご飯を食べるラブコメ 建築基準法と物理法則なんて知りません 登場人物や団体の名称や設定は作者が適当に生み出したものであり、現実に類似のものがあったとしても一切関係ありません。 2020/5/26 完結

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

処理中です...