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もう、嫌だ。目を覚ましたくなんかない、ずっと、このままで良い。このまま布団に包まって、何事も為さなければ、それで全て済むはずである。それで良い。もう二度と外へなんか出ていかない、出ていって、良いことなんて一つも無いのだ。だから——
ドンドンドン、と扉を叩く音がした。無視無視……
ドンドンドン、と扉を叩く音は、段々と強くなった。止まない、いつまで経っても、止まない。この音は、私が起きるまで——
子どもはバッと布団を退けて、上半身を起こした。既に、部屋は子どもの知る部屋とは、様相を異にしていた。真っ白なはずの壁一面が、赤青緑の濁った色で滅茶苦茶に塗られて、窓の隅には何か悍ましいものが、潰れて、へばり付いていた。子どもは呆然として立ち上がり、窓の外を覗く。そこでは木陰に兎が目を伏し、胸に釘を打たれて死んでいる。
ドンドンドン、と煩く鳴る。子どもは怯えた目で扉を振り返った。開けたくない、行きたくない、嫌だ、もううんざりだ……
子どもはその場に、膝を抱え蹲ってしまった。が、扉を叩く音は、煩くてしようが無い。
ドンドンドン! ともう突き破るのではないか、と思われるほど、強く叩かれる。子どもは両耳を塞いだ。けれども、殆どその試みは、無駄であった。——この音は、芯から響いている、子どもの身体の芯から……だから、いつまで経っても止まない。耳を塞いでも、響き続ける。
子どもは虚ろな目をして、扉を開けた。そうして外へ出ると、力無くぱたんと閉じた。すぐそこに、青年が立っていた。
「待っていたよ」と青年は子どもに向かって、優しく微笑みかけた。子どもは、もう殆ど瞼を閉じてしまいそうなとろんとした顔つきで、青年を見上げていた。青年は、「付いてきて」と言った。ので、付いていくことにした。
幾つかの部屋を通った。どれも見覚えのある場所であった。唇に、整然と並んだ教室、何も無いがらんどうの部屋……青年はそこまでやってきてしゃがみ込むと、床の砂利を払い除けた。するとそこに、地下へと繋がるのであろう、通路の蓋が現れたのだった。
「行こうか」
青年は振り向いて、やはり子どもに微笑みかけた。子どもはその頃には、もう目を見開いていた。
青年に続き梯子を下り、地に足着くとまた歩いた。途中何人か物欲しそうにこちらを見つめてくる者がいたけれど、青年は意に介さず進んでいく。奥へ、奥へと、どこまでも……
子どもは漸く不安になった。これは一体、いつまで進んでいくつもりだろう。すると段々、景色はおかしなものに変わり始めた。そこに浮かび出すのは、恐らく、記憶の数々であった。それらが、シャボン玉のように浮かんで、背景は赤黒くピカピカと明滅している。大分、奥まで来てしまったらしい。子どもは、青年の背に、言葉をかける機会を窺っていた。迷いなく進む青年、記憶の、数々——あの欄干は、一体何であったろう、あの一本道と河川敷の夕日は……雪の降り積もる景色、殺風景に映る天井、真っ白な病室……
次の扉を潜ると、辺りは暗闇に包まれ、一筋、青白い光と共に道が続いていた。宙に浮かび上がる、通路のようであった。青年は一度入口に立ち止まって、しかしそのまま一歩を通路へと踏み出した。子どもはその通路の淵に立って、止まった。一定の距離が開くと、青年も歩みを止めた。そして、半身振り返って、「行くよ?」と子どもに声をかけた。
「あの……」
異変を察知した青年は、今度はちゃんと子どもの方に向き直って「早く行こう」と笑顔を見せた。寸分曇りの無い笑顔であった、が、一体どんな時にも瞬間に、この笑顔は作り得るものだろうと思った。
「そろそろ帰りたいんだけど……」
そう子どもの呟くのが早いか、青年は表情を一変させた。それは、鬼の形相と呼ぶに相応しいものであった。それでも口調だけは、終始穏やかさを保って、「早く行こう」と繰り返した。恐ろしい顔であった。もう子どもの足は、このせいで竦んでしまった。もう一歩も動くことはできない、青年は暫く「行こうか」と反復した。けれども子どもがちっとも寄ってこないと見ると、漸く鬼の形相を崩して、はあと一つ溜息を吐いた。
「仕方が無い」と青年は言った。そうして呆れ返ったようにして、「君は一旦、引き返した方が良い」と告げた。子どもは、「私にはできない」と小さく呟いた。そう、できない事ばかりだ。皆が軽々、簡単そうにやってのける事も、自分にはできない。ほら、目の前の青年だって呆れている。その所為で、また同じ事の、繰り返し。自分が嫌になってしようが無い……と思う内に、子どもの意識は遠のいていった。
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