永遠の伴侶

白藤桜空

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後宮に咲く花たち

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 桃の宴が果てた夕暮れ。とこの上では二人きりの宴が開かれていた。
「んもう、そんなに見ないで」
「どうして? こんなにも綺麗で可愛いのに」
「だって恥ずかしいわ」
「嘘ばっかり。本当は見て欲しいくせに」
「そんなこと……あるかも」
 クスクスと笑い声が転がり、熱く火照った体が絡まり合う。
 これまで幾度となく繰り返されてきた二人の茶番を、投げ捨てられた黄と紅のころもが冷めた目で見つめている。

 文生ウェンシェンは桃の香りで満ちた唇に口付ける。甘く柔らかい果実は何度味わっても飽くことがない。接吻せっぷんを繰り返しながらゆるゆると優しく乳房ちぶさを撫でると、とろりと秘部から蜜があふれた。立ち上る芳香ほうこうに誘われた文生は、蜜壷に顔を寄せる。
「あッ……!」
 くち、という音と共に嬌声が漏れ、白い喉が仰向け反る。
 丁寧に舐め、時に強く吸えば、彼女の声が上擦りとろけていく。
 文生はますますむさぼむ。無我夢中になって頭をうずめていたら、つと、彼女の小さな手が頬に触れる。
「ね、もう大丈夫だから……」
 上に向けさせられた先では、荒い吐息と潤んだ瞳が焦れていた。
 だが文生は口を離さない。
「んんッ! うぇんしぇンッ、やめッ……!」
 舌足らずな声。震える太腿ふともも。背中に回っていた足がこわり、文生の体を引き寄せる。
 文生は目を細めて彼女が落ち着くのを待った。
 少しすると汗ばんだ体から力が抜け、彼女はそのままとこに倒れこむ。
「ふふ、気持ち良かった?」
「…………いじわるだわ」
 美琳メイリンは唇を尖らせて顔を背ける。
「ごめんね、つい可愛くて」
 文生は申し訳ないと一寸も思ってない顔で美琳の頭を撫でる。だがなかなかこちらを向かない。
 文生は根気強く、ゆっくり髪をいていると、美琳もほだされたようだ。
「……文生」
「うん、おいで」
 甘えた声で呼ばれた文生は両腕を広げる。細い体が飛び込んできたので強く抱き締めてやれば、硬い胸板を柔らかい髪の毛がくすぐった。
「機嫌は直った?」
 グリグリと左右に頭を擦りつけられる。
 文生はもう一度頭を撫でる。と、ポツリ、と彼にだけ聞こえる声がする。
「……また静端ジングウェンに怒られるわ。〝ちゃんとお努め・・・を果たしなさい〟って」
 文生は苦笑する。
「そんなの気にしなくていいよ」
「うん、まあ、あんまり気にしてないんだけどね」
「あはは! やっぱり?」
「でも貴方まで何か言われるのが嫌なの」
「それも放っておいていいよ。僕が好きでやってることだもの」
「でも……んッ」
 いつまで経っても顔を上げない美琳の顎を持ち上げ、唇で言葉を遮る。
 美琳は胸を押す。けれど文生は逃さない。
 激しく舌を絡めて彼女の不満を全部呑み込んでやる内に、段々と大人しくなっていった。
「……美琳」
「なぁに? うぇんしぇん」
 名前を呼ぶと、ふやけた笑顔で見つめ返される。
「怒られないこと、シよっか」
 そう言って文生は美琳に覆いかぶさった――――

 情事の後、美琳が沐浴もくよくに向かい、寝室は静まり返っていた。そこに動く影が一つ。
 文生はとこから体を起こし、薄闇に目を向ける。
「……静端か」
「はい。静端でございます。眠りを妨げた御無礼を御許しください」
 静端は拱手きょうしゅしつつひざまずく。
「構わん。それより何用だ」
仁顺レンシュン丞相じょうしょうがお呼びでございます」
「こんな時間にわざわざ呼び出す、ということは……急ぎのようだな」
「はい」
 文生は額に手を当てると、大きな溜息をく。
「分かった。着替えを用意してくれ」
「はッ!」
 短く返事をした静端は、素早く文生の身支度を整える。
「ああそうだ」
 黄色い着物を身に纏った文生が呟く。
「美琳に〝心配するな。先に寝て良い〟と伝えておいてくれ」
「……承りました」
 静端が深く辞儀をする。その横を文生は素通りする。彼が戸口に近付けば音も立てずに戸布がまくられ、その向こうに文生の背中が消えていった。

 およそ一時間後。
 美琳が沐浴から戻ると、すっかり冷たくなったとこが待っていた。
「……? 静端。王はどうしたの?」
「仁顺宰相から火急の連絡があるようでございました。美琳様には〝心配するな。先に寝て良い〟と仰せつかりました」
「ふぅん。そっか」
 と言って美琳は窓辺に向かう。
「美琳様? お休みにならないのですか?」
「うん。まだ『眠くない』から、もう少し『起きて』いるわ」
「そうですか。……けれど貴女様は将来の母后ははきさきになるやもしれないのです。きちんとお体をいたわっていただかないと……」
「ああ、はいはい分かったわ」
 静端の小言に美琳の適当な相槌が割り込み、一瞬ムッとする静端。しかしすぐに〝出過ぎた真似でございました〟と膝を折り、こうべを垂れる。
 美琳は苦虫を噛み潰したような顔で言う。
「大丈夫よ。少ししたら『休む』から。貴女はもう下がって良いわ」
「そうですか。それではお言葉に甘えさせていただきます」
 静端は顔を伏せたまますべるようにその場を後にした。

 春とは言っても夜は底冷えする。
「はぁ……」
 美琳が窓に向かって吐息を漏らすと、白く曇って霧散むさんする。
「……仁顺がわざわざ呼び出す程の大事おおごとってなると……戦、かなぁ」
 文生が真夜中に呼び出されることなどそうそうない。ましてや宴のあった日の御渡りがあった夜に、となれば相当のことだ。やっと天候の落ち着いた今、緊急性の高いことなどそれくらいだろう。
 美琳はもう一度大きく息を吐き出すと、眼下に広がる都城とじょうに目を向ける。
 窓の外では満月が町を照らしている。
 密集して立ち並ぶ民家。霞んで見える石垣。その更に奥には山と平原があるはずだ。
 月明かりがなくてもどこに何があるか分かる程、見慣れてしまった風景。
 見るともなしに見つめていたら、ふと、目の前をの玉がかすめる。
「…………!」
 美琳は勢いよく部屋に振り返る。と、そこにはとこの上に座っているがいた。
「え……?」
 予想外のことに、美琳は驚きを隠せない。
「ひ、久し振りね。急にどうしたの?」
 どうしてもぎこちなくなってしまった。すると光のの上でが動く。
「うん。君が元気にしてるか気になってね」
 そこからは高いとも、低いとも言えない声が聞こえた。
(あれ、こんな感じだったっけ?)
 最後に会ったのは何時いつだっただろうか。しばらく見ないうちに、光のがハッキリと形作られていた。美琳はなんとも奇妙な気持ちを抱いた。が、それよりも再会の喜びが勝った。
「ずっと来てくれなかったから寂しかったわ」
「そうだっけ? ついこの間・・・・・だった気がするけど」
 光は膝を組んでゆったりとくつろぐ。
「あれからどう? 〝願い〟はかなったみたいだけど、楽しんでる?」
 ぱっと美琳は顔を綻ばせる。
「うん! 貴方が応援してくれたおかげよ。今は毎日楽しいわ」
 美琳は軽い足取りでとこに近付き、光の隣に座る。
「こんなにも文生と長く一緒にいられるなんて夢みたい」
 少女は足をパタパタと動かし、瞳をきらめかせる。
「そう。それは何よりだ」
 光は膝の上で頬杖を突いて、優しく微笑む。
「君の『人生』だ。満足するまで、好きなようにしなさい」
 じっと美琳を見つめ、ゆっくりと点滅する光。ふと思い出したようにささやく。
「何か困ったことがあったら何時でもかえってきなさい。私は何時だって君の味方だからね」
「え?」
 美琳が眉をひそめ、もう一度問いかけようとする。と、またたく間に光が窓の外へ移動していた。
「じゃあ、またね・・・
 光は美琳に手を振る。美琳も振り返そうと手を上げたその刹那。光の姿は掻き消えていた。
 後に残ったのは夜空の星屑ほしくずだけだった。
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