永遠の伴侶

白藤桜空

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蛇の生殺しは人を噛む

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 文礼ウェンリィは人影を避けながら宮殿の廊下を走る。迷うことなく水汲み場に着くと、手に付いた血液を洗い流していく。
「バレてしまう前に仕留めに行かないと……」
 ぶつぶつと反芻はんすうし続ける文礼。その異様な執着は、自己暗示をかけているようにも見えた。
 文礼はすっかり汚れが落ちたのを確認すると、手早くそでで水滴を拭って周囲を見回しながらまた走り始める。
 そうして辿り着いたのは後宮を囲う塀であった。その足元には紫陽花あじさいが植えられている。その生垣を文礼は塀に沿って移動しながら目を凝らし、ふと、ある場所で立ち止まる。
「良かった、直されてなくて。……彼女・・のおかげ、だよね?」
 文礼は呟くと、腹這いになって生垣を割け入っていく。すると塀には人一人がぎりぎり通れるくらいの穴が空いていた。
「ん……ッしょ」
 なんとかくぐり抜け、勢いよく飛び出た文礼は、先程と同じように、人目を忍んで目的の場所へひた走るのであった。

 後宮の一室。
 そこでは青い着物の痩せ細った女が落ち着かない様子で部屋の中をうろついていた。
 彼女は部屋の隅に控えている老年の女性に話しかける。
「本当に文礼が戻ってきたの? 静端ジングウェン
「……そのようでございます」
「ならば何故なにゆえわたくしに会わせないのです。母親である私に真っ先に会わせるべきでしょう⁈」
 彼女は金切り声で叫ぶと、机の上の花瓶を倒す。
淑蘭シュンラン様。物に当たる癖は辞めていただかないと、また上級官吏かんりたちからきさきとしての資質を疑われてしまいますよ」
うるさいわね! 貴女ごときが指図するんじゃないわよ!」
「ッ!」
 更に甲高い声でわめいた淑蘭は静端の顔をはたき、直後、自分の爪を噛み始める。静端はぶたれて真っ赤になった頬を押さえながら、気丈な眼差しで淑蘭を見やる。
「そのように、すぐにお怒りになられる母上を文礼様が見たいと思われますか?」
「……!」
 ハッと静端を見る淑蘭。今度は青ざめた顔で頭を抱える。
「そう、そうよね。母親のこんな姿なんて嫌よね……。改めないといけないわね」
 そう言った淑蘭はまたたく間に凛とした面立ちになる。その姿にはかつての輝きさえ見受けられた。
 すっかり落ち着きを取り戻した淑蘭は静端に言う。
「では文礼が来るまで果実水でも飲んで待つことにしましょう。静端。持ってきなさい」
 そう言うと淑蘭は、窓辺の椅子に座って外を眺め出す。
かしこまりました。すぐにお持ち致します」
 静端は拱手きょうしゅすると静かに退室するのであった。

 廊下を進む静端。その視界の端に人影が映り込む。
 すかさず静端は振り向き、廊下を走るその人物に注意しようと口を開きかける。が、その顔を見た瞬間、息を呑む。
「貴方は……!」
「しッ!」
 驚きのあまり大声を上げかけた静端に対して、その人物は唇に人差し指を当てて黙らせる。静端もその意図を察して、咄嗟とっさに自分の口をつぐむ。そして恐る恐る問う。
「貴方様は、文礼様でお間違いないでしょうか?」
 文礼は静かに頷く。
「そう、でございますか……」
 そう言った静端の声はかすかに震えていた。だが文礼はそれに気付かぬ振りをして聞く。
あの女・・・はどこにいますか?」
「ッ!」
 静端は逡巡する。が、戦慄わななく指で後ろの部屋を指す。
「……あちらの部屋にいらっしゃいます」
「分かりました。教えていただきありがとうございます」
 文礼は軽く頭を下げて礼をすると、素早く身をひるがえす。しかし、静端に腕を掴まれたことで立ち止まざるを得なくなる。
「静端さん? どうしたんですか。早く行かないと……他の人に見つかってしまいます」
 不思議そうに小首を傾げて見上げる少年。その姿は彼女・・に瓜二つであった。
「……! な、なんでもありません。なんでもありませんわ……」
 パッと手を離した静端は、泣きそうな顔で笑みを浮かべる。
「どうか……〝お母上〟のお怨みを晴らしてくださいませ」
 その言葉に文礼は一度目を見張り、そして花が綻んだように笑う。
「もちろんです! では、行ってまいりますね」
 今度こそ文礼は静端から聞いた部屋へと入っていく。
 静端はそのまっすぐ過ぎる少年の姿を直視出来ず、思わず目をつむる。

 その数瞬後。
 絶望に染まった女の叫び声が後宮中に響き渡るのであった。
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