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海棠の雨に濡れたる風情
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老婆は室内に戻ると、少女の今後に頭を悩ませながら、大きな溜息を吐く。
(とりあえず今をなんとかするところからじゃな)
そう気持ちを切り替えながら、老婆ははしゃぐ文生と、それを見つめて微笑んでいる少女を寝かしつけるために、寝床を支度することにした。
老婆は二組の敷き布と掛け布を用意する。そして片方の寝床に二人を促す。
「ほら文生、今夜はこの子と寝なさい」
急なことで二人分用意出来なかったのもあるし、まだ子供の彼らに間違いも起こらないだろうと判断してのことだった。しかし老婆の意に反して、文生は目を見開き、頬を染める。
「えぇ! やだよ、婆様がこの子と寝てよ」
老婆はやれやれ、といったように首を振る。
「文生の方が歳も近いんじゃし、儂と寝たらこの子がはみ出ちまうよ。それにお前さんが世話するって言ったんだろう」
「まぁ……そうだけど……」
文生は気恥ずかしそうに少女を見た。が、彼女が何も気にしていないのに気付き、虚しくなる。大人しく麻布に転がって、少女を手招きする。けれど少女はただ文生の挙動を見つめるばかりだ。
そんな少女の様子に焦れた文生は、少女の手を引き、掛け布で包む。
「ほら、もう寝るぞ。明日は田んぼの手伝いに行くからな。じゃ、おやすみ」
そう言った文生に〝おやすみ〟と老婆が返事をし、文生と老婆は目を瞑る。
しばらくすると、夜の帳が下りて辺りが暗くなり、少女以外の二人から寝息が聞こえ始めた。
そんな中、少女の目は光り続ける。
何故彼らは、目を瞑るのだろう。
何故彼は、温かいのだろう。
何故自分は、彼らと違うのだろう。
少女は顔の横に投げ出された少年の手を取り、自分の頰に添えさせる。
温かいその手に、少女もなりたかった。彼と同じように過ごしたいと願った。
すると、少年の体温が移ったように少女の体も熱を持つ。
人肌を手に入れた少女は、一人笑みを零す。きっとこれで、彼と同じになれるはず、と目を閉じてみる。
だが、少女に『眠り』が訪れることはなかった。
気付けば朝日が昇り、三人を照らし始めるのであった――――
それからの文生と少女は兄妹のように過ごした。
文生は少女の兄のように振舞い、少女はひよこのように彼の後を付いて回った。文生は赤ん坊に教えるように生活のいろはを教え、少女を『美琳』と名付ける。
あっという間に打ち解けた二人。二人は片時も離れなかった。それに反して村人たちは、初め突然現れた正体不明の少女を不審がった。
だが美琳の屈託のない姿と、文生の懸命な姿に絆されていく。次第に村全体で美琳を慈しむようになり、皆貧しいながらも平和な日々を送った。
美琳も村での生活にすっかり馴染み、たくさんのことを学んだ。
『言葉』はもちろん、『食事』『仕事』『常識』を『理解』した。
だが、彼女は『空腹』が分からなかった。『痛み』が分からなかった。
分からないことが『普通』でないことも学んだ。
美琳は無意識に、それらがちゃんと分かるように振る舞った。
そうしてさえいれば、このまま文生と過ごせるはずだから、と。その思いをなんと呼ぶのかを知るのは、まだ先のことである。
(とりあえず今をなんとかするところからじゃな)
そう気持ちを切り替えながら、老婆ははしゃぐ文生と、それを見つめて微笑んでいる少女を寝かしつけるために、寝床を支度することにした。
老婆は二組の敷き布と掛け布を用意する。そして片方の寝床に二人を促す。
「ほら文生、今夜はこの子と寝なさい」
急なことで二人分用意出来なかったのもあるし、まだ子供の彼らに間違いも起こらないだろうと判断してのことだった。しかし老婆の意に反して、文生は目を見開き、頬を染める。
「えぇ! やだよ、婆様がこの子と寝てよ」
老婆はやれやれ、といったように首を振る。
「文生の方が歳も近いんじゃし、儂と寝たらこの子がはみ出ちまうよ。それにお前さんが世話するって言ったんだろう」
「まぁ……そうだけど……」
文生は気恥ずかしそうに少女を見た。が、彼女が何も気にしていないのに気付き、虚しくなる。大人しく麻布に転がって、少女を手招きする。けれど少女はただ文生の挙動を見つめるばかりだ。
そんな少女の様子に焦れた文生は、少女の手を引き、掛け布で包む。
「ほら、もう寝るぞ。明日は田んぼの手伝いに行くからな。じゃ、おやすみ」
そう言った文生に〝おやすみ〟と老婆が返事をし、文生と老婆は目を瞑る。
しばらくすると、夜の帳が下りて辺りが暗くなり、少女以外の二人から寝息が聞こえ始めた。
そんな中、少女の目は光り続ける。
何故彼らは、目を瞑るのだろう。
何故彼は、温かいのだろう。
何故自分は、彼らと違うのだろう。
少女は顔の横に投げ出された少年の手を取り、自分の頰に添えさせる。
温かいその手に、少女もなりたかった。彼と同じように過ごしたいと願った。
すると、少年の体温が移ったように少女の体も熱を持つ。
人肌を手に入れた少女は、一人笑みを零す。きっとこれで、彼と同じになれるはず、と目を閉じてみる。
だが、少女に『眠り』が訪れることはなかった。
気付けば朝日が昇り、三人を照らし始めるのであった――――
それからの文生と少女は兄妹のように過ごした。
文生は少女の兄のように振舞い、少女はひよこのように彼の後を付いて回った。文生は赤ん坊に教えるように生活のいろはを教え、少女を『美琳』と名付ける。
あっという間に打ち解けた二人。二人は片時も離れなかった。それに反して村人たちは、初め突然現れた正体不明の少女を不審がった。
だが美琳の屈託のない姿と、文生の懸命な姿に絆されていく。次第に村全体で美琳を慈しむようになり、皆貧しいながらも平和な日々を送った。
美琳も村での生活にすっかり馴染み、たくさんのことを学んだ。
『言葉』はもちろん、『食事』『仕事』『常識』を『理解』した。
だが、彼女は『空腹』が分からなかった。『痛み』が分からなかった。
分からないことが『普通』でないことも学んだ。
美琳は無意識に、それらがちゃんと分かるように振る舞った。
そうしてさえいれば、このまま文生と過ごせるはずだから、と。その思いをなんと呼ぶのかを知るのは、まだ先のことである。
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