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山雨来らんと欲して、風、楼に満つ
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森の出会いから数年。
少年だった文生は精悍な青年に育ち、成人の儀を控える歳になった。
少女だった美琳もすっかり大人の女性に……なってはいなかった。
美琳は出会った頃の少女然とした姿のまま、成長することがなかった。
本来なら異常に映る姿だろう。だが、村人たちは幼い見た目なだけできっとすでに成人していたのだろう、となんとなく結論づけていた。何故なら言葉も知らずに育った美琳が自分の歳を知らなくて当然だろう、とそう思ったからだ。
二人は影の濃くなり始めた田んぼの中、慣れた手付きで稲を弄りながら話している。
「文生、今日は早めに切り上げない? 明日は成人の儀をやるんですもの、せっかくだから夜はゆっくり過ごしましょうよ」
それに文生が落ち着いた口調で返す。
「そうだね。あとここらの虫だけ取り除いたら切り上げようか」
「やった! じゃあパパっとやっちゃうわね」
「……美琳? もしかして、僕のことにかこつけて早く終わらせたかっただけなんじゃない?」
「そッ、そんなことないわよ? あ、そうだ。せっかくだからお隣からお酒を分けてもらいましょうよ。婆様が喜ぶわよ?」
美琳は誤魔化すように話題を変える。そして気まずそうに目を逸らしたり、かと思えば朗らかに笑ったりと忙しない。
そんな彼女の表情には、出会った頃のただ人形のように微笑むだけの少女の面影はなかった。天真爛漫で、けれど華やかな美しさを持った一人の〝女〟へと変貌を遂げていた。
文生は彼女のコロコロと変わる表情を愛おしそうに見つめる。
それに気付いた美琳は頬を膨らませて睨みつける。
「なぁに? 何がそんなに可笑しいの?」
「いや、何もないよ。ただ君と初めて会った頃を思い出していただけだよ」
「もう、またその話? だってしょうがないじゃない、何も覚えてなかったんだもの。それを言ったら文生だって、あたしのこと見て慌ててたじゃない! 顔も真っ赤にさせて……」
「わ、それは言わないでよ。ほら、お酒をもらいに行くんでしょう? 早く終えないと暗くなって帰れなくなるよ」
「あ! そうだった。じゃあどっちが早く終わるか競争ね! 負けた方がご飯を作りましょ!」
「それやって君が勝った試しがないじゃないか」
「今日こそ勝てるかもしれないじゃない! もうあたし終わりそうだしッ!」
「僕はもう終わったよ」
「うそー! また負けたなんて!」
そう言った美琳が心底悔しそうで、文生は笑い声を響かせる。
仲睦まじく戯れながら二人は作業を終えると、朱く染まりつつある田んぼを後にして隣家へ向かう。
穏やかで、平和な時間。それがこれからもずっと続くと二人は信じていた。
――美琳が森での記憶を決して話さないことも、歳を取るごとに老婆が文生に対して余所余所しくなっていることも、気付かぬ振りをして。
ただお互いがいればそれで充分。愛しい人がいるだけで幸せ。
二人の想いはそれだけだった。
田んぼから少し歩くと、隣家を視界に捉えられるところまで来た。すると文生はある異変に気付く。咄嗟に足を止め、美琳にも動かぬよう指示すると、遠目から様子を窺う。
その視線の先には村では見たことのない、巨大な人影があった。二人からその男の顔は見えなかったが、村人たちと装いが違うことだけは分かった。
彼の着物は村人の素朴な着物と比べて色鮮やかで、その上には青銅の鎧を身に纏っていた。それだけで文生は、彼が都城からやってきた兵士と思い至った。文生はそのまま目線を動かして奥を見やる。と、身分の高い人を運ぶ馬車と、護衛兵たちが控えているのが確認出来た。そしてその集団からはただならぬ雰囲気が溢れ出ていた。文生が巨躯の男に視線を戻すと、彼は隣家の女性に話を聞いているようだった。そして遠くからでも彼女が困っているのが見て取れた。女性は周囲を見回して、何かを探している。が、ふと文生と目が合うと、文生の方を指し示した。
それに合わせて兵士がこちらに振り向き、大股でこちらに向かってきた。そして二人の傍に立った彼は、熊を思わせる巨漢であった。
二人はポカン、と口を開けて見上げる。
異様な迫力のあるこの男は只者ではないだろう、と文生は思った。文生は美琳を後ろに庇いながら眦を吊り上げ、震える声で言う。
「何かご用ですか?」
しかし男は文生の虚勢を意に介さず、淡々と話す。
「貴方が文生様か?」
「……ええ。僕が文生です」
「そうですか。俺……私は護衛長を務める大尉の勇豪と言……申します。都城から貴方をお迎えに上がりました。急ぎ支度をしてもらいます」
文生は勇豪の言葉にただ呆然とするしかなかった。
そんな彼の背中に、美琳はそっと手を添えた。だが文生がそれに気付くことはなかった。
少年だった文生は精悍な青年に育ち、成人の儀を控える歳になった。
少女だった美琳もすっかり大人の女性に……なってはいなかった。
美琳は出会った頃の少女然とした姿のまま、成長することがなかった。
本来なら異常に映る姿だろう。だが、村人たちは幼い見た目なだけできっとすでに成人していたのだろう、となんとなく結論づけていた。何故なら言葉も知らずに育った美琳が自分の歳を知らなくて当然だろう、とそう思ったからだ。
二人は影の濃くなり始めた田んぼの中、慣れた手付きで稲を弄りながら話している。
「文生、今日は早めに切り上げない? 明日は成人の儀をやるんですもの、せっかくだから夜はゆっくり過ごしましょうよ」
それに文生が落ち着いた口調で返す。
「そうだね。あとここらの虫だけ取り除いたら切り上げようか」
「やった! じゃあパパっとやっちゃうわね」
「……美琳? もしかして、僕のことにかこつけて早く終わらせたかっただけなんじゃない?」
「そッ、そんなことないわよ? あ、そうだ。せっかくだからお隣からお酒を分けてもらいましょうよ。婆様が喜ぶわよ?」
美琳は誤魔化すように話題を変える。そして気まずそうに目を逸らしたり、かと思えば朗らかに笑ったりと忙しない。
そんな彼女の表情には、出会った頃のただ人形のように微笑むだけの少女の面影はなかった。天真爛漫で、けれど華やかな美しさを持った一人の〝女〟へと変貌を遂げていた。
文生は彼女のコロコロと変わる表情を愛おしそうに見つめる。
それに気付いた美琳は頬を膨らませて睨みつける。
「なぁに? 何がそんなに可笑しいの?」
「いや、何もないよ。ただ君と初めて会った頃を思い出していただけだよ」
「もう、またその話? だってしょうがないじゃない、何も覚えてなかったんだもの。それを言ったら文生だって、あたしのこと見て慌ててたじゃない! 顔も真っ赤にさせて……」
「わ、それは言わないでよ。ほら、お酒をもらいに行くんでしょう? 早く終えないと暗くなって帰れなくなるよ」
「あ! そうだった。じゃあどっちが早く終わるか競争ね! 負けた方がご飯を作りましょ!」
「それやって君が勝った試しがないじゃないか」
「今日こそ勝てるかもしれないじゃない! もうあたし終わりそうだしッ!」
「僕はもう終わったよ」
「うそー! また負けたなんて!」
そう言った美琳が心底悔しそうで、文生は笑い声を響かせる。
仲睦まじく戯れながら二人は作業を終えると、朱く染まりつつある田んぼを後にして隣家へ向かう。
穏やかで、平和な時間。それがこれからもずっと続くと二人は信じていた。
――美琳が森での記憶を決して話さないことも、歳を取るごとに老婆が文生に対して余所余所しくなっていることも、気付かぬ振りをして。
ただお互いがいればそれで充分。愛しい人がいるだけで幸せ。
二人の想いはそれだけだった。
田んぼから少し歩くと、隣家を視界に捉えられるところまで来た。すると文生はある異変に気付く。咄嗟に足を止め、美琳にも動かぬよう指示すると、遠目から様子を窺う。
その視線の先には村では見たことのない、巨大な人影があった。二人からその男の顔は見えなかったが、村人たちと装いが違うことだけは分かった。
彼の着物は村人の素朴な着物と比べて色鮮やかで、その上には青銅の鎧を身に纏っていた。それだけで文生は、彼が都城からやってきた兵士と思い至った。文生はそのまま目線を動かして奥を見やる。と、身分の高い人を運ぶ馬車と、護衛兵たちが控えているのが確認出来た。そしてその集団からはただならぬ雰囲気が溢れ出ていた。文生が巨躯の男に視線を戻すと、彼は隣家の女性に話を聞いているようだった。そして遠くからでも彼女が困っているのが見て取れた。女性は周囲を見回して、何かを探している。が、ふと文生と目が合うと、文生の方を指し示した。
それに合わせて兵士がこちらに振り向き、大股でこちらに向かってきた。そして二人の傍に立った彼は、熊を思わせる巨漢であった。
二人はポカン、と口を開けて見上げる。
異様な迫力のあるこの男は只者ではないだろう、と文生は思った。文生は美琳を後ろに庇いながら眦を吊り上げ、震える声で言う。
「何かご用ですか?」
しかし男は文生の虚勢を意に介さず、淡々と話す。
「貴方が文生様か?」
「……ええ。僕が文生です」
「そうですか。俺……私は護衛長を務める大尉の勇豪と言……申します。都城から貴方をお迎えに上がりました。急ぎ支度をしてもらいます」
文生は勇豪の言葉にただ呆然とするしかなかった。
そんな彼の背中に、美琳はそっと手を添えた。だが文生がそれに気付くことはなかった。
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