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蛇の生殺しは人を噛む
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「君保さん。文礼様……を名乗る方はどちらにいらっしゃいますか」
「取調室で持ち物や身体検査をさせていただいてます」
「分かりました。ご本人であることも間違いなさそうですか?」
「そちらも当時の侍女に確認させています」
足早に歩く浩源に置いて行かれないようにしながら君保が答え続けている。と、ふっと浩源の顔が曇る。
「しかし七年も経った今になって……身代金や交渉など無いのに何故戻って来られたのでしょうか」
その言に君保は不思議そうにする。
「文礼様ももう十二歳です。捕まえられていたところからなんとか抜け出せたんじゃないでしょうか?」
「そう、でしょうか」
「きっとそうですよ!」
にこにこと愛嬌のある笑みを浮かべる君保。しかし浩源の表情が変わることはなかった。
二人は宮殿の一室の前で立ち止まる。
君保は薄く口を開けて戸布を捲ろうとする。が、それは浩源によって引き留められた。
「貴方はここに居てください」
どことなく強張った面持ちの浩源に、君保は首を傾げる。
「どうしてですか?」
「……年頃の少年に大人二人がかりでは緊張してしまうでしょう?」
「あ、確かにそうですね!」
「でしょう? だから貴方は誰も入って来ないように見張っていてください」
「分かりました。ここでお待ちしています」
「よろしく頼みます」
君保は一歩下がって浩源に道を譲る。と、浩源が彼の肩を軽く叩き、素早く耳打ちする。
「何かあれば呼びます。そのときは迷わず入ってきなさい」
「え……? 今なんて「失礼します」
君保の問いは、浩源の声に掻き消されるのであった。
「お久し振りです。文礼様」
部屋に入った浩源は、椅子に座っている少年に声をかける。小柄な彼は、浩源のことを仰ぎ見て、眉根を寄せる。
「えっと……すみません。どなたでしょうか? なんとなく見覚えはあるのですが……」
戸惑う文礼に対して浩源が柔和に微笑む。
「七年も前ですからね。致し方ありませんよ」
と言って浩源はしゃがみ、拱手する。
「私は浩源と申します。軍で大尉をしております。私は貴方様と王……貴方様の御父上を御守りするためによく御傍に居させていただいてました」
「浩源、さん」
「さん付けは要りません。気軽に浩源、もしくは大尉とでも呼んでください」
「じゃあ……大尉。そのときはお世話になりました」
ぺこり、と頭を下げた文礼の所作には平民にはない品の良さがあった。とても囚われの身だったとは思えぬ程に。
その姿に浩源の心がざわつく。
浩源は礼を解いて立ち上がり、それに合わせて文礼も顔を上げ、浩源の目をじっと見つめる。
「大尉、私は何時母上に会えるのでしょうか?」
彼の声にはどこか焦りの色が滲んでいた。そしてその声色には子が母を恋しがっているのとはまた違う響きがあるように思えた。
浩源の中にあった違和感が増す。
「先に、貴方様が誘拐されたときの状況や、誰に誘拐されていたのかなどを詳しくお聞かせ願えますか?」
「……!」
その言葉を聞いた途端、文礼の顔がくしゃりと歪む。
「あ、あそこは、とても恐ろしくて……。思い出したくないです……」
文礼は顔を覆い、すすり泣き始める。が、その豹変振りはあまりにも嘘くさかった。
「文礼様。侍女には誘拐犯の隙を見て抜け出してきた、と話されていたそうですね? ただそれと同じことを私にもお話くださるだけで良いのですよ?」
文礼の顔を覗き見ようと浩源が近付く。と、文礼が小さく呟いた。
「…………ふぅん。やっぱりそうなるか。じゃあ仕方ないよね」
その刹那。
「うッ!」
目を見開き呻く浩源。腹を押さえると、その手は赤く染まった。
「どこに隠して……いや、何故……」
よろめく彼を押し退けて、文礼は椅子から立ち上がる。
「ごめんなさい。本当は貴方たちを傷つけるつもりはなかったの。でもあいつに会うのを邪魔するなら、誰であろうとも容赦するな、って言われているんだ」
文礼の表情は浩源を気遣っていた。だが彼の瞳には一片の悲しみもなく、また、悪びれた様子も無かった。
「~~ッ君保!」
浩源が吠える。
その声に反応して君保はすぐさま部屋に駆け込む。と、彼の目に、床に倒れている浩源と、返り血に手を染めた文礼が飛び込んできた。
動揺する君保。だが何をすべきなのかだけは分かった。
君保は文礼が手にしている短剣を取り上げるべく飛びかかる。すると文礼が素早くしゃがみ、君保の視界から消える。
「ッ⁈」
予想外の動きに君保は咄嗟に反応出来なかった。伸ばした手は空を掴み、その隙に文礼の得物が君保の太腿に深く突き刺さる。
「ぐあッ!」
蹲る君保。文礼は冷めた目で彼を蹴飛ばし、足に刺していた短剣を抜く。
「子供だからって油断してはいけませんよ」
淡々と言うと文礼は、二人を置いて部屋の戸布に手を掛ける。が、足を踏み出せないことに気付き振り返る。
「ま……待ちな、さい」
見ると、文礼の袴の裾を浩源が掴んでいた。
「行かせませんよ……」
息も絶え絶えに話す彼の口から、血が一筋流れる。
「……ふふ。母上の言っていた通りですね。浩源さんには注意しろ、って」
浩源は目を見開く。
「まさか、貴方を攫ったのは……!」
「じゃあ急ぎますの、で!」
「かはッ!」
文礼は浩源の傷口に蹴りを入れると、今度は振り返ることなく部屋を出ていくのだった。
「取調室で持ち物や身体検査をさせていただいてます」
「分かりました。ご本人であることも間違いなさそうですか?」
「そちらも当時の侍女に確認させています」
足早に歩く浩源に置いて行かれないようにしながら君保が答え続けている。と、ふっと浩源の顔が曇る。
「しかし七年も経った今になって……身代金や交渉など無いのに何故戻って来られたのでしょうか」
その言に君保は不思議そうにする。
「文礼様ももう十二歳です。捕まえられていたところからなんとか抜け出せたんじゃないでしょうか?」
「そう、でしょうか」
「きっとそうですよ!」
にこにこと愛嬌のある笑みを浮かべる君保。しかし浩源の表情が変わることはなかった。
二人は宮殿の一室の前で立ち止まる。
君保は薄く口を開けて戸布を捲ろうとする。が、それは浩源によって引き留められた。
「貴方はここに居てください」
どことなく強張った面持ちの浩源に、君保は首を傾げる。
「どうしてですか?」
「……年頃の少年に大人二人がかりでは緊張してしまうでしょう?」
「あ、確かにそうですね!」
「でしょう? だから貴方は誰も入って来ないように見張っていてください」
「分かりました。ここでお待ちしています」
「よろしく頼みます」
君保は一歩下がって浩源に道を譲る。と、浩源が彼の肩を軽く叩き、素早く耳打ちする。
「何かあれば呼びます。そのときは迷わず入ってきなさい」
「え……? 今なんて「失礼します」
君保の問いは、浩源の声に掻き消されるのであった。
「お久し振りです。文礼様」
部屋に入った浩源は、椅子に座っている少年に声をかける。小柄な彼は、浩源のことを仰ぎ見て、眉根を寄せる。
「えっと……すみません。どなたでしょうか? なんとなく見覚えはあるのですが……」
戸惑う文礼に対して浩源が柔和に微笑む。
「七年も前ですからね。致し方ありませんよ」
と言って浩源はしゃがみ、拱手する。
「私は浩源と申します。軍で大尉をしております。私は貴方様と王……貴方様の御父上を御守りするためによく御傍に居させていただいてました」
「浩源、さん」
「さん付けは要りません。気軽に浩源、もしくは大尉とでも呼んでください」
「じゃあ……大尉。そのときはお世話になりました」
ぺこり、と頭を下げた文礼の所作には平民にはない品の良さがあった。とても囚われの身だったとは思えぬ程に。
その姿に浩源の心がざわつく。
浩源は礼を解いて立ち上がり、それに合わせて文礼も顔を上げ、浩源の目をじっと見つめる。
「大尉、私は何時母上に会えるのでしょうか?」
彼の声にはどこか焦りの色が滲んでいた。そしてその声色には子が母を恋しがっているのとはまた違う響きがあるように思えた。
浩源の中にあった違和感が増す。
「先に、貴方様が誘拐されたときの状況や、誰に誘拐されていたのかなどを詳しくお聞かせ願えますか?」
「……!」
その言葉を聞いた途端、文礼の顔がくしゃりと歪む。
「あ、あそこは、とても恐ろしくて……。思い出したくないです……」
文礼は顔を覆い、すすり泣き始める。が、その豹変振りはあまりにも嘘くさかった。
「文礼様。侍女には誘拐犯の隙を見て抜け出してきた、と話されていたそうですね? ただそれと同じことを私にもお話くださるだけで良いのですよ?」
文礼の顔を覗き見ようと浩源が近付く。と、文礼が小さく呟いた。
「…………ふぅん。やっぱりそうなるか。じゃあ仕方ないよね」
その刹那。
「うッ!」
目を見開き呻く浩源。腹を押さえると、その手は赤く染まった。
「どこに隠して……いや、何故……」
よろめく彼を押し退けて、文礼は椅子から立ち上がる。
「ごめんなさい。本当は貴方たちを傷つけるつもりはなかったの。でもあいつに会うのを邪魔するなら、誰であろうとも容赦するな、って言われているんだ」
文礼の表情は浩源を気遣っていた。だが彼の瞳には一片の悲しみもなく、また、悪びれた様子も無かった。
「~~ッ君保!」
浩源が吠える。
その声に反応して君保はすぐさま部屋に駆け込む。と、彼の目に、床に倒れている浩源と、返り血に手を染めた文礼が飛び込んできた。
動揺する君保。だが何をすべきなのかだけは分かった。
君保は文礼が手にしている短剣を取り上げるべく飛びかかる。すると文礼が素早くしゃがみ、君保の視界から消える。
「ッ⁈」
予想外の動きに君保は咄嗟に反応出来なかった。伸ばした手は空を掴み、その隙に文礼の得物が君保の太腿に深く突き刺さる。
「ぐあッ!」
蹲る君保。文礼は冷めた目で彼を蹴飛ばし、足に刺していた短剣を抜く。
「子供だからって油断してはいけませんよ」
淡々と言うと文礼は、二人を置いて部屋の戸布に手を掛ける。が、足を踏み出せないことに気付き振り返る。
「ま……待ちな、さい」
見ると、文礼の袴の裾を浩源が掴んでいた。
「行かせませんよ……」
息も絶え絶えに話す彼の口から、血が一筋流れる。
「……ふふ。母上の言っていた通りですね。浩源さんには注意しろ、って」
浩源は目を見開く。
「まさか、貴方を攫ったのは……!」
「じゃあ急ぎますの、で!」
「かはッ!」
文礼は浩源の傷口に蹴りを入れると、今度は振り返ることなく部屋を出ていくのだった。
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