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再びの春
四個のプリン 1
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夕刻、風はおじいの介護日誌に今日の出来事と、食事の献立を書いていた。テーブルには、コンビニでプリントした写真が置いてある。風は献立を途中まで書く手を止めて、写真を見返した。
おじいを囲む親族たちの笑顔。父と母と三人で撮った家族写真。大人になってから両親と撮る写真は、どこか気恥ずかしかった。茉莉花とおじい。おじいを挟んでの風と竜幸。
こんなに写真を撮るなんて、そうそうないことだろうと風は思った。そういえば、実家から正月に渡された紙袋の中に、写真たてがいくつか入っていた。正月は帰宅してすぐにおじいが救急車で病院へ運ばれたから、紙袋は部屋に置いてそれきりになっていたけれど。今回の写真とまとめて大きめの額に入れたらいいんじゃないか、と風は思った。
「まだ寝ないのか」
「まだって、十時前だよ」
父の凪に風は応えた。おじいはすで就寝した。今夜は凪の当番なので、風は奥の部屋で休む。けれど、竜幸に言われたことが小さなとげのように、風の胸に刺さったままだ。ベッドに入っても、気になってたぶん眠れないだろう。
「何かあった?」
風の様子がふだんと違うと気づいたのか、凪が風に尋ねた。
どこから話せばいいのか、だいいち、なんと話せばいいのか。風は話しあぐねて凪から視線を外した。
【普通】でないことの焦りか、でもそれはあまりに個人的すぎることのように思える。
「ゆっくり、あまり難しく考えないで。出来事をそのまま話していいよ」
出来事か。風は、コンビニでの竜幸とのやりとりを父親に話した。
凪は時折あいづちを打ちながら、風の話に耳を傾けた。
「竜幸さんは、いつでも風にカフェをやらせたがるねえ。自営業は大変なのに」
凪は銀行づとめで融資のことにも詳しいから、商売をしている人たちの苦労をよく分かっているのだろう。苦笑しながら、広げられた写真を見た。
「でも、たとえば茉莉花ちゃんがこれからパティシエを目指すかもしれない。それはそれでいいんじゃない。自分でお店を持つ持たないは置いといて。今は会社員をしながら実店舗なしで活動している人たちもいるね」
「そう?」
「ハンドメイドのイベントとかにも出てる。去年夏樹さんと出かけたときに偶然知ったんだけど」
風は、菓子店を持たない菓子職人をいまひとつイメージできなかった。
「それに、お店を持たなくても自分たちの生活においしいお菓子があるなら、それだけでも幸せに暮らせたりするんじゃないかな」
「そんなぼんやりしたイメージ」
「だめかな。個人的に注文を受けられるってこともあるだろう」
凪の甘い見通しに、風は思わず顔をしかめた。
「だめっていうか。それだとあまりに不安定だろう。ぼくだって仕事を辞めてもう二年だ。もっときちんとした仕事に就かないとって焦る」
「きちんと、って風はずっと働いているじゃないか。在宅で」
「たいした稼ぎじゃないよ」
収入は、証券会社時代の半分くらいになっている。おじいの年金とあわせて、なんとか暮らしが成り立っている状態だ。風一人の収入では、とてもじゃないがカツカツなのだ。
「風は手のかからない子供だったね。進学も就職も、親のアドバイスのとおりにするのが、わたしは半分不安だった。反抗期らしい反抗期もなかったからね。いつ爆発するか、爆発するのは大人になってからだろうか、ってね」
「結局、退職と婚約破棄って形ではじけたんだろうけど」
そうかも知れない、と凪は小さく笑った。
「だから今は、風が選んだルートに入ったということじゃないかな」
「ルート……」
「この家を退職金全部使ってリフォームして謹吾さんと住むとか、本当に驚いたんだよ。息子として高齢の謹吾さんは心配だけれど、同居はやんわり拒否されるし、どうしたらいいか分からなかった。それを打破したのは、風だ」
感謝するよ、と凪は風に頭を下げた。
「何回も言うけど、かんたんに頭を下げないでよ」
「風、おまえは普通のレールから外れて不安に思っているかもしれないが、百歳の祖父と暮らすことに決めた時から、とっくに普通じゃないから」
風はぐうの音もでなかった。思わず口を真一文字に結ぶ。
「風はスペシャルだ」
凪が風の頭に手をのせて、髪をくしゃくしゃにした。
「親バカが過ぎない?」
「まさか。これが【普通】だよ」
風は今夜は父親の凪に完敗した気持ちになった。日誌を早々に書き上げて、休むことにした。
翌朝の月曜日、おじいは体調がよいこともあり通常通りにデイサービスへ行った。
風は洗い物を済ませると、自室に置きっぱなしにしていた紙袋を持ってきて、中から数個の写真たてを取り出した。
若いころのおじい夫妻、おそらくは赤ん坊の凪、それから祖母・寿が海辺で日傘をさしている写真。
「ホムセンで大きめの額を買ってくけど」
じっさいどれくらいのサイズになるだろう、と風は昨日の写真をテーブルに並べた。
「多少重なってもいいだろうし」
B4サイズかA3サイズか、どちらがいいだろうかと悩みながら古い写真をたてから外すために裏側の爪をまわした。祖母の写真を取りだそうと、裏側を外して風は思わず目を見張った。
「父さん、ちょっと来て」
仮眠する準備をしていた凪が洗面所からあくびをしながらリビングに来た。
「どうした」
間延びした声で尋ねる凪の袖を引っ張って、風は取り出した写真の裏側を見せた。
「あら」
これまた素っ頓狂な声を凪はあげて、しげしげと亡くなった母親の写真を表裏となんどもひっくり返して見ていた。
「これは、謹吾さんに知らせないとな」
風は凪と顔を見合わせて、笑った。昨日の今日だけれど、今夜も腕によりをかけて夕飯を準備しようと思った。
おじいを囲む親族たちの笑顔。父と母と三人で撮った家族写真。大人になってから両親と撮る写真は、どこか気恥ずかしかった。茉莉花とおじい。おじいを挟んでの風と竜幸。
こんなに写真を撮るなんて、そうそうないことだろうと風は思った。そういえば、実家から正月に渡された紙袋の中に、写真たてがいくつか入っていた。正月は帰宅してすぐにおじいが救急車で病院へ運ばれたから、紙袋は部屋に置いてそれきりになっていたけれど。今回の写真とまとめて大きめの額に入れたらいいんじゃないか、と風は思った。
「まだ寝ないのか」
「まだって、十時前だよ」
父の凪に風は応えた。おじいはすで就寝した。今夜は凪の当番なので、風は奥の部屋で休む。けれど、竜幸に言われたことが小さなとげのように、風の胸に刺さったままだ。ベッドに入っても、気になってたぶん眠れないだろう。
「何かあった?」
風の様子がふだんと違うと気づいたのか、凪が風に尋ねた。
どこから話せばいいのか、だいいち、なんと話せばいいのか。風は話しあぐねて凪から視線を外した。
【普通】でないことの焦りか、でもそれはあまりに個人的すぎることのように思える。
「ゆっくり、あまり難しく考えないで。出来事をそのまま話していいよ」
出来事か。風は、コンビニでの竜幸とのやりとりを父親に話した。
凪は時折あいづちを打ちながら、風の話に耳を傾けた。
「竜幸さんは、いつでも風にカフェをやらせたがるねえ。自営業は大変なのに」
凪は銀行づとめで融資のことにも詳しいから、商売をしている人たちの苦労をよく分かっているのだろう。苦笑しながら、広げられた写真を見た。
「でも、たとえば茉莉花ちゃんがこれからパティシエを目指すかもしれない。それはそれでいいんじゃない。自分でお店を持つ持たないは置いといて。今は会社員をしながら実店舗なしで活動している人たちもいるね」
「そう?」
「ハンドメイドのイベントとかにも出てる。去年夏樹さんと出かけたときに偶然知ったんだけど」
風は、菓子店を持たない菓子職人をいまひとつイメージできなかった。
「それに、お店を持たなくても自分たちの生活においしいお菓子があるなら、それだけでも幸せに暮らせたりするんじゃないかな」
「そんなぼんやりしたイメージ」
「だめかな。個人的に注文を受けられるってこともあるだろう」
凪の甘い見通しに、風は思わず顔をしかめた。
「だめっていうか。それだとあまりに不安定だろう。ぼくだって仕事を辞めてもう二年だ。もっときちんとした仕事に就かないとって焦る」
「きちんと、って風はずっと働いているじゃないか。在宅で」
「たいした稼ぎじゃないよ」
収入は、証券会社時代の半分くらいになっている。おじいの年金とあわせて、なんとか暮らしが成り立っている状態だ。風一人の収入では、とてもじゃないがカツカツなのだ。
「風は手のかからない子供だったね。進学も就職も、親のアドバイスのとおりにするのが、わたしは半分不安だった。反抗期らしい反抗期もなかったからね。いつ爆発するか、爆発するのは大人になってからだろうか、ってね」
「結局、退職と婚約破棄って形ではじけたんだろうけど」
そうかも知れない、と凪は小さく笑った。
「だから今は、風が選んだルートに入ったということじゃないかな」
「ルート……」
「この家を退職金全部使ってリフォームして謹吾さんと住むとか、本当に驚いたんだよ。息子として高齢の謹吾さんは心配だけれど、同居はやんわり拒否されるし、どうしたらいいか分からなかった。それを打破したのは、風だ」
感謝するよ、と凪は風に頭を下げた。
「何回も言うけど、かんたんに頭を下げないでよ」
「風、おまえは普通のレールから外れて不安に思っているかもしれないが、百歳の祖父と暮らすことに決めた時から、とっくに普通じゃないから」
風はぐうの音もでなかった。思わず口を真一文字に結ぶ。
「風はスペシャルだ」
凪が風の頭に手をのせて、髪をくしゃくしゃにした。
「親バカが過ぎない?」
「まさか。これが【普通】だよ」
風は今夜は父親の凪に完敗した気持ちになった。日誌を早々に書き上げて、休むことにした。
翌朝の月曜日、おじいは体調がよいこともあり通常通りにデイサービスへ行った。
風は洗い物を済ませると、自室に置きっぱなしにしていた紙袋を持ってきて、中から数個の写真たてを取り出した。
若いころのおじい夫妻、おそらくは赤ん坊の凪、それから祖母・寿が海辺で日傘をさしている写真。
「ホムセンで大きめの額を買ってくけど」
じっさいどれくらいのサイズになるだろう、と風は昨日の写真をテーブルに並べた。
「多少重なってもいいだろうし」
B4サイズかA3サイズか、どちらがいいだろうかと悩みながら古い写真をたてから外すために裏側の爪をまわした。祖母の写真を取りだそうと、裏側を外して風は思わず目を見張った。
「父さん、ちょっと来て」
仮眠する準備をしていた凪が洗面所からあくびをしながらリビングに来た。
「どうした」
間延びした声で尋ねる凪の袖を引っ張って、風は取り出した写真の裏側を見せた。
「あら」
これまた素っ頓狂な声を凪はあげて、しげしげと亡くなった母親の写真を表裏となんどもひっくり返して見ていた。
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