12 / 27
恩の章
12
しおりを挟む
表座敷に、海城があわてふためいて現れた。浴衣の前がはだけ裾もひらいている状態だった。
まちうけていたのは、寒川、軍服を着こんだ三枝大佐と、青ざめふるえる部下が一人。
恩と糸穂は、座敷の隅に手を取りあって座っている。
「これは……何が」
「それは、こちらの大佐殿にきかれては?」
腕組みをして座敷の真ん中に立つ寒川が海城に冷たい視線を向けた。
「三枝大佐、なにかうちのものが失礼なことをいたしましたか」
海城は浴衣の乱れを直すのもそこそこに、三枝大佐の前に姿勢を低くして尋ねた。
三枝は黙ったままだった。深夜に近い時間、軍人三名は泊まりのはずだ。しかしまだ夜着にも着替えず軍服のままいることに、疑問を持ったのか、海城は首を傾げた。
「恩がさらわれるところでしたよ。糸穂は首を絞められた」
寒川の言葉に、海城はぎょっとしたように背筋をのばした。
「なぜ。恩のことは、信用されなかったのでは」
なおも押し黙ったままの三枝にかわって、部下が声を上げた。
「た、田中が、田中をどこへやった!」
海城は、あ、と小さく叫んだ。
「そうです、お分かりになりましたか。声に応えてしまったんですよ」
寒川が冷静に口にした。恩は、最初の時に言われた【声に応えてはならない】、という意味が初めてわかり糸穂を見上げた。糸穂は静かにうなずいた。
「大佐、海城の旦那様からどんな話をきいたのか、分かりませんが、未来予測は恩だけではできない。部屋が必要なのです」
「では、帝都の軍事施設内に作らせよう。実証実験させて欲しい、その子どもの書くことが嘘か真か」
ようやく口を開いた三枝は、さらりと言った。糸穂に危害を加えることを躊躇せず、恩を誘拐しようとしたことには一切れることなく、ただ恩が欲しいと言いのけた。
「いいえ、作ることはできません。この家の御囲部屋ができたのは、慶応のころのことと実家の者から聞いています」
「貴様は知らぬと言うのか」
三枝の言葉に寒川は肩をすくめた。
「ええ、わたしはただの「虫取り」ですから」
とたんに海城の顔色が悪くなった。
「虫の知らせで来てみれば、この騒ぎだ。旦那様、目に余るようならば、恩も糸穂もわたしが引き取ります」
「い、いや、困る、それは困る」
海城は青ざめたまま、額から大粒の汗を流した。
「きみ」
寒川は不意に部下の青年に声をかけた。
「田中くんといったか。彼はもうこちらには戻れない。ある意味、事故だ。忘れてくれ」
青年はすがりつくような瞳で大佐を見たが、大佐は「事故だそうだ」と言下に断じた。青年は畳に突っ伏し、声を圧し殺して泣き崩れた。
恩は眼を見張った。あれを事故、だというのか。
糸穂が指をかけられるくらいの隙間だった。その隙間から、御囲部屋に田中は一瞬のうちに吸い込まれた。
「この世ならざるものか。非科学的だな」
三枝は鼻で笑ったが、目は笑っていなかった。
「その非科学的なものにすら、あなた方はすがりたい」
寒川の舌鋒は衰えるところを知らない。恩の肌がぴりぴりと痛くなる。寒川と三枝のあいだに、見えない火花が散っているように恩は感じて糸穂にぴたりと体をつけた。
「海城殿」
三枝は額に手をあて、頭をひとなでした。
「取引だ」
「とりひき、ですか」
海城は、青ざめ体を縮こませて三枝を見た。
「その子の書いたものを、わたしに譲れ。今後、ずっとだ。礼として貴殿に【便宜】をはかろう」
え、と海城は小さな声をあげて肩から力を抜いた。
「いかがか」
「も、もちろんであります! 喜んで」
戸惑いから一転、歓喜の声をあげ、またたくまに頬を上気させる海城を見る寒川の目は冷たかった。
「今までのものも、お見せいたします。ささ、あちらへ」
海城は喜色を浮かべ、三枝を母屋へ案内していく。三枝は、いまだ子どものようにしゃくりあげる部下をどやしつけて部屋から去っていった。
「寒川さま……」
「ああ。糸穂、大事ないか」
今さらのように寒川は糸穂に尋ねた。糸穂は首を縦にふる。恩も同じようにした。
「結局、海城のいいようになったか」
つまらん、と寒川はつぶやいた。
「夜分遅く、悪かったな。わたしは帰る」
「そんな、今から?」
すでに一時は過ぎている。恩は緊張感が切れて眠気が訪れてきた。
「母屋のものに、こちらに寝床を敷き直すよう頼んでおく」
「は、はい」
糸穂は、眠りかけの恩を抱いてうなずいた。
「海城には後日、釘を刺しておく。では、月が照るうちに」
恩は、寒川が月光の下を去っていく様を、夢にみた。
まちうけていたのは、寒川、軍服を着こんだ三枝大佐と、青ざめふるえる部下が一人。
恩と糸穂は、座敷の隅に手を取りあって座っている。
「これは……何が」
「それは、こちらの大佐殿にきかれては?」
腕組みをして座敷の真ん中に立つ寒川が海城に冷たい視線を向けた。
「三枝大佐、なにかうちのものが失礼なことをいたしましたか」
海城は浴衣の乱れを直すのもそこそこに、三枝大佐の前に姿勢を低くして尋ねた。
三枝は黙ったままだった。深夜に近い時間、軍人三名は泊まりのはずだ。しかしまだ夜着にも着替えず軍服のままいることに、疑問を持ったのか、海城は首を傾げた。
「恩がさらわれるところでしたよ。糸穂は首を絞められた」
寒川の言葉に、海城はぎょっとしたように背筋をのばした。
「なぜ。恩のことは、信用されなかったのでは」
なおも押し黙ったままの三枝にかわって、部下が声を上げた。
「た、田中が、田中をどこへやった!」
海城は、あ、と小さく叫んだ。
「そうです、お分かりになりましたか。声に応えてしまったんですよ」
寒川が冷静に口にした。恩は、最初の時に言われた【声に応えてはならない】、という意味が初めてわかり糸穂を見上げた。糸穂は静かにうなずいた。
「大佐、海城の旦那様からどんな話をきいたのか、分かりませんが、未来予測は恩だけではできない。部屋が必要なのです」
「では、帝都の軍事施設内に作らせよう。実証実験させて欲しい、その子どもの書くことが嘘か真か」
ようやく口を開いた三枝は、さらりと言った。糸穂に危害を加えることを躊躇せず、恩を誘拐しようとしたことには一切れることなく、ただ恩が欲しいと言いのけた。
「いいえ、作ることはできません。この家の御囲部屋ができたのは、慶応のころのことと実家の者から聞いています」
「貴様は知らぬと言うのか」
三枝の言葉に寒川は肩をすくめた。
「ええ、わたしはただの「虫取り」ですから」
とたんに海城の顔色が悪くなった。
「虫の知らせで来てみれば、この騒ぎだ。旦那様、目に余るようならば、恩も糸穂もわたしが引き取ります」
「い、いや、困る、それは困る」
海城は青ざめたまま、額から大粒の汗を流した。
「きみ」
寒川は不意に部下の青年に声をかけた。
「田中くんといったか。彼はもうこちらには戻れない。ある意味、事故だ。忘れてくれ」
青年はすがりつくような瞳で大佐を見たが、大佐は「事故だそうだ」と言下に断じた。青年は畳に突っ伏し、声を圧し殺して泣き崩れた。
恩は眼を見張った。あれを事故、だというのか。
糸穂が指をかけられるくらいの隙間だった。その隙間から、御囲部屋に田中は一瞬のうちに吸い込まれた。
「この世ならざるものか。非科学的だな」
三枝は鼻で笑ったが、目は笑っていなかった。
「その非科学的なものにすら、あなた方はすがりたい」
寒川の舌鋒は衰えるところを知らない。恩の肌がぴりぴりと痛くなる。寒川と三枝のあいだに、見えない火花が散っているように恩は感じて糸穂にぴたりと体をつけた。
「海城殿」
三枝は額に手をあて、頭をひとなでした。
「取引だ」
「とりひき、ですか」
海城は、青ざめ体を縮こませて三枝を見た。
「その子の書いたものを、わたしに譲れ。今後、ずっとだ。礼として貴殿に【便宜】をはかろう」
え、と海城は小さな声をあげて肩から力を抜いた。
「いかがか」
「も、もちろんであります! 喜んで」
戸惑いから一転、歓喜の声をあげ、またたくまに頬を上気させる海城を見る寒川の目は冷たかった。
「今までのものも、お見せいたします。ささ、あちらへ」
海城は喜色を浮かべ、三枝を母屋へ案内していく。三枝は、いまだ子どものようにしゃくりあげる部下をどやしつけて部屋から去っていった。
「寒川さま……」
「ああ。糸穂、大事ないか」
今さらのように寒川は糸穂に尋ねた。糸穂は首を縦にふる。恩も同じようにした。
「結局、海城のいいようになったか」
つまらん、と寒川はつぶやいた。
「夜分遅く、悪かったな。わたしは帰る」
「そんな、今から?」
すでに一時は過ぎている。恩は緊張感が切れて眠気が訪れてきた。
「母屋のものに、こちらに寝床を敷き直すよう頼んでおく」
「は、はい」
糸穂は、眠りかけの恩を抱いてうなずいた。
「海城には後日、釘を刺しておく。では、月が照るうちに」
恩は、寒川が月光の下を去っていく様を、夢にみた。
21
あなたにおすすめの小説
初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結保証】
星森 永羽
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。
だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。
しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。
王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。
そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。
地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。
⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。
とっていただく責任などありません
まめきち
恋愛
騎士団で働くヘイゼルは魔物の討伐の際に、
団長のセルフイスを庇い、魔法陣を踏んでしまう。
この魔法陣は男性が踏むと女性に転換するもので、女性のヘイゼルにはほとんど影響のない物だった。だか国からは保証金が出たので、騎士を辞め、念願の田舎暮らしをしようとしたが!?
ヘイゼルの事をずっと男性だと思っていたセルフイスは自分のせいでヘイゼルが職を失っただと思って来まい。
責任を取らなければとセルフイスから、
追いかけられる羽目に。
【完結】婚約破棄されたので、引き継ぎをいたしましょうか?
碧井 汐桜香
恋愛
第一王子に婚約破棄された公爵令嬢は、事前に引き継ぎの準備を進めていた。
まっすぐ領地に帰るために、その場で引き継ぎを始めることに。
様々な調査結果を暴露され、婚約破棄に関わった人たちは阿鼻叫喚へ。
第二王子?いりませんわ。
第一王子?もっといりませんわ。
第一王子を慕っていたのに婚約破棄された少女を演じる、彼女の本音は?
彼女の存在意義とは?
別サイト様にも掲載しております
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
【完結】お父様の再婚相手は美人様
すみ 小桜(sumitan)
恋愛
シャルルの父親が子連れと再婚した!
二人は美人親子で、当主であるシャルルをあざ笑う。
でもこの国では、美人だけではどうにもなりませんよ。
【完結】身代わり皇妃は処刑を逃れたい
マロン株式
恋愛
「おまえは前提条件が悪すぎる。皇妃になる前に、離縁してくれ。」
新婚初夜に皇太子に告げられた言葉。
1度目の人生で聖女を害した罪により皇妃となった妹が処刑された。
2度目の人生は妹の代わりに私が皇妃候補として王宮へ行く事になった。
そんな中での離縁の申し出に喜ぶテリアだったがー…
別サイトにて、コミックアラカルト漫画原作大賞最終候補28作品ノミネート
【完結】クビだと言われ、実家に帰らないといけないの?と思っていたけれどどうにかなりそうです。
まりぃべる
ファンタジー
「お前はクビだ!今すぐ出て行け!!」
そう、第二王子に言われました。
そんな…せっかく王宮の侍女の仕事にありつけたのに…!
でも王宮の庭園で、出会った人に連れてこられた先で、どうにかなりそうです!?
☆★☆★
全33話です。出来上がってますので、随時更新していきます。
読んでいただけると嬉しいです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる