御囲部屋の子どもたち

ビター

文字の大きさ
2 / 27
恩の章

しおりを挟む
 その晩、恩は寒川と小さな宿に泊まった。
 時間は分からないが、すでに町全体が寝静まったようで、外からの物音はしない。たまに蛙の声が遠く近く聞こえるだけだ。
 隣の布団で休んでいる寒川は、いびきひとつせず静かに眠っている。和尚はいびきをかいて寝ていたので、静かだと逆に恩の目はさえた。
 それに、宿へ来る前に入った銭湯で恩は寒川の肌を見て驚いたのだ。
 寒川の肩から両腕、ひじのあたりまで奇妙な彫り物がしてあったのだ。もちろん、寒川以外にも彫り物をしている男性はめずらしくなかった。ボタンの花や般若、魚やいかつい鳥、観音様を彫っている人もいた。それらを初めて見る恩は口を開けたままになってしまったが、寒川の素肌を見て思わず口が閉じた。
 寒川の肌に刻まれた意匠は、黒一色で文字のように見えた。ただ、恩が知るひらがなや寺で見慣れた漢字などではなかった。
 むろん、そんな寒川は好奇の目で見られていたが、本人はまったく気にせず、恩の体を遠慮なしに洗った。着てきた着物は、シラミがついているからと捨てられ、少しくたびれてはいるが清潔な着物を渡された。
 蛙の声を聞きながら、恩は眠っている寒川の横顔を見た。月明かりに照らされる寒川の横顔は、青白くととのい、あまり生気を感じられなかった。
 息をしているだろうか。
 恩は自分の床から抜け出すと、寒川の布団に潜り込んだ。
「……っ、おまえか……」
 てっきり怒られるかと思ったが、寒川は体を横にずらして恩が休めるようにしてくれた。
「寝小便はしないだろうな」
 目を閉じたままの寒川に尋ねられ、恩は寒川の手を取ると頬に当ててうなずいて見せた。
「寝ろ。明日は早いぞ」
 寒川は息をしていた。恩はようやくほっとして、和尚とは違うにおいを感じながら眠った。
 
 翌朝、朝食が済むと寒川が手配した車に、恩は初めて乗った。座席は毛足の短い布が貼られていた。手触りがうっとりするほど柔らかく、恩は何度も撫でた。
「口は閉じていろ」
 寒川にそう指示された理由は、車がしばらく走ってから分かった。町を抜けると、とたんに道は凸凹になり、口を開けていると舌を噛みそうになった。それよりも、恩は胸のあたりにむかつきを感じていた。なんだか頭がぐらぐらして、戻しそうになる。
「車、止めて」
 寒川は車を止めさせると、恩を外に出した。外に出たとたんに恩は道端に吐いた。胸のむかつきは取れたが、せっかく食べた恩にとってはご馳走だった食事を吐いたことが悲しくなった。
「朝飯を食べすぎたな。注意するべきだった。大丈夫、海城でも米の飯は食わせてもらえる」
 ほら、乗るぞ。と寒川は恩を抱き上げて車に乗せた。
「もうじき、海が見える。それから、高い煙突もな」
 海、煙突という知らない言葉に恩は首を傾げた。
 車に体をゆすられ続け、また道が少し平たんになったとき、居眠りをしていた恩は寒川に肩をたたかれた。
「海だ」
 目の前に真っ青なものが広がっていた。空ではない、五月の陽光に青く光るもの。ときおり、青い表面に白い線が伸びたり縮んだりする。白い鳥がたくさん飛んでいる。
「そのうち、みあきる。海城家は、あそこだ。もう見えるだろう」
 寒川が指さす方、山の中腹に張り付くようにして大きな家があった。

しおりを挟む
感想 13

あなたにおすすめの小説

初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結保証】

星森 永羽
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。 だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。 しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。 王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。 そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。 地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。 ⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。

とっていただく責任などありません

まめきち
恋愛
騎士団で働くヘイゼルは魔物の討伐の際に、 団長のセルフイスを庇い、魔法陣を踏んでしまう。 この魔法陣は男性が踏むと女性に転換するもので、女性のヘイゼルにはほとんど影響のない物だった。だか国からは保証金が出たので、騎士を辞め、念願の田舎暮らしをしようとしたが!? ヘイゼルの事をずっと男性だと思っていたセルフイスは自分のせいでヘイゼルが職を失っただと思って来まい。 責任を取らなければとセルフイスから、 追いかけられる羽目に。

【完結】婚約破棄されたので、引き継ぎをいたしましょうか?

碧井 汐桜香
恋愛
第一王子に婚約破棄された公爵令嬢は、事前に引き継ぎの準備を進めていた。 まっすぐ領地に帰るために、その場で引き継ぎを始めることに。 様々な調査結果を暴露され、婚約破棄に関わった人たちは阿鼻叫喚へ。 第二王子?いりませんわ。 第一王子?もっといりませんわ。 第一王子を慕っていたのに婚約破棄された少女を演じる、彼女の本音は? 彼女の存在意義とは? 別サイト様にも掲載しております

【完結】シュゼットのはなし

ここ
恋愛
子猫(獣人)のシュゼットは王子を守るため、かわりに竜の呪いを受けた。 顔に大きな傷ができてしまう。 当然責任をとって妃のひとりになるはずだったのだが‥。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

【完結】お父様の再婚相手は美人様

すみ 小桜(sumitan)
恋愛
 シャルルの父親が子連れと再婚した!  二人は美人親子で、当主であるシャルルをあざ笑う。  でもこの国では、美人だけではどうにもなりませんよ。

【完結】身代わり皇妃は処刑を逃れたい

マロン株式
恋愛
「おまえは前提条件が悪すぎる。皇妃になる前に、離縁してくれ。」 新婚初夜に皇太子に告げられた言葉。 1度目の人生で聖女を害した罪により皇妃となった妹が処刑された。 2度目の人生は妹の代わりに私が皇妃候補として王宮へ行く事になった。 そんな中での離縁の申し出に喜ぶテリアだったがー… 別サイトにて、コミックアラカルト漫画原作大賞最終候補28作品ノミネート

【完結】クビだと言われ、実家に帰らないといけないの?と思っていたけれどどうにかなりそうです。

まりぃべる
ファンタジー
「お前はクビだ!今すぐ出て行け!!」 そう、第二王子に言われました。 そんな…せっかく王宮の侍女の仕事にありつけたのに…! でも王宮の庭園で、出会った人に連れてこられた先で、どうにかなりそうです!? ☆★☆★ 全33話です。出来上がってますので、随時更新していきます。 読んでいただけると嬉しいです。

処理中です...