御囲部屋の子どもたち

ビター

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恩の章

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 恩が御囲部屋から持ち帰った言葉に、海城家は歓喜の渦を巻き起こした。屋敷中の使用人たちも寄ればその話にもちきりになった。
 夫人は心当たりがあったのか、ソワソワとして落ち着きをなくした。十日ばかりが過ぎた頃、医者に診てもらうと、身籠っていることが確認された。
「すごいわ、恩が来てからうちは良いことずくめよ」
 夫人は、お菓子や果物、おもちゃをたくさんたずさえて恩たちの部屋を訪れた。
 薔薇色に頬を染める夫人を見て、恩は曖昧に笑うだけだった。
 山のような贈り物は、部屋のすみに片付けて置かれ、恩は一身に字の読み書きを学んでいった。
 いつしか、部屋に火鉢が置かれた。季節は冬になり、糸穂は恩に綿の入った半纏を着せかけてくれた。その間にも、恩は御囲部屋へと何度も入った。
「景気が悪くなって、失業者が増えたろう。……恩、聞いているか」
 恩は正座を崩さず、頭を下げ薄く目を開けて声を聞いていた。昨日、奥様が恩のもとを訪れた。腹はだいぶ大きく、重そうに見えた。
 ――この子が生まれたら、恩は兄さまの役目を引き受けてね。
 無邪気にほほ笑む夫人に、恩は頭を下げるしかなかった。
 ――きょうだいのわけがない。
 恩の胸は冷えたままだった。どんなに糸穂が恩の体を気遣い、綿がたっぷり入った半纏を着せてくれても、温かい料理も、風呂も、恩を温めはしなかった。
「大陸で大きな動きがある」
 恩は顔を上げた。大陸で、大きな動きとは。これは重要なことだと恩は記憶に刻んだ。恩の様子を楽しむように、声は続けた。
「鉄は、ますます必要とされる」
 海城では、鉄に関連する会社を持っている。もともと、町には鉱山があり鉄が産出されている。鉄鉱石を加工して製鉄する大きな工場が港の近くにあるのだ。
 恩は声に向かって手をつくと、深くお辞儀をした。

 御囲部屋から聞いてくる予測は、ことごとく当たった。
「恩はすごい。雑音が最初から聞こえないのね」
 糸穂は恩の浴衣を縫ってくれた。恩の背が伸びて、来たときのものでは丈が合わなくなったのだ。糸穂は目が見えないのに、縫物や編み物ができた。指先の感覚でわかるのだと言う。
「わたしは、波の音の向こうに声が聞こえるように感じていた。予測以外の話をたくさんされたし」
 糸穂はなぜかうれし気に笑った。まるで、御囲部屋に入るのが楽しかったとでもいうように。
 恩は今でも、御囲部屋から出ると、言いようのない疲れに襲われて長い時間床で過ごす。時々、体の内側を撫でられるような気持ち悪さを感じることもある。
 糸穂には、そういった経験はなかったのだろうか。靄の声は男性だけれど、ふたつ三つの声がある。糸穂に話しかけていた声は、恩のそれとは違うのかもしれない。
 恩は海城が買い与えてくれた本に目を落とした。と、ふだんは静かな屋敷内であわただしく走る足音がしてきた。一人ではなく、五人も六人も走り回っているような音だ。
「何かしら」
 糸穂は縫物の手を止めて扉の方に頭を向けた。
「もしかして、奥様のお産かしら」
 恩はぎりりと目を見開いた。ついに、夫人の出産の日が来たらしい。恩は固唾をのんで、扉の向こうの音に意識を集中させた。
 外で車の止まる音がした。医者か産婆を呼んだのだろうか。足音のなかに交じる、獣のようなうめき声、奥様を励す女中たちの声。
 そんな状態がどれほど続いただろうか。やがて、元気な赤子の鳴き声が屋敷に響いた。
 幾重にも重なる歓喜の声が恩たちの部屋まで届いた。
「生まれたようですね」
 糸穂は縫物を膝に置き、合掌した。
 恩は糸穂が手を合わせる姿をただ見つめた。
 自分は海城の子ではない。生まれてくる子の兄になれるわけがない。
 自分は、海城に使われる御囲様なのだ。

 わずかののち、部屋に差し入れられた食事は、鯛の尾頭付きをはじめとした刺身や天ぷらなど、食べきれないご馳走だった。
 
 
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