御囲部屋の子どもたち

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恩の章

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 恩が御囲部屋で聞いたことは、恩と寒川との間で何度かやり取りをする中で、「来年の夏」と正しい答えとなり海城の旦那様に伝えられた。
「そうか、わかった。番頭を連れてこい。今年の米の買い付けを増やすよう、打ち合わせをする」
 海城は、意気揚々と使用人に指示を出した。
 話がきんちと伝わったという安堵感より、もし「はずれてしまったら」という緊張感が強い。
「恩、ご褒美よ」
 海城夫人は笑顔で、恩に舶来物のお菓子の詰まった缶を渡した。
 恩は缶を胸に抱き、とまどい俯いた。
「安心しろ、部屋の中の奴らが言うことは、九割当たる」
 寒川が恩の耳にそっとささやいた。
「ひとつの情報が、海城を五年は潤す。いま海城の家を儲けさせていたのは、糸穂が退く前に聞いた情報がすべてだ」
 海城は、あたらしい未来予測をどうしても知りたかったのだ。
「九割当たる。だからこそ……」
 誰もが御囲部屋を無くせない、と寒川はつぶやくようにつづけた。
 恩は、御囲部屋が他にもあるらしいと知り、目を見開いて寒川をみあげた。
「あとから本を送る」
 寒川は、恩の頭を二三度撫でると、屋敷を後にした。

 ひとつの予言を聞いてから、恩の御囲様の暮らしは定着していった。
 恩は糸穂から字を習い始めた。とはいえ、糸穂の視力では海城が取り寄せた小学校の教科書の文字を見るのは難しかった。恩は寒川が送って来てくれた字とともに絵が描かれた本を頼りに、少しずつ習得していった。
 電球がともる部屋で、差し入れられる食事をとり、御囲部屋で異界の声に耳をすませ、戻れば疲れ果てて眠り、今日がいったい何月なのか、時間も季節も分からなくなった。
 それでも時々、海城の夫人が訪ねてきた。
「恩、髪が伸びたわね。とてもかわいらしいわ」
 夫人は、わざわざ取り寄せた髪飾りや、珍しいお菓子などを差し入れていくのだ。
「奥方さまたちには、まだお子様がいらっしゃらないから」
 糸穂は恩の髪を梳きながら、話して聞かせた。
 海城夫妻は結婚して十数年経つが、なかなか子宝に恵まれないという。
「はい、できた。恩の髪はとても素直で結いやすいわ」
 ほのかに微笑む糸穂の髪こそ、長く艶がありとても美しいと恩は思った。

「戦も不景気も我らには無縁だ」
 御囲部屋に座る恩は、少しずつ目を開いていられる時間が長くなってきた。
 恩の回りに座る靄は、三つのときもあれば一つのときもあった。
「年のうちに、さらに景気が悪くなるだろう。新しき商いに手を出すと痛い目にあう。それから、満州は止めておけ」
 恩は聞いたことを忘れないように、必死で覚えた。手の指が白くなるほど握り、奥歯が痛くなるほど歯を食い縛る。
「恩、そんなに硬くなるな」
 背後からの声に振り向きそうになる。
「こちらで暮らさぬか。よほど気楽に過ごせるぞ
 。暑くも寒くもない、病はない。おまえの口もきけるようになる」
 恩は甘い言葉には目をつぶり耳を貸さなかった。部屋から出て糸穂のもとへ戻る以上に大切なことはない。
「死んだおっ母さまにも会えるぞ」
 恩の目が自然と開かれた。
「そうだ、会いたかろう? かんたんだ。障子を開けて入ればよいだけだ」
 恩は壁に写る障子を凝視した。あれを開けたなら、母がいる、母に会える。
 思わず腰を浮かしそうになるが、恩はこらえた。
 ――きっと嘘だ。
 しばしの沈黙のあと、鼻で笑うような声がした。
「つまらんな、帰れ」
 声は止んだかに思えた。黒に塗られた壁にごく細い光の縦線が引かれた。恩は光を目指して畳を這った。
「それから」
 引き留めるように、声がかけられた。
「奥方は子を産む」
 ははは、という高笑い。あやかしの気配は消えた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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