女王の巡り

ビター

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別離

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 ひとつ、ふたつ、みっつ……。
 ヨナは夏の夜空の流れ星を数えた。今夜はことのほか星が流れる。それでなくとも天空には赤い星、乳を流したような輝く光の帯がある。
 飽かず見つめた。
 女たちはヨナを腕と足を縛ったまま、森に置き去りにした。
「見える」
 かすれた声でヨナは呟き、星ぼしのきらめきにため息をついた。

 少女とのまぐわいのあと、たて続けに二人の戦士たちにも精を奪われた。
 弓の戦士は声ひとつたてず、血を流しながらも人形のように表情を変えずにヨナと為し、目の戦士は萎えてきたヨナを手荒にたて直すとヨナのうえで大きく腰を振り、最後の最後まで搾り取っていった。
 一部始終を見届けた老婆は満足したのか何度もうなずいた。
 すべてが終わったとき、ヨナは疲れきって指一本動かせなかった。
 けれど、すべてはどこか現実から離れたところで行われていることのように感じた。
 いつしかヨナのまわりに小さな人や鳥や虫のような、あるいは伸び縮みする水たまりのようなものたちがいたからだ。
 三人との営みで流れた血と精を求めるように、それらが群がり始めていた。まるで命の源を求めるように、影は集まり、地に吸われ、あるいは空へと昇り消える。なんども繰り返される光景は、余命いくばくもない自分が見ている幻だとヨナは思った。
 口もきけずに横たわるヨナのもとへと、黒曜石の小刀を手に少女がやってきた。
 赤い鳥の羽で作られた冠をいただき、長く白い衣の裾を引いて。胸元の翡翠の首飾りは命を吹き込まれたかのように色みが深くなっていた。
 ヨナは終わりの時がおとずれたと知ったが、不思議と恐れはなかった。
 影たちはいまや緑や黄色、青や赤の透き通る光を放ってヨナの周りにいた。まるで歌うように、踊るようにはしゃぎまわる。
 少女はヨナを見つめた。ヨナも見つめ返した。ふたりの間には言葉はないままだ。しぜんと口角がゆっくりとあがり、美しく着飾った少女にヨナはほほ笑んだ。
 少女は意を決するように目をつぶり、小刀を頭上からヨナの喉めがけて振り下ろした。


「きれいだ」
 星が見える。折り重なる木の枝や葉を透かして。ヨナの目には夜は少しも暗いものではなくなっていた。地面や木々、葉の一筋一筋に光の川が流れている。夜に飛ぶ鳥たち、こずえを渡るいきものたち。小さな虫さえ光って見えるのだ。
 女たちが去ってから、二度目の夜が間もなく明ける。血の臭いに誘われて豹がやって来ることもなく生き長らえたが、運はつきかけているようだ。
 乾いてひび割れた唇でヨナは小さく歌った。
 縛られて摺れた手足や蹴られた鼻の痛みも、空腹も喉の渇きもすでに感じなくなっていた。
 空が白んでくるのに反して、まぶたが重くなってくる。いよいよ、向こう側へ渡る時だろうか。ヨナは遅くなってゆく鼓動に耳を澄ました。苦しくはない。数度の通り雨で、ヨナの体は泥にまみれ頭を預けた樹木や地面とひとつに溶け合っているように感じた。
 すべてを知ることができる、今なら。女たちのあとを追うことも。そんな気持ちにさえなった。
 遠くから小鳥たちのさえずりに混じって、人の声と足音が耳に届いた。これもまた幻か。と、草を踏む軽い足音が聞こえた。
 ざらついた舌がヨナの頬をなめた。にゃう、という鳴き声に目が覚めた。
「ゴゥ……?」
 黄褐色の柔らかい毛に黒い斑点、凛としたひげとまなざし。ゴゥは嬉しげに喉を鳴らし、何度もヨナをなめ額をこすりつけた。
「傷は大丈夫だった?」
 ゴゥの無事な姿を見ることでヨナは生者の世界に戻れた気がした。それから間もなくヨナを呼ぶ声がした。返事をかえす力はなかったが、ゴゥがみなを連れてきた。
「ヨナ!」
 先頭にいたのは伯父だった。頭に水鳥の長い尾羽根で作った冠をかぶり、手には水晶の頭(かしら)がついた錫杖(しゃくじょう)を持ち、正装の複雑な模様が織り込まれた肩かけと腰巻きをしている。その後ろには部族きっての戦士たちがいた。
 血や泥にまみれ、裸のまま木につながれたヨナを見て、一行は言葉を失った。しかし、伯父であるヨグはすぐにヨナに駆け寄り、戒めから解き放ちきつく抱きしめた。
「よくぞ、よくぞ生き延びた。翡翠宮ジェイドラの女王の巡りに遭ったというのに」
「じょおう……?」
 では、やはり少女は女王だったのか。
「頬が。鼻も……ワコニノ族は女王の巡りがあることを察していたらしい。おまえが領地に入ることもあえて見逃したんだ。夫には無垢さらの若者が選ばれるものだから」
 無垢さら……女を知らぬこと。覡の見習いであるなら、幼いときから「男たちの家」で暮らし、女とふれあうことはない。
「ワコニノの連中は、部族の者が襲われるのを避けたかった。だから、おまえを。しかし、よく助かった」
 ヨグは肩かけを外しヨナを包むと戦士を手招きしてヨナを背負わせた。戦士の足元で気づかわしげに、ゴゥがヨナを見あげて小さく鳴いた。
『大丈夫だよ……』
 ヨナはゴゥにささやいた。


 頬に痛みを感じた。
 少女の小刀はヨナの喉をそれ、左の頬をわずかに切り裂いた。少女の手はふるえ青ざめた顔で、地面に突き刺さった小刀を抜いた。
 老婆が金切り声で少女を叱責した。
 少女は黒曜石の小刀を再び胸の前で構えているが、視線をさまよわせ浅い呼吸をくりかえしている。ヨナは先ほどから何者かのまなざしを感じていた。
 ヨナは少女の首飾りを見た。翡翠の平たい板を連ねたものだ。表面に銀や金で丸い模様が描かれている。中央のひときわ大きなぎょくに瞳をこらした。
 ……目が合った。
 気づいた。それは翠色の蛇だった。翡翠の板はひとつなぎの蛇となり、少女の首にあった。
 気味が悪いとは感じなかった。艶めく翠の鱗には金や銀がちりばめられ、耀く緑色の瞳はつぶらだった。
 ヨナは何と呼びかけるか、すぐに分かった。
「やあ……翠の君……リューラウ……」
 少女が小さく悲鳴をあげ、老婆は腰が抜けたようによろめき、両側に控えていた女たちに支えられた。
『なぜ、その名を』
 老婆の声だった。ヨナは答えずに翠の君をうっとりと見惚れた。
「美しい、なんて美しいんだ」
 少女は頬をこわばらせ、ヨナを避けるように女たちの後ろへと退いていった。
 行かないで。もっと、ゆっくりと見させて。ヨナは泣きたくなった。
 きりっと弦が鳴った。弓の戦士が矢をつがえ、ヨナに狙いを定めたのだ。老婆は腕を横にあげ、戦士をいさめた。
『名を明かされるとは。ただの呪い師と見くびっておった』
「リュー…」
『口にするでない!』
 老婆の言葉が稲妻のように、ぴしゃりとヨナを打った。
 老婆が手を振り上げると、女たちはひとつ、短い言葉を唱えた。
 影たちが呼応するように、いっせいに輝き、ふわりと空へと飛び立った。
「あ……」
 ヨナの唇から嘆息がもれた。
『ヨナ、そなたが選ばれし者なら、翡翠宮ジェイドラ(ジェイドラ)への扉も開かれよう』
 そう言いおき、老婆は背を向けた。
 先頭を行く弓の戦士の髪が見えた。女たちに囲まれた赤い冠の少女はもう振り返らなかった。
『命拾いしたな』
 目の戦士は腰をかがめてヨナに歪んだ笑みを送ると、あとは隊列のしんがりについた。
 深く交わった匂いを体にまとい、ヨナは森に残された。小さくなるざわめきを聞きながら気を失った。


「女たちに精を奪われたか。案ずるな、またわたしの精を授けよう……いくらでも」
 女王たちは森の奥へと去っていった。目をつぶると女たちが歩いたあとがひとすじ、森のなかに仄かな明かりをはなって見えた。
 いつか、ジェイドラへの扉は開かれるのだろうか。
 ヨナは戦士に抱きかかえられたまま、夢の中の密林へと足を踏み入れた。
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