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山雨来らんと欲して、風、楼に満つ
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美琳が話した提案は耳を疑うものだった。彼女以外の三人は顔を見合わせるしかなかった。だが誰もが〝これですべて解決できる〟と思った。
殺さねばならない。殺させたくない。
大事なモノを、守りたいから。
文生も勇豪も婆様も、その一心で動いただけ。それを悟った美琳は、自分の秘密を明かしてでも全員の望みを叶えたかった。
――彼らと同じく、自分の愛しい人を守るために。
大きな満月と小さな星々の瞬く黒い空が、立ち上る煙で揺らめいている。空の下では蠢く炎が古びた藁葺きの家を這いずり駆け回った。
爆ぜる音が眠りに落ちていた村を起こす。村人たちは真夜中に起きた緊急事態に慌てふためいた。
事態を知らせようと走る者、子供と老人を避難させる者、延焼を防ごうと動く者。
各々が被害を最小限に留めようと懸命に働く。常より月明かりが輝いていることに気付かぬ程、必死になって。
空が白む頃には家は焼き尽くされ、残ったのは火事から逃れた文生だけだった。助かった文生によると老婆が取り残されてしまったらしい。村人たちで火事場を検分すると、文生の言葉通り、仰向けに転がっている黒焦げの死体が一つ見つかった。
村人たちは驚きと共に、文生の無事を喜んだ。前日に訪れ、更には消火も手伝ってくれた王国兵ともその喜びを分かち合おうとした。すると突然、驚くべき事実――文生が王族の血を引いているということが明かされた。併せて文生は王国兵と共に都城に上ることが説明され、村人の中に衝撃が走った。
初め村人たちは信じられなかった。だがそれ以上に、長年共に過ごした彼の門出を喜ばしく思った。彼らは文生の王就任と老婆の追悼を兼ねた宴を開こうと王国兵に相談した。しかし王国兵たちは〝すぐに出立する〟の一点張りだった。
文生と王国兵たちは忙しなく支度を整え、荘厳な行列で村を離れていく。村人たちは彼らの姿が見えなくなるまで手を振り続けた。
……そのとき、誰も美琳がいないことに気付いていなかった。まるで初めから少女などいなかったように。
一方その頃。
ぴくり、と、焼け跡に残された焼死体の指が動いた。その直後、惨たらしく爛れた肌がパリ、パリ、と捲れ、指から始まった変化が瞬く間に全身へと広がる。その皮膚片が剥がれていく様は、花弁が風に身を任せている姿を彷彿とさせた。
やがて花が散ると実を結ぶように、炭化した皮膚片が堆く積み上げられる。するとその中心に裸の少女が現れた。
少女は自分の掌を無表情で見つめる。だが村人たちのざわめきが近付くのを耳に捉えると、急ぎその場を後にし、そのまま近場の巨大な森に駆けていくのであった。
彼女が薄暗い森を迷うことなく進んでいくと、清らかな泉に辿り着いた。泉の傍らには古びた祠が建ち、その隣には老婆が背を丸めて座っていた。
老婆は少女の気配に気付くと、安堵の笑みを浮かべる。
「美琳、本当に無事だったんだね……。文生様たちは怪しまれずに旅立てたかい?」
「えぇ、大丈夫よ」
「そう……それは良かった」
そう言って老婆は美琳の腕を引き、手にしていた青い着物を羽織らせる。
「美琳、すまなかったね」
「……あたしが言ったことだもの、婆様が謝ることじゃないわ。それよりも、喜んでくれた方が『嬉しい』わ」
その言葉に老婆は涙を湛えた目を三日月に変える。そして少女のまっさらな手を優しく包み込む。
「ありがとう、美琳。これであの子を傷つけずに済む」
少女もつられたように口角を上げる。
「うん、あたしも文生の役に立てて嬉しい。でも、文生と離れるのはイヤなの……。ねぇ、婆様。あたし、都城に行こうと思うの。何がなんでも王城で仕事して、これからも文生とずっと一緒にいるの」
「え? でもこの地祇様の森で、一緒に隠れて暮らそうって……?」
「うん、そうだよ。婆様が生きている間はね」
そう言った美琳の目は老婆を映していなかった。老婆はその意味することを悟ると、喜色を浮かべていた顔を恐怖の色に染め上げ、もつれながら美琳から逃れようと地を這う。美琳は、大層美しく微笑んで老婆を捕らえ、彼女の首に手をかける。そして白く細い指に力を込めて、絞めあげていく。老婆は踠き苦しみ少女の腕を掻き毟る。だが掻き毟られた腕の爪痕は、刻まれた傍から治っていく。
少女は嘲笑うように言う。
「あたし、文生以外はどうでもいいの。文生があたしを拾ってくれたから、あたしはこうやって『生きて』いられるの。文生が婆様を大事にしていたから、あたしも『大事』にしていただけ。でももう文生が婆様と関わることはないんでしょう? だったらあたしは早く文生の元に行きたいの」
少女は手の中で動かなくなった老婆を無感動な瞳で見つめる。と、不意に後ろに振り向いて晴れ晴れとした笑みを浮かべる。
「あなたなら、分かってくれるよね?」
そう言った少女の視線の先には人型の光が立っていた。
光はゆっくりと点滅し、少女に近付き手を伸ばす。少女は頬に添えられた手に甘えるようにすり寄る。しかしその眼差しは真剣そのものだった。
「あたし、文生と共に『生きて』いきたい」
……光は何も話さない。ただ少女を包み照らすだけだ。されど少女は満足気に頷き、脇目も振らずに走り去る。
光は少女の背中が見えなくなっても、ずっと見つめ続けていた。
――誰もいなくなった森に湿り気が生まれ始めるのであった。
殺さねばならない。殺させたくない。
大事なモノを、守りたいから。
文生も勇豪も婆様も、その一心で動いただけ。それを悟った美琳は、自分の秘密を明かしてでも全員の望みを叶えたかった。
――彼らと同じく、自分の愛しい人を守るために。
大きな満月と小さな星々の瞬く黒い空が、立ち上る煙で揺らめいている。空の下では蠢く炎が古びた藁葺きの家を這いずり駆け回った。
爆ぜる音が眠りに落ちていた村を起こす。村人たちは真夜中に起きた緊急事態に慌てふためいた。
事態を知らせようと走る者、子供と老人を避難させる者、延焼を防ごうと動く者。
各々が被害を最小限に留めようと懸命に働く。常より月明かりが輝いていることに気付かぬ程、必死になって。
空が白む頃には家は焼き尽くされ、残ったのは火事から逃れた文生だけだった。助かった文生によると老婆が取り残されてしまったらしい。村人たちで火事場を検分すると、文生の言葉通り、仰向けに転がっている黒焦げの死体が一つ見つかった。
村人たちは驚きと共に、文生の無事を喜んだ。前日に訪れ、更には消火も手伝ってくれた王国兵ともその喜びを分かち合おうとした。すると突然、驚くべき事実――文生が王族の血を引いているということが明かされた。併せて文生は王国兵と共に都城に上ることが説明され、村人の中に衝撃が走った。
初め村人たちは信じられなかった。だがそれ以上に、長年共に過ごした彼の門出を喜ばしく思った。彼らは文生の王就任と老婆の追悼を兼ねた宴を開こうと王国兵に相談した。しかし王国兵たちは〝すぐに出立する〟の一点張りだった。
文生と王国兵たちは忙しなく支度を整え、荘厳な行列で村を離れていく。村人たちは彼らの姿が見えなくなるまで手を振り続けた。
……そのとき、誰も美琳がいないことに気付いていなかった。まるで初めから少女などいなかったように。
一方その頃。
ぴくり、と、焼け跡に残された焼死体の指が動いた。その直後、惨たらしく爛れた肌がパリ、パリ、と捲れ、指から始まった変化が瞬く間に全身へと広がる。その皮膚片が剥がれていく様は、花弁が風に身を任せている姿を彷彿とさせた。
やがて花が散ると実を結ぶように、炭化した皮膚片が堆く積み上げられる。するとその中心に裸の少女が現れた。
少女は自分の掌を無表情で見つめる。だが村人たちのざわめきが近付くのを耳に捉えると、急ぎその場を後にし、そのまま近場の巨大な森に駆けていくのであった。
彼女が薄暗い森を迷うことなく進んでいくと、清らかな泉に辿り着いた。泉の傍らには古びた祠が建ち、その隣には老婆が背を丸めて座っていた。
老婆は少女の気配に気付くと、安堵の笑みを浮かべる。
「美琳、本当に無事だったんだね……。文生様たちは怪しまれずに旅立てたかい?」
「えぇ、大丈夫よ」
「そう……それは良かった」
そう言って老婆は美琳の腕を引き、手にしていた青い着物を羽織らせる。
「美琳、すまなかったね」
「……あたしが言ったことだもの、婆様が謝ることじゃないわ。それよりも、喜んでくれた方が『嬉しい』わ」
その言葉に老婆は涙を湛えた目を三日月に変える。そして少女のまっさらな手を優しく包み込む。
「ありがとう、美琳。これであの子を傷つけずに済む」
少女もつられたように口角を上げる。
「うん、あたしも文生の役に立てて嬉しい。でも、文生と離れるのはイヤなの……。ねぇ、婆様。あたし、都城に行こうと思うの。何がなんでも王城で仕事して、これからも文生とずっと一緒にいるの」
「え? でもこの地祇様の森で、一緒に隠れて暮らそうって……?」
「うん、そうだよ。婆様が生きている間はね」
そう言った美琳の目は老婆を映していなかった。老婆はその意味することを悟ると、喜色を浮かべていた顔を恐怖の色に染め上げ、もつれながら美琳から逃れようと地を這う。美琳は、大層美しく微笑んで老婆を捕らえ、彼女の首に手をかける。そして白く細い指に力を込めて、絞めあげていく。老婆は踠き苦しみ少女の腕を掻き毟る。だが掻き毟られた腕の爪痕は、刻まれた傍から治っていく。
少女は嘲笑うように言う。
「あたし、文生以外はどうでもいいの。文生があたしを拾ってくれたから、あたしはこうやって『生きて』いられるの。文生が婆様を大事にしていたから、あたしも『大事』にしていただけ。でももう文生が婆様と関わることはないんでしょう? だったらあたしは早く文生の元に行きたいの」
少女は手の中で動かなくなった老婆を無感動な瞳で見つめる。と、不意に後ろに振り向いて晴れ晴れとした笑みを浮かべる。
「あなたなら、分かってくれるよね?」
そう言った少女の視線の先には人型の光が立っていた。
光はゆっくりと点滅し、少女に近付き手を伸ばす。少女は頬に添えられた手に甘えるようにすり寄る。しかしその眼差しは真剣そのものだった。
「あたし、文生と共に『生きて』いきたい」
……光は何も話さない。ただ少女を包み照らすだけだ。されど少女は満足気に頷き、脇目も振らずに走り去る。
光は少女の背中が見えなくなっても、ずっと見つめ続けていた。
――誰もいなくなった森に湿り気が生まれ始めるのであった。
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