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山雨来らんと欲して、風、楼に満つ
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肉を貫く鈍い音がした。
文生は目の前の光景が信じられなかった。
目の前では勇豪が剣を振り下ろしたまま固まっている。けれどそれが老婆に突き刺さっている訳ではない。代わりに、美琳の肩に剣が割って入っていた。
さぁっと青ざめる文生。早く傷の手当てをせねば、と美琳の肩に触れた。だが文生の手は赤く染まらない。文生は異変を感じ、美琳を見つめる。彼女は眉を八の字に描いている。しかし苦悶の表情とは違う。美琳は文生から視線を逸らすと、剣の柄を掴んで引き抜こうとした。されど女のか弱い力ではなかなか抜けない。すると美琳は剣が通った道を逆戻りさせて抜ききり、床に転がす。その転がされた剣には一滴の血も付いていない。傷口を見れば、剥き出しになった骨が折れている。が、すぐに骨はくっつき始め、皮膚が独りでに蠢いて骨を覆い隠す。数分もしない内に、元の白い肌に戻っていった。
三人は美琳の顔と治った肩を交互に見る。誰もが今、目の前で起ったことが信じられず、自分たちの現状が頭からすっかり抜けていた。
皆押し黙っている中、初めに口を開いたのは文生だった。
「美琳……一体君は? 今のは、何が起きたの? まさか君がそんな体だったなんて……」
美琳は気まずそうに顔を逸らしながら三人に語って聞かせる。
「これは、あたしにもよく分からないの。ただ気付いたらこうだったとしか……森にいた頃にはこうなっていたような気がするの」
「え、じゃあ、出会ったときにはもう……?」
怯えを見せた文生に、美琳は表情を曇らせる。
「……ごめんなさい。皆が気味悪がるって分かってたから黙っていたの」
ぽろり、と美琳の目から雫が落ちる。
「でも、あたしは〝美琳〟。文生を好きなあたしは永遠に変わらないの。だから……文生だけはそんな目で見ないで」
その一瞬、美琳の瞳の奥底に深い哀しみが揺らいだ。文生は、今までに見たことのない彼女の瞳で胸が軋んだのを感じた。
彼女の言う通り、どんな体であろうとも今まで共に過ごしてきた彼女がいなくなる訳ではない。今も目の前で美琳が生きている。それこそがかけがえのない事実であり、愛しい人を泣かせてしまったのは、手酷い裏切りであると思った。
「美琳……ごめんよ。そうだよね、どんな体であろうとも、君が君であることには変わりはないよね」
「……! ありがとう、文生」
満面の笑みを浮かべた美琳は文生に抱きつく。それに対して文生は恐る恐る抱き返す。するとそこには、いつもと変わらない温もりがあった。
文生は安堵の吐息を漏らす。と、美琳に耳元で囁かれた。
「あたしが今からする話に合わせてちょうだい」
「え……?」
吹っ切れた表情になった美琳は、文生から体を放して振り向く。
「勇豪さん」
急に名指しされた勇豪は〝あぁ〟とも〝うむ〟とも言えない声を出す。それを意に介することなく、美琳は強い眼差しで聞く。
「婆様と貴方がどんな約束を交わしてたか知らないけど……。本当に殺すしかないの?」
「そりゃ……そうさ。王は誰よりも高潔な存在として、民の見本にならなければいけない。親殺しを見過ごすようじゃ*教えに背く。お前だってそんな奴が治めている国にいたいか?」
美琳は苦虫を噛み潰したような顔で勇豪を睨み付ける。
「……じゃああたしは今、親殺しを見逃す親不孝者にされようとしているってことね」
「ッは? え、つまり、お前はこいつの娘ってことか? そんな馬鹿な……。こいつにお前みたいな若い娘がいる訳ない!」
「そうね、普通ならそう。でもさっき見た通り……あたしは死なない」
勇豪は息を呑む。文生も彼女のハッタリに口が塞がらなくなる。
「……文生様、それは本当なのか?」
勇豪の問いかけに、文生は動揺しつつ頷き、チラリと老婆を覗き見る。それにつられた勇豪と美琳も老婆に注目し、全員の視線が彼女に集まった。
そのとき老婆は、美琳が来た日のことを思い出していた。まるで封を切られたように。
(何故、今の今まで儂は忘れていたんじゃ? この子は、儂のおっ母にそっくりなのに。おっ母と瓜二つだった妹にそっくりなのに。もちろん、娘なんかじゃない。それどころかこの子は……!)
老婆は否定の言葉を紡ごうとした。が、それは美琳によって阻まれた。美琳は老婆の目の前に人差し指を翳して老婆の顔を覗き込む。すると、美琳の瞳から黄金の光が揺蕩う。眩くて儚げなそれに老婆の目は釘付けになる。
一瞬だろうか、永遠だろうか。三人で過ごした日々が頭を駆け巡る。
美琳と文生が婚約したとき、美琳が初めて言葉を話したとき、美琳を産んだとき。
――儂は何を考えていた……?
そう、そうだ。この子はずっと母と過ごしてくれた孝行娘じゃないか。この娘に不道徳だなんて烙印を押させてはいけないじゃないか。
老婆はチカチカと目を瞬きながら、勇豪に懇願する。
「儂は老い先短い身。死ぬのは構いやしません……。でも、この娘を不孝者にしたくない。どうか儂を死んだものとしてくれないでしょうか?」
勇豪は信じられないという顔で老婆を見つめる。しかし先程の彼女の体を見ると、嘘でないようにも思える。
「だが……お前がこのまま村にいればいつか知れてしまう」
動揺する勇豪。するとすかさず美琳が目に光を宿して、提案する。
「大丈夫。あたしにいい案があるの」
*教え…国に脈々と受け継がれている倫理観。
文生は目の前の光景が信じられなかった。
目の前では勇豪が剣を振り下ろしたまま固まっている。けれどそれが老婆に突き刺さっている訳ではない。代わりに、美琳の肩に剣が割って入っていた。
さぁっと青ざめる文生。早く傷の手当てをせねば、と美琳の肩に触れた。だが文生の手は赤く染まらない。文生は異変を感じ、美琳を見つめる。彼女は眉を八の字に描いている。しかし苦悶の表情とは違う。美琳は文生から視線を逸らすと、剣の柄を掴んで引き抜こうとした。されど女のか弱い力ではなかなか抜けない。すると美琳は剣が通った道を逆戻りさせて抜ききり、床に転がす。その転がされた剣には一滴の血も付いていない。傷口を見れば、剥き出しになった骨が折れている。が、すぐに骨はくっつき始め、皮膚が独りでに蠢いて骨を覆い隠す。数分もしない内に、元の白い肌に戻っていった。
三人は美琳の顔と治った肩を交互に見る。誰もが今、目の前で起ったことが信じられず、自分たちの現状が頭からすっかり抜けていた。
皆押し黙っている中、初めに口を開いたのは文生だった。
「美琳……一体君は? 今のは、何が起きたの? まさか君がそんな体だったなんて……」
美琳は気まずそうに顔を逸らしながら三人に語って聞かせる。
「これは、あたしにもよく分からないの。ただ気付いたらこうだったとしか……森にいた頃にはこうなっていたような気がするの」
「え、じゃあ、出会ったときにはもう……?」
怯えを見せた文生に、美琳は表情を曇らせる。
「……ごめんなさい。皆が気味悪がるって分かってたから黙っていたの」
ぽろり、と美琳の目から雫が落ちる。
「でも、あたしは〝美琳〟。文生を好きなあたしは永遠に変わらないの。だから……文生だけはそんな目で見ないで」
その一瞬、美琳の瞳の奥底に深い哀しみが揺らいだ。文生は、今までに見たことのない彼女の瞳で胸が軋んだのを感じた。
彼女の言う通り、どんな体であろうとも今まで共に過ごしてきた彼女がいなくなる訳ではない。今も目の前で美琳が生きている。それこそがかけがえのない事実であり、愛しい人を泣かせてしまったのは、手酷い裏切りであると思った。
「美琳……ごめんよ。そうだよね、どんな体であろうとも、君が君であることには変わりはないよね」
「……! ありがとう、文生」
満面の笑みを浮かべた美琳は文生に抱きつく。それに対して文生は恐る恐る抱き返す。するとそこには、いつもと変わらない温もりがあった。
文生は安堵の吐息を漏らす。と、美琳に耳元で囁かれた。
「あたしが今からする話に合わせてちょうだい」
「え……?」
吹っ切れた表情になった美琳は、文生から体を放して振り向く。
「勇豪さん」
急に名指しされた勇豪は〝あぁ〟とも〝うむ〟とも言えない声を出す。それを意に介することなく、美琳は強い眼差しで聞く。
「婆様と貴方がどんな約束を交わしてたか知らないけど……。本当に殺すしかないの?」
「そりゃ……そうさ。王は誰よりも高潔な存在として、民の見本にならなければいけない。親殺しを見過ごすようじゃ*教えに背く。お前だってそんな奴が治めている国にいたいか?」
美琳は苦虫を噛み潰したような顔で勇豪を睨み付ける。
「……じゃああたしは今、親殺しを見逃す親不孝者にされようとしているってことね」
「ッは? え、つまり、お前はこいつの娘ってことか? そんな馬鹿な……。こいつにお前みたいな若い娘がいる訳ない!」
「そうね、普通ならそう。でもさっき見た通り……あたしは死なない」
勇豪は息を呑む。文生も彼女のハッタリに口が塞がらなくなる。
「……文生様、それは本当なのか?」
勇豪の問いかけに、文生は動揺しつつ頷き、チラリと老婆を覗き見る。それにつられた勇豪と美琳も老婆に注目し、全員の視線が彼女に集まった。
そのとき老婆は、美琳が来た日のことを思い出していた。まるで封を切られたように。
(何故、今の今まで儂は忘れていたんじゃ? この子は、儂のおっ母にそっくりなのに。おっ母と瓜二つだった妹にそっくりなのに。もちろん、娘なんかじゃない。それどころかこの子は……!)
老婆は否定の言葉を紡ごうとした。が、それは美琳によって阻まれた。美琳は老婆の目の前に人差し指を翳して老婆の顔を覗き込む。すると、美琳の瞳から黄金の光が揺蕩う。眩くて儚げなそれに老婆の目は釘付けになる。
一瞬だろうか、永遠だろうか。三人で過ごした日々が頭を駆け巡る。
美琳と文生が婚約したとき、美琳が初めて言葉を話したとき、美琳を産んだとき。
――儂は何を考えていた……?
そう、そうだ。この子はずっと母と過ごしてくれた孝行娘じゃないか。この娘に不道徳だなんて烙印を押させてはいけないじゃないか。
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「儂は老い先短い身。死ぬのは構いやしません……。でも、この娘を不孝者にしたくない。どうか儂を死んだものとしてくれないでしょうか?」
勇豪は信じられないという顔で老婆を見つめる。しかし先程の彼女の体を見ると、嘘でないようにも思える。
「だが……お前がこのまま村にいればいつか知れてしまう」
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