夢日記

ラララルルル

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     三

 子どもは、次に目を覚ますまでに、友だちの夢を見た。友だちは、子どものことなんてすっかり忘れたかのように、他の友だちを作るのだった。要は友だちは、子どもを踏み台にしたのだった。子どもは目一杯に、軽視されていた。子どもは口をとんがらせて、いじけて、目下の小石を蹴飛ばした。
「優しくしても、結局損をするのは自分だ。優しくした方が、損をするんだ」
 それでも子どもは、他人を傷つけるくらいなら、自分が不幸を引き受ける方が良いと考えた。だからこれからも、友だちには優しく接することに決めていた。
 起き出すと、すぐには机に向かわず、窓辺に寄った。外は月夜であった。目前の木の下で、人型の兎がもたれかかり本を読んでいた。つぎはぎだらけの、兎であった。子どもはじっとそれを眺めて、やがて眺めるのにも飽きて、机に向かうことにした。日々の記録……この世界で正気を保つには、必要な作業なのである。
 一番新しい頁を開けてみると、やっぱり今日の分は既に埋まっていた。三人の人間に出会ったことだけは、確かなようであった。そうして、初めの一人と友だちとなったことも、間違いがないらしかった。ところが日記中の子どもは、子どもの思いとは裏腹に、三人共に対し、酷く冷淡な態度をとっていたのであった。子どもは訳が分からなくなって、視界がぐるぐると巡り出して、自己嫌悪に陥って日記を閉じた。
 子どもは、半袖から剥き出しになっている自身の腕を思い切りつねってみた。ちっとも痛くなかった。これじゃあ何の罰にもならない、と思って、今度は爪を立ててみた。けれども、跡ばかりが虚しく残って、何の感触もしなかった。赤くなって、腫れそうだったので、少し可哀想だ、と思って、もうつねるのはやめにしておいた。
 子どもは、ほとんど自暴自棄の気持ちで、扉を勢いよく開いた。すると、すぐそこに紫色のフードを被った賢者が立っていた。
「お前が知りたいことを一つ教えよう」とその賢者は言った。子どもは、今一番に気になっていることを聞いてみた。
「どうして人は、すぐに裏切るの?」
「誰かを愛したのに、その誰かに裏切られたんだね。可哀想に」
 賢者は、フードで目を隠しながら言った。
「でも、仕方が無い。無理も無いのだ。その人物にとって、お前はもう手に入ったのだ。人は、自分に無いものを求めたがる。いつだって自分に無いものが、欲しいのだから。手に入ったお前は、もう、要らなくなったのだ」
 子どもはそれを聞くと、えんえんと泣き出した。
「そんな殺生な」
 賢者は泣く子どもを尻目に、もう何処かへと消えてしまった。代わりに、腰を曲げた一人の老婆が、子どもに向かって寄ってきた。
 老婆は、ある選択を、子どもに迫った。
「逃れたいのだろう? この『輪』から」
 子どもは、良く訳も分からない内に、うんと頷いた。
「それじゃあ、次の二つの内から、一つを選ぶんだよ? いいね。一つは、首を吊って死ぬか、もう一つは、掻き切って死ぬか」
「どちらにしても、死ななきゃならないの?」
「そりゃそうだろう。この輪から、逃れたいんなら……」
「生きては、逃れられないの?」
 老婆はカカカと笑った。
「自分でだって、分かっとるくせに。そんな生易しい話じゃあ無いだろう」
 老婆がそう言うと、子どもは突如真下に落っこちてしまった。地面がぬかるんで膜のようになって、それを突き破った所為であった。落ちた衝撃で膝を痛め、イテテと抱え込むようにした。ハッと気がついて、子どもは喜んだ。すると忽ち、痛みは幻であったかのように消えてなくなってしまったのだった。
 ここはどこだろう、と思い辺りを見回してみると、空は水色で地は緑であった。すぐそこで一人が、芝生の上に蹲って、ぐすん、ぐすんと泣いている。子どもは「どうしたの?」と労るように声をかけた。その子は、顔を膝と腹の隙間に埋めたまま、「とにかく悲しいの」と言った。子どもは困り果てて覚えず「どうしよう」と呟いた。
「どうもしなくたって良いよ」とその子は、途端真顔を振り上げて、子どもを真っ直ぐに見据えた。子どもは恐ろしくて、びくと身体を震わせた。
 そうして、気がついた——子どもらは、どこからか、見られていた。水色の空の外側に、大きく水平に拡がった目玉が薄らと映っていた。子どもは恐怖を覚え、目尻に涙を浮かべた。
「だから、君も泣いていたんだね……」
 その子は、「はあ?」と心底不愉快そうな声を上げた。
「馬鹿みたい、笑える」
 ぐるぐると世界は巡り出して、新たな展開を見せた。映し出されるのは、記憶の世界であった。懐かしくて、甘酸っぱい匂いがした。が、気がつくと子どもは、とある人に叱られていた。子どもには、反論が幾つか思い浮かんだ。けれども、そのどれも口に出すことはできなかった。唇をぎゅと噛み締めて、自身の無力さを思い知った。——失うのが、怖過ぎる……冷静になって考えてみれば、ちっとも必要が無いものばかりなのに、いざとなれば、必死でそれを抱え込むようにして、護っている。
 また世界は巡り出して、今度はどうしようもなく、胸が苦しくなった。ドキ、ドキと鼓動が強く脈打った。素敵だろうな、と思うばかりで、実際には叶えられそうにもないことばかりが、次々頭の中を駆け巡る。子どもは、自身の感じ得る、最上の幸せを思って、身悶えた。
 今目の前にいる人が、ふっと寂しげに笑って、言った。
「人は自分に無いものばかりを、確かだと思う」
 子どもはその言葉にぐんと引き揚げられて、あの老婆に再度対峙した。
「思い出したかい? ——世の中はこれで通常で、そう酷くもないが、こんなにも酷いのだ」
 そう、世の中は、こんな風に酷いのだ、と子どもも今になって思い出した。そうすると、もう前に向かって、進んでいく気力を失った。
「さあ、首を吊るか、掻き切るか、選ばせてやろう」
 子どもは、「それじゃあ、掻き切る」と宣言して、老婆は卑しく笑み、ナイフを手渡した。しかし、子どもの掻き切った首は、自分のではなく、老婆のものであった。老婆は「ギャア」と鳴いて、濁った血溜まりの中に沈んだ。
 それを見て、子どもは身体の芯より熱せられるような興奮を覚えた。今後出くわす人という人、全て殺めてしまうことに決めた。子どもは何とも思わずに、一歩を踏み出した。あれほど恐ろしかったはずの、一歩を。
 標的となる人は、すぐに現れた。この人は、能天気にそこに突っ立っていた。子どもは一目散、この人に向かってナイフを振りかざし、走り出した。殺すのに、何らの創意工夫も必要無いと感じた。子どもにはこの時、殺すことほど簡単なことは無いというように思えた。思った通り、この人は少しも動じずに、子どもの凶器を迎え入れたのであった。そしてそのまま、ずぶりと刺し込まれた箇所から、勢いよく、瑞々しい血が噴き出す。子どもは血を浴びて、激しい熱を纏い、鮮烈な快感を覚えた。——ところが、この人は、ちっとも死ななかった。多量の血をどばどばと流しながらも、ぼけっと突っ立っているのであった。子どもは、何度も刺した。死ぬまでは刺そうと、考えた。けれども、延々血は噴き出せど、この人は倒れなかった。そうして、今——何か用か、とでも言うように、子どもを流し見たのであった!
 子どもは戦慄し、強い不安に駆られ出した。生温い他人の血が、自分のあちこちにべちゃりとへばり付くのが不快になった。やっぱり、どうにもならないのだ……諦めの気持ちが、子どもを支配していく。
 殺せないことが、大分苦しかった。この人の、いつまでも能天気な顔つきが許し難かったが、致し方無かった。あんまりにも苦しくて、発狂し出すとも知れなかった。子どもは、一刻も早く、その場からの逃亡を図るべく、合言葉を必死で唱えた。
「私にはできない、私にはできない、私にはできない……」
 段々視界から光は奪われて、真っ暗になった。そして、その暗闇の中で、子どもは十分な報いを受けた。刺した分だけ、刺し返されるような気がした。その度、子どもは痛みに震えた——疼くような、心の痛みである。ズキンズキンと、耳鳴りのように響いた。子どもはその為に、暗闇で、もう当分目を覚まさなかった。
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