13 / 27
恩の章
13
しおりを挟む
六月、三枝大佐が帝都に戻ってひとつきあまり。海城の屋敷には、多くの荷物が届いた。
送り主は、三枝大佐だった。
先月の来訪の折り、恩が書き記した紙を持ち帰り、「五月十五日」という日に、犬飼首相が暗殺されるという事件が起こったのだ。
見事、事件を予測した恩には、多くの贈り物があった。たとえば、文房具。鉛筆やノートが束で届いた。本が好きだと誰からか聞いたのだろう。童話の本が、積めば恩の背丈になるほど。珍しいチョコレートやキャンディーはいうに及ばず、恩が着る上等な絹で仕立てられた紅色の振り袖もあった。
糸穂には、あの夜の詫びなのだろう。練り香水や、紅といった化粧品と同じく、着物も贈られた。
そして、海城は浜の工場で作った缶詰を、軍に納める権利を得た。
恩と糸穂は、普段足を踏み入れることのない、母屋の座敷にいた。
「恩、ようやった。これで我が家は安泰だ」
張りのある声で、海城は恩を褒めた。
「これからも、よろしく頼む。我が家の浮沈は恩にかかっているのだからな」
「まあ、そんなこと恩に言わないで。まだこんなに小さいのに、かわいそうでしょう」
夫人は、ようやく立つようになった一郎をあやしながら、ふたりの前にいた。
糸穂と恩は、夫妻の前に深く頭を下げている。
恩は自分が御囲部屋から持ち帰った情報が正しかったことに胸を撫で下ろし、つとめを果たしたことが誇らしく思えた。
「つぎもひとつ、頼むぞ。三枝大佐のためにも」
三枝の名を出されると、恩は胸がひやりとした。もし、御囲部屋の者たちが、嘘をいったなら自分や糸穂はどうなるのだろうかと、恩は小さな喉を上下させた。
屋敷の主人夫妻と、特別なつとめを担う恩と糸穂という、改まった場に不似合いな声がしている。
一歳を過ぎたばかりの一郎が、先程から夫人の膝のうえで元気に足踏みし、時々喃語を話しているのだ。
恩は下げた頭の視界に時々入り込む一郎の小さな足を見ていた。恩にとって一郎は、特別な場に紛れ込んだ雑音のように感じた。この場に入り込んだ不純物だと。
「今日のお昼には、特別の料理をとどけさせるから、表座敷にいてね」
海城家の祝いは、恩たちとは別に開くのだろう。
「格別のお心遣い、感謝いたします」
糸穂は恩の分とふたり分の礼を述べるように、さらに深くお辞儀をしたのだった。
「いい香り。水仙のような花の香りがする」
糸穂は練り香水の小さな缶に鼻を寄せて、香りを楽しんでいる。
「せっかくいただいたけれど、口紅は使い道がなさそう」
糸穂は少しさびしげに笑った。恩はお菓子の缶の紙を乱暴にはずすと、缶の中から摘んだチョコレートをひとつ、糸穂の口にすっと入れた。
「ん、甘い。チョコレートね」
恩もひとかけ口にチョコレートを入れた。チョコレートはなめらかに口の中でとけ、今まで食べたどの菓子とも比べ物にならないほどの美味しさだった。
お菓子といえば、五月の騒動の夜から十日ばかりしたころ、寒川が海城を訪れた。
――海城に、あまり欲の皮を突っ張るなと言っておいたが、どれほと響いたか。
半分諦めたようにして、土産だとビスケットを置いていった。それは動物に型抜かれていた。犬、熊、ゾウ、くじら……しかし、どれを食べても同じ味で、糸穂と恩は笑いあった。
それから、寒川は恩に本を二冊渡した。
ひとつは手話の、もうひとつはモールス信号の本だった。
――覚えていて損はないぞ。
どちらの本も子ども向けのものではなく、恩には難しいものだった。
それでも、寒川に勧められたという嬉しさがあり、恩は毎日眺めた。
ささやかな祝祭と、わずかな安息。
恩と糸穂は、再び外鍵のかかる部屋での生活を始めた。
恩は御囲部屋に入る。あやかしたちの声に耳を傾ける。ここのところ、何度も「じしん」と言われる。紙に書いて海城に渡しても、海城は恩に突っ返すのだ。そんなものではなく、もっと人の名前や日付、地名を聞いてこいと言われるのだ。
こちらから、聞きたいことを聞けない。
三枝が望むような予測が出せなくなったら、自分はどうなるのだろうか。
恩は報告を書くために紙に向かうとき、破局の幻を見て、筆を持つ手がふるえた。
送り主は、三枝大佐だった。
先月の来訪の折り、恩が書き記した紙を持ち帰り、「五月十五日」という日に、犬飼首相が暗殺されるという事件が起こったのだ。
見事、事件を予測した恩には、多くの贈り物があった。たとえば、文房具。鉛筆やノートが束で届いた。本が好きだと誰からか聞いたのだろう。童話の本が、積めば恩の背丈になるほど。珍しいチョコレートやキャンディーはいうに及ばず、恩が着る上等な絹で仕立てられた紅色の振り袖もあった。
糸穂には、あの夜の詫びなのだろう。練り香水や、紅といった化粧品と同じく、着物も贈られた。
そして、海城は浜の工場で作った缶詰を、軍に納める権利を得た。
恩と糸穂は、普段足を踏み入れることのない、母屋の座敷にいた。
「恩、ようやった。これで我が家は安泰だ」
張りのある声で、海城は恩を褒めた。
「これからも、よろしく頼む。我が家の浮沈は恩にかかっているのだからな」
「まあ、そんなこと恩に言わないで。まだこんなに小さいのに、かわいそうでしょう」
夫人は、ようやく立つようになった一郎をあやしながら、ふたりの前にいた。
糸穂と恩は、夫妻の前に深く頭を下げている。
恩は自分が御囲部屋から持ち帰った情報が正しかったことに胸を撫で下ろし、つとめを果たしたことが誇らしく思えた。
「つぎもひとつ、頼むぞ。三枝大佐のためにも」
三枝の名を出されると、恩は胸がひやりとした。もし、御囲部屋の者たちが、嘘をいったなら自分や糸穂はどうなるのだろうかと、恩は小さな喉を上下させた。
屋敷の主人夫妻と、特別なつとめを担う恩と糸穂という、改まった場に不似合いな声がしている。
一歳を過ぎたばかりの一郎が、先程から夫人の膝のうえで元気に足踏みし、時々喃語を話しているのだ。
恩は下げた頭の視界に時々入り込む一郎の小さな足を見ていた。恩にとって一郎は、特別な場に紛れ込んだ雑音のように感じた。この場に入り込んだ不純物だと。
「今日のお昼には、特別の料理をとどけさせるから、表座敷にいてね」
海城家の祝いは、恩たちとは別に開くのだろう。
「格別のお心遣い、感謝いたします」
糸穂は恩の分とふたり分の礼を述べるように、さらに深くお辞儀をしたのだった。
「いい香り。水仙のような花の香りがする」
糸穂は練り香水の小さな缶に鼻を寄せて、香りを楽しんでいる。
「せっかくいただいたけれど、口紅は使い道がなさそう」
糸穂は少しさびしげに笑った。恩はお菓子の缶の紙を乱暴にはずすと、缶の中から摘んだチョコレートをひとつ、糸穂の口にすっと入れた。
「ん、甘い。チョコレートね」
恩もひとかけ口にチョコレートを入れた。チョコレートはなめらかに口の中でとけ、今まで食べたどの菓子とも比べ物にならないほどの美味しさだった。
お菓子といえば、五月の騒動の夜から十日ばかりしたころ、寒川が海城を訪れた。
――海城に、あまり欲の皮を突っ張るなと言っておいたが、どれほと響いたか。
半分諦めたようにして、土産だとビスケットを置いていった。それは動物に型抜かれていた。犬、熊、ゾウ、くじら……しかし、どれを食べても同じ味で、糸穂と恩は笑いあった。
それから、寒川は恩に本を二冊渡した。
ひとつは手話の、もうひとつはモールス信号の本だった。
――覚えていて損はないぞ。
どちらの本も子ども向けのものではなく、恩には難しいものだった。
それでも、寒川に勧められたという嬉しさがあり、恩は毎日眺めた。
ささやかな祝祭と、わずかな安息。
恩と糸穂は、再び外鍵のかかる部屋での生活を始めた。
恩は御囲部屋に入る。あやかしたちの声に耳を傾ける。ここのところ、何度も「じしん」と言われる。紙に書いて海城に渡しても、海城は恩に突っ返すのだ。そんなものではなく、もっと人の名前や日付、地名を聞いてこいと言われるのだ。
こちらから、聞きたいことを聞けない。
三枝が望むような予測が出せなくなったら、自分はどうなるのだろうか。
恩は報告を書くために紙に向かうとき、破局の幻を見て、筆を持つ手がふるえた。
21
あなたにおすすめの小説
初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結保証】
星森 永羽
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。
だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。
しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。
王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。
そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。
地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。
⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。
とっていただく責任などありません
まめきち
恋愛
騎士団で働くヘイゼルは魔物の討伐の際に、
団長のセルフイスを庇い、魔法陣を踏んでしまう。
この魔法陣は男性が踏むと女性に転換するもので、女性のヘイゼルにはほとんど影響のない物だった。だか国からは保証金が出たので、騎士を辞め、念願の田舎暮らしをしようとしたが!?
ヘイゼルの事をずっと男性だと思っていたセルフイスは自分のせいでヘイゼルが職を失っただと思って来まい。
責任を取らなければとセルフイスから、
追いかけられる羽目に。
【完結】婚約破棄されたので、引き継ぎをいたしましょうか?
碧井 汐桜香
恋愛
第一王子に婚約破棄された公爵令嬢は、事前に引き継ぎの準備を進めていた。
まっすぐ領地に帰るために、その場で引き継ぎを始めることに。
様々な調査結果を暴露され、婚約破棄に関わった人たちは阿鼻叫喚へ。
第二王子?いりませんわ。
第一王子?もっといりませんわ。
第一王子を慕っていたのに婚約破棄された少女を演じる、彼女の本音は?
彼女の存在意義とは?
別サイト様にも掲載しております
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
【完結】お父様の再婚相手は美人様
すみ 小桜(sumitan)
恋愛
シャルルの父親が子連れと再婚した!
二人は美人親子で、当主であるシャルルをあざ笑う。
でもこの国では、美人だけではどうにもなりませんよ。
【完結】身代わり皇妃は処刑を逃れたい
マロン株式
恋愛
「おまえは前提条件が悪すぎる。皇妃になる前に、離縁してくれ。」
新婚初夜に皇太子に告げられた言葉。
1度目の人生で聖女を害した罪により皇妃となった妹が処刑された。
2度目の人生は妹の代わりに私が皇妃候補として王宮へ行く事になった。
そんな中での離縁の申し出に喜ぶテリアだったがー…
別サイトにて、コミックアラカルト漫画原作大賞最終候補28作品ノミネート
【完結】クビだと言われ、実家に帰らないといけないの?と思っていたけれどどうにかなりそうです。
まりぃべる
ファンタジー
「お前はクビだ!今すぐ出て行け!!」
そう、第二王子に言われました。
そんな…せっかく王宮の侍女の仕事にありつけたのに…!
でも王宮の庭園で、出会った人に連れてこられた先で、どうにかなりそうです!?
☆★☆★
全33話です。出来上がってますので、随時更新していきます。
読んでいただけると嬉しいです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる