永遠の伴侶

白藤桜空

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後宮に咲く花たち

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 王城のとある一画。
 そこは貴族の中でもけい以上の身分の者しか立ち入れぬ場所――桃園。
 空気はせ返る程の甘い香りで染め上げられ、極彩色の着物を着た人々が並木道を作って盛り上がっている。
 桃園の中心に向かっていくと、他の木々よりも遥かに大きな木の下に、絹製の黒布が敷かれている。
 敷き布の中心には大きな椅子が一脚、左右には小振りな椅子が一脚ずつ並んでいる。
 その真ん中の椅子で、文生ウェンシェンは桃色の空を見上げていた。
「この景色を美琳メイリンにも見せられるなんてなぁ…………どうだ? 美しかろう?」
「ええ、とっても綺麗」
「そうか。美琳ならきっと気に入ると思ってな」
 そう言った文生は桃の木から目を離すと、右隣にいる美琳を見つめた。
 濡れ羽色の結髪けっぱつの上で金簪きんかんきらめいている。額には薄赤で花の紋様が描かれ、白粉おしろい要らずの顔では唇が紅に色付いている。紅色の着物に刺繍された浅葱斑アサギマダラは、桃の香りに喜び舞い飛んでいるようだ。さながら天女が顕現したような彼女の美貌は、文生だけでなく、その場にいるすべての視線を吸い寄せた。
 文生は熱っぽい目で美琳を見つめながら、手にしているさかずきあおる。
「ん……はぁ」
 満足気な吐息を漏らして空にすると、美琳の茶碗をのぞき見る。
「美琳はそれ・・で本当に良かったのか? 今からでも酒に変えられるぞ」
「いいえ、私はこれが良かったの。気になさらないで」
 そう言った彼女はとろみのついたそれ・・を大事そうに一口飲む。
「ふむ。美琳がそれで良いなら構わんが……」
 文生は侍女に目配せをし、杯に酒を注がせる。
「酒はこういう宴の日にしか飲めんのに、わざわざそれ・・を選ぶなんてな。普段でも飲めるであろう?」
「でも、これ・・が好きなんですもの」
 美琳は茶碗の底をじっと見つめる。その瞳は、文生の知らぬ色をたたえていた。
 文生は悠然と微笑むと、桃園の中央を見やる。つられて美琳も顔を上げる。
「……そろそろ舞が始まるようだな」

 ちょうど二人が目を向けたとき、鐘の音が演舞の開始を告げた。
 桃園の中央には仮設の舞台が設置されていた。
 木板で組まれた正方形の舞台の左右には、様々な楽器を携えた雅楽隊が居並んでいる。
 不意に太鼓が、トン、トン、トン、と小気味好い拍子を刻み出す。しょうは主旋律を奏で、そうが後を追って駆け回る。最後に鈴が鳴らされると、踊り子たちが列を成して舞台に上がった。
 彼女たちは長く垂れた両そでを合わせて顔の前で掲げている。そのまま舞台の中心まで進み出て円陣を組めば、九色の着物であることが判った。
 円陣の真ん中にいる二人は白と黒。他の七人は右から、赤、だいだい、黄緑、緑、水色、青、紫、という順である。
 九人が膝を折り曲げ辞儀をすると、雅楽の音が止まる。同時に、宴で賑わっていた貴族たちも静まる。
 静寂に包まれた中、白と黒の体が動く。
 二人はすっくと立ち上がり、隠していた顔を表に出す。
 瞬間、わぁ、と官吏たちの歓声が上がる。
 彼女らは龍の面をかぶっていた。
 白い着物の者は白い龍の。
 黒い着物の者は黒い龍の。
 彼女らの面はつがいのように一対の作りであった。が、その形相ぎょうそうはまったく異なるものだった。
 白龍は穏和で、慈悲深い顔。
 黒龍はおびえ、怒りに満ちた顔。
 正反対な二頭は向かい合うと、片方はなだめるように、片方は威嚇するように舞い踊る。
 皆が無言で見守る中、二頭は入れ代わり立ち代わり動き続ける。
 次第に彼らの舞踊は穏やかなものになる。
 二頭は混じり溶け合うように近寄る。まるで恋人たちが体を寄せ合うように。
 そこへ突然、太鼓の音がとどろく。
 彼らは驚き、飛び去ろうとする。だがそれを七人の踊り子たちが許さない。
 七人は立ち上がると、二頭を囲うように舞う。
 雅楽隊が追い立てるように音楽を掻き鳴らし、二頭はますます逃げ惑う。
 七色の円陣は徐々に狭まり、二頭の距離も縮まる。
 龍たちは額を突き合わせる程に近付くと、一瞬悲しみに暮れたようにする。が、次の瞬間。
 二頭はまたいさかいを始める。
 今度は七人の踊り子たちも加勢する。
 赤、橙、青、紫は白龍に。
 黄緑、緑、水色は黒龍に。
 二つの勢力は互角の戦いを見せた。けれど数が多い方が有利なのは自明の理だ。時間が経つにつれ、黒龍の劣勢は目に見えてきた。
 舞台の端に追い立てられた黒龍たちは、身を縮こまらせ、素早く退場する。
 黄緑、緑、水色は一目散に。
 黒龍だけは最後に振り向き白龍を見つめ、そして桃の木の陰に去っていった。
 白龍と四人が彼らを見送ると、雅楽隊が華やかな音楽で勝利を祝う。
 四人は白龍の周りをくるくると踊って、全身で喜びを表現する。
 その中心で白龍は、黒龍の消えていった方をいつまでも見つめ続けた――――

 ゴォン、と大きな鐘の音が響く。
 それを合図に、舞台にいる五人は踊りを終え、退場していた四人が戻ってくる。九人の内、白龍と黒龍を演じた二人は、仮面を外して舞台に置く。そして全員で拱手きょうしゅすると、文生に向かって腰を折り曲げ長揖ちょうゆうした。
 文生は深く頷いて片手を挙げる。
「大儀であった」
恐悦きょうえつ至極しごくでございます」
 と、文生の言葉に踊り子たちは揃って答える。直後、賑やかな声があふれ返る。
 貴族たちは酒盛りを再開し、あちらこちらから演舞を褒め称える言葉が聞こえる。
 踊り子たちは舞台からけ、雅楽隊は軽やかな音色で宴会を彩るのであった。
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