夢日記

ラララルルル

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     六

 世の中は別段酷くない、けれども酷いのである。子どもは半身を起こして、ゆっくりと瞬きをした。
 立って歩き、窓外を覗くと、世界はひび割れていた。大きな亀裂が入って、光は歪に屈折していた。子どもは、そんな景色からは、もういい加減目を背けてしまって、机に向かう事すら忘れて、扉の前に立った。そうして、溜息を一つ溢した。一度背後を振り返って、眩しさに顔を顰めて、それから口を真一文字に結ぶと、押し開けた。
 真っ暗な廊下が続くけれど、時々明かりがある。明かりがあると必ず、子どもはそれに手を翳した。
 子どもは、幾つかの部屋を、何か劇を観るようにして通り過ぎていった。初めの数部屋には、沢山の人がいた。人々は一様に同じ色の服を着て、同じ姿勢をして、それから面持ちまで、揃えている。どの場面にも、主役があった。その主役に向かって、人々は窮屈そうにしているのであった。子どもはそれらに対し、ちっとも興味を湧かせなかった。その中に混ざりたいなどとは、まして思わなかった。こんなこともあるのだ、などとぼんやり考えながら、通り過ぎていった。それは何だか気味が悪くて、何より煩わしいのである。
 子どもはそれよりも、部屋の隅の方に目を留めることがあった。そこには、『本物の死』が転がっている。比喩だろうか? それとも、何か具体的な、象徴的な『もの』だろうか? いやしかし、それは『本物の死』と言う、そのものなのである。そして人々は、これに見向きもする事が無かった。これが在るということそれ自体を、忘れているらしかった。逆に人々が唱えたり祈ったり、讃えたりするものは、何か綺麗な形を縁取った、具体的な何かなのかも知れなかった。
 死を拾い上げてみると、鼻腔をツンと突く、大分嫌なにおいがした。心底拒絶したくなるような、においであった。しかし、それには存分な意義があるはずであった。子どもは、その意義を認めてやらなくてはいけなかった。そうでなくては、何故生きるのか、いよいよ本当に分からなくなる。
 次の部屋では、向かいの壁の見上げた所に、巨大なカランが伸びていた。カランは、子どもの十倍以上大きかった。呆気に取られて見ていると、何かきらきらとした輝きを纏った透明な『手』が現れて、栓を操作し、口からは水が勢い良く噴き出した。直方体の部屋は、みるみるうちに水浸しになっていく。子どもは、憤りを覚えた。これは、誰かが自己中心的に働いた結果なのだ。子どもは急いで、部屋の出口に向かって駆け出した。最後は地に足着かず、水を掻き泳ぎ、息を止めて潜って、ここを脱出した。出口から先には膜が張っているように、浸水しなかった。子どもは身体をぶるぶると震わせて、水を撥ねさせた。
 今度の部屋ではあちこち、銀色の球が跳ね回っていた。無数の球が好き放題、所狭しと飛び交っている。子どもは当然、この内を進んでいくことに恐怖を覚えた。それだから、立ち止まって良く良く観察していると……どうやら跳ね方は、一つ一つ違っていた。必死になって力づくで跳ねるものがあれば、鷹揚なものもある。高く跳ねることばかりが素晴らしいと考えているものがあれば、低く低く、安定して飛ぶものもあるし、どっちつかずもある。
 子どもはそして、漸く気が付いた。これは、球のそれぞれに性格があって、意思の下に動くように見えるが——本来初めから決まっていることなのである。高く跳ねたくとも、跳ねられないものがいるのだ。微妙に跳ねたくとも、加減の効かないものがいるのだ。
 子どもはこの渦中を通過しようと試みる。すると意地悪く、わざと子どもに向かって跳ねて、ぶつかってくるものがある。子どもは「やめて」と言って、丁寧にこれを払い除ける。けれども、性根の悪い奴はちっともやめない。
 すぐ側で子どもの事など気にも留めない球が、高く、高く、天井辺まで打ち上がった。そして、子どもはとうとう、向かってくる球を殴って退けた。
 次の部屋には一本の大木があった。大木はしかし、どっしりと幹を構えるのではなく、変幻自在に姿を変えることができるのであった。
 大木は複数の枝を触手のようにして、あちこちに伸ばし始めた。そうして、それで色々に触れ、感触を確かめるらしかった。子どもは、それに当たってはいけないと思った、けれども、あまりに枝が縦横無尽に部屋の内を巡るから、やがて捕まり、子どもは掬い上げられた。必死にもがくけれど、なかなか逃れられない。すると子どもは、どこから拵えたか銀色に刃をピカリと光らせるナイフを取って、枝を傷つけた。枝は奇妙な呻き声を上げると、忽ち死んだ。
 子どもは、次々そうやって枝を殺していった。単純作業を繰り返すようにして、殺しながら、子どもは幾つかの疑問を頭に浮かべた。どうしてこの枝たちは、自分に敵意を向けてくるのだろう? そして、どうしていつまでも諦めないのだろう? 既に百もの枝の損害を、大木は被っているわけである。それでもより勢いを増しながら、向かってくる。もはや、一つ一つの死というものは、酷く、希薄に思えてくる。枝にも、一生があったはずである。そして、それは重く、この地に根を張っていたものであったはずである。ところが、今の子どもには、どうしてもそれらがそんなにも大それたものとは思えず、無名の死としてしか捉えられない。
 子どもはようやっと、この猛攻を逃れた。大木は、身の毛のよだつような呻きを叫び上げた。この世の不幸の全てを詰め込んだような、叫びであった。子どもは先に進む。
 歩いているうちに、子どもは今更、他者の気持ちを推し量るようになった。自分に向かってくる球、巻きつく枝……果たしてそこに、敵意があったろうか? それは、子どもを、傷つけようという意思によるものだったろうか?
 子どもは球を殴った、そして枝を殺した。深く後悔してしまいそうになった。きっと、最悪の気分になる。そう思って子どもは、一刻も早く、全てを無かったことにしたがった。それから、合言葉を繰り返し唱えた。なんて便利な言葉だろう! けれども、それももう長くもたないことは、意識を失いながら、薄々感づいていた。
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