御囲部屋の子どもたち

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糸穂の章

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 糸穂はトキに案内されて、座敷から離れた部屋に通された。他に女中がひとりついてくる。三人分の足音が廊下を行く。
 表の座敷にくらべると、ぐっと暗くなった。窓がないのかも知れない。糸穂が首を巡らすと、天井から明かりが吊るされて等間隔に廊下の奥まで続いている。
 ――まるで蔵のなかみたい。
 糸穂はトキの手を、きゅっと握った。
「さあ、ここですよ」
 しゃがれたトキの声に促され、小さな部屋に入った。足袋を履いた足裏が冷やりとした畳を感じ取った。藺草いぐさの香りがする。畳を新しくしたのだろう。
 すると、背後で鍵をかける音がした。振り返ると、入り口の戸を閉めて鍵を外からかけたらしい。
「糸穂、おまえは話せるよね?」
「はい」
 糸穂がまた振り返ってうなずくと、トキは部屋にある箪笥の引き出しを引いた。取っ手の金具がカチャカチャと鳴る。
「これから、御囲部屋に入る。手を」
 糸穂が両手を前に伸ばすと、トキはそれを背中に回して手首をしばった。
「え? どうして?」
 後ろ手にしばられた糸穂はうろたえた。額と脇の下にじわりと汗が浮かぶ。
「いいかい、御囲部屋では名前を呼ばれても返事をしてはいけない。絶対にだよ」
「あ、……はい」
 と、突然、糸穂の口の中に布を丸めたものを詰め込まれた。どくん、と心音が耳に響いた。
 そのまま手早く、さらに口に手拭いを噛ませて頭のうしろで固く結ばれた。
 鼓動が早まり、息が苦しくなる。糸穂は、畳に膝をついた。
「おちつけ、鼻から息をして。大丈夫だ」
 糸穂は混乱しながら、浅い息を繰り返した。
 トキが糸穂の背中をさする。しばらくして、糸穂はようやく息が落ち着いた。
「いいようだね」
 トキは糸穂に立ち上がるよう言うと、部屋の壁側まで歩かせた。壁は一面黒く、糸穂の視界一杯に迫った。
「中で耳を澄ませて。聞いたことをよくよく覚えてくるんだよ」
 ずずっと、重い襖を開ける音がした。
「入って。中で座るんだ」
 糸穂の面前は、すでに闇だった。部屋につけているはずの灯りも届かない。糸穂の膝がふるえた。
 動けずにいる糸穂の背中をトキが強く押した。
 糸穂は御囲部屋に倒れた。頬が床に擦れたが、畳とも板ともちがう、不思議な感触だった。少なくともぶつけた膝や肩は痛くはなかった。
 目を開けているのか閉じているのか、糸穂には分からなくなった。ただ、怖かった。からだが小刻みにふるえる。なんとか身を起こしたが、襖がどこかも見つけられない。
 こわい、こわい。
 糸穂の叫び声は猿ぐつわに消された。
 立て膝で這いまわる糸穂は、山椒の香りをかいだ。まさか、ここに寒川が? と思ったとき、かすかな風が糸穂の頬をなでた。
 ひゅう。
 ――風の音?
 糸穂の髪がそよぐ。
 と、つむじ風が巻き起こり、糸穂は反射的に固く目をつぶり顔を伏せた。
 風が止んだ。どこからかざわめきが聞こえた。糸穂はこわごわと、顔をあげた。
 そして、「見た」。
 漆黒の闇と思っていた部屋に、小さな明かりがいくつも灯り、光に照らされ二人の大人がいた。
糸穂しほ
 呼ばれて糸穂のからだが揺らいだ。糸穂の返事は猿ぐつわに阻まれ、言ったあとで糸穂の全身から冷や汗がどっと吹き出した。
 体格のいい男性が、ニヤニヤと顎をさすりながら、糸穂を見た。
「まあ、及第か」
 糸穂は男の顔を見た。眉毛が太い。彫りが深い目は眉に反してどこか眠たげだった。
 今までの視界がぼやけていたのだと、糸穂は気づくまで時間がかかった。
「見惚れるほど男前か?」
 父ほどの年齢に見える男は軽口をたたいた。
「おい……うなずくとかしろよ、無視するなよ」
 男のぼやきは、糸穂には届かなかった。
 これが、目。これが、鼻と口。糸穂はひとつひとつ確かめた。
 糸穂が男の顔を見つめている間に、縛られた腕をほどいてくれた者がいた。
 振り向くとそこには、顔を布で覆った青年らしき者がいた。糸穂に話しかけた男性よりも華奢でまだ若いように感じた。
「ようやく来たな」
 男性が糸穂に声をかけた。青年は無言のまま、控えめにうなずいた。
 かけられた言葉より、ただただ明るくはっきりと見える視界に息を忘れた。
 
 
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