7 / 7
7
しおりを挟む
愚かなり……
違う。愚かなのは、わらわだ。
王女は床に座り、玉座にもたれかかったまま、つららが垂れ下がる塔の丸い天井を見上げていました。
床には編みかけの雪が散らばっています。窓も壁も氷がはりついています。灯りもなく、穴倉のように暗い部屋にただ一人、王女は足を投げ出し座っているのでした。
幼い者と口約束を交わしたことも、それを何年も信じていたことも。
エレナと別れてからどれほどの時がたったのか、王女は顧みることもせず、もう長いあいだ胸の中の嵐の音を聞いているのでした。
王女よりも、アレシュのそばにいたいのだとエレナは言った。あれほど目をかけ、気にかけてやったものを。親のいないエレナを育てたのと同然なはず……。
何度も繰り返した思い。
けれどエレナのふるまいを罵れば罵るほど、ただ胸がキリキリと痛みます。
自身が吐いた言葉がどんなにか空虚であるか思い知らされます。
冬は冬らしく、冷たく冷酷で、慈悲の欠片もなく。
それでいい、それでいいはず。
誰もが冬など喜びはしない。春の包み込むような暖かさも、夏のはじけるようなきらめきも、秋の実りの豊かさもない冬は、ただの厄介ものなのだ。
冬の王女は心も体も氷に閉ざされ、白鳥たちですら近づけないのでした。
どれくらいの時が経ったでしょう。騒がしい声が外からしてきました。一人二人ではありません。十人でしょうか、二十人でしょうか。ざわめきは王女の耳まで届きました。
「王女さま」
外から声がしました。ひどくがさがさとしていますが、どこか耳に馴染んだ声です。王女は思わず立ち上がると、窓の鎧戸をわずかに開けて下を見ました。
王や春の王女の馬車が見えました。そしておつきの者たち、近くに住む者たちまでもが塔を取り巻いていました。
ようやく王女は塔に閉じこもりすぎていたことに気づきました。
先ほどの声の主は、入り口に立つ若い男に支えられた人でしょうか。
王女は目を凝らしてその姿を確かめようとしました。
「王女さま、わたくしです。エレナです」
耳を疑いました。いま声がしたほうには、フード付きのローブを着た腰の曲がった者がいます。かすれた声でした。耳障りな声をエレナだとは王女はにわかに信じられませんでした。
「いちどお約束を破ったことをお許しください。わたくしエレナは王女さまの侍女となります」
エレナには精いっぱいなのでしょう。杖にすがって腰を伸ばし、扉を叩きました。
その手の黒さに王女は、はっとしました。
自分が離宮から立ち去るときに、憤りに任せて雪嵐を起こしました。そこに取り残されたエレナは、きっと重い凍傷にかかってしまったのでしょう。
王女はそんな大切なことに気づかずにいたのです。人はか弱く、あっけないほどすぐに命を落としてしまうものだということに。
口もとを押さえる王女の両手がふるえました。
「……こんな姿では、お見苦しいと思います。王女さまの身の回りのお世話にも事欠くかと思います。けれど、いっしょうけんめい、心を尽くしてお仕えします。どうか、わたくしを侍女にしてくださいませ」
エレナは足に力がなくなったのか、扉のまえに膝をつき言いつのりました。
「侍女としてお役に立てないのなら、わたしを氷の粒にして下さい。氷の粒に変えて王女さまのドレスの飾りにしておそばに置いてください」
エレナは幼い日の、月虹の魚をことを覚えているのでしょう。魚の命を氷の粒に変えたことも。
王女は階段をかけ下りて行き扉に飛びつき、力を込めて押しました。
「いらないわ」
扉が氷の塊をばらばらと落とし、軋みながら開きました。
「王女さま」
足音もなく、唐突に扉を開けた王女にみなの視線が集まります。王も春の王女もいます。
「お姉さま、どうして今まで閉じこもってらしたの」
鈴を振るような春の王女の声を目線で制して、王女はエレナの前に進みました。
目の前のエレナは生来の色白の肌は見る影もなく、鼻の先も黒くなっていたのでした。苦しげに立ち上がったエレナに寄り添う青年はまだ幼さの残る顔立ちをしていますが、背も高く大きな手でエレナの両肩を抱いて支えています。
「いらないわ。今さら、おまえなど侍女に」
「申し訳ございません、教え導いてくださったご恩も忘れ、王女さまと交わした約束を破ろうとしたわたくしを、どうかお許しください」
体を支えてくれる青年からエレナは離れ、王女の前へと歩を進めました。
「おまえは恨まないの? そんな体にしたのは冬の……わらわのせいなのよ」
エレナは首を横に振りました。
「王女さまとの約束を破り、悲しませたわたくし自身のせいです。さらに見苦しい姿となってしまったわたくしですが、王女さまのおそばに……」
深々とお辞儀をしたエレナを王女は駆け寄り、強く抱きしめました。
「なんて、なんて愚かな娘」
王女の頬を涙が伝いました。
「来なくてもよい。エレナは大切に思う者のそばにいればよい」
「そんな、わたくしは」
王女はエレナの頬を両手で優しくつつみ、青い瞳を見つめました。
「かまわない、約束はなしにして」
二人を見守る周りの者たちから、ざわめきがさざ波のように広がりだしました。
王女が淡い金の光を放ち始めたのです。光はエレナと王女をあたたかく包み、あたりへとほどけていきます。
「お姉さま……、みなさんご覧なさい。季節が動き始めるわ」
冬の王女のドレスを飾っていた氷の粒は少しずつ光へと姿を変えていきます。光は渦となり、天へと昇り噴水のようにはじけて空いちめんがきらめきました。
ああ、というため息が人々の口からもれていきます。
空を見あげていたエレナは王女へ目線を動かしたとたんに驚きの声を上げました。
「王女さま……!!」
冬の王女はほほ笑みました。雪のように白い顔にあばたがちらばっていました。
「これで、エレナとおそろい」
思わず顔に手をあてたエレナは、自分の指が元通りになっていることに気づきました。足もいつのまにか力を取り戻し、腰も伸びています。
「これは……」
「お姉さまは冬に失った命を預かり、春には天へと返すのです。命の輝きを次の季節へと送るために」
たくさんの命の流れに浸され、エレナの傷は癒されたのです。
「皆さま、冬の王女は冷たいと思いでしょうか? わたくしたち王女は四人そろってようやく季節を動かすことができます。誰ひとり欠けることは許されません」
見かけはあどけない少女の姿です。けれどタンポポのような金の髪をした春の王女は優しく諭すように語りました。
「どの季節よりも命を奪う冬の王女は、誰よりも命の重さを知っております。ですから唯一、癒しの技を持っているのですよ」
皆は顔を見合わせました。今まで、冬はただ寒く冷たく、重苦しいものだとしか考えていなかったのです。
「おまえのあばたを半分、わたしがもらい受けました」
王女はエレナのフードを下してあげました。白い肌にはわずかにあばたがあるだけです。青い瞳に金の長い髪。エレナはまるで絵姿にある美しい婦人のようでした。
「王さま、どうか領主の跡継ぎであるアレシュと使用人であるエレナとの婚姻を認めてくださいませ」
春の王女の後ろに立っていた王は、肩をすくめ微笑みました。
「誰が婚姻を認めないと? これは、もう我の役目ではあるまい」
と、王はアレシュの肩をそっと押しました。
紅い髪と同じくらい顔を赤らめた青年のアレシュは、エレナと王女の前に進みでました。
「アレシュとやら。この子の見かけにも左右されず、いつも気をくばり心をかけてくれたことを妾は知っている。聡明なそなたにならば、我が子同様のエレナを託すことに異存はない」
アレシュは顔を強ばらせたままで、うなずきました。そしてエレナの手を取りました。
「どうか、妻となってわたくしと共に歩んでくださいませんか」
エレナは戸惑うようにいちど王女さまを見ました。王女は黙ってうなずきました。エレナは左手を胸に当て、大きく息を吸いました。
「末永く、共に」
エレナの差し出した右手の甲にアレシュは口づけました。
わあ、と見守る人々から歓声があがりました。が、突然一人の卑しからぬ服装の老人が飛び出してきました。
「使用人を妻に迎えるなど、わしは許さんぞ!」
「おじいさま」
アレシュはエレナの肩を抱きよせ、眉をひそめました。エレナの顔が一瞬にして青ざめます。
「アレシュのご祖父殿か。わらわの娘、エレナの何が不満か」
二人を背にかばうようにして、冬の王女は飛びかかろうとするアレシュの祖父の前に立ちはだかりました。
「正直者で陰ひなたなく働き、読み書きにも手業にも優れておる。どこに出しても恥ずかしくない娘だと思うのだが。もっとも、ながくそちらのお館で世話になったこと、深く感謝を申し上げまする。嫁入りに際しては、秋の王女の壁飾りと、夏の王女の茶器一そろい、春の王女の寝具を持たせたい。それからわらわは先ほどエレナに健やかな体を授けた。足りないものはないだろうか」
茹であがったように怒りに顔を赤くしていたアレシュの祖父は、ぐうの音も出せずに王女の前で地団駄を踏みました。
「おじいさま、わたくしアレシュはエレナを妻として領地を治めていきます。すでに母の了解はえているのです。エレナの今までの誠実な行いを覚えてらっしゃるのなら、優しいおじいさまには必ずやご理解いただけるとわたくしは信じております」
アレシュは祖父へと向かって、はっきりとした声で想いを述べました。
「これで決まりであろう」
王の一声に、領主である祖父も、うなずくしかありませんでした。
こうこうと、青い空から鳥の声が聞こえてきました。白鳥たちが迎えに来たのです。
「さあ、春の歌を」
春の王女の侍女らは、塔へと入っていきました。ほどなく、窓の鎧戸がひらかれました。春の王女がぱちんと指を鳴らすと、ふわりと花の香りが漂いあたたかい風が吹いてきました。二人の王女は目礼を交わし、塔の主の交代を果たしました。
「よいお方と巡り会えたな、エレナよ」
「王女さまのおかげです」
「それは、ちがう。わらわは、ただおまえと楽しくおしゃべりをしていただけ。おまえ自身が自分を正しく育てたのだ」
エレナの目が涙でうるみます。それを見つめる王女は心身ともに美しく成長したエレナを嬉しく思いました。はんめん、手離す淋しさも感じました。
白鳥たちが冬の王女のまわりへと舞い降り、帰還を促します。
「また遊びに行ってもよろしいでしょうか」
エレナの申し出に王女は胸を小さく突かれたように思いました。
「これからは、忙しくもなるだろう。ことに子を持てばなおさら……」
王女はエレナの手をそっと離しました。
「けれど、ひと冬にいちどくらいお邪魔してもかまわないでしょうか」
「でも、もう離宮も壊してしまったし」
歯切れの悪い受け答えしかしない王女にエレナは笑いかけました。
「嘘は、いけません。王女さまは、わたくしにそうおっしゃったではありませんか」
嘘をつかないこと、と幼いエレナに申し渡したことを王女は思いだしました。冬に嘘は似つかわしくない、と。
「……来てほしいわ」
王女は涙がこぼれそうになるのをこらえました。エレナは王女の手を両手で握りしめました。
「かならず、お邪魔いたします。どうかまた、わたくしに編み物を教えてくださいませ」
「ええ、かならず」
王女は身を翻すと、たちまち白鳥となって空高く舞い上がっていきました。
『四つの季節を廻すのはだれ? 花咲く春の王女、陽射しの夏の王女、実りの秋の王女、静寂の冬の王女たち。塔から我らを見守りぬ。巡り来る、巡り来る。とこしえに変わることなく』
人々の歌声が響きました。
アレシュとならんだエレナが大きく手を振ります。
空から見ると、塔の周りから雪がとけ始めて緑の大地があらわれ始めました。
季節が春へと移ります。
白鳥になって飛んでいく王女の胸はもう冷えてはいませんでした。あたたかく満たされていました。
それからというもの、人々は歌いお祭りをしました。
春の喜びを
夏の輝きを
秋の深さを
冬の美しさを
ことに、雪のような肌にあばたのある王女の物語は、冬の夜に暖炉のそばで語り継がれていったのでした。
おわり
違う。愚かなのは、わらわだ。
王女は床に座り、玉座にもたれかかったまま、つららが垂れ下がる塔の丸い天井を見上げていました。
床には編みかけの雪が散らばっています。窓も壁も氷がはりついています。灯りもなく、穴倉のように暗い部屋にただ一人、王女は足を投げ出し座っているのでした。
幼い者と口約束を交わしたことも、それを何年も信じていたことも。
エレナと別れてからどれほどの時がたったのか、王女は顧みることもせず、もう長いあいだ胸の中の嵐の音を聞いているのでした。
王女よりも、アレシュのそばにいたいのだとエレナは言った。あれほど目をかけ、気にかけてやったものを。親のいないエレナを育てたのと同然なはず……。
何度も繰り返した思い。
けれどエレナのふるまいを罵れば罵るほど、ただ胸がキリキリと痛みます。
自身が吐いた言葉がどんなにか空虚であるか思い知らされます。
冬は冬らしく、冷たく冷酷で、慈悲の欠片もなく。
それでいい、それでいいはず。
誰もが冬など喜びはしない。春の包み込むような暖かさも、夏のはじけるようなきらめきも、秋の実りの豊かさもない冬は、ただの厄介ものなのだ。
冬の王女は心も体も氷に閉ざされ、白鳥たちですら近づけないのでした。
どれくらいの時が経ったでしょう。騒がしい声が外からしてきました。一人二人ではありません。十人でしょうか、二十人でしょうか。ざわめきは王女の耳まで届きました。
「王女さま」
外から声がしました。ひどくがさがさとしていますが、どこか耳に馴染んだ声です。王女は思わず立ち上がると、窓の鎧戸をわずかに開けて下を見ました。
王や春の王女の馬車が見えました。そしておつきの者たち、近くに住む者たちまでもが塔を取り巻いていました。
ようやく王女は塔に閉じこもりすぎていたことに気づきました。
先ほどの声の主は、入り口に立つ若い男に支えられた人でしょうか。
王女は目を凝らしてその姿を確かめようとしました。
「王女さま、わたくしです。エレナです」
耳を疑いました。いま声がしたほうには、フード付きのローブを着た腰の曲がった者がいます。かすれた声でした。耳障りな声をエレナだとは王女はにわかに信じられませんでした。
「いちどお約束を破ったことをお許しください。わたくしエレナは王女さまの侍女となります」
エレナには精いっぱいなのでしょう。杖にすがって腰を伸ばし、扉を叩きました。
その手の黒さに王女は、はっとしました。
自分が離宮から立ち去るときに、憤りに任せて雪嵐を起こしました。そこに取り残されたエレナは、きっと重い凍傷にかかってしまったのでしょう。
王女はそんな大切なことに気づかずにいたのです。人はか弱く、あっけないほどすぐに命を落としてしまうものだということに。
口もとを押さえる王女の両手がふるえました。
「……こんな姿では、お見苦しいと思います。王女さまの身の回りのお世話にも事欠くかと思います。けれど、いっしょうけんめい、心を尽くしてお仕えします。どうか、わたくしを侍女にしてくださいませ」
エレナは足に力がなくなったのか、扉のまえに膝をつき言いつのりました。
「侍女としてお役に立てないのなら、わたしを氷の粒にして下さい。氷の粒に変えて王女さまのドレスの飾りにしておそばに置いてください」
エレナは幼い日の、月虹の魚をことを覚えているのでしょう。魚の命を氷の粒に変えたことも。
王女は階段をかけ下りて行き扉に飛びつき、力を込めて押しました。
「いらないわ」
扉が氷の塊をばらばらと落とし、軋みながら開きました。
「王女さま」
足音もなく、唐突に扉を開けた王女にみなの視線が集まります。王も春の王女もいます。
「お姉さま、どうして今まで閉じこもってらしたの」
鈴を振るような春の王女の声を目線で制して、王女はエレナの前に進みました。
目の前のエレナは生来の色白の肌は見る影もなく、鼻の先も黒くなっていたのでした。苦しげに立ち上がったエレナに寄り添う青年はまだ幼さの残る顔立ちをしていますが、背も高く大きな手でエレナの両肩を抱いて支えています。
「いらないわ。今さら、おまえなど侍女に」
「申し訳ございません、教え導いてくださったご恩も忘れ、王女さまと交わした約束を破ろうとしたわたくしを、どうかお許しください」
体を支えてくれる青年からエレナは離れ、王女の前へと歩を進めました。
「おまえは恨まないの? そんな体にしたのは冬の……わらわのせいなのよ」
エレナは首を横に振りました。
「王女さまとの約束を破り、悲しませたわたくし自身のせいです。さらに見苦しい姿となってしまったわたくしですが、王女さまのおそばに……」
深々とお辞儀をしたエレナを王女は駆け寄り、強く抱きしめました。
「なんて、なんて愚かな娘」
王女の頬を涙が伝いました。
「来なくてもよい。エレナは大切に思う者のそばにいればよい」
「そんな、わたくしは」
王女はエレナの頬を両手で優しくつつみ、青い瞳を見つめました。
「かまわない、約束はなしにして」
二人を見守る周りの者たちから、ざわめきがさざ波のように広がりだしました。
王女が淡い金の光を放ち始めたのです。光はエレナと王女をあたたかく包み、あたりへとほどけていきます。
「お姉さま……、みなさんご覧なさい。季節が動き始めるわ」
冬の王女のドレスを飾っていた氷の粒は少しずつ光へと姿を変えていきます。光は渦となり、天へと昇り噴水のようにはじけて空いちめんがきらめきました。
ああ、というため息が人々の口からもれていきます。
空を見あげていたエレナは王女へ目線を動かしたとたんに驚きの声を上げました。
「王女さま……!!」
冬の王女はほほ笑みました。雪のように白い顔にあばたがちらばっていました。
「これで、エレナとおそろい」
思わず顔に手をあてたエレナは、自分の指が元通りになっていることに気づきました。足もいつのまにか力を取り戻し、腰も伸びています。
「これは……」
「お姉さまは冬に失った命を預かり、春には天へと返すのです。命の輝きを次の季節へと送るために」
たくさんの命の流れに浸され、エレナの傷は癒されたのです。
「皆さま、冬の王女は冷たいと思いでしょうか? わたくしたち王女は四人そろってようやく季節を動かすことができます。誰ひとり欠けることは許されません」
見かけはあどけない少女の姿です。けれどタンポポのような金の髪をした春の王女は優しく諭すように語りました。
「どの季節よりも命を奪う冬の王女は、誰よりも命の重さを知っております。ですから唯一、癒しの技を持っているのですよ」
皆は顔を見合わせました。今まで、冬はただ寒く冷たく、重苦しいものだとしか考えていなかったのです。
「おまえのあばたを半分、わたしがもらい受けました」
王女はエレナのフードを下してあげました。白い肌にはわずかにあばたがあるだけです。青い瞳に金の長い髪。エレナはまるで絵姿にある美しい婦人のようでした。
「王さま、どうか領主の跡継ぎであるアレシュと使用人であるエレナとの婚姻を認めてくださいませ」
春の王女の後ろに立っていた王は、肩をすくめ微笑みました。
「誰が婚姻を認めないと? これは、もう我の役目ではあるまい」
と、王はアレシュの肩をそっと押しました。
紅い髪と同じくらい顔を赤らめた青年のアレシュは、エレナと王女の前に進みでました。
「アレシュとやら。この子の見かけにも左右されず、いつも気をくばり心をかけてくれたことを妾は知っている。聡明なそなたにならば、我が子同様のエレナを託すことに異存はない」
アレシュは顔を強ばらせたままで、うなずきました。そしてエレナの手を取りました。
「どうか、妻となってわたくしと共に歩んでくださいませんか」
エレナは戸惑うようにいちど王女さまを見ました。王女は黙ってうなずきました。エレナは左手を胸に当て、大きく息を吸いました。
「末永く、共に」
エレナの差し出した右手の甲にアレシュは口づけました。
わあ、と見守る人々から歓声があがりました。が、突然一人の卑しからぬ服装の老人が飛び出してきました。
「使用人を妻に迎えるなど、わしは許さんぞ!」
「おじいさま」
アレシュはエレナの肩を抱きよせ、眉をひそめました。エレナの顔が一瞬にして青ざめます。
「アレシュのご祖父殿か。わらわの娘、エレナの何が不満か」
二人を背にかばうようにして、冬の王女は飛びかかろうとするアレシュの祖父の前に立ちはだかりました。
「正直者で陰ひなたなく働き、読み書きにも手業にも優れておる。どこに出しても恥ずかしくない娘だと思うのだが。もっとも、ながくそちらのお館で世話になったこと、深く感謝を申し上げまする。嫁入りに際しては、秋の王女の壁飾りと、夏の王女の茶器一そろい、春の王女の寝具を持たせたい。それからわらわは先ほどエレナに健やかな体を授けた。足りないものはないだろうか」
茹であがったように怒りに顔を赤くしていたアレシュの祖父は、ぐうの音も出せずに王女の前で地団駄を踏みました。
「おじいさま、わたくしアレシュはエレナを妻として領地を治めていきます。すでに母の了解はえているのです。エレナの今までの誠実な行いを覚えてらっしゃるのなら、優しいおじいさまには必ずやご理解いただけるとわたくしは信じております」
アレシュは祖父へと向かって、はっきりとした声で想いを述べました。
「これで決まりであろう」
王の一声に、領主である祖父も、うなずくしかありませんでした。
こうこうと、青い空から鳥の声が聞こえてきました。白鳥たちが迎えに来たのです。
「さあ、春の歌を」
春の王女の侍女らは、塔へと入っていきました。ほどなく、窓の鎧戸がひらかれました。春の王女がぱちんと指を鳴らすと、ふわりと花の香りが漂いあたたかい風が吹いてきました。二人の王女は目礼を交わし、塔の主の交代を果たしました。
「よいお方と巡り会えたな、エレナよ」
「王女さまのおかげです」
「それは、ちがう。わらわは、ただおまえと楽しくおしゃべりをしていただけ。おまえ自身が自分を正しく育てたのだ」
エレナの目が涙でうるみます。それを見つめる王女は心身ともに美しく成長したエレナを嬉しく思いました。はんめん、手離す淋しさも感じました。
白鳥たちが冬の王女のまわりへと舞い降り、帰還を促します。
「また遊びに行ってもよろしいでしょうか」
エレナの申し出に王女は胸を小さく突かれたように思いました。
「これからは、忙しくもなるだろう。ことに子を持てばなおさら……」
王女はエレナの手をそっと離しました。
「けれど、ひと冬にいちどくらいお邪魔してもかまわないでしょうか」
「でも、もう離宮も壊してしまったし」
歯切れの悪い受け答えしかしない王女にエレナは笑いかけました。
「嘘は、いけません。王女さまは、わたくしにそうおっしゃったではありませんか」
嘘をつかないこと、と幼いエレナに申し渡したことを王女は思いだしました。冬に嘘は似つかわしくない、と。
「……来てほしいわ」
王女は涙がこぼれそうになるのをこらえました。エレナは王女の手を両手で握りしめました。
「かならず、お邪魔いたします。どうかまた、わたくしに編み物を教えてくださいませ」
「ええ、かならず」
王女は身を翻すと、たちまち白鳥となって空高く舞い上がっていきました。
『四つの季節を廻すのはだれ? 花咲く春の王女、陽射しの夏の王女、実りの秋の王女、静寂の冬の王女たち。塔から我らを見守りぬ。巡り来る、巡り来る。とこしえに変わることなく』
人々の歌声が響きました。
アレシュとならんだエレナが大きく手を振ります。
空から見ると、塔の周りから雪がとけ始めて緑の大地があらわれ始めました。
季節が春へと移ります。
白鳥になって飛んでいく王女の胸はもう冷えてはいませんでした。あたたかく満たされていました。
それからというもの、人々は歌いお祭りをしました。
春の喜びを
夏の輝きを
秋の深さを
冬の美しさを
ことに、雪のような肌にあばたのある王女の物語は、冬の夜に暖炉のそばで語り継がれていったのでした。
おわり
0
この作品の感想を投稿する
みんなの感想(3件)
あなたにおすすめの小説
かつて聖女は悪女と呼ばれていた
朔雲みう (さくもみう)
児童書・童話
「別に計算していたわけではないのよ」
この聖女、悪女よりもタチが悪い!?
悪魔の力で聖女に成り代わった悪女は、思い知ることになる。聖女がいかに優秀であったのかを――!!
聖女が華麗にざまぁします♪
※ エブリスタさんの妄コン『変身』にて、大賞をいただきました……!!✨
※ 悪女視点と聖女視点があります。
※ 表紙絵は親友の朝美智晴さまに描いていただきました♪
悪女の死んだ国
神々廻
児童書・童話
ある日、民から恨まれていた悪女が死んだ。しかし、悪女がいなくなってからすぐに国は植民地になってしまった。実は悪女は民を1番に考えていた。
悪女は何を思い生きたのか。悪女は後世に何を残したのか.........
2話完結 1/14に2話の内容を増やしました
生贄姫の末路 【完結】
松林ナオ
児童書・童話
水の豊かな国の王様と魔物は、はるか昔にある契約を交わしました。
それは、姫を生贄に捧げる代わりに国へ繁栄をもたらすというものです。
水の豊かな国には双子のお姫様がいます。
ひとりは金色の髪をもつ、活発で愛らしい金のお姫様。
もうひとりは銀色の髪をもつ、表情が乏しく物静かな銀のお姫様。
王様が生贄に選んだのは、銀のお姫様でした。
【完結】玩具の青い鳥
かのん
児童書・童話
かつて偉大なる王が、聖なる塔での一騎打ちにより、呪われた黒竜を打倒した。それ以来、青は幸福を、翼は王を、空は神の領域を示す時代がここにある。
トイ・ブルーバードは玩具やとして国々を旅していたのだが、貿易の町にてこの国の王女に出会ったことでその運命を翻弄されていく。
王女と玩具屋の一幕をご覧あれ。
ローズお姉さまのドレス
有沢真尋
児童書・童話
*「第3回きずな児童書大賞」エントリー中です*
最近のルイーゼは少しおかしい。
いつも丈の合わない、ローズお姉さまのドレスを着ている。
話し方もお姉さまそっくり。
わたしと同じ年なのに、ずいぶん年上のように振舞う。
表紙はかんたん表紙メーカーさまで作成
アリアさんの幽閉教室
柚月しずく
児童書・童話
この学校には、ある噂が広まっていた。
「黒い手紙が届いたら、それはアリアさんからの招待状」
招かれた人は、夜の学校に閉じ込められて「恐怖の時間」を過ごすことになる……と。
招待状を受け取った人は、アリアさんから絶対に逃れられないらしい。
『恋の以心伝心ゲーム』
私たちならこんなの楽勝!
夜の学校に閉じ込められた杏樹と星七くん。
アリアさんによって開催されたのは以心伝心ゲーム。
心が通じ合っていれば簡単なはずなのに、なぜかうまくいかなくて……??
『呪いの人形』
この人形、何度捨てても戻ってくる
体調が悪くなった陽菜は、原因が突然現れた人形のせいではないかと疑いはじめる。
人形の存在が恐ろしくなって捨てることにするが、ソレはまた家に現れた。
陽菜にずっと付き纏う理由とは――。
『恐怖の鬼ごっこ』
アリアさんに招待されたのは、美亜、梨々花、優斗。小さい頃から一緒にいる幼馴染の3人。
突如アリアさんに捕まってはいけない鬼ごっこがはじまるが、美亜が置いて行かれてしまう。
仲良し3人組の幼馴染に一体何があったのか。生き残るのは一体誰――?
『招かれざる人』
新聞部の七緒は、アリアさんの記事を書こうと自ら夜の学校に忍び込む。
アリアさんが見つからず意気消沈する中、代わりに現れたのは同じ新聞部の萌香だった。
強がっていたが、夜の学校に一人でいるのが怖かった七緒はホッと安心する。
しかしそこで待ち受けていたのは、予想しない出来事だった――。
ゾクッと怖くて、ハラハラドキドキ。
最後には、ゾッとするどんでん返しがあなたを待っている。
王女様は美しくわらいました
トネリコ
児童書・童話
無様であろうと出来る全てはやったと満足を抱き、王女様は美しくわらいました。
それはそれは美しい笑みでした。
「お前程の悪女はおるまいよ」
王子様は最後まで嘲笑う悪女を一刀で断罪しました。
きたいの悪女は処刑されました 解説版
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
とても美しい文章と描写でお話もしっかりしていたので感動しました。
ほかの作品も読んでみたいと思います。
冬の厳しさがあるからこそ、春の美しさも増していく。
夏に盛り、秋に蓄え、冬はゆっくりと育てる。見えにくいものはなかなか理解されなくて、ようやく手に入れられると思ったエレナの幸せも上手く祝ってあげられなくて……胸が痛くなりました。
この先は歌い継がれ、語り継がれ、四季はいつまでも巡っていくのでしょう。
素敵な絆の物語をありがとうございました!
エレナと王女様の様子がその情景があたまにふわりと浮かびました。
エレナの嬉しそうな様子や表情、女王様のまとう空気(雰囲気?)がやわらかくらなっていく様子がとても好きです。